日曜の朝
「そーゆーことかぁ」
日曜の朝。場所は北白川。
電話で週末の予定をキャンセルを告げた火村は、言葉を濁して理由を言おうとしなかった。腹を立てるべきか不安に陥ればいいのか、もやもやとよくわからない気分に陥って、えいやっと無断で来てしまったが、婆ちゃんちの近所まで来たらその理由が判明した。
なぁんだ。そっか……
『愁眉を開く』って、こういう時のためにある言葉やな。
状況が馬鹿馬鹿しいほど全然深刻なものじゃないって解って、心配していた自分がなんだか恥ずかしい。肩から顔から力が抜けてようやく、今まで眉がぎゅっとハの字に寄っていたことに気がついた。
木曜日。
今抱えている短篇に一応の目途がつきそうで、やれやれと一息入れていたところに掛かってきた電話。一瞬過ったイヤな予感を抑えて受話器を取った私に、案の定、それは週末のキャンセルを告げた。
『悪い。行けなくなった』
「――――」
肝心な時には働いてくれずに、こんなときばかり力を発揮する私の第六感を恨めしく思う。落胆が大きくて暫く言葉が出なかった。
せっかく楽しみにしてたのに。ちゃんと仕事も終わらせる見込みが立ったのに。
「……どしたん? とうとうベンツくんが天寿を全うしたんか? せやったら電車で来い」
『日曜の朝に用事があるのをうっかり忘れてたんだ。すまん』
「ほんなら、俺がそっち行こか? 君が出掛けるのに合わせて帰るし」
一晩だけでも一緒に過ごしたくて言ってみる。私の時間ならどうにでもなるのだし。
『いや…… 来週は必ず行ってやるから。そう拗ねるな』
「アホ! 誰が拗ねるかっ!」
『それまでいい子にしてろよ』
決して強引な訳ではないが一歩も引かない火村に、ふと違和感を感じた。コイツ、私に向こうに来られると困るんだ。そしてそれを私に知られたくない?
「なぁ、何があるん?」
『ちょっとな。野暮用だ』
「――――」
『言っとくけど見合いじゃないぜ』
「そんな心配してへんわ!」
そりゃ、一瞬、頭を掠めなかったわけじゃないけど。
「……わかった。気ィつけてな」
わかったと言うのは火村が来られないことを了解したという意味で、おとなしく待っているのを承知したという意味ではない。私には従うつもりはなかった。
いったい何を隠しているんだ。立ち合わせたくないフィールドワークだろうか。
違うって言うからには、見合いではないんだろうけど…… 気になるやん。
―――決めた。
―――行ってやる。
乗り込むかこっそり後をつけるかはまだわからないが、行くだけ行ってやる。
別に火村をがんじがらめにしておきたい訳じゃないけど、仕事だというなら邪魔はしないけど。でも隠し立てしているのが気に入らん。
……て、これは私のワガママ。理由に納得できればおとなしく帰るから。だから、隠さないで―――
日曜の朝って言ってたな。時間までは聞かなかった。うーん、7時くらいに着くように行けば間に合うか?
というわけでやって来た早朝の京都。
早朝といっても私にとって異例の早起きだっただけで、世間ではそんなに早くもなかったっけ?
会社勤めだった頃のことを思い出すと、平日はともかく休日の7時は充分早かったような気がする。休日は子供は早起き(最近はそうでもないか?)、大人は朝寝坊という贅沢を貪るものと相場が決まっている。
でも今日のこの辺りはそうはいかなかったんだな。朝から大勢の人が集まり、町内のそこかしこから特徴のある音が聞こえている。
来る途中で火村の姿は見付けられなかったが、この中の一員として汗を流しているに違いない。
『おつかれさん』
気分がふわりと軽くなった。
火村を信じて待つこともできずにここまで来てしまった自分に、余裕がないなぁと反省する。楽しみにしていた週末をすっぽかされ、理由も言ってもらえなくてぎゅーっと凝り固まっていた心が解け、隠そうとしたアイツを思うとなにやら笑いが込み上げてくる。
最初っから言ってくれればばいいのに。下手に隠そうとするから気になるんやないか。
そんなに知られたくなかったか? カッコ悪いとでも思ったんかな?
