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         ここにいて

 20000番 鶴川江里さまのリクエスト    料理を作る火村を見て、しみじみと幸せを噛み締めるアリス   





「あんな、普段よりずーっと手の込んだ夕食、作って?」
 っていうのが、誕生日の要望を訊いてきた火村に提出した、私のリクエストである。




「この野郎、いつも俺に飯作らせるだけでは飽き足らず、手の掛かるものを作れだぁ? 贅沢者め」
 そしてブツブツ言いながらも火村がやって来たのは、前日の夜遅く。
 やった。―――これで明日1日、コイツは俺が占拠した。
「せやかていっつも精がつくようにとか言って、レバニラ炒めとか焼肉とか、お手軽なんばっかしやん? もっとじっくり時間を掛けたディナーが食いたい!」
 本当に欲しいものは、時間。
 美味しい料理はもちろん大好きだけれど、それは二の次。忙しいのは解ってるけど、明日1日は火村を独占してやろうと思って。だから朝食でも昼食でもなく、夕食。
 食欲と独占欲を同時に満たす、私にとっての一石二鳥。
「冷蔵庫の中身は?」
「いつものとおりや。せやから、明日一緒に買い出し行こう。な?」
「お前な……」
 呆れたような声。
 解ってるよ? 火村がささっと手早く作ってくれるのは私が腹を空かせているからだし、私の侘しい食生活を案じて栄養を取らせようといつも気遣ってくれている。お手軽に作れるのは手慣れた火村だからで、私ではそうはいかないよな。いっつも感謝して美味しく頂いている。
 でも素直に言えなくて憎まれ口ばかり叩いてるけど、火村だってけっこう素直じゃないから、まぁお互いさまだよな。うん。
 
 
 


 
 そして当日。プレゼントのお返し――なんでや!――の前払いのせいで、目が覚めたら昼過ぎだ。
「う、イタタタ……」
 うう、身体中痛い。オノレ火村め。
 そりゃあ流されたこっちも悪かったけど、俺の方もちょっと……かなり夢中になってしまったけど、火村が優しくてちょっと……すごく嬉しかったけどっ/////  いやいやでもでも、やっぱり文句の1つも言ってやらんと気が済まん。
 けど… アイツ、どこ行った?
「ひむら?」
 火村がいない。まさか私が寝ている間に、フィールドワークにでも呼び出された?
 電話は留守電にしておいた。もちろん携帯の電源も切ってある。本当は火村の携帯も切りたかったけど、まさかそんなことはできなくて。どうか鳴りませんようにと祈ってたのに……!
「お、起きたのか?」
 と。ずしりと落ち込んでしまいそうになる寸前に、玄関の鍵の開く音がしたと思うとひょっこりと火村が帰ってきた。大きなスーパーの袋を下げて、あっけらかんとした口調で。
 助かった…… せっかくの日なのに、暗ーく沈み込んでしまうところだった。……笑えなくなるところだった。
「どこ、行ってたん?」
「見りゃ判るだろ。買い物に行ってきたんだよ」
 うん。見て判った。ほっとした。そして、さっきまで言ってやらねばと思っていた文句は、他に言いたい文句ができたのであっさりとどこかに消えてしまった。
「……一緒に行こうって言うてたのに」
 一緒に行きたかった。けど、帰って来てくれないよりは、ずっといい……
「昨夜の様子じゃ、どうせお前、行くのは無理だろうと思ってさ」
 誰のせいじゃ、ボケ。
 
 
 

 
 シャワーでは流しきれないだるさを持て余した身体を、いつもならソファに沈めるのだが、今日はキッチンがいいな。テーブルのある場所では作業している手元が見えないため椅子を移動し、壁に寄りかかって火村の横顔が見える位置に陣取った。
 あー、魔法みたいや……
 いつも感じることを今日も思う。私の手と同じ機能しかないはずなのに、いともたやすく食材を料理に変身させてゆく。私にとっては大仕事なのに、無造作に、リズミカルに。
 小さい頃、母親が料理をするのを見るのが好きだった。あの頃も魔法みたいだと思ってた。
 大きくなったらできるようになるかと楽しみにしていたのに、いつまで経っても自分の手は上手にできなくて――でももう1つの手を見つけた。母親のとは全く違う、大きくて、柔らかくもなくて、ちょっとだけ冷たくて、でも私にはすごく優しくて強くて温かい手。形の良い長い指は、惚れた欲目なのだろうか、私の目にはなんでも器用にこなしてしまうように映る。
 それらが休むことなく働いて、おいしい料理を作ってくれている。今は、私のために。
 ……どうだ、羨ましいやろう?
 秘密にしたいような、大声で自慢して回りたいような。この瞬間、火村は私だけのものだ。
 それにしても、なんでおさんどんしてる姿までこんなにかっこいいんだ、くそ。
 どちらかというと面倒くさがりなこの男がこんなに手の込んだ料理を作れるなんて、他の人には自分の目で見なければ信じられないものがあるだろう。肉に下味を付け、野菜を下茹でし、出汁を取る。どれもこれも下ごしらえなどというものとは無縁の私はやらない芸当だ。(でも独身男の料理なんて普通、切って煮る、炒める…… その程度で充分なんじゃないか?)
 たしか学生の頃は、自炊といっても本当にちょっとした簡単なものしか作らなかったはずだが、いつの間にレパートリーを増やし、技を磨いていたのだろう。趣味として、好きこのんで料理していたようには見えなかったのだが。
 かと言って火村が婆ちゃんに教えを乞うている図、というのもなかなかに想像し難いのだが、コイツの作る薄味でしっかりと美味しい煮物の味なんかを考えると、案外それが正解なのかもしれない。
 
