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         もらいもの H

 100&10000番 chaponさまのリクエスト   「家族ぐるみのヒムアリ」が読みたいです!甘甘なやつ! 




 肩にかかる重みにふと見ると、いかにも眠そうな顔をしたアリスの頭が、ずるずると落ちてくるところだった。
 更にずり落ちそうになるのを、肩の位置を調節することで安定させてやる。仕事は楽勝だったと言っていたが、おそらく無理をしたのだろう。
「バカアリス……」
 ここで眠っちまったらなんにもならねえだろう?



 母親にチケットをもらったからどうだと、アリスは遠慮がちに電話を掛けてきた。
「タダやで、タダ」
とやたらに強調していたが、タダより高い物はないという言葉を知らないわけじゃねえだろえな。
 まぁ、何だかんだ言ってもアリスからのデートの誘いは大歓迎なので、2つ返事でOKした。
 あの時はあんなに嬉しそうな声を出したくせに。いざ当日になってみれば、待ち合わせには寝過ごし、コンサート中も居眠りかよ。やれやれ……
 まぁ、そんなボロボロの時でも会いたいと思ってくれているんだと思えば、愛しく思えないこともないような気もしないでもないが……
 暗いので顔色は判らないが、具合の悪そうな寝息ではないので取りあえず安心する。単なる寝不足だろう。
 しかし気持ちよさそうに眠ってやがるな。
 いっそのこと俺も寝てしまいたかったが、映画館のように真っ暗というわけではないこの会場で、野郎2人が肩を寄せ合って寝こけている図、というものを想像し、いかにも顰蹙を買いそうで諦めた。早い者勝ちだな。
 仕方なく、俺は本来の目的である曲の方に意識を向けた。せいぜいアリスの安眠を妨げないような演奏を頼むぜ。


 休憩時間になっても、アリスは目覚めなかった。よほど疲れているのか、目にかかる髪を指で払ってやってもピクリとも動かない。
 タバコを吸いにロビーに出たかったが、これでは身動きが取れない。
 しょうがない。諦めるか。
 天井を睨んでふーっとため息を吐いたところで、「すまないねえ、火村くん……」と、声が掛かった。
 ギクリとして振り返ると、すぐ後ろの席で見覚えのありすぎる夫妻が、ニコニコと手を振っていた―――



「ど、どうも……」
 そんな間抜けな挨拶しか出て来ない。なんだよ、「おかんが行けんようになったから」とか言ってなかったか? 夫婦揃って、ちゃーんとここにいらっしゃるじゃねえかよ。
(謀られた……?)
 この女性ならやりかねない。
 まさかこの後、一緒に食事、とか言い出すんじゃねえだろうな。
(冗談じゃねえぞ)
 いや別に、アリスの両親が嫌いとかいうのでは決してないのだが、優しくて、ちょっとトボけちゃいるが、愛情いっぱいのいいご両親だとは思っているのだが、だがしかし。
「ええのよ、火村君。そんなアホ、遠慮せんと叩き起こしたっても」
「……昨夜は徹夜だったようですから」
「そんなもん、昼間書いてたらええのに。なんで夜にしか書けんのやろなぁ」
「せやなぁ、不思議やなぁ……」
 夫婦揃って首を傾げる。俺の方は、やはり夜の方が論文が捗ったりするのでそれは解らんでもないのだが、この場で2人に説明する術を持たなかった―――


 開演のブザーに救われたが、その後は演奏どころではなかった。
 前に、運転中に聞いていたラジオで、『彼のお母さんに嫌われてます。どうしたらいいでしょうか?』とか『彼女のお父さんとうまく付き合う方法を教えて下さ〜い』とかいう、哀れにも切実なFAXが読まれていたが、まさか自分が「気持ちは解る」的境遇に立たされようとは、その時は夢にも思わなかった。
 まあ、嫌われていないだけ上等だと言わねばならないだろう。
 特に俺達のようなケースでは、受け入れてもらえること自体、奇跡的というものなのだから。
 でも不意打ちで良かったのかも知れない。前もって知らされていたら、その日がくるまで、かなり憂鬱な日々を過ごさねばならなかっただろうから。








「まーったくこの子は! 始まって30分もせんうちに潰れてしもて、恥ずかしいったらないやないの! 火村君にあとでよう謝っときなさい。かんにんなぁ火村君、このアホたれが恥かかしてもうて。あーせやけどうちらは連れやと思われんとよかったわあ」
「ちょう待たんかいおかん、そんなでっかい声で喚いたら、そっちのがよっぽど恥ずかしいやんか!」
「いびきのひとつでもかいたらどついたろー思たけど、まあ、それはせんかったから許したるわ」
「それより何でここにおんねん。俺のこと騙したんか?」
「人聞きの悪いこと言いなや。友達が都合悪なったのはホンマやねんで。せやからおとうちゃんと来たんやないの」
「だったらなにか。どこの誰ともわからんおばちゃんと一緒に、俺らの後ろに陣取るつもりやったんか?」
「どこの誰かははっきりしとるわ。西野さんの奥さんやないの」
 聞いた瞬間、アリスがヒクっとひきつった顔をした。誰だ、と目で問うと、「おかんに輪を掛けておしゃべりな、裏のおばちゃんや」と小声で教えてくれた。おいおい……

