難関突破?
『一生の不覚』という言葉が、これほど似合う朝も珍しいのではないだろうか。
「あんたらいつの間に……」
目が覚めると、アリスの母親が腰に手を当てて立っていた―――
「おはよう」
「……お、はよう、ございます……」
これほど焦ることも、一生のうちそうそうないだろう。なにせ場所はアリスのベッドの上、パジャマも着ないで寄り添って眠っていたとなれば……言い逃れの出来る状況ではなかった。
「うわぁっ、なんでおんねんっ!」
アリスはといえば、一声叫ぶなり布団に頭から潜り込んでしまっている。
おいコラ、俺1人に応対させる気か。
「早う着替えて来ぃや。じっくり聞かせてもらうわ」
……冷や汗が流れた。
「イヤやーー 怒られるー、コワイーー」
アリスは蓑虫になってイヤイヤをしたまま出てこない。畜生、俺だって怖いんだよ。
「お前の母親だろうが」
「だからやないか〜 君はうっとこのおかんの恐ろしさを知らんのや〜〜! 君、オレを傷物にしたんやから責任とってやーーー」
「…………」
もう泣き声だ。ムチャクチャ言いやがる。しかしそう言われると罪悪感が疼くのも確かだった。
「先に相手しといてやるから…… 覚悟決めて来いよ」
諦めて布団の上から頭とおぼしきところを軽く叩いた。ため息が漏れた。
しかし、なんと言って切り出したらよいのだろうか。
「……すみません」
キッチンの椅子に座って待っている彼女に、取り敢えず頭を下げてみる。
「ああ火村君か。有栖は?」
「さっきのままです」
「ったく、しょーもない。……ところでな」
ああ、早速。
「アンタ約束がちゃうやんかー。有栖を攫ってくときはちゃんと挨拶してやー、て言うとったのに。忘れたんか?」
「いえ……」
そうなのだ。実は俺の気持ちに関しては、既に彼女にカミングアウト済みなのだった。
お互いまだ学生だった頃、何度か家に遊びに行った俺を彼女はいたく気に入ってくれ、息子に欲しいとさんざん言い続けた。
「残念やわぁ。有栖が女の子やったら絶対嫁にもろてもらうのに」
「おかーちゃん、気色悪ィこと言いなや」
当時、そのセリフに結構傷ついていたことをアリスは知らないはずだ。
しかし、年の功(失礼)でなにかピンと来るものがあったのか、彼女はアリスのいない所でこう囁いた。
「あの子男やけど、私に似て色白でかわええやろ。貰ってくれる気ィ、ない?」
外見はアリスによく似た、ほややんとした美人なのだが、中身はしっかり大阪のオバちゃんであった。さすが息子に「アリス」などという名前をつけてのけるだけのことはある。いつもその外見と口調とのギャップにペースを乱されてしまうので、俺は正直言って彼女が苦手だった。
その時も、外見と言われたことの内容のぶっ飛び具合に、ついついポロリと本心を漏らしてしまったのだったが……
「忘れていたわけでは、ないのですが……」
「なら、なんやの?」
冗談だと思っていたのだ。もちろん。誰が本気にするというのか。
「火村君がスーツ着て『有栖さんを僕に下さい』って言いに来てくれるん、楽しみにしとったのに…… 無断で盗って行きよったね」
「…すみません」
「うまいこと有栖をおとしたら、真っ先に報告してくれる約束やったのに」
「――――すみません」
返す言葉もない。
とその時寝室のドアが細く開き、這うような格好でアリスが顔を出した。
「……ちょお待て。なんや、今の会話は」
「立ち聞きはよくないで、有栖」
「……立っとらんもん……」
漫才やってる場合か。
「って、そんなことどうでもええんや。まさかとは思うけど……」
「知っとったで」
とーぜん、と胸を張る彼女と対照的に、がっくりとアリスは床に懐いた。
「こんなこともあろうかと、ありすってなかわいらしい名前をつけたったんや。ま、かわいく産んであげたこと、感謝してな」
