ついて行く
ふと違和感を感じて、意識が浮上する。私を囲うように乗せられた腕の重みは慣れた男のものだった(あたりまえだ!)が、掛け布団の薄くてふわふわの頼りない軽さとか、シーツの肌触りとか。
―――ああ、ホテルにいるんだった。
火村と私は、昨日から岩手に来ていた。目的は別々だったけれども。
ここのところ結構な雪が降ったそうだが昨日の夜明け前には止んだそうで、私たちが到着した頃には除雪も一段落ついていた。陸奥大学で用を済ませた後、県警に寄るという火村と別れて、昨日は1人で雪化粧した盛岡市内をあちこち歩き回った。
こんなに雪が積もっても交通がほぼ平常どおり動くのはさすがだ。これなら冬でも時刻表トリックが実行できるだろうか? それとも犯人はそれほどのリスクは犯す気にはならないだろうか…… などと相変わらずのあれやこれやを、頭の中で捏ね回して気を紛らせながら。
一人旅をこよなく愛しているからといって、恋人と来ているのに1人でいたいと思うほど偏屈じゃない。他所の大学や県警に入れる機会はあまりないので――という口実で――、建物の中までは同行させてもらいたい気持ちはあったけれども、なんとなく言い出せなかった。
犯罪学の研究室に、県警の捜査1課。
どちらも、そこにいるのは犯罪学者としての火村。自室で論文を書いている時だってもちろん犯罪学者には違いないのだけれども、他者を相手にする時はまた全然別の顔になるのだろうし。
そこに私が立ち入ってもいいものかどうか、わからなくて……
その火村の用事は昨日1日で済んだので、今日は2人で岩泉の竜泉洞にでも行こうかと話していた。取材とは言え、遠足のようにわくわくしてしまうのはしょうがないだろう?
それほどゆっくりもしていられない時間だったので、私はふざけて放すまいとする火村の腕を無理矢理に抜け出した。朝食をとりにレストランに行くため、荷物置き場と化していたもう一方のベッドの上掛けを捲り、その上でもぞもぞと着替える。何か証拠隠滅、というか捏造のようでなんとも気恥ずかしいのだが――それ以外の何物でもないのだが……!――まさか使った形跡も残さずに出て行く訳には行かないではないか。
別に顔が知れてる訳じゃないし、訝しく思うのはあと1、2時間もするとやってくるはずの掃除のおばちゃんくらいだろうが、それでもだ。
火村は仕方なさそうに起き上がると、着替えもしないまま朝の一服を燻らせている。
電話が鳴った。フロントからだろうか? 早く朝食を食べに来いとでも? まさか。
柔らかいが、有無を言わせぬコール音。
なぜだか出たくないような気がした。でも火村が出るのは尚更嫌な気がしたので、私が電話を取った。
「はい」
『おはようございます。火村様に、名倉様とおっしゃる方からお電話が入っております』
確か、昨日火村が口にしていた県警の人がそんな名前だった。
―――県警。昨日言い忘れたことでもあったか? ……それとも。
「……君にや。名倉さんって人から」
ちょっと目を見開いた火村は、電話を代わるとこちらに背を向け、落ち付いた態度で話し始めた。
挨拶もそこそこに繰り返される何度かの相槌。そして、
「行きます」
迷いのない、何の躊躇もない即答。
ああ、そうだろうとも。フィールドワークの誘いだということは、とうに解っていた。火村は行ってしまうだろうということも。
別に拗ねてるわけじゃない。当然のことだ。今日の予定は単なる観光にしか過ぎないのだし、フィールドワークはそう頻繁に機会がある訳ではない、火村の研究のメイン舞台だ。ただ……
火村の取る行動は決まっている。そうでないのは私だ。
火村のフィールドワークには、1度だけ立ち会った。
去年のクリスマス。私が生まれて初めて遭遇した殺人事件は、一緒に泊まっていた火村が解決した。私が幼少の頃から愛している本の中の名探偵のように鮮やかに、でも現実は『あーおもしろかった』じゃ済まなくて…… 後に重く辛いものを残した。
私の前ではからずも探偵の才能を披露することになったことを、火村は後悔していないだろうか?
でもあのとき、思わず目を背けた私を「見ろ!」と叱咤したのは火村だ。
何を見せたかった?
小説の中の絵空事ではない、厳しく容赦のない現実。
無邪気に創造した名探偵を紙の上で操っている私に、君は実在する探偵としての姿を見せつけた。
活字から想像するだけでは解らない、日常が崩壊して行く眩暈のようなもの。部屋に充満していた煙と共に噴き出してきた、我慢できない匂い。変わり果てた姿を晒しているのは死体役の被害者Aではなく、つい数時間前まで親しく会話していた、よく知った人間なのだということ。そして加害者もまた……
火村が自らに課した、私が本当には知らなかった世界。
……火村。私がそれを知ってもよかったか? オマエのことだから、私には空想のなかにだけ住んでいて欲しかった、とでも思ってるんじゃないのか。
でも私は知りたい。
現場に身を置くことを選んだ、君のことを知りたい。犯人と直接に接することに、現場に拘る理由を知りたい。どうしてそれほどまでに犯罪者に惹かれているのか、気になってたまらない。訊いても何も答えて貰えないなら、私は自分で探し出すしかないから。
どうしよう……
火村が場所をメモしている間、私は案山子のように突っ立ったまま、ぐるぐると迷っていた。いつかは、と思っていたフィールドワークだが、降って湧いたチャンスがあまりに突然過ぎて。
私が立ち会うことを、火村は許してくれるだろうか? 去年のあれは、たまたま一緒に居合せたところに事件が起こっただけで、アイツが許してくれたわけじゃない。
足手纏いになるのは確実の私がついていったら、邪魔になるだけだとか、興味本位と思われたらどうしよう、とかいろいろと否定材料ばかりが頭の中を駆け巡る。でも。
今を逃したらきっと、今後フィールドワークの度に私は留守番、という図が定着しそうな気がするから。
「タクシーの中でコンビニのサンドイッチでも食うかな」
さっきまでのぐうたら具合が嘘のように素早く身支度を整えた火村が、独り言のように呟きながら、黒革のコートに手を伸ばす。
ええい、考えてても仕方がない。早くしないと火村が出て行ってしまうぞ。
決めたんだから。いつかきっと、話してくれない火村の謎を解き明かすと。
火村の謎を解明するには、フィールドワークを抜きにしては考えられない。コイツがその場で何を思い、何をぶつけているのか。何を隠して、何を私に見て欲しがっているのか。ちゃんとこの目で確かめたい。
もっと知りたい、火村のこと。話してくれないことを無理に訊き出したりはしたくないが、見付けるための機会は逃したくない。
「俺も行ってもいいか?」
質問というよりは、懇願に近かっただろうと思う。不自然に動きを止めた火村と、おそらく緊張にこわばっているだろう私の目が合った。探るような視線。私は判決を待つ気分を味わった。でも目は逸らせない。
一瞬の沈黙の後―――黙ってコートが飛んできた。
H12.5.28
火村が何を考えていたかも書きたかった。でも、全然わかんないんだよ〜
火村のことを知りたいのは、私もアリスと一緒です。動機は恐ろしく違いますが(^-^;)
……「人喰い」のはずが、なんだかとっても「46番目」〜 おや〜?