 しかし…… 口を挟む隙もありゃしない。
 ロビーから出口へ向かいながらも、この2人の話はとどまるところを知らなかった。

「せやけどステージに立った石川さんとこのカッちゃん、カッコ良かったわぁ。昔、有栖のあとにくっ付いてヨタヨタ歩いてたチビちゃんとは思えんかったわ。どっかの誰かとはエライ違いや」
「……どっかの誰かって、誰や」
「なんや、心当たりあるんか? せやな、楽器の1つも出来ん不調法者やもんなぁ。歌も上手いとは言えへんし…… あんなぁ、聞いてや火村くん。私なぁ、女の子が産まれたら宝塚に入れたかってん。ステージに立って、スポットライト浴びて欲しかったんやけどなぁ」
(………………)
「せやせや、思い出したわ。絶対タカラジェンヌにしたる! っておかあちゃん張り切ってたなぁ。せやから名前も『アリス』て決めてたんや。懐かしいなぁ……」
―――ステージ用の名前だったか。しかし芸名は、入団が決まってから考えても遅くはなさそうなものだが。
「たか…… ミステリ作家に相応しい名前やなかったんかい!」
 それ以前に、女の子用に考えていた名前をそのまま流用するところに、問題があると思うが。
「まぁ、結果オーライでええやないの」
 また、この人は……



 出口まで辿り付いたところで。
「さて、ほな何かパーっと食べに行こか」
 きたか。
「ちょ、待てや。俺らこれから用事あんねん。付き合うてられるかい」
「なんや、用事て。アタシらよりも大事な用事なんか?」
「おかあちゃん、若いモンのデートのジャマしたらアカンやろ」
「ジャマ? そうなんか、火村君、アタシらおじゃまなん?」
 うっ…… そうストレートに言われるのも困るが。

「ふーんだ。せっかくフルコースでも満漢全席でもご馳走したろと思てたのに。やーめた」
「ふーんだ。俺らが行かんて言うたからって、大きいこと抜かしてからに」
「ホンマのことやもん。アタシらこれからフルコースディナー行こーっと。なぁ、おとうちゃん」
「うわぁ、母さん、気前ええなぁ。……僕、今日お金持ってへんからね。よろしく」
「うそぉ〜 それやったら蓬莱の豚マンでも買うて、すぐ帰らな」
「……えらい急に落ちるな」
「ええよええよ。僕、それも大好物や」
「優しいなぁおとうちゃんは。大サービスで餃子も付けたるさかいなー」
「あ、ええなぁ…… やなくて、それはおかんの好物やろ!」



 ―――教えてくれ。大阪の母と息子というものは、どこの家庭でもこんな漫才を繰り広げるものなのか?
 まだ人の途切れない玄関ホールで、何をやってんだか。まぁ都会の雑踏と一緒で、誰も気に留めちゃいないが。
 2人ともギャアギャアとうるさく喚き続けていたが、決して不快なものではなかった。
 暖かい、感じがした―――

 いつ果てるとも解らない2人の言い合いを聞きながら、俺はにこにこと見ているアリスの父親に話し掛けた。
「……そっくりですね」
「そうやろ?」
 困ったように言いながら、この人の目はちょっと嬉しそうだった。
「「なんやてぇ!?」」
 2人で心外そうに、かつ見事にハモるのも息がピッタリで、俺たちは顔を見合わせて笑った。

 この両親の愛をいっぱいに受けて育ったからこそ、今のアリスがある。心から感謝することができた。
「何やのおとうちゃん、何笑てるん?」
「火村ぁ〜? 何がおかしいんや!」
 2人がお互いに噛み付く相手を変えたのを機に、俺はアリスを取り戻し、そのまま拉致することにした。
「すみません、いただいて行きます」
「こんなんでよけれぱ、熨斗つけて火村君にあげるわ。さっさと持ってって」
「俺は品物やないって!」
「火村くん、……大事にしてやってくれなぁ………」
 え? いや別に、そういう意味で「下さい」と言ったわけじゃ…… その涙目は止めてください、お父さん。
 ええい成り行きだ。俺は頭を90度に下げた。
ひむら………
 一呼吸置いて頭を上げると、それぞれになんだか泣き笑いをごまかしたいような顔をしていた。全くこの家族はよく似ている。
「行くぞ、アリス」
「あ……」
 アリスの腕を取って先に外に出る。振り返ってみると、2人はしっかり寄り添って見送ってくれていた。再度会釈を返し、今度こそ外へ踏み出した。吐く息が白い、夜の街へ。

「火村… 今、なんか、どさくさに……」
 訊くな、アリス。
 戸惑ったようなアリスの声だったが、実は俺もよく解っていないのだ。何かあったような気もするし、何もなかったような気もする。ただ、心臓には悪かったが、ここで出会えてよかったと思えた。
「いいご両親だな」
「う、うぅ〜〜? ………うん」
 アリスの腕を掴んだまま、片手でキャメルに火を点ける。深く吸い込んだ煙が、澄んだ冷たい空気の中に溶けていった。
 星は見えなかったが、いい夜だと思った。



H11.12.15


100&10000というキリ番中のキリ番を2つも取ってくださった方からの正式リクでは、もう逃げられん……
今まで何かと逃げ回っていた家族ぐるみです。でもまだちょっと逃げてます(笑)
前半と後半、バランス悪いですねー。2分割失敗……(>_<)