戻る


         略 奪   ( タイトルに偽りすごくアリ )

43000番 ちえさまのリクエスト    アリスが火村を掻っ攫う話 



 京都駅から1つ戻り、山科のホームに降りた頃には、冬の日は早くも暮れ掛けていた。
「寒っ」
 田畑が一面雪に覆われた北陸の湿った寒さとは一味違う、夜の底冷えを予感させるような冷たい風に、アリスはコートの衿を掻き合わせた。
「けど、日が長くなってきたな」
「え。……そう言われればそうかな」
「おいおい、そんな鈍感でいいのかよ? 作家のセンセイ」
「放っとけ。夜明けが早うなってるのは実感しとるわ」
 北陸で蟹を堪能した翌日のこと。
 2人は福井駅で買った羽二重餅を土産に、ばあちゃんの見舞いに立ち寄る途中だった。夕飯の時間にかち合わないよう、先を急ぐ。
 ちなみに同室で食べ物の制限がある人がいないことは、火村によって確認済み。見舞い客からの差し入れがあるとみんなでお裾分けをしあうので、お返しをしたり食べきれないほどもらってしまったり、なかなか気を遣うものらしい。これなら少しずつ分けられるし、本日中にお召し上がりくださいでもないし。
 なんにしても、元気になって結構なことだ。



「あ」
「なんだ?」
 病室の手前まで来たところで、アリスが立ち止まった。
「片桐さんに電話すんの忘れとった。先に行っとって」
「ったく。さっさと戻って来いよ」
 病院の中なので携帯を使う訳にはいかない。アリスは持っていた見舞いの品を火村に押し付け、確かロビーに公衆電話があったはずだと廊下を戻る。
 残された火村は、1つ深呼吸をすると開いたままのドアをノックした。



「なぁ、ええ娘がおるんやけど? 私の姪の友達なんやけどな」
 病院の中は暖かい。
 開けっぱなしになっている部屋の入口から、筒抜けになっている賑やかな話し声が、遅れて戻ってきたアリスの耳にも入った。
「それよか春日さんはどない? 今朝の検診にもセンセと一緒に廻ってきてた看護婦さん」
「あー、あの娘はええ子やわぁ」
「ウチの事務所にも、いい娘がいてるんやけど」
 テレビくらいしか娯楽のない病院で、すっかり仲良くなったご婦人方の間に入るのは、少し勇気を必要とする。ばあちゃんの具合が本当に悪かった時は、火村もそんなことは言っていられなかったが、よくなって来た今では。
 先に入った火村は、早速に彼女らの格好の茶飲み話の餌にされていた。
 病室は6人部屋。
 年代は様々ながら、共通しているのは、病状がほぼ安定している――退屈を持て余した――ご婦人ばかりだということ。きっと重症の人がいる部屋ではこうはいかないのだろうが、この病室にカーテンが閉まったままのベッドはなく、和やかな空気ばかりが流れている。
 しかし、こうも肴にされたのでは。火村が、「婆ちゃんだけに会うならいいんだけどな」とぼやいていた意味が、アリスにも解るような気がした。

「こんにちはー」
 アリスの柔らかい声が、畳み掛けるような『いいお話』を遮った。
 一斉に自分の方を振り返る視線に、一瞬たじろいだ風のアリスだったが、ペコリと会釈しながら火村の隣に座る。辟易しながら邪険に断るわけにもいかず、内心途方に暮れていた火村は、密かに安堵の息をついた。
 最も、今度は話の矛先がアリスに向かうのではと思うと、うかうかしてはいられなかったが。
「ばあちゃん、身体、どないですか?」
「まぁまぁ、有栖川さん。もうすっかりええんよ。おおきに」
 そう言って頭を下げる彼女は、にこにこと、でも心持ち済まなそうな顔をして見せる。
「あらぁ、篠宮さんとこ羨ましいわぁ。両手に花やねぇ」
「へえ、おかげさんで」
 早速始まる身上調査――前に来た時とは、部屋のメンバーも入れ替わっているから――に答えを返しつつ、アリスはさり気なく自分に注意を引き付けようとやっきになっていた。
 売れない駈け出しのミステリ作家などより大学の助教授の方が、婿がねとしては将来有望に決まっている。
 でも―――
 火村に縁談なんて、冗談じゃないから。
「こいつの彼女に怒られてまいますよー。すっごいヤキモチ焼きなんで、すぐ引っ掻くんです」
 火村には『彼女』がいる。しっかりとそうアピールしておかなくては、と一生懸命なアリスの姿に、火村は温かな笑いを誘われた。
「可愛い子ォなんですけどねー。凶暴なんです。俺かてちょっかい出して、何回引っ掻かれたことか」
 ばあちゃんは何も口を挟まず、ただ可笑しそうに聞いている。『彼女』というのが誰のことを指しているのか、よく判っているのだ。でもすぐにバラしてしまったら、かわいい店子の苦手な話が毎回蒸し返されるのが解っているので、黙って聞いてくれているのだろう。
 頼むわ、ばあちゃん。退院の間際になるまで、種明かしするんは延ばしといてな――― と、心の中で手を合わせるアリスだった。


