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         その場所

1999番 amemiさまのリクエスト                                  . 
   佳作入選をきっかけに気持ちを告げてしまうアリスと、からかいの言葉なしで答える火村



「あ……」
 店を出ると同時に、もう一秒も待ちきれなくてその場で広げた雑誌のページに、私は他にどう間違いようもない自分の名前を見つけた―――



 今日1日、私は朝からそわそわと落ち着かなかった。
 この前応募したゴールドアロー賞の結果が載る雑誌の、発売日が今日なのだ。仕方がないではないか。数日前から何かにつけて思い出しては心臓がドキドキして、自分の気の小ささを痛感していたのだ。
 明日が休みで本当によかった。
 毎度のごとく落ちていたら、救いようのない暗ーい顔になっているに違いないし、もし、もし万一入選していたら、舞い上がってしまってとても仕事にならないだろうから。

 学生時代から、何度も経験してきていることだというのに。
 応募と落選を繰り返してもう何回目になるだろう? 思い返せば、小説を書くようになって、もうすぐ10年にもなるんじゃないか……
 我ながら執念深いものだ。でもどうしても書かずにはいられなかったし、書けないと弱音を吐きたい時はいつも、あいつが側で励ましてくれた―――


 火村―――
 これといって、何をしてくれたわけではない。
 特に「頑張れ」なんて言葉を掛けてもらったわけじゃないし (時にその言葉が、却って相手を追い詰めることがあるのを知ってるヤツだ)、書く上でのアドバイスをしてくれたわけでもない。
 ただ、いつも隣にいてくれる。
 大阪―京都 決して近くない距離を隔てても、私が1番近くに感じているのは火村だった。
 週末には都合のつく限り、どちらかの部屋で飲み明かした。酔いつぶれて愚痴をこぼす私に、苦笑して私の髪を掻きまわす。下手な励ましの言葉よりも、ずっとありがたかった。
 『私が、諦めずに頑張って書き続けること』を、信じてくれている。
 会えない時でも、支えられている。火村が信じてくれているから。
 ずっと、支えられ続けている。初めてあいつが、俺の小説の続きを気にしてくれた時以来ずっと、ずっと……



 なぜ誰の励ましよりも火村のが1番効くのか、その答えは解っている。
 私が、火村のことを、好きだから―――
 気づいた当初はパニックに陥ったりもしたけれど、今ではこの想いを自然に受け入れられる。この気持ちは、今では俺にとって、とても大切なものになってしまっているから……
 火村は? 火村は私をどう思っているのだろう?

 同じくらい大切に想ってくれているのではないかと、実はちょっとばかり自惚れていたりする。
 私からするのと同じくらい頻繁に向こうから連絡をくれたりすることとか、女性から向けられる好意は容赦なく切り捨てるくせに、私の誘いや頼み事にはできる限り応えようとしてくれたりすることとか。
 手を伸ばせば届く距離にいて、たまに切ない気分になった時に、相手も同じ眼をして私を見ていることに気づいたことも何度かある。そのたびに慌てて視線を逸らし会話を探したりしてしまうのだが、そのまま手を伸ばしてみたら、どういうことになるのだろう。
 しかし―――
 私にはその度胸はなかった。かわされて、私の思い上がりだったと知らされるのが恐い。
 火村を困らせてしまって、今までどおりでなくなるのが恐い。
 もし、もしも思い上がりでなかったとしても、だからどうだというのだ?
 もしも想いが通じたとしても、火村と、こっ、恋人になんか、なれるはずもない。私の方は望みが叶えば、作家というある意味ヤクザな商売になるわけだが、火村の方はそうは行かない。大学というお堅い場所で、研究者として歩き始めたばかりの火村にとって、男の恋人など百害あって一利なしだ。
 それに俺だって、親に孫の顔の1つも見せなきゃいけない、って義務感は一応持っているし。
 だから……
 このままでいい。傷つきたくないから。
 このままでも、会いたい時にはいつでも会えるから。このぬるま湯のように居心地のいい、1番の親友という場所に、ずっとずっといさせて欲しい。
 小さな期待と、それほど小さくはない不安を抱えたまま―――