 
 
 軽く茹でたキャベツの葉の芯を削ぎ、みじん切りにして炒めた野菜とミンチにした鶏肉を練り合わせたものを包んで器用に巻いていく。ちょっとやってみたいけど、ヘタクソと莫迦にされそうでおとなしく見てるだけにする。
「ほい、スパゲティ」
「ん?」
「爪楊枝の代わりにこれで止めとくんや」
 一応、俺だって知ってるぞ、ということをアピールしてみたりして。ほんの小さな足掻きでしかないのだけど。
「これやったら、後で抜かんでもええやろ」
「雑学はわかったから。ちゃんと実践しろよ」
 くそう、やっぱり一言であしらわれる。そうは言うけど、頭で解っていることと実践することとは違うのだ。
 現に今だって。
 恋人や奥さんや愛人の数人はいてもおかしくないような羨ましい容貌と実力を持っているくせに、火村は近づいてくる女性達よりも私を選んでくれた。
 それを頭どころか身をもって実感しているのに、時々どうしようもないくらいの独占欲が胸を締め付ける。火村の周りにいる女性たちに、私のものだと大声で叫んで回りたいほど。

 ……違う。愛してくれているのは私だけだと、本当は解ってる。それは疑っちゃいない。
 ただ、私より心を占めているものが他にあるだけで……… 
 実際は、火村が心を奪われているのは犯罪者で――女より始末が悪いやんか!――だから日常の、ありふれた光景の中に縛り付けておきたい。今日だけは、今日くらいは……
 黙々と作業を続ける火村を、ここにいてくれる火村の姿を取りこぼしてしまうのがもったいなくて、私は痛いくらいの視線を送ってしまっている自分を自覚していた。
 
 
 
 
 
「あとはこの出汁を入れて弱火でゆっくり煮込めばでき上がりだ」
「え、ロールキャベツって、ケチャップとかホワイトソースとかと違うん?」
「どこぞのセンセイはスタミナ料理はお嫌いのようだからな。あっさりと生姜を効かせた和風にしてみましたが、お気に召さないとでも?」
「いえ、滅相もないです…… そっかー。見てるだけやと案外簡単そうなんやけどなぁーー」
「穴が開きそうなくらいにじーっと見てたもんな。次からは自分で作れるよな」
「え、えっと……」
 言えない。無駄な動きをしない器用な指先も見てたけれど、それよりも真剣な横顔とか、少し前屈みになって作業する立ち姿から目が離せなかったなんて。もうすぐ一段落するなと思って淹れておいたコーヒーや、調理中の禁煙に耐えられなくなったときに灰皿を差し出す私への一瞬の笑顔なんかで、もう飽和状態になってしまって、作り方なんて入る余地がないのだ。
 そんな調子でへどもどする私に、火村は次の材料を手に取りつつ、ニヤリと音がするくらいの笑いを浮かべた。
「見惚れてたんだろ?」
「う、自惚れんなや! 取材や、取材。小説に書く時の参考」
 見抜かれているのは承知なのに、どうしても悪あがきをしてしまう。
「ほー。料理なんか、誰にさせるつもりなんだ? 江神か? マリアか? 有栖は論外だろうけどなぁ」
「……なんでや」
「モデルを見れば一目瞭然じゃねえか」
「だーれがモデルやって?」
「違うのか? ん? 大阪市内の実家から英都に電車で通ってたミステリ好きの有栖川有栖くん?」
「…………」
「そういや、メンクイなところも似てるよなぁ?」
 自分で言うか。ふん、よかったな。どーせ俺はオマエの顔が大好きや!
 チクショウ。言いたい放題言いやがって。
「俺はあんなおぼっちゃんやない。ったくもー、しょーもないことばっか言うてると、火村助教授も登場させてまうで。取っておきのロクでもない役で」
「それもいいな。……さしずめ真犯人、ってところか」
 
 
  殺 人  犯
 
 火村 が? ……冗談じゃない!
 
