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        恋愛映画



 久し振りに映画を見にいこうか、ということになった。
 日曜日。天気はそんなに良くないけれど、家に篭もっているのも勿体無いということで、2人揃って天王寺へと出てきたのだが……。
 映画館に向かい、ラインナップを見て、思わず顔を見合わせる。
 恋愛ものばかりであったのだ。
 火村はそのずらりと並んだ―――恋愛映画です! と主張する―――ポスターを見ただけで、ウンザリとしてしまう。もとからそんなに映画を見る質ではない上に、恋愛ものなどもってのほか。恋愛はいま隣りに立っているアリスと熱烈なのを繰り広げている最中なので、わざわざ他人の、しかも作られた話など見て何が面白いのかと、思わざるを得ないのだ、が。
 ちら、と横目で伺い見たアリスは明らかに迷う素振りを見せている。
 さすがに小説を書くなどということを生業にしているだけあって、どこか、この男にはロマンチストな部分があるとは思っていた。それは学生時代からも判っていたことではあったし、こういった関係になって、更に身を持って知らされることとはなっていたが。
 だが、しかし、である。
 「―――いやだ」
 「何も言うてへん」
 「いやだ」
 「何もまだ言うてへんやろ」
 「まだ、ってことは言うつもりだったんだろうが。だいたいな、アリスが何を言い出すかなんて、顔を見てりゃ判んだよ。見たいって言うつもりだったろ」
 その通り。コクン、と肯いたアリスは、いきなり何を思ったか、パンッと両手を拝む形に持っていく。
 「―――なんだ」
 「頼む! 実は今度エッセイを頼まれてて」
 「その手は食わない」
 「や。ほんまやて! 映画に関するエッセイなんや」
 「本当だとしてもな、俺はお断りだ。考えてもみろ、俺が恋愛映画を一度でもお前と一緒に見たことがあったか? この十年の間に。―――ねぇだろうが?」
 「ええ機会やんか。一緒に見ようや」
 「お・こ・と・わ・りします。他の誰かを誘って見に行くんだな。俺は嫌だ」
 あくまでも頑なに断り続ける火村を、難攻不落の山を見つめる目つきで見ていたアリスは、ふいにニヤリとした―――子供がいたずらを思い付いたような―――笑みを浮かべた。
 「あっ、そーでっか。したら、隣りの真野さんでも誘おうかなぁ。前に差し入れで貰うた菓子のお返しもしてへんかったし。あ、そうやなかったら、英都のミス研の女の子達でも誘うかなぁ。彼女らやったら、奢る言えばすぐ来てくれるやろうし。ケイタイの番号を貰うてたんやけど、どこ挟んどいたかなー」
 ごそごそとわざとらしく背負っていたリュックを探るアリスを、火村はまじまじと見つめている。心情を吐露してしまえば「アリス、お前いつのまにそんな技を身に付けた?!」といった所だろうか。
 「ん? 何、見とんのや」アリスは顔を上げ、止めとばかりに、手を左右に振った。いわゆる『バイバイ』である。
 「君は嫌なんやろ? 俺と映画を見るの。そんなん無理してつきおうて貰うても俺も寝覚めが悪いし。忙しい助教授を拘束するんも申し訳ないしな。ええで、君は帰っても」
 「―――」
 「北白川に」
 じゃあな、と付け加え、アリスは火村に背を向けると、ケイタイを取り出す。
 片手に取り出したメモを持ち、ぴっぴっと軽い音を立て、番号をプッシュする。
 そして、それを耳に当てようとした所を、危ない所で取り押さえた。
 後ろから伸ばした手にケイタイを取り上げられ、アリスが振り返る。その目に勝利の雄叫びが聞こえそうなほど、高揚したものが見て取れ、火村はぐったりと肩を落として、無言で窓口へと向かったのであった。



