どこで脱線したのかな ネタバレ、はしてないつもりですが…(紅雨荘)
39000番 桜木 奏 さまのリクエスト 森下くんを間に挟んで、疑心暗鬼に陥ってしまう二人
被害者の従姉妹の家から戻ること徒歩5分。
しかし間に竹薮を挟んだりして見晴らしがよくないせいもあり、それほどご近所という感じはしない。味噌汁の冷めない距離、という程度であろうか。
紅雨荘の長い煉瓦塀に沿って歩き、映画のラストシーンを飾った、黒く光る門へと道を辿る。
火村は何か考え込んだ様子で黙って先を行き、必然的に森下とアリスが後に続く、という形になっていた。若い森下と緊張感に欠けるアリスのコンビでは、話はどうしても雑談に走る。
「有栖川さんはあの映画、どなたとご覧になったんですか? やっぱり先生とです?」
「―――森下くん、もうちーっと人を見る目を養わなアカンで。アイツがあんなんをおとなしゅう見に行くようなタマに見えるか?」
「……失言でした」
森下は火村を尊敬している。
してはいるがしかし、その人格性格その他全てを盲目的に狂信している訳でもなかったので、アリスのもっともな意見には深く頷かざるを得なかった。
「けど、ほんなら誰と行かはったんですか?」
「わ〜るかったなぁ。どーせ君と違うて1人でや」
アリスの恨みがましい言い種に、森下は初めてその選択肢に思い至ってハッとした。
「し、失礼しました! ……そうですかー、有栖川さん、ああいう映画見るんが趣味やったんですか?」
「ちっがーう! 単なる時間潰しやったの!」
しまった、ますます機嫌を損ねてしまったー、と森下は話題を転換しようと焦る。もしもこの人を怒らせてしまったら、本人よりももう1人の先生が恐いから。
「そ、そしたら…… 火村先生はどんなんやったら付き合うてくれはるんですか?」
「―――?」
森下に馬に蹴られる趣味は無い。訊いているのはあくまでもアリスとのデートコースという意味で、むろん他意はなかった。
「どんな映画がお好きなんか、ちょっと興味あるなぁ」
「…………」
だがしかし。
相手がどう受け取るかは、また別の話である。
『どんな映画やったら付き合うてくれるかって……』
思いもかけない森下の質問にうろたえて、アリスは咄嗟に答えられなかった。
まさか森下のあの視線には、そういう意味があったのか……? 火村を誘いたいとか?
普段からアリスは、熱心に火村を見詰める森下の視線に気がついていた。彼が火村を尊敬しているのは解っているから、別に気に障っていたわけではないが、やはり目に付く。
いつも火村を追う、憧れに満ちた瞳。
警部から 『先生に付いて勉強せえ』 と言われるまでもなく、森下の視線はいつも火村に向いている。同じものを見ているはずなのに、なぜ自分に解らないことが火村には解るのか。自分は何を見落としているのか。現場で同席を許される時は、火村が見ているものを1つも見逃さないよう、常に視線を追っている。
だからこそ森下は、ふとした瞬間に火村が見せる優しい視線の先に誰がいるのかをよく知っているわけだし、その視線を向けられている当の本人の、火村に対する視線のひたむきさは森下の比ではないのだが、それはアリスには解らない。
「アイツと映画なんて、そんなん、よう行きませんよ」
最近は。アリスは口に出さずに付け加える。
そりゃ何回かは行ったこともあるけど…… 最後に見たのは何年前だったろう?
だから、例え森下が誘ったって、火村がOKするワケはないけど、だけど。
「ドラマとか映画とか…… アイツは絵空事には興味を示しませんから」
それから小説も…… とアリスは少し寂しそうに呟いた。
アリスが沈んでしまった理由は、森下が思ったのとはずいぶんかけ離れているのだが、その様子に森下は大いに焦った。この人を怒らせるのもマズイが、悲しませてしまうのはもっとマズイ!