確かアリスが作家デビューした時も、「こんなこともあろうかとパズルチックな名前にしたったんや。ミステリ作家にピッタリやろ。感謝してな」と言っていたはずだが。
「ま、孫も欲しかったけど、火村君みたいなかっこええ息子が出来るんなら我慢したるわ。その代わり、時々買い物付き合うてな」
見せびらかさな……などと怖いことを呟いている。
「今晩は2人で夕飯食べにおいで。お赤飯炊いたるさかい」
「ア、アホ言いな、今更……」
あっ、馬鹿……
「いまさらぁー?」
墓穴を掘ったアリスが両手で口を塞いでいるが、それこそ今更だろう。
「おとうちゃんにも報告せなあかんし」
「うわぁん、堪忍してぇ〜〜」
床に懐いたまま、アリスはとうとう耳を塞いでしまった。カメのようになって、イヤイヤと首を振り続ける。子供かお前は。
「これ以上苛めないでいただけますか」
呆れたが、さすがにかわいそうになって助け舟を出すことにした。アリスを抱き起こして彼女を正面から見据える。
アリスはもう俺のものだ。苛めていいのは俺だけだ。母親といえども譲るつもりはない。
「報告しなかったことは謝ります。申し訳ありません。ですが」
「ひむら……」
アリスが真っ赤に上気した顔を上げてこちらを向く。いいから任せておけ。
「アリスが泣かされるのを見過ごすつもりはありません。たとえ相手があなたでも」
「…っ、あほぉ…… なんちゅうことを……」
力なくもがくアリスの身体を抱え込んで、一瞬彼女と睨み合った。
と、突然彼女が笑い出したので、にらめっこはおしまいとなった。
「うん、合格や。さすが火村君、かっこええわー。よかったな有栖。それじゃあ、これは持って帰るわ」
「……なんや?」
「ん? アンタの見合い写真」
にっこり微笑んだまま、彼女は第2の爆弾を落としてアリスを硬直させた。
「あの、ごめんな……」
今しも出て行こうとする彼女の背中に、アリスがおそるおそる声を掛ける。
「変な女に引っかかるよか、なんぼかマシや。アンタにしてはええ子に捕まってくれたわ。上出来や」
「なんや引っかかるわ、その言い方……」
「なにブツブツ言うてんの。今度お赤飯と尾頭付き持って来たるから、待っててや」
「要らんわっ!」
「今度からは連絡してから来るようにするさかい、安心してや。ほななー」
バタン!
局地的台風を巻き起こした彼女が出ていってしまうと、アリスは気が抜けたようにペタンと座り込んだ。俺も一緒に座り込んでしまいたかった。
「おとんにも…バレてまうんや…… あああー」
ガックリと肩を落としてブツブツと呟いている。
確かに、俺だってばあちゃんに知られたいとは思わない(いやそれより、ばあちゃんの方がショックだろう)が、それよりもダメージが大きいだろうということは想像がついた。
しかしいつまでも玄関先にいる訳にもいかず、両手で肘を持って立ちあがらせようと試みる。
「ホラ、立ち直れ」
「あかんわ…… 再起不能や……」
「いいじゃねえか。晴れて親の公認となったわけだし」
「なに言うてんねん!」
アリスが顔を上げて噛み付いてくる。
「君のせいやからな! 責任とってオレの親父んとこ、挨拶行ってこい!」
「……わかった」
しっかりと目を合わせて了解すると、睨んでいた目がふにゃんと崩れた。
「……嘘や。君のせいとちゃう……」
首筋にしがみついてくるアリスが愛しかった。
「一緒に行くか?」
「うん……」
抱きしめて耳元に囁いてやると、しがみつく手に力がこもった。
こんなにかわいいものを寄越せというのだから、やはりそれなりの儀式は必要だったのだろう。それをすっ飛ばした報いを、俺は受けなければならない。
取り敢えず来週は手土産を持ってスーツで来ようと、俺は覚悟を決めた。
H11.6.13
脱サラ直後のつもりで書きましたが、説明する間がなかった。
こんな34歳イヤだー(泣) 28くらいにしとこっかな♪
いや、ホンの冗談のつもりだったのですが……