大切なもの
30000番 小巻さまのリクエスト 「夢オチで、妊娠ネタ」
(出産へのカウントダウンというよりは、周りの反応が見てみたい)
ふと気がつくと、おなかが大きくなっていた。
なぜにこういう事態になったのかは知らぬが、私はどうやら妊娠しているらしい―――
この異常事態にも関わらず、私はちっとも焦っていなかった。ちょっとばかり残念なことに、これは夢だと、なぜか夢の中でも早々に気付いていたから。
そうなると、どうせ夢なら、『青天の霹靂』に違いなかった驚きを体験してから気付きたかったなぁ〜 などと、作家の貧乏根性が顔を覗かせる。
いや、今からでも遅くはない。まだ夢は醒めていないのだから。
ありがたいことに、相当辛いらしい悪阻の時期は過ぎてるし、出産までにはもう少し余裕があるみたいだし。せっかくめったにない体験をしているのだから、楽しませてもらわなくては損というものだ。自分は驚けなかった分、他の人たちをビックリさせてやろうっと。
「なんや!? アンタいつの間に…… なんでもっとはよ言うてくれんかったの〜!」
夢の中でもやっぱり耳聡いのか、1番に姦しい声を上げて、私に――というより私のお腹にタックルせんばかりの勢いで抱き付いてきたのは、言わずと知れたウチの母親である。
「いや〜もうこの子は! もう孫は諦めとったのに、よぉやったやないの〜」
「ちょ、おかん、そないにくっつくなー!」
すりすりと、こんなに頬擦り状態で触られまくるのは、おそらく幼児期以来に違いない。。
「ほらほらっ、おとうちゃんも触ってみ?」
「う、うわっ」
手を取って私に触れさせた途端、火傷したみたいにビクッと手を引く父を見て、母は爆笑する。
「なんやの、おとうちゃん。その反応、有栖が初めて動いた時とおんなじやないの。もう、ちょっとはオトナにならんと。何十年経ったと思ってんねん。けどなんや思い出すわー、あの頃」
「せ、せやかておかあちゃん。あ、有栖が……」
目を白黒させて口篭もる父親。うんうん、すまんなぁ親父。その反応の方が正常やと、俺は思う。
「……なんや知らんけど、泣けてきたわ」
「なんでやー! そら俺かて情けないけど……」
「阿呆。おとうちゃん優しいんやで! 嬉し泣きに決まっとるやないの!」
「え? そ、そうなん?」
「うーん、そうなんかなぁ〜? あの小さかった有栖がと思うとなぁ、感無量や……」
「コラコラ、花嫁の父やってる場合と違うよ? これから忙しくなるんやから」
「なにもおかあちゃんが張り切らんでもええのんと違うか?」
「せや! 頼むから、おとなしゅう待っとってくれ。な?」
「せやかて待ち切れんわ〜。んー、早う出ておいでなー。あ、名前はアタシにつけさしてな?」
「アカン! おかんにだけは任せられん」
さすが夢というべきか、2人とも私が男であるという点に付いてはあまり気にしていないようで、何よりというか、おいおいというか…… もっとビックリしてくれな、つまらんやないかー!
「言うとくけど有栖、おばあちゃんとか呼んだらどつくで?」
でもそれなりの衝撃はあったらしく、その昔母に止めさせられたはずの煙草を口にする父と、黙って灰皿を差し出す母の姿が印象的だった。
「ほんに、ようおしたなぁ。火村さんもお父さんにならはったら、あんまし無茶もせえへんやろうし」
婆ちゃんの反応も、母親と似たり寄ったりだった。普段は落ち付いている婆ちゃんが、お赤飯だ腹帯だとはしゃぎ、目に涙まで浮かべて喜んでくれた。なんと言うか、火村とのことは婆ちゃんにはバレていないはずなのだが、やけにあっさり祝福されてしまって、変な気分だ。
―――よもや現実にもバレてるなんてことは、まさか…ないよな……?
普段と違う姿が珍しいのか、私のお腹をじっと見詰めているウリの頭をそっと撫でる。コオは好奇心いっぱいに私の膝によじ登り、ふんふんと匂いを嗅ぐような仕草をする。心臓の音、聞こえるかな? 産まれたら、仲良うしてやってや?
「でも婆ちゃん、火村は嫌がるかもしれへん。アイツ子供は好きやけど、自分の子は欲しがらんかも…… 自分のこと、自分で認めてへんところあるし、それに……」
どうせ夢なんだから呑気にほけほけ喜んでいたらいいのに、婆ちゃん相手に泣き言なんて、情けないよな。けどこんなこと、夢でしか言えないから―――
「だーいじょうぶですて。なんで大切な人の子供、欲しがらんことがありますのん? 火村さんはそのへん、よう解ってくれはるお人ですやろ?」
「うん……」
情けない顔のままふと視線を逸らすと、少し離れたままこちらの話を聞いていたらしい桃と目が合った。うっ、このお嬢さん、これ以上火村の目が他に向くこと、許してくれるだろうか?
