その時まで
4949番 むうさまのリクエスト アリスにピッタリの女性が現れて、慌てる火村先生
「あ、火村や。遅かったやないかー」
マンションの7階でエレベーターから出ると、開けたままの玄関からアリスが気づいてヒラヒラと手を振る。そのとなりで、休日のラフなワンピースを着た女性が、ペコリと頭を下げた。
何度か会ったことがある。隣の、カナリアの彼女だ。
「じゃ、私はこれで」
「ええやないですかー。客って言うたかて、どうせ火村やし。一緒に食べてってくださいよ。ちょうどコーヒーも淹れたとこやし」
アリスの言葉に、はっきり言って唖然とした。お前、一体どういうつもりだ。
「火村ぁ、カナリアの宿代にな、ケーキもろたんや。手作りやで手作り! 心配せんかて、君にもご相伴にあずからせたるよ。……コイツこんな顔してますけど、けっこう甘いモン好きなんですよ」
「ほんまですか? よかったわぁ」
「……どうぞ」
仕方なく、彼女を中へ促す。仏頂面になってるだろうが、構うもんか。
「じゃあ、少しだけ…… あ、直ぐに食べて頂けるなら、うちから生クリーム取ってきますね。傷みやすいんでクリームは塗ってないんですよ。ちょっと待っててください」
身を翻して隣の703号室に入っていく。
その嬉しそうな顔はなんだ。いつもなのか? それとも、アリスの前だから……?
彼女はアリスが好きだ。
と思うのは、つまらない嫉妬だろうか。とびきりの美人と結婚してしまった愚かな男のように、誰も彼もがアリスを狙っているように見えるだけなのだろうか。
「君、なんて顔してんねん。鏡見てみい。―――俺が好きなんは火村や。心配せんでええよ?」
にっこり笑って、頬に軽いキス。そして踊るような足取りで、コーヒーを淹れにキッチンに入って行く。アリスにしては上出来だ。
キッチンからは、豆から淹れたコーヒーのいい香りがしている。普段はインスタントだが、俺が行くと予告したときには、こうやって準備しておいてくれることもある。――ごく、たまにだが。
アリスは俺のことが好きだ。それを疑っちゃいない。
だが、俺といることがアリスのためになるのかと言われれば、答えはNoだ。俺なんかといたら、ろくなことにならない。解ってはいても、俺からはアリスを手放せない。
アリスに他に好きな人でもできれば、手放すことができるだろうか。さっさと結婚でもしてくれれば。
例えば、彼女みたいな……?
「うわぁ、うまそうやぁ。火村、切って切って」
「……客に切らせるのか、お前は」
「あ、私が……」
「あ、お客さんは座っとってください。……君は客やないやろ」
上に薄く粉砂糖を振りかけた、リング状の紅茶のシフォンケーキ。
ほとんど空気みたいに軽くふわふわのそれを、少し大きめに切り分ける。皿に横にして載せ、彼女が持って来た、冷たい生クリームを真ん中にとろりとかけると、確かにうまそうだった。
お菓子の作り方の本の表紙みたいに。
テーブルの上にはケーキと、彼女がついでにと持って来たこれまた手作りクッキー。そしてコーヒー。
絵に描いたように少女趣味なティータイムのような風景だが、ちょっと違うと思われる理由は、コーヒーカップにある。いかにも来客用としてどこの家にもあるような花柄のカップ(ティーカップだが)が1客と、普段使いのでかいペアのマグカップが2つ。………いいけどな、俺は。別に。
「うまいですわ〜〜 こっちのクッキーも。な、火村」
「……ああ」
にこにこと手放しに褒め、アリスは本当にうまそうに食べる。無意識だろうが、作った人間を嬉しくて舞い上がらせるような食べ方をするんだ、コイツはいつも。
「昔からお菓子作りとかされてたんですか?」
「学生時代にちょっと。当時付き合ってた人が、手作りのお菓子とか好きやったんです。……て言うより、料理上手な女の子が好きやったのかな? 私も見栄っ張りですし、簡単な料理とか手作りケーキとか、こっそり練習したんですよ」
「男はたいていそういう女性に弱いですよ。でも恋する女の子は綺麗になるだけやなくて、もっと好かれるように技も磨くんや。偉いなぁ〜」
「そうですね…… 結局その人とは別れましたけど、技が残ったのでよかったなぁって。今でも作るのは楽しいですから」
話が弾んでいる。結構なことだ。
例えそれが、昔の彼氏などという、深い意味があるかもしれない話題だとしても。
「火村もこう見えて、料理得意なんですよ。……な、今日の夕飯は任せたで?」
あ、バカ。余計なことを……
「本当ですか? 料理する男の人って、いいですよねえ」
イライラする。なんとか彼女の欠点を見つけ出そうとしているらしい自分に嫌気がさす。しかし、それを表に出す訳にもいかなくて、睨んでしまわないようにするのが一苦労だ。。
「黙れアリス。……単に、こいつが作るより自分で作った方がうまい物が食えるので、仕方なくやってるだけですよ」
