ペンギンの恐怖
「じゃあ明日はお前がこっちへ来るのか? モノ好きだな」
『おお。いいもん持ってったるから、楽しみにしとって』
「おい! 何だか知らねえが、浮かれて事故ってんじゃねえぞ」
『じゃかましいわ! おとなしく待っとれ。じゃーな』
「ああ、気をつけて来いよ。おやすみ」
……あつい。
ぬるい空気をかき回す扇風機の風が、机の上に広げたメモを散らさないよう角度を調節しながら、来年こそはエアコンを入れさせてもらうかなー、などと、毎年同じことを思う。こう暑くっちゃ仕事も捗らないし、アイツらも寄り付きゃしねえ(くっつかれても暑くて困るのだが)。
だいたい今日だって本当は大学の図書館に本を返すついでに、そこで資料を纏めようかと思っていたのだ。この部屋の中では、思考までがとろとろと溶け出していくようで。しかしアリスがこちらに来たいと連絡を寄越したので、急