 火村のこととなると、どうも長くなってしまうな。取りあえず現実に戻ろう。
 結果だ。こっちの方が私にとっては最重要事項のはずなのだから。


 結果を知ってしまったら仕事にならない――という理由で、昼休みも仕事で街に出た時も、本屋に入るのはなんとか我慢した。ようやく手に入れた雑誌に自分の名前を見つけた瞬間を、なんと表現したらいいだろう。
 といってもゴールドアロー賞受賞者として載っていたわけではなく、佳作に過ぎなかったが、それでも私としては初の快挙だった。
「ひむら……」
 彼に知らせなければ――― 公衆電話を探して歩き出したはずの私の足は、いつのまにか京都行きの電車に乗るべく、目的地を駅に変更していた。
 
 火村に会いたい……
 
 会いに行こうと思いついた途端、それ以外は考えられなくなった。
 なんとしても今日中に会いたかった。
 会って話したかった。
 直接、報告したかった。
 報告して、一緒に喜んでもらいたかった。
 お礼が言いたかった。
 今まで書き続けてこられたのは、火村のおかげだから。
 そして、褒めてもらいたかった。よくやったと言って欲しかった。

 泣きたいくらい気持ちが高まってくるのを、私は眠ったふりで必死にやり過ごした―――




「あれまぁ、有栖川さん、いらっしゃい。お久しぶりやねぇ」
「ご無沙汰してます。夜分にすんません,火村、いてます?」
 予告もなしにいきなり訪ねた私を、婆ちゃんは嬉しそうな顔で、でも口調は気の毒そうに迎えてくれた。
「それがなぁ、火村さん今日はお留守なんよ」
「そう、ですか……」
「お昼頃電話があってなぁ、なんや急用ができて出かけるんで、今夜は帰らないて言うてはりましたよ」
「…………」
「かんにんなぁ」
 イカンイカン。よっぽど私ががっかりしているように見えたのか、婆ちゃんに謝らせてしまった。
「いえ、気にせんといてください。確認せんかった俺がアカンかったですから」
 せっかくだからお茶でも、と言う婆ちゃんの誘いを断り(ああ、ちゃんと失礼のないようにできただろうか?)私は火村の下宿を後にした。

 カバンの中の雑誌のことは話さなかった。話せばきっと喜んでくれるだろうが、火村以外の人に先に報告する気にはとうていなれなかった。


 これからどうしよう…… 私は途方にくれた。
 遅くなるだけなら、どんな時間まででも待っていようと思ったが、帰らないと連絡があったのでは、いつまで待っていても無駄だということだ。
 出掛けるというからには、大学にはもういないのだろう。どこへ行ったら会えるのか、見当もつかない。
 デートかも……という、ちらと浮かんだ疑惑は慌てて頭から葬り去った。そんなことを考えてはいけない。自分が惨めになるばかりだ。
 今後の研究のために、京都府警の誰とかを紹介してもらったって言っていたから、そっち方面で話を聞けるチャンスが来たのかも知れない。そういう事情なら、火村はなにがあっても駆けつけるだろう。かといって、まさか火村がいないか府警に問い合わせるわけにもいかない。
 皮肉にも時間はぽっかり空いているので、わざわざ京都府警の前まで足を伸ばしてみたりする。火村がここにいるとは限らないのに、我ながら酔狂なことだ。
 未練がましく遠目に建物を見上げてみるが、入る訳にもいかなくてのろのろと駅に向かってUターンする。しょうがない。約束してあった訳ではないのだから……



 京都に向かっていた時と比べて、この気持ちの落差はなんだろう。
 今日は、1番嬉しい日のはずだったのに……


 会いたい。火村に会いたい。
 どうしようもなくワガママな気持ちが溢れそうになる。火村に私を最優先にして欲しくて、私に繋ぎとめて置きたくて。そんなこと願う権利は、私にはないのに。
 ―――ちゃんと言うておけばよかったんかな………
 ちゃんと告白して、きちんと恋人同士になっていたら、こんなどうしようもなく会いたい夜、相手を拘束しておけるだろうか? わざわざ京都まで会いに行って、空振りで戻ってくるなんて、こんな惨めな経験をしなくても済んだだろうか。
 火村を掴まえておきたい。私のものにしておきたい。
 いつでも会えるなんて、嘘ばっかり………!