火村に怒られるのを覚悟で来たが、どうやら状況は私に有利だ。とてつもなく微笑ましい気分に襲われ、私は笑み崩れようとする顔と戦わねばならなかった。
「おはようございますー」
「あらおはようさん。久しぶりやねぇ」
事前の連絡もなく訪ねた私を、婆ちゃんは驚きながらも快く迎えてくれた。
婆ちゃんおおきにー。火村に叱られる心配は減ったと思うが、可能性がなくなった訳ではない。なにやら心強い防護壁のようなものができた気がしてありがたい。
「突然来てすんません。火村、いませんよね?」
「あいにくちょっと出掛けとるんよ」
うん、わかってますー。
「1時間くらいで戻って来はるやろ。下でお茶でも飲んで待っとりなさい」
「すんません。お邪魔します」
さて。どうやって迎えてやろうかな。
小次郎を足に纏わりつかせながら朝食の支度をする婆ちゃんと、つらつらと世間話をする。
「ところで朝は? ちゃんと食べて来たんか?」
はうう。火村にはよく抜き打ちチェックをされるが、婆ちゃんにまで。
「えぇっと、飲むゼリーのヤツを―――」
しどろもどろに答える。今朝は早起きして出掛けるため、ゆっくり作って食べる暇なんてなかったから…… というのは言い訳で、満足な答えを返せたためしがほとんどないのが情けない。
「ゼリーて、お菓子やないの。そんなもん食事て言えますかいな。火村さんが帰ってきたら、有栖川さんも一緒に食べなさい」
「あれ、婆ちゃんが作ってやってんの?」
「今日は特別やね。私の代わりに行ってもらってるんやから」
「そんなん力仕事なんやから、当然や」
婆ちゃんにあんな重労働をさせるような火村だったら、私の方から見限ってやる。
でも。
「草刈りくらいやったら私が出るんやけどねぇ」
なんだか婆ちゃんと火村が本当の家族みたいに思えて、こっちの気持ちがほこほこと温かくなった。
「ただいま」
玄関で火村の声がした。声だけ掛けて、庭のほうに回って行く。
くたびれたTシャツ姿の火村が、庭先でドロドロに汚れたスコップを、迎えに出た瓜太郎が水飛沫で近寄れないくらいに勢いよく水で洗い流している姿が見えた。
暑そう。きっと腕の部分はきれいな土方焼けになっているに違いない。
「はいおつかれさん。まずは汗でも流してきなさい」
「ああ、そうする」
朝食に手を出されないよう小次郎を抱きかかえて出迎えた婆ちゃんに、火村は「桃は?」などと話しかけながら、ちょっとお疲れ気味の笑顔を向けている。
……………。
うん。ええな。こういうの。
婆ちゃんや猫達に向ける火村の柔らかな笑顔は、私に向けるのとはまた微妙に違っていて。独占欲がちょっと疼くけれども、あいつにとって大切なものだから私にもとても大切だ。
「おかえりー。おつとめご苦労やったな」
火村の位置からは死角になっている部屋の奥から声を掛けると、ぎょっとしたように振り返る。ふふん、俺にナイショにしとこうとか思うからや。
めったに見れない顔が拝めたので堪えきれずに笑いながら、私も縁側に出た。
「お望みならあとでマッサージしたるで? 明日筋肉痛なったら困るもんなー」
「いらねぇよ」
「無理すんなや、おっさん」
「これくらいで動けなくなるのはお前だろ。自分がそうだからって人にまで当てはめるなよ」
「同い年やんか」
「元が違う」
「むっかーっ。はよシャワー浴びてこい。腹減ったわ」
「こっちのセリフだ。ここでのうのうとしてたヤツが言うな」
「あんたら、いつまでも子供みたいなケンカしとらんと。ほれ、火村さんは早うお風呂場に行きなはれ」
だらだらと続く私達の低次元な言い争いに、婆ちゃんが呆れて口を挟む。
「2人とも人様からは先生なんて呼ばれてはるのに、なんやのん。学生の時分の方が、火村さんはもっと大人らしかったんやないの?」
「それだけ大人になったってことやないですか」
「あれ、ま」
私の言いぐさが可笑しかったのか、婆ちゃんはころころと笑う。
でも私は、火村のこんな力の抜けた自然な姿が見れるのは、ここくらいしかないことを知っているから。長い時間を掛けて、ようやくそんな姿を晒け出せるようになったのだと知っているから。
(ずっと元気でいてな、婆ちゃん)
アイツのために、なんて言ったら悪いと思うけど。ゴメン。けど。
いつまでもこの環境がここにあって欲しい。心の底からそう願った。
H14.12.16
というわけで、理由というのは町内のドブ掃除でした(爆)
春先に思いついた小ネタをここまで引っ張るか。季節違いも甚だしくてすんません。
(小ネタなんだから、もっと軽く流せ自分<セルフツッコミ)
町内会って、下宿人もそれぞれ一世帯と見なされるんでしょうか? だったらマズイな。
ご町内の運動会とか、納涼祭って線も考えたんですが。出ないよな、火村。