関係者以外立入歓迎
65456番 春乃真琴さまのリクエスト 火村とアリスが、何らかの形で文化祭に参加
至る所で人がごった返しているのが当然の学園祭。この一画でも、ちょっとした人だかりができていた。
……ただし、中心から一歩引いたところで。
その中央で注目の的になっていたのは、とあるサークルの、これといって変わったところもないヤキソバ屋台の呼び込みに雇われた、お祭り騒ぎにはおよそ縁のなさそうな1人の学生の姿だった。
呼び込みといっても、余所のように大声を張り上げたりするわけではない。一歩間違うと仏頂面になりそうな無表情で、似合わないカラフルでPOPな文字の踊るプラカードを持ってじっと立っている。
「うわ、火村君やん!?」
「うそー。なんでここのサークルなんて手伝うてんの?」
その中でも度胸のいい子たちが掛けてくる言葉にも、「どうも」とか「ちょっと」とか、愛想のないこと夥しい。しかしそんな無愛想な様子にも関わらず、あまりの意外さに、彼を僅かでも知る人は男女問わず足を止めた。なまじっか有名人なだけに、その数も半端ではない。
おかげで競合相手の多いヤキソバ屋台の中にあって、この店はまずまずの繁盛を見せていた。
「なぁ。あんな大物、どーやって引っ張り出してん?」
予想以上の繁盛で、汗びっしょりになりながら鉄板の前で奮闘していたサークルの代表に、キャベツの山と格闘中の女子会員が話しかける。
「いや、有栖川に頼む約束やってんけどな。時間になっても来えへんから電話でもしよかー、と思っとったところに火村が、なんや、有栖川に代理頼まれたっちゅうて……」
「ふーん。あー、この目で見ててもまだ信じられんわ」
「おお。なんや、こっから新しい伝説が生まれそうな予感するで」
「あんな思いっきり可愛らしいプラカード持たされて。ホンマ気の毒になぁ」
くくっと笑うその瞳は、生き生きと輝いている。
「そう思うんなら代わってやれや」
「イ・ヤ。あのミスマッチがええんやないの。おかげで繁盛しとるし」
「…鬼や……」
「なんやて?」
「いえなんでも」
『ゴルフ同好会』
全員参加するほどの熱心さはなく、掛け持ちの腰掛け会員の多いこのお気楽サークル。
その割にたまの活動にも金がかかるため、その資金稼ぎに模擬店を出すことに決まったものの、案の定人手不足になることが事前に判明していた。
だいたい、サークルの代表からして他のクラブと掛け持ちなのだ。他は推して知るべし。
人員が確保できなくて、午前中の呼び込みは諦めるかーと頭を抱えていた彼の目の前に、たまたまいたのが、クラスの中でも人が好さそうでおまけに暇そうな有栖川有栖氏だったというわけである。
「アカン。俺、今めっちゃ忙しいんや〜」
暇そうに見えた彼から1度はそう断られたものの、そこで怯んでいてはいけない。なんとか食い下がって、忙しいのが学園祭の前日までであることを突き止めた。そして交渉の末、学食のA定食3日分と、当日のヤキソバ食べ放題で手を打つことに成功したのだった。
その口説き落とした相手がやって来ず、代わりに現れたのが、アリスとつるんでいるのはよく見かけるが、直接には話したことのない有名人。人好きのするアリスとはまた別の意味で、客寄せにはうってつけである。彼としてはこのチャンスを逃す手はなかった。
走る、走る。
大学に向かうバスの中でも足踏みをして、とにかく急ぐ。
このところ夜も寝ないで書いていたホームズ賞の締切が、昨日だったのだ。当日消印有効だったので、アリスは郵便局の閉まるギリギリまで学校の図書館で手を入れていた。そして投函後火村の下宿に転がり込み、そこで沈没したのだった。
呼び込みを頼まれたことは覚えていた。目覚ましもちゃんと掛けてもらったはずだった。
「このお人好しめ」
呆れたような火村の口調に、実は食い物に釣られてとアリスは白状する。そんなアリスを笑いながら、火村はちゃんと目覚ましをセットしてくれていた。
それなのにハッと気づくと陽は高く昇り、この部屋だけでなくほかの部屋の住人もみな出掛けた様子。
「いま起きはったんか?」
などと家主のばあちゃんに寝癖を笑われながら、アリスは大慌てで下宿を飛び出したのだった。
日頃の運動不足を痛感しながら人込みを掻き分け、息を切らせながら約束のヤキソバ屋台に辿り着く。
「わ、悪い! 寝過した!」
責められるのを覚悟で頭を下げる。しかしアリスが予期した展開にはならなかった。
「あれ? 具合悪かったんちゃうんか?」
「え?」
「ほれ」
指された方に視線をやったアリスは、ポカンと口を開けた。
火村が。
確かあの看板は、自分でもちょっと躊躇してしまうほどにド派手でカワイイ――『似合うよ』と言われてしまったが――ものだったように思う。その看板を、火村が手にして立っている。
「有栖川の具合が悪うなって、代役を頼まれたって言われたんやけど…… そうやなかったんか?」
「…………」
『朝早いから大阪からの移動がしんどい』と言って泊めてもらったにも関わらず、起きられなかった自分。締切が近くて最近ろくに寝ていないと言ったことを、彼は覚えてくれていたのだろう。無理に起こすことはせず、寝かせておいてくれた。そうして本来苦手なはずのこんな役まで代わりにやってくれた。
感謝すると同時に、なんだか胸のあたりがほわんと温かくなるのを感じた。
「火村」
後ろから近づいて、そっと声を掛ける。
「お。起きたか、寝ぼすけ」
頼まれた3時間のうち2時間ほどをやらせてしまったにも関わらず、火村のアリスに向ける視線に怒りの色はない。アリスはほっと息をついた。
「あの」
「ん?」
「…ありがとな」
「A定食3日」
ニヤリとする火村に、『それはヤダ』とアリスは口を尖らせる。これから交代するのに、自分がタダ働きになってしまう。
「……2日にまけてくれ」
勤務時間に応じて分け前は2:1で。それは勤労報酬として、感謝の気持ちはまた別に示さなきゃなぁ…… と、一応は殊勝に考えるアリスだった。
「さーて、やるでーーー!」
「おう。頑張れよ」
件のプラカードをさっさとアリスに手渡し、火村は清々したとばかりに歩き出す。
「あ、火村、帰ったらアカンよ。俺が終わったら一緒に回ろな」
「…………」
「君どこにおる? ゼミ室? 図書館? ここにおってくれてもええけど」
「……図書館」
「よしゃ。ほな待っててや〜」
恩返し。
『んー、まず手始めにここのヤキソバやろ。それからおでんと、フランクフルトもええな〜』
恩返しと銘打ったにも関わらず、アリスは自分の食欲と相談する。
そしてそんな思考をなんとなく感じ取った火村は、戦利品で両手の塞がったアリスが図書館の扉の前で立ち往生しないよう、窓の外に注意を払っていよう…… などと思うのだった。
その後、ゴルフ同好会に入会希望者が急増したとかしないとか―――
それは火村とアリスの関知しないところである。
H13.10.17