 日曜だから、混んでいるだろう。との思惑は少しだけ当たっていた。
 中心部のスクリーンが良く見える位置はほぼ満席で、しかもカップルだらけときたもんだ。どう見ても男2人連れは周りの注意を引きそうである。火村は別にどっちでも良かったが、アリスはちらと周りを一瞥した後に、会場の端へと火村を引っ張った。
 「おい、良いのか?」
 「何が?」
 「こんな場所でさ」
 最後列の一番端に火村を座らせたアリスは、男の言葉に肩を竦めて、
 「ええよ。どうせ、君は寝てまうやろうし。俺は見えればええんやし。―――君と一緒やということは変わらんし」
 「ふぅん」
 「うわ、気のない返事」
 「他になんて言やいいんだよ。その通りなのに」
 確かにな、と小さな声で笑ったアリスを見て、今度は火村が肩を竦める番だった。
 そうしてだらしなく椅子に座り込んだ火村を待っていたように、館内の照明が落ちた。
 お定まりのCMが始まり、早くも眠気を誘われた火村は、横目に恋人が―――まさにワクワクと言った表情で身を乗り出しているのを見る。
 フッと笑みが零れた。
 まったく、俺の恋人は、いくつになっても可愛らしいことだ、と思う。
 題名を聞いただけで中味が知れるような映画に、こうもワクワクと出来るというのは一種の才能なのではないか、と。
 ―――だいたい……。
 導入部が始まったスクリーンをよそに、火村はアリスの横顔を見詰め続ける。
 久しぶりに会う恋人を横にして、なぜ、他の疑似恋愛を見守らなければならないのか。アリスはその不毛さに気がついていないのだろうか。
 火村は唇をすっと撫で、『こいつなら有り得る』と思う。きっとエッセイの件は本当なのだ。だから映画を見なければならないという使命感に捉えられているのだろう。それは判る。伊達に10年以上も見守って来たわけではないのだから。充分すぎるほどに判っているのだ。
 しかし、しかし、だ。
 理性と感情は別物だ。―――特に、恋愛という事象は、理性の堅物、鉄面皮の学術の徒と異名を取った火村にさえ、制御できない代物なのだから。
 火村は真剣にスクリーンを見つめるアリスの横顔を見詰め、まったく視線に気がつかない朴念仁に呆れた苦笑を洩らしてしまう。
 こうなったら意地だ。
 何としても振り向かせたくなってきた。悪戯心とも言えるその感情は、しかし、何を置いても振り向かせたいという欲求から来ている。本当に、恋愛そのもの、と言えるのではないだろうか?
 火村はそんなことを自分に言い訳し、納得させるとスクリーンへと目を転じた。
 ちょうど画面では一番目の盛り上がりを見せる主人公2人が、囁きあっている所だった。
 タイミングが良い。
 火村は人の悪い笑みを浮かべると、アリスに気付かれないように足をずらす。
 衝撃がないように膝をあて、まずは自分の存在をアピールした。
 それでもアリスは特別気にせずスクリーンを見守り続けている。
 よしよし、とばかりに今度は腕をずらし、アリスのそこへとぴたりと当てた。5月とはいえ、日中に出てきたのでシャツを一枚しか羽織っていないのが――アリスにとっては―――裏目に出た。心地よい温もりが薄い綿を通して伝わってくる。ちら、と彼の視線が火村に流れた。もちろん、火村は気付かぬ振りで前方を向いたままだ。
 いぶかしげに、アリスがもぞと身動きをしたのをきっかけにして、そっと肘掛けに乗せられていた彼の手の甲へと指を走らせた。ごく軽く、爪で掠るようにして。
 「火村っ」
 押さえた声でアリスが文句を付ける。
 それに応え、ちらりと流し目で見やってやると、アリスがグッと喉を鳴らしたのが判った。もちろん、 そのつもりでこちらはやったのだから、それ相応の反応を示してもらわねば困る。火村は気をよくして心持アリスの方へと身を傾けると、少しばかり顎を上げ、彼の耳朶へと、その薄い唇を寄せた。
 「―――アリス……」
 低く、掠れ気味に名を呼ぶ。
 アリスを愛する時に良く使う―――そのとき、意図して使っているか、そうでないのかは状況による―――声。火村の意識の中では、常にこの声で名を呼んでいる。実際に音として発せられる時は、その時々によって違うが、いつも、いつも、この世に二つとしてない名として、大事に呼んできた名前。
 「アリス」
 再度名を口にすると、アリスは首を竦めて、やり過ごそうとした。
 それだけは許さないとばかりに、火村は戻していた手をアリスの手に重ねる。手の甲を包み込むように、少しばかり大きい自分の手で、アリスの左手を封じ込めた。
 「……やめっ! 人が……」
 「他人なんか関係ねぇよ。俺にはお前がここにいるってことだけしか見えない」
 「火村っ」
 パッと頬を赤らめ、声を潜めて叫んだアリスは、ご丁寧にも右手で火村の腕を掴み、自分の左手を救出しようと試みる。