 夕飯の配膳が始まったのをしおに、2人は暇を告げることにした。
 階段前まで見送ってくれたばあちゃんに手を振って別れる。転んでできた打ち身とやらも、本当に大したことはなかったらしい。この様子なら退院の日も近いだろう。
「なぁ、いっつもあんな調子なん?」
 建物を出るなり早々に煙草を燻らせている火村に、アリスが訊いてくる。
「あ゛ー。最初はそうでもなかったんだがな……」
「君、とっつきにくそうに見えるもんな。けど、ばあちゃんに優しくしとるから見直されたんやな、きっと」
 嬉しいけど……困る。
 そんな思いでしゅんと視線を逸らすアリスに、火村は手を伸ばしたい衝動を押さえ込んで、代わりにキャメルの煙を吹きかけた。
「なにすんねん!」
「どっかで聞いたような話だったな」
「……変なことよう覚えとるな、君は」」
 2人は暫し昔に思いを馳せた。






 話は大学の卒業式まで遡る。

 式典が終わったばかりの会場付近。
 まだ次の予定に向かうには時間が早いのか、少しだけ暖かくなった日差しの中を、一足早く春が来たような色彩が小さなグループ毎に集まって、名残惜しげに話に興じている。
 そんな中、火村は図書館に向かう途中で、待ち構えていたらしい盛装した7〜8人の女子に取り囲まれて立ち往生していた。

 同じ学部内には、火村に対してミーハ―に接しようなどと無謀なことを試みる女子はいない。例え好意を寄せる子がいたとしても、密かに想うだけか、または玉砕済みである。
 だが他学部には、火村のファンクラブなるものが存在しているらしいことは、火村も噂としては耳にしたことがあった。火村をよく知っていればそんな大それたことは――1番嫌われそうなことは――できないはずなのだが、『頭が良くて、クールで、カッコイイ火村くん』のことは、遠くからキャアキャアと騒ぐには申し分ない対象だったのだろう。
 今までは遠慮していたらしい彼女らも、この日は着物と袴で着飾り、最後のチャンスとばかりに押しかけてきたらしい。
「火村くん! あんな、謝恩会までまだ時間あるやろ? ちょっとだけ付き合うてくれへん?」
「断る」
「そんなこと言わんと、なぁ。ウチら火村くんに会えるの、これで最後やねん。お願い」
 最後と言われても。
 今まで直接には会ったこともないのだから、火村にとっては『アンタ誰』である。
「せやったら、記念に写真だけでも!」
「悪いが、急いでるんだ」
「最後の思い出に。なぁ〜」
「いや〜ん、ネクタイ締めたはる〜」
「カッコイーーー」
 嫌がられるのは判りそうなものなのに、集団+最後という大義名分に守られた彼女らに恐いものはない。

 火村はイライラと舌打ちした。今日は早く帰らなければならない理由があるのだ。
 夕方まで下宿で時間を潰させて欲しいというアリスと、図書館で待ち合わせをしていた。アリスの方が早く終わっているはずなので、きっと今頃は本にのめり込んでいることだろう。それとも『卒業』ということに感傷的になって、思うように集中できずにいるだろうか?
 そんなことを思いながら急いでいた火村にとって、彼女らは邪魔者でしかなかった。
 どいてくれる気がないなら、無視して強行突破しようかと思ったその時―――
「おーい、火村ぁ? 早よ帰らんと、彼女、待ち切れんと行ってまうでー?」
 のんびりと掛かった声の方を見ると、スーツに着られたようなアリスがのほほんとした風情で立っていた。

