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8888番 まろんさまのリクエスト   「有栖にめろめろで、どうしようもなく恋い焦がれてる火村英生、学生の頃」  




「なぁ、ヒドイと思わんか? 今んなってアパート探せなんて言うんやで」
 下宿に押しかけてきてブツブツこぼしているのは、言わずと知れた有栖川有栖。
 俺の親友……としか言いようがないであろう。――今のところは。
「オフクロさんか?」
「せや。俺が月給取りになったら、新婚時代に戻るんやて浮かれとるわ。もっと早うに言うてくれたらええのに。今からじゃ、いいとこ残ってるかどうか…… ああもう。こんなんやったらわざわざ大阪の会社受けんでも、京都の会社探したらよかったわ」

 俺はアリスが好きだ。

 卒業したらなかなか会えなくなるということを、なんとか自分に納得させようと足掻いているのに、コイツはまた、こうだったらよかったのに的な、叶わない希望を俺に植え付ける。
「こっちならアテがあるのか?」
「決まってるやん。ここ。空いてる部屋あるんやろ?」
 アリスがここに?
 当然のように笑うアリスに眩暈がしそうだった。ああ、今からそれができるものなら!
「火村に毎日会えんの寂しい思てたけど、ここやったら帰ってきたら会えるやんか」
「ここは学生専用だぜ?」
「婆ちゃん優しいもん。お願いしたら置いてくれんかな?」
 頼むよ、アリス。自覚もなしに誘うのは止めてくれ。
「そうだな。アリスなら婆ちゃんのお気に入りだからな。なんなら今から頼んでみるか?」
「あほう。大阪に勤めるのに、なんで今から京都に引っ越すねん。やっと地元に通えるのに……」
 そうそう。言っても無駄な夢は、見ない方がいい。
「なぁ、今日ここ泊めて。そんで明日、探すの手伝ってな。……ここ来んのに、今より乗り継ぎが1つくらい減るとこがええなぁ」
「お前なぁ。会社優先に考えろよ」
「せやかて…… なぁ、遊びに来てな。卒業したらこれっきりとか、考えてへんよな?」
 なんだか必死な色をしたアリスの目がこちらを見る。
「……思ってねえよ」
「ホンマか? なんや火村、最近冷たいような気ィするんやもん……」
「そうか?」
「うん… 俺が就職決めた頃から。気のせい、やったらええけど……」
 驚いた。アリスがこんなに聡いとは思わなかった。引きずられる気持ちを悟られないように気をつけてはいたが、そんな風に見えていたのだろうか……








 アリスが就職を決めた日。それは俺に取っても特別な日となった。
 否応なく自覚させられた日。アリスのことが好きだと―――

 どうしても活字の近くにいたいらしく、印刷関係の会社に決めたと言っていた。決心した時は寂しそうだったが、決まったことには安心したようで、嬉しそうに内定通知を見せびらかしに来た。
「へえ、奇特な会社もあったもんだな」
「なんやてぇ?」
「給料出たらおごってくれ」
「アホウ。俺は堅実に貯金するんや。そしてワープロを買う!」
「使い方覚えるより、手書きの方が早いんじゃねえか?」
「にゃにをー!?」
 ひとしきりバカを言い合って笑ったあと、アリスはふと遠い目をして呟いた。
「……火村は、何も言わんのやな」
「何が」
「小説のこと。面接行く時も、ようやく現実に目覚めたか! とかみんなに言われたもん。これ見せたら、きっとまた言われるんやろうな。そら決めるの1番遅かったけど……」
 目を伏せたアリスの横顔が、頼りなさそうに揺らいだ。
「諦めるんが、現実なんかなぁ………」
「……夢を諦めたことを大人になったと勘違いしているヤツには、言わせておけばいい。自分が苦しんで乗り越えた道だから、他人もそうするべきだって先輩面したいんだろ。自分の弱さを認めたくなくて、夢を持ち続ける強い人間の存在が許せないんだ」
「そんな……」
「親切で言っているつもりだろうけど、結局は自分のためなのさ。誰か実際に夢を叶える者が出てきてしまうと、自分の意思薄弱を『現実』という言葉で正当化できなくなるからな」
 俺の言葉に、アリスの目が悲しそうに曇る。
「………そんなん、言うたらアカン。軽々しく口に出さんようになっただけかも知れんやろ? 冷めたフリして、内心はまだ燃えとるかも知れんやないか」
「だからといって、他人を傷つけていいことにはならない」
「俺は―――別に傷ついたりしてへんて。……けど、ありがとな。なんや、俺のために怒ってくれてるみたいで、ちょっと嬉しいわ」
「どういたしまして。そう思ってたら幸せだよな」
「……相変わらず、身もフタもないやっちゃなぁ………」
 傷ついても、傷つけられたという受け取り方をしないお人好しのアリスは、俺の言葉に苦笑する。言葉通りに受け取って、自分のために掛けられる言葉に従えないことに、苦しんでいたのだろう。
 皮肉な受け取り方しかできない俺とは対照的に。
「―――書き続けるんだろ?」
「おお、あったりまえや!」
 そう言って泣きそうな顔で笑ったアリスに、俺は胸の痛みを感じてたじろいだ。