「そ、んな重要な役、もったいなくてやれるか! 脇役に決まっとるやろ。ほんのチョイ役や阿呆!」
 解ってるくせに。私の1番恐れていることを、解っててコイツはそんなことを言う。
「……悪い」
 悔しくて。
 露悪的にこんなことをぽろりと口にする火村が悔しい。
 これほど簡単に動揺してしまう自分が悔しい。冗談として軽く笑い飛ばせれば、火村に謝らせたりしないですんだのに。
 これじゃまるで―――まるで、本当にその可能性があるみたいじゃないか……!
 なにもなかったような顔をして作業に戻る火村を、さっきよりもじっと見つめてしまいそうになって、想いが溢れてしまいそうになって、やむなく目を閉じる。本当は一瞬も目を離したくないけど、そうしないときっと火村に私の気持ちが伝わってしまうから。私の願うことに、たいていのことには応えようとしてくれる男だから。
 無理に応えさせちゃいけない。
 私の想いでがんじがらめに縛るのは嫌だ。私のためじゃなく、火村が自分からここにいたいと思ってくれるんじゃなきゃ、そんなのは違うから。
 
 
 
 
 


「うわぁ、旨そうやぁ……」
 だし汁でじっくり煮込んだ鶏肉の和風ロールキャベツ。ちぎったレタスの上に鰹のタタキを並べ、細く切った人参やカイワレを散らして手製のドレッシングを掛けたカルパッチョ。鮮やかな色を残した菜の花のお浸しに、具のたくさん入ったほかほかのたけのこごはん。余った野菜を適当に放り込んだ味噌汁付き。
「満足していただけましたか、先生? デザートには苺があるけど、あとバースデイケーキでも買ってくるか?」
「や、あとは君からのおめでとうが貰えたらそれで完璧や!」
「全く… 『おたんじょーびおめでとーございます』 これでよろしいかな?」
 わざとらしい棒読み。でも火村の目が楽しそうに笑っているから、私もドキドキ嬉しくなる。
「んんーー? イマイチ心がこもってへんよーな気ィするけど。しゃーない、それで許したる」
「それはどうも。―――で、お礼のキスは?」
「き、昨日のでまだ足りんのかいっ!」
 昨夜気前良く払い過ぎたんで、ちょっと節約しようかと思ってたんだけど。
 火村の顔が近づいてくる。うん、でも、こうやって取りたてに来られたら、支払わざるをえない、かなぁ……
「キリストや天皇がいつ生まれようが、俺には関係ないけどな」
 ……うん? 取り立ての途中で、火村が囁く。
「この日にだけは感謝してる。さ、食おうぜ」
 せ、せっかくのご馳走なのに、味が判んなくなるようなこと、言うな! くそー、たった一言でコイツは……!

 耳が、顔が、身体が、心が、……熱い。
 
 
 
 
 
 修行不足の私は、火村のちょっとした一言で舞い上がったり落ち込んでしまったりする。でもなるべくならそれを火村に気取られないように頑張るから。火村がそれで遠慮したり重荷に感じたりしないように。
 外で背負ったり内に抱えたりしているあれやこれや重たいものをひとまず置いて、ここではただ寛いで癒すだけの場所にして欲しいから。(そりゃ、私の方がたくさん癒されてるような気もするけど……)
 だから軽口や憎まれ口は、大目に見て欲しい。火村に関しては私は独占欲の塊だから、意識してそうしていないと、どんなワガママが口から飛び出すかわからないぞ。
 油断してると、すぐに我侭で臆病な私が顔を出そうとする。いつも笑っていたいのに、強くありたいのに。火村がいないと立っていられないような、そんな自分にはなりたくないし、既にそうなりかけることもあるなんて、できれば気づいて欲しくない。


 いつまで、一緒にいられるだろう。
 いつまで、こうしていられるだろう。
 絶対に離れないと決心していてもどうしても拭いきれない、いつも胸の隅に小さく燻っている、もの。

 でもここでこういう時間が過ごせている間は、取りあえずは大丈夫だと思うのだ―――
 


H12.5.5
(H13.12.1出戻り)


この豪華春のメニューは、鶴川さんと、チャットでお世話になっている方々からいただきました。
メニューを考えて下さった皆様、どうもありがとうございました!
それにしても、料理ひとつに何をそんなにぐるぐるしてるんでしょうか、このアリス……