「っと、いけね。こんな時間か。ホントに急ぐんだ。悪いな」
 腕時計を見て、火村は大げさに慌てた声を出す。これくらいの芸当はできる。
「えぇーっ! なにそれぇ?」
「彼女って?」
「有栖川くん、どういうことー?」
 火村の唯一親しい友人として当然リサーチ済みのことなのか、彼女たちはアリスの名前まで知っていた。
「火村くんに、恋人はいてないはずでしょう?」
「そ、それがなぁ、1週間前に俺が紹介してん。ごめんな〜」
 アリスが火村の下宿に遊びに行く途中で見付けた、真っ白い仔猫。
 幸い現在の店子の中に猫嫌いはいないということで、飼い主が見つかるまでという期限付きで、火村(とばあちゃん)が面倒を見ていたのである。
 先日めでたく貰い手が見つかり、今日これから、ばあちゃんの娘さんの近所の家に貰われて行くことになっているのだ。早く帰らないと、お別れもできなくなってしまう。
「えーーーっ!!」
「ウソぉ〜 ホンマに彼女なん?」
「最後の最後でそんなの、ひどーい」
 一斉にブーイングが上がる。まぁ当然だろう。
 アリスだってかわいい女の子たちの夢と希望を打ち砕きたくはなかったが、今回は火村の味方だった。なぜなら、すぐに下宿のアイドルと化した『彼女』の可愛らしさにぞっこん参っているのは、アリスも同じだったからである。最後に一目会いたい。
 それに、火村の猫好きは前から知っていたが、これほどとは思わなかった。
 最初の日はアリスも泊まり込んだのだが、こまめに世話をする様子を見て、今さらながら火村の新たな面を発見したような気がした。1週間という短い期間ではあるが一緒に生活してきたのに、最後のお別れもできないでは火村が気の毒過ぎる。
「ホンマ、かんにんな? 火村よりもっとええ彼氏、見付けてやー」
 アリスは片手で拝みつつ後退る。その隙に火村は包囲網の突破に成功し、さっさと歩き出していた。
「アリス、置いてくぞ!」
「あっ。待てや火村! ほなな〜」
 




「そう、やな。そんなこともあったな……」
 遠い青春の1ページ。
「お前、もう少し他のバリエーションも身に付けとけよ」
「うううううるさい」
 咄嗟に口から出たとはいえ、10年以上も前と同じ発想とは、流石にちと頂けないかもしれない。
 と、アリスがバツが悪い思いを噛み締めていたとき。
「助かったよ。あの時も、今も」
「―――」
「なんだよ」
「ゆ、雪降るんちゃうか」
 思いがけず素直な火村の反応に暫く呆けていたアリスだったが、しだいに込み上げてくる笑いを押さえ切れず、照れ隠しに互いの肩をぶつけ合わせた。手をコートのポケットに突っ込んだままにしていないと、すぐ隣にある腕に抱き付いてしまいそうだった。

「昔の分の礼は貰っとくわ。けど、さっきの分は要らん」
「あ?」
「あれは火村のためやないから……」
 昔は、火村が困っていそうだったから助け舟を出した。羨ましく思いこそすれ、嫌だなんて思わなかった。
 でも今は―――
「だからって、自分を代わりに売り込むのは止めろよ」
「せやったら、他の方法考えてくれ」
 もしかしたら、火村が幸せになる邪魔をしているのかもしれないけど……
 ふと頭を過ぎった考えに、アリスは身を震わせる。沁みこんでくる寒さのせいのようなふりをして、アリスは微笑って天を仰いだ。


 火村はやらない。誰にも渡さない―――
 アリスは密かに、白く光を放つ月に誓う。

 そして、そっと目を伏せた。
 昏い眼の自分なんて、月だけが知っていればいい。
 火村の前ではいつでも暖かでいられるよう、柔かく深呼吸をして。



 

H13.2.20


ちえさんゴメン! 全然リクに応えてないです〜〜<カッコいいアリス
でもウチのアリスにはこれが精一杯の芸当なんですのー(o_ _)o

視点の定まらない、変な話になってしまいました。
それに蟹ツアーのときは、まだ桃はいないんですよね…… まいっか。