 ――アリスがいなくなる――

 わかりきっていたことだが、あの時、初めて実感として受け止めたような気がする。
 毎日当たり前のように傍にいるアリスのいない生活…… それは急激に圧倒的な現実感を伴って襲い掛かり、俺をうろたえさせた。
 表面上は普段どおりの会話を続けながら、それに耐えられそうもない自分に気づいて愕然とした。

 ――アリスを手放せない――

 いつの間に、こんなに大切になっていたのだろう。
 『卒業しても友人でいてくれるか?』
 そんなつまらない言葉が、思わず口をついて出そうになった。
 そう訊けば、アリスはちょっと驚いた顔をして、でも笑って『もちろん』と答えてくれるだろう。でもそんな約束で安心できるほど、俺はおめでたくはなかった。
 そんなのは、卒業式の『また会いましょう』みたいなものだから………








 あれ以来、どんどん自分の中に入ってくるアリスを俺はどうすることもできなかった。
 笑ったり、肩が触れたり、そんなささいなことに動揺する自分に呆れた。今までどうやって過ごしていたのかわからなくなった。
 いつも通りに接してくるアリスに、いつも通りの反応が返せなくなっていただろうか。
 ……冷たいと感じられるくらいに………?

 





「学校の帰りにここに泊まるんも、これで最後かなー。なんや、寂しいなぁ……」
 潜り込んだ布団の中から、アリスがくぐもった声を出した。
「火村はそんなことないんか? 院に残るからかな……」
「しっかりしろよ、社会人! ホラ、電気消すぞ」
「ん……」
 これから社会に出て前途洋洋! という感じではなく、夢にまだ手が届かず仕方なく勤める、といった趣きが強いだけに、アリスは最近やたらと残り少ない大学生活を惜しんでいる。
 ―――そんなに寂しい寂しいなんて言うな。勘違いしてしまいたくなる。
 ―――寂しいのは、俺と離れたくないからだと………
「ずうっとこうしておれたらええのに……」
 思わず抱きしめてしまいそうな衝動を押さえ付け、俺はアリスに背を向ける。それが尚更、アリスに寂しい思いをさせるのだと解ってはいても……
「さっさと寝ろ。おやすみ」
「……おやすみ………」
 



 アリスの呼吸が寝息に変わったのを確信してから、そっと振り返る。
 こちらを向いて眠っている寝顔が、障子越しの淡い月明かりに浮かび上がる。

 アリス、アリス……

 触れてみたい誘惑に抗しきれずに、起こしてしまわないよう細心の注意を払いながら、柔らかな髪に手を伸ばした。自分が恋愛でこんな状況に陥ろうとは、考えたこともなかったな……と、ふと嗤いがこみ上げる。
 ―――誰かに対して、こんなに優しい気持ちを持てるとは。
 ―――伝えられなくて、こんなにもどかしい思いをするとは……
 卒業したら、こんなふうに毎日会うことはできなくなる。寂しいのは俺の方だ。
 せっかくの門出なのに、祝福しきれない俺を許してくれ。その代わり、いつでも力になると約束するから……
 辛い時、苦しい時は、絶対に傍にいさせてくれ。頼むから。これからも、ずっと―――

 俺は今度いつ見られるかわからないアリスの寝顔を、しっかりと目に焼き付けた。
 離れていても、いつでもこの位置にいると確信できるように。
 いつでも1番近くでアリスを守れるように、祈るような想いを込めて―――

H11.11.23


めろめろ度、足りないですね…… 私、火村のことまだよく理解できてないかも。
そしてあまりにも季節感ムシ(しーん) ま、なかには卒業シーズンに読む人もいることでしょう(^_^;)