「そ、そのうち有栖川さん原作の話が、ドラマや映画になったらいいですね。そしたら、先生も興味無いなんて言うてられへんでしょう?」
「はは。まさか、そんな……」
「まさかやないですよ! なんや劇団の舞台の話とかはあったらしいやないですか。読者への挑戦状、とかいうの有栖川さんお好きなんでしょう? 『お茶の間の視聴者に挑戦!』とか、ぜひやってくださいよー」
「おお。そら楽しそうや」
ようやく笑顔を見せたアリスに、森下はほっと息をつく。
しかし。アリスを怒らせるより悲しませるよりマズイことがあることを、彼は知っておくべきだった―――
2人の雑談以外の何物でもない会話は、門の前に到着したことで終わりを告げた。
インターホンで連絡して鉄扉を開けてもらい、石畳の敷かれた庭に足を踏み入れると、自然と映画のラストシーンが頭の中で再現される。紅葉こそしていないが手入れの行き届いた庭の木々や、紅色の屋根、煉瓦のバルコニーなどを見渡す森下とアリスは、期せずして同じような表情を浮かべていた。
それが火村の気に障る。
「森下さん、調べてもらって欲しいことがあるのですが」
「は、はい。何でしょう?」
自分でも大人げないとは思うが、この家を辞去してからでもよさそうなことを、敢えてこのタイミングで切り出した。
森下は火村の指示を無線で報告するため、車にすっ飛んで行く。
もう解決の糸口を見付けたらしい火村の思いがけない提言に 『自分はこうやって無駄口なんか叩いているからダメなのか。その間、先生はずっと考え続けてはったんやなぁ……』 と、名探偵の助手にとっても些か耳の痛いことを反省しながら。
しかし森下が離れた隙に、探偵が助手に問い質したことといえば。
「何を話してた?」
事件について考えを巡らせながらも、後ろの2人の会話が実は思いっきり気になっていた火村だった。
森下の努力も空しく、アリスが気を悪くしたのも沈み込んだのも、そして浮上して笑顔を見せたのも火村は知っていた。会話は聞こえなくても背を向けていても、火村にとってアリスの発する空気は、手に取る様に判り易い。
「んー? 火村の悪口」
それはアリス的には嘘じゃない。森下が聞いていたらすごい勢いで否定されるだろうが。
「ほーぉ?」
「あ。別に森下くんが言ったんとちゃうよ。俺が言うたんや」
これ以上火村への憧れがエスカレートしたら困るから。
だから映画とかに誘ってもつまらない男なんだ無駄なんだと、そう言ったつもりだった。火村の趣味にまで興味津々といった様子の森下に、釘を刺しておこうと。間違っても、誘ったりしないで欲しいと。
ちゃんと相手にそう伝わったかどうかは、また別の話であるが。
「随分と楽しそうだったじゃねぇか。人を肴に、何の話だって?」
「……」
「正直に言え」
「……イヤや」
そんなつまらない独占欲はとても火村には言えないことで。でも隠すことで余計に疑惑を招く結果となる。
「アリス」
車庫を使わせてもらった礼も挨拶も森下1人に任せ、火村はアリスにかかりきりになった。こんなにテンションの低い顔で黙り込まれたら、放っておける訳がない。
「あんな……」
「うん?」
「……なんでもない」
暫しの沈黙のあと、ためらいがちに切り出したアリスだったが、また気が変わったように口をつぐんだ。
『デートは俺とだけしか、したらアカンよ』 なんて…… 言えるはずもなかった。
態度はこんなに判り易いくせして口だけは頑固なアリスに、火村は舌打ちしたい気分を押し殺す。何もない訳はないが、時間切れだ。森下が戻ってくる。
「後で覚えとけよ」
結局隠し事をされたままの火村は、捨て台詞のようにアリスに耳打ちして車に乗り込んだ。
『え、え? いったい何があったんですか?』
森下は自分が少し離れた間に張り詰めた空気に戸惑っていた。しゅんと萎れたアリスと、不機嫌そうにタバコをふかす火村を、こっそりバックミラーで確認する。
『コワイやないですかー! 痴話喧嘩やったら、よそでやってくださいよー』
などと思う森下は、自分が元凶であるなどとは予想だにしていない。
内心引き攣りながら仕方なく件の映画の話などを振るが、返事を返してくれるアリスの覇気のなさが強調されるばかりで、森下の努力は空回りに終わった。それどころか、話すほどに火村の仏頂面がますます険しくなるような気がして…… そしてそれは森下の気のせいばかりではなかった。
森下が運転手を勤めているのは、不甲斐ない車を持った自分達のせいである。ぎこちない空気をもたらした元凶である森下に送ってもらわねばならない状況に、今は甘んじなければならない。
府警までのドライブは、誰にとっても長いものとなった。
調べてもらった結果に基づいた意見を述べ、1課を後にする。
1日運転手を勤めさせた森下に、火村が礼を述べる。こういう場合、普段はアリスが率先して口を開くものなのだが、今はペコリと頭を下げたきり。いったいどうしてしまったのだろうと、森下は部屋の外まで出て2人の後ろ姿を見送った。
と。
廊下の曲がり角でアリスが立ち止まったかと思うと、くるりと振り返って戻ってくる。
「有栖川さん、な、何か?」
思い詰めたようなアリスの顔色に、何事かと緊張する。
「言うとくけど……」
「はい?」
「火村を誘うのは勝手やけど―――アイツはOKせんから!」
は?
足から力が抜けて行くような気がした。
もしもし?
誰が誰を誘うって?
「あ、ちょ、有栖川さーん?」
何を言う暇もなく火村の許へ駆け戻って行くアリスの背中を、森下は呆然と見送る。そしてふと目を上げると、睨むように鋭い火村の視線にぶつかった。
―――じょ、冗談でしょう?
アリスの勘違いも甚だしいが、よもやまさか火村までが、そんなアホな思い込みを……?
じゃあ何か? 車の中で2人は、ずっとそんなことを考えていたとでも?
―――今は事件のことでしょーが……
ヘビに睨まれたカエル状態からようやく脱したとき、すでに2人の姿は森下の視界から消えていた。
「……冗談でしょう?」
口に出して言う。
本当に冗談ではない。あの2人の仲にちょっかい出すなんてそんな恐ろしいこと、誰かしたいと思うもんか!
いつも捜査中の私語を注意されるが、その危険性が今ようやく解ったような気がした。空き時間のちょっとした雑談が、こんなにも恐ろしい事態を招くことになろうとは。
今度2人に会ったら、自分にはちゃんと彼女がいるということを、しっっかりとアピールしておかねば!
そんな空しい決意を固める。
しかしその一方で、『けどそんな完璧でないところが、人間的でいいのかも知れへんな……』 などと、決して火村に知られてはならないことを、こっそりと思ってみたりする森下だった。
H13.6.25
屋敷の塀が煉瓦だとは書いてないけど、雑誌掲載時の挿絵がそれらしかったからさ……
しかし火村もアリスもアホ丸出しですな。
それよか、三人称の書き方を忘れてしまいました。どーしよー。変〜(ーー;)