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18000番 スイレンさまのリクエスト   「 髭 」    .  




 久しぶりに飲みに行かないかと火村が声をかけると、外はマズい、ウチでならええよ、という返事だった。
 電話の最後に『来るのはええけど、笑ろたらアカンで』というワケのわからない台詞で締めくくられ、何かあるのかと訝しみながらアリスのマンションを訪ねた火村だったが、玄関まで迎えに出なかったアリスの顔をリビングで見るなり爆笑した。
「笑うなって言うたやんか〜」
「笑うなってお前…… なんだその、昔のマンガのコソ泥みてえなのは」
「ほっとけ。今、実験中なんや」
 アリスの口の周りから顎にかけて、一面に伸びてきた髭で薄っすらと覆われていた。


「何日くらいでどのくらい髭が伸びるもんか、観察しとる最中や。何かで閉じ込められた人間がどうなるか知りたいし、トリックの1つでも浮かばんかなと思ってな。作者御自ら試してるところなんや。邪魔せんとって」
「はいはい、ご苦労なことで。それで何日目だって?」
「5日目や」
 まだクックッと笑いつづける火村を睨みながらも、アリスは素直に答えを返す。
「で、そいつはお前さんみたいなタイプなのか? そんな苔みてえなヒゲを生やしそうな?」
「いや、どんなヤツかなんて特に決めとらんけど…… でもサンプルは多いに越したことはないよなぁー」
 はっと何かに気づいたように見詰めてくるアリスの瞳に、火村は不穏なものを感じて言った。
「……ヤだね」
 先手必勝。
「まだ何も言うてへんやんかー」
「これから言うつもりだったんだろ?」
「う…、まぁ、そうやけど……」
 口篭もるアリスの言いたいことは歴然としている。
「俺はお前みたいに閉じ籠もっていられる商売じゃあねえんだよ。何だそのワクワクした顔は」
「ええやんか。大学の先生なんか、ワガママ個性的放題なんとちゃう? ヒゲくらいなんでもないやろ?」
「ただでさえ上や事務に睨まれてるんだ。これ以上はカンベンしてくれ」
「そら急な休講ばっかりしとる君の自業自得やろ。今更1つや2つ増えたって……」
 はっきりと口にはしないものの、無理難題をあからさまにおねだりしてくるアリスに辟易して、火村は買ってきたつまみを広げ、さっさと酒宴へとなだれ込ませた。





 ビールの空き缶が何本も並んでもなお――いや、酔いが回って不躾になっているせいかもしれないが――火村は物珍しい髭面から目が離せない。別に見たくもないのだが、どうしても目が行ってしまう。あまりにも似合ってないから尚更だ。
「アリスー、そのヒゲなんとかしろ。さっさと剃っちまえよ」
「イヤや〜 せっかくここまで頑張ったんやし、もう少し楽しまな損や。明日は公園にでも出掛けてみっかな」
「止めておけ。不審人物で通報されるぞ」
「ヒゲ生やしたくらいで通報されてたまるかい」
「鏡見てみろよ。怪しすぎるぞ」
「せやかて、もう冷蔵庫空っぽやねん。買い物はどうしても行かんならん」
「笑い者になりたきゃそうするんだな」
「じゃあ火村行ってきてー」
「やだね」
「じゃあ代わりにヒゲ伸ばしてー」
「お前な……」
 アリスはすっかり上機嫌である。

「せや」
 よっこらしょ、と掛け声をかけてキッチンへ立って行くのを、何をするのかと火村が見ていると、アリスはわざわざキッチンからコップを持ってきて、その中に缶からビールを注いだ。そしてわざと鼻を突っ込むようにしてビールを一口飲み、口の周りを泡だらけにしてケラケラと笑う。
「どや! 懐かしいやろー?」
「何が」
「小さい頃やらんかった? オヤジに泡だけもろうて」
 ピールの泡でできたヒゲ。
「やらねえよ」
 呆れたように火村が言うと、アリスはむーっとした顔をして指にコップの泡を掬い取り、その指を火村の顔になすり付ける。
「わはは、似合うで〜〜」
「この、酔っ払いが……」
 口の周りに泡ヒゲを生やされた火村は、怒る気力もなくアリスのなすがままになっている。
「見たいなー、見たいなー、火村のヒゲ見たいな〜〜」
 妙なふしをつけて歌うアリスはすっかり出来上がっていて目もとろんとしているが、なかなか諦めないのは立派と言うべきだろうか。
「……じゃあ夏休みにでもな」
 しつこいアリスに、とうとう火村は諦めて言ってやった。すっかり出来上がった様子のアリスのこと、夏休みはおろか、おそらく明日までも覚えてはいなかろうと思われたので。
「ほんま? やったー」
 子供みたいに両手を挙げてバンザイしたアリスは、はぁー、と満足そうなため息を漏らして、椅子に深々と背を埋めた。酔っ払い特有、唐突に眠くなる現象が発動したらしい。
「約束やで……」
 呟く声はもう半分夢の中といった有様で、火村はアリスが忘れることを確信してニヤリと嗤った。



 椅子からずり落ちそうな格好のままいい気分で眠ってしまったアリスの、何時間経っても見慣れぬ髭面を眺めながら、こいつも男だったんだよな、と火村は改めて考える。
 いや決して忘れていた訳ではないのだが。
「コラ、バカアリス。風邪引くぞ」
 肩を揺さぶる手に、んー、とすり寄ってくる仕草は、あたり前だがヒゲ面のくせに普段どおりで、軽い混乱を起こす。
 いや、この思わず笑ってしまうひょうきんな生え方がマズイのだ、と考え、じゃあどんな髭ならいいのかと考えて更に混乱する。
 アリスに似合う髭ってどんなんだ?
「ゴハンの催促してピクピクしてる小次郎のヒゲみてえのがカワイイよなー」
などと考える火村も、もう相当な酔っ払いである。
 寝室から毛布を2枚持ってきて、1枚をアリスに掛けてやる。髭が隠れるよう、鼻の上まですっぽりと。
「よし」
 いかにも息苦しそうだったが、要は自分が寝つくまで見えなきゃいいのだ。そのあとアリスが顔を出そうと、毛布を蹴っ飛ばそうと知ったこっちゃない。このままアリスの髭面を見ながら眠ったら、普段とは別の夢にうなされそうだったので―――

 目の上だけ見えるいつもどおりのアリスの寝顔にようやく心の平穏を取り戻して、もう1人の酔っ払いも遅れ馳せながらようやくソファで睡魔に身を委ねた。



H12.4.11


髭面アリス。私には想像つきません (-_-;) 
でも締切り前は髭剃りどころじゃなくて、不精髭はしょっちゅうなんだろうな……
「髭を生やしているところもあるいは剃っているところも、きっとセクシーに違いない!」(by 発注者さま)
せくしーって何? 新しいポケモンですか?(涙) バカ話です。笑って通り過ぎてくださいませ。