「あんなぁ、そんな言いかたしたら、俺がよっぽど料理下手みたいに聞こえるやんか」
「おや、違うとでも?」
彼女がアリスを好きだとしても、自分から迫るつもりは今のところないらしく見えた。女によくある、さりげなさを装って気を引こうという、あの嫌らしい素振りが感じられない。終始にこやかに、そして控えめだった。
ケチを付けたくてうずうずする心が、不満を訴える。それができなければ、彼女をアリスの隣にいる女性として認めなくてはならなくなりそうな、脅迫観念。
いっそのことそういう嫌な素振りがあってくれれば、気兼ねなく蔑むことができるのに……
それほど強い気持ちではないのか、「自分から行かなくても」という余程の自信があるのか。
全て取り越し苦労で、「ご近所さん以上の気持ちはない」が、1番望ましいのだが―――
コーヒー1杯で、彼女は長居せず、カナリアと共に帰って行った。ここでも文句が付けられない。畜生。
「……どういうつもりなんだよ」
「え、何が?」
イライラする。やつあたりしてしまいそうだ。
「ふん。――美人で料理もできて、結構じゃねえか。年齢もつり合うんだったよな」
「……火村?」
「あんな人だったら……」
「火村!!」
アリスが、顔色を変えて睨みつけてくる。
「――あんな人やったら、何やて?」
……1度遮っておいてなんだよ。言わずに済んだと思ったのに。
「火村… 殴ってもええ? ……俺、信用されてへんかったんやな。気ィつかんかったわ……」
「嬉しそうに誘ってたのはどこのどいつだ! よりによって、俺の目の前で……」
「目の前でなかった方がええんか、君は!」
悔しさに目を潤ませて、こぶしを震わせて。睨みつけていた目が、ふっと逸らされた。
「なんも疚しいことないもん。堂々としとってもええやろ? ……君のおらんとこで、2人っきりになんかなりたない。君にしっかり見張ってて欲しい。こっそり逢うてるとか、変に疑われるんが1番辛い。せやから……」
「アリス―――」
―――抱きしめても、いいのだろうか。嫉妬してやつあたりしている自分が。
「俺、謝らなアカンの……? 許してもらわれへん?」
再び合わされた目は、先程の力を失っていた。泣くまいと引き結んだ口元を見たくなくて、俺はアリスの頭を抱き込んだ。卑怯にも、自分に結論を出さないままで。
それでも、ほっと息をついて背中に廻された手が嬉しかった。
「悪かった……」
「せや。火村が悪い。でも…… 嫌な思いさせて、ごめんな……」
しばらくそのままでいたが、やがてアリスは俺の腕の中から抜け出した。
「なぁ、俺が彼女誘った本当のわけ、知りたい?」
すたすたとテーブルに戻って、2杯目のコーヒーを注ぎ足す。
「笑うなや? あんなぁ…… これは完璧に自惚れで勘違いかも知れんのやけどな、もしかして、俺、彼女に好かれてるんちゃうかなー、って思う時がたまにあるねん」
「……それで?」
「それでな、勘違いやったらそれでええけど、困るやないか、もし告白とかされたら。せやからな、火村と一緒のとこ、見せ付けとこ思て……」
アリス――― お前にゃ敵わねえよ。
「けどな、ちょっと心配やってん。彼女が君に惚れたら困るからな。君が仏頂面しててくれて助かったわ」
ははっ…… というアリスの乾いた笑い声が虚ろに響いた。
「火村? ……呆れたん? なんか言うてや」
「……バカアリス」
「なんやてぇ?」
「ご近所中に触れ回るのは止めてくれよ? この辺歩けなくなっちまう」
「アホウ。そんなことするかい。俺の方が困るわ。……いや、彼女にも、そんな堂々と公表する気はないんやけどな、こう、なんとなーく察してもらえればと……」
……同じことじゃねえか。だけどな、アリス。
「逆効果だな。あれじゃ、もっと作って食べさせたい、ってな気になっちまうぜ」
「えっ、ホンマ? ど、どうしょう……」
「次はもっとまずそうに食えよ」
俺はアリスを手放せない。そして、アリスが自分から手を放すことはないのも知っている。
でもいつか、アリスを俺から引き離さなければならない時が来るかもしれない。俺という闇から解放して、光の中へ帰さなければならない時が。
俺の傍に縛り付けておくより、優しい女性と普通の暖かい家庭を持った方がいいに決まっているから。
だが、今はまだ―――
「隣のカナリアなぁ、オウムとかでなくてよかったわ」
「そりゃまたどうして?」
「だって、『ヒムラ!』とか覚えてしもたら、お隣に返す時困るやん」
「……『会いたい』とか、『愛してる』とか、な?」
「あ、アホウ…… そんなん、覚えるほど言うかい」
今はまだ。もう少し、このまま―――
H11.10.12
オリキャラを作る甲斐性がなくて、真野さんに登場してもらいました。
本当は、(彼女はアリスに夢中)というリク内容だったのですが、ご近所付き合いに支障が出るので……<(_
_)>
無断借用していた友人のエピソードを削りました (12.9.9)