 無駄な試みを、と余裕の笑みを浮かべた。アリスの目はスクリーンへと向いているが、その意識がこちらへと戻ってきていることに気がついたからだ。
 寄せたままだった唇を少しずらし、わざと距離を作った。それから、
 「会いたかったんだぜ……?」
 「―――え?」
 「ここんとこ、すれ違いが続いてただろ? ―――会えなかったとき、お前のことばかり、考えていたよ、アリス」
 「―――」
 「早くお前を抱きたいよ」
 「あ、あほっ! 何を急に……!」
 「しっ!」
 押さえていただろうに、少しばかり力が入ってしまった為に、アリスの声は一瞬、館内へと響き渡ってしまった。
 台詞の前半でその指を使いアリスの唇を封じたものの、咳払いが続く。
 決り悪そうに椅子の中で座り直したアリスは目で「君のせいやで。はよこの手をどかさんかい」と訴える。
 無論、恋人のお願いをすげなく断るような野暮なことはしたくない火村は、言われた通りに自分の指をアリスの唇から遠ざける。去り際にそこを撫でるようにしたのはちょっとしたサービスだ。
 「あ……」
 ひと撫でし、一瞬強くした唇を押さえてから、火村の指が去っていくとき、アリスが小さく声を上げた。
 まさかそういう反応が返ってくるとは思っていなかった。ニヤリと笑った火村は、その声を確かに耳で捉えた証拠に、アリスの肩へと手を廻し、その手で彼の顎を掴むと自分の方へと向けさせる。
 「な、なんや? 俺、映画見ないとあかんのやけど」
 精一杯の虚勢をはり、そんな事を言うアリスにはかまわず、火村は
 「好きだよ、アリス」
 「―――なん、こんなとこで」
 「こんなとこでもさ。形振り構わず叫びたいぐらいに、お前のことが好きだぜ?」
 「―――叫ばれたら困る」
 「でも、会えない間に降り積もった気持ちは、叫ぶことでもしないと治まりが利かないかもしれない」
 「場所を考えろや」
 決してその言葉を聞きたくないとは言わないアリスに、火村は意識せず笑みを浮かべると、彼の方に廻した腕に力を込めた。
 「場所なんて関係ねぇってさっきも言っただろ……?」
 「え、映画見な……」
 「映画よりもお前を見てたい」
 「金払ったんやで?」
 「金でお前の時間が買えるもんなら、いくらでも払ってやる」
 「―――ここにいるやん。いつも、ここに」
 「それ以上に近くに来て欲しいんだ。―――お前が好きだから」
 「俺かて……」
 ポロッと洩らしてしまった言葉に、逆に羞恥を煽られたらしいアリスが目を伏せる。
 「―――でも、お前、映画に夢中だったじゃねぇか」
 「それは……」
 「その口で好きだと言われても、実感が沸かねぇよ、アリス」
 「いつも言ってるやろ……?」
 「いま、信じさせて欲しいんだよ」
 「―――どないすれば、信じてくれるんや?」
 悪魔に取引を持ち掛けられた天使のような顔をして、アリスが呟く。
 すっと瞼を押し上げ、揺らぐ目で、男を見つめながら。
 「どないすれば、信じてくれる……?」
 「―――キスを、アリス」
 「―――――」
 「キスを、してくれ。お前から」
 「こ、ここで?」
 慌ただしく視線を泳がせ、アリスが尋ねるのに、頷くことだけで返事とした火村は、あとはもう何も言わず、ただ、腕の中の恋人を見つめ続けた。
 フウゥと悩ましげな溜め息をつき、アリスは自分から体の向きを変えると、ゆっくりとその顔を近づける。
 ちょん、と触れるだけで逃げようとした彼の唇を、火村がそのまま逃すはずもない。
 周りに人がいなく、起承転結で言う転の場面になっていることを良いことに、火村はアリスを強く抱きしめ、その唇を、その吐息を思う存分、貪ったのであった。



 そうして、きっかりと上映時間分を心行くまで楽しんだ火村は、すっかり臍を曲げてしまったアリスのご機嫌を取る為に、もう一度、恋愛映画に付合わされることとなったそうである……―――







にゃ〜〜ん。いただいてしまいましたよぅぅ〜〜(>_<)o"
これは私が鶴川さんちで本来キリ番ではない14000を踏んだ時に、自分ちの掲示板でうだうだ呟いてたら、
不憫に思った鶴川さんがご親切にも拾い上げてくださったものです。ゆってみるもんだなぁ……(T-T)
鶴川さま、どうもありがとうございました!!

ちなみに私のリクエストは、
『鶴川助教授モード全開の火村と、それに流されまい流されまいとガンバってるアリスが見たい!』でした。

鶴川助教授ってね、反射神経(笑)でアリスをこれでもかと口説いてしまう、とーーってもカッコイイ助教授なのだー!!


H12.5.4

  
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