 重い足を引きずってアパートの階段を上る。
 と、部屋の前のドアに凭れて立っているのは―――

「よぉ、遅かったな」
 火村……? 本当に?
 眠るように閉じていた目を開けて声を掛けてきた相手の手に、あの雑誌が握られているのに気がついた。
「――やったな」
 たった一言。 
 顫えるほど嬉しかった。私といる時には決して寡黙ではない彼が一言選んだ、心からの祝福の言葉―――
「……ありがとう………」
 声がふるえた。指も震えて部屋の鍵を取り落とした私に苦笑して、火村が代わって開けてくれた。

 先に立って部屋に入る火村の後を追いながら、私はどうしたらいいか解らなかった。
 着替えるよりも、コーヒーのお湯を沸かすよりも先に、私が、私がしたいことは………
「よかったな」
「あ……」
 振り返って言う火村の姿が、歪んで見えなくなった。見えなくなるのが嫌で、2、3歩の距離を駆け寄ってしがみ付いた。
 もう、どうなってもいい。
 呆れられて、嫌われるかも知れなかったが、今、この腕を離したくなかった。
「火村…… どこも行ったらアカン。1番やなきゃイヤ。こんな頼りないの、もう嫌や……」
「アリス? 何言ってる。一体どうしたってんだ」
 顔を上げさせようとする火村に逆らって、私はますます強くしがみ付いた。スーツが皺になろうが構わない。
 どうしただって? 知るもんかそんなこと。
「火村を掴まえときたい。……火村がスキ。しっかり掴まえときたい!」



 ―――自分の言葉に、我に返って蒼くなった。
 どうしよう。言ってしまった……
 しがみ付いた手から力が抜ける。こんな醜態を晒してしまって、もう取り繕うこともできない。でも離れることもできなくて、そのままの姿勢で自分の失態に震えた。
 火村……
 困ってるか? 笑い飛ばしてからかう材料にするか? それとも―――

「俺が言うつもりだったのに…… お前に言わせちまったな」
 めったに聞けない優しい声と共に、火村の腕が私を包んだ。
「アリスが好きだ。もうとっくの昔に捕まっちまってるんだよ」
 嘘…… という言葉は、私の口から出ないで終わった。押し当てた耳に、火村の鼓動が伝わってきたから。
「先を越されちまったな。お前にゃ敵わねえよ」
 耳元で掠れたバリトンが響く。これが火村の声かと疑うくらい、甘く優しく聞こえる。その度に、背筋に顫えが走った。
 もしかしたら、たぶん、ぜったい…… と密かに確信を持っていたにも関わらず、火村の言葉は私の涙腺を破壊してしまったようだった。泣くことなどないと思うのに、ぱたぱたと止めどなく溢れてくる涙は、自分ではどうにもならない。涙にその分の力を吸い取られてしまったかのように、言葉が出てこなかった。
「そんなに泣くな。……取り消したいのかと思っちまうだろ」
「……っ、な、ワケ、っ………」
「アリス……」
 火村の唇が目許に触れるのを感じた。
 それで納まるかと思いきや、ますます熱い涙がこみ上げてしまったのは、私のせいじゃない。きっと。




「俺なぁ、君もきっと俺のこと好きやて、本当は思ててん……」
「言ってくれるじゃねえか。……でも奇遇だな、俺もだ」
「そっか……」
 くすくすと笑って続ける。
「今日な、俺、生まれてから1番いい日かも」
「これまた奇遇だな。俺も今日が1番いい日だ」
「そっか。じゃあ、……おめでと、火村」
「おめでとう、アリス。がんばったな……」

 ありがとう。
 隣にいるより、腕の中にいるほうが100倍幸せだと初めて知った。
 ずっと支えてくれて、ありがとう。この場所を与えてくれて、ありがとう。
 お礼を言いたかったはずなのに全然言い足りてないことに気づいたが、これからいつでも言えると思い直して、今はこのまま黙っていることにした。
 今度火村が俺の意地っ張りの壁を崩してくれた時に、いつでも言うたるよ。
 いつのことになるかな。な、火村………
 

H11.9.12


おいしいシチュエーションをありがとう!
時期的に「がんばれ社会人2」の設定と矛盾してしまったけど、こっちの方がよかったかなぁ……
ま、気にしないで行こう。
佳作でも、主催者から電話連絡が来るはずだとは思うのですが、見逃してください<(_ _)>