と。モモは真っ直ぐにこちらに向かって歩いて来ると、すれ違いざまに私の背中を尻尾でパタンと叩いて、一声鳴くと、ゆっくりと部屋を出て行った。
『全くもう。しっかりやんなさいよ』
そう言われたような気がした。
「よかったですねぇ。おめでとうございます!」
これが、たいていの人が返してくれた反応だった。大阪府警のみなさんも、片桐さんも。
「せやけどこれからは、あんまり現場に来られんようになりますよね。寂しくなるなぁ」
と、これは森下くん。
……確かに、殺人現場に妊婦や子連れはマズいだろう。
「産まれてからは、さすがに今のペースってわけには行かないですよねぇ。それまでに、きちんと終わらせといてくださいね。……あ、手記とか出されるんでしたら、ぜひウチで」
と片桐さん。
手記? 私が男だから珍しいってか? 出すかい、そんなもん。
「そこまでアリスに先を越されるとは、思わんかったわー!」
と悔しがっていたのは朝井さん。でも、産まれる前に1度、お祝いにご馳走してあげると約束してくれた。
みんなが、祝福してくれる。あまりにみんなが祝福してくれるので、なんだか却って切なくなった。
吃驚させて楽しもうと、思ってたのに…… ははっ、自業自得やな。
きっとこれが現実のことでも、(驚きは夢の比ではないだろうけれども)大して違わない反応が返ってくるのではないかという気がする。
みんな、『火村には自分の子供がいた方がいい』と思ってる――― そういうことなのだろう。
自分の血を分けた子供が、火村には本当に必要なのかもしれない。私なんかよりもずっと、火村を引き止める力になることだろう。現実の私には、それを与えることはできない。
「ゴメンな……」
そんなこと、とっくの昔にわかっていたはずなのに。そもそもの初めから。でも。
今更なのに、胸が、痛い―――
私たちは、もう選んだのだから。子供よりもお互いが必要だと、決めたのだから……
でも、本当はどうだろう。私が子供を産むことができるとしたなら。火村は子供を欲しがるだろうか。
私のこの姿を見たら、火村はなんと言うのだろう……?
目の前に現れた火村は、なんの表情も浮かべていなかった。何か言わなくてはと、私は焦った。
「ひ、火村、これな、夢やねん。俺、夢の中でしか君の子供、産んであげられへん。ゴメンな……」
無表情のまま、火村が近づいてくる。
「あっ、それとも子供、要らんかった? せやったらこっち来たらアカン。こんなカッコ、見んでええから」
無言で近づいてくる。近づいてくるということは、子供、欲しいのか?
火村、なんとか言え。欲しいとか欲しくないとか、ありがとうとか気持ち悪いとか、でかしたとか堕ろせとか。
なぁ、なんでもいいから、何か言って……!
「アリス……」
無表情のくせに、熱く、掠れた声。私を欲しがってくれるときの―――
火村は、優しく、この上なく優しく私を抱きしめてくれた。
その瞬間、めったに見たことがないほどの、柔らかな表情を浮かべて。私を安心させるように、しっかりと視線を合わせて。普段の私だったら、ぼーっと見惚れてしまうだろうことは確実だ。
とても大切にされていると、愛されていると有頂天になってしまうほどの眼差し。
でもそれが、『自分の子供を宿している、夢の中の私』を慈しんでくれてのものなのか、『大切な宝物をあげることができない、現実の私』の哀しさに向けてくれたものなのか、どちらか判然としなくて。
目の奥がツンと熱くなった。
「―――なぁ、子供、欲しい?」
「……アリス、俺は犯罪者を追うのを止めることはできない。中には俺を恨んでいるヤツもいることだろう。だから、自分で自分の身を守れないような弱いものを、愛してやれるほどの余裕はないんだ。俺の手は、それを守ってやれるほど大きくない。今みたいに身軽にフィールドワークに出かけられなくなっちまう」
それは、俺のことを少しは信用してくれてるってこと? 俺がいても火村の妨げにはならないと。
「もしも俺になにかあっても、ちゃんと自分で生きていけるヤツじゃなきゃ、安心してられない」
「火村!!」
冗談じゃない。火村がいなくなるなんて、そんなの、私にだって耐えられない。忘れ形見さえ、残してはもらえないっていうのに!
「聞けよ。大事なものが1つできたおかげで、俺は自分の身も大切にしなければと思うようになった。そのたった1人だけがいてくれたら、俺にはそれだけで充分だ」
「ひむら……」
火村は、私なら1人になっても大丈夫だと、そう思ってるってこと? 本当に、そうなのかな……
「悪い。勝手なことを言ったな。……お前こそどうなんだ、アリス? 子供、欲しいのか?」
「俺は……」
私は――どうだろう。火村との子供が産めるものならばもちろん欲しいけれど、でも……
「俺はないものねだりはしない主義なんや。俺が女やったらたぶん欲しがると思う。けど俺は男やから…… 子供ができることが1番ええことやとしたら、2番目は火村のそばにいられることやと思う。俺は自分にもできる1番ええことをする。それだけや」
なぁ、子供がおらんでも仲のええ夫婦はたくさんおるやろ? お互いのことが大切なら、2人でも大丈夫。
夢の中だけの子供。今だけはうんとかわいがってやろう。
「なぁ、じゃあこの子のことは? 産んで欲しいと思う?」
夢の中でだけ宿ってくれた、火村と私を繋ぐ、小さな生命。
「…………会いたいな」
火村は屈み込み、ふくらみの上にそっと耳を押し当てた。鼓動を、覚えておこうとでもいうように。
「夢でしか愛してやれなくて、悪いな―――」
「そんなん俺かて、夢の中でしか産んであげられへん」
せっかく宿ってくれたのに、実際に産んであげられなくて、ゴメンな?
せめて今だけでも―――
火村と子供と。私はこの世で1番大切なものを、2つ同時に抱きしめた。
H12.8.7
火村には何もしゃべらせるつもりはなかったのですが、突然語り始めるんだもんなー
(;^-^A)
どうせならアリスの夢の中でなく、ちゃんと現実の場で、本人に語って欲しかったです。
ちゃんと産ませてあげられなかったのが心残り。
っていうか、笑えるリクのはずだったのですがね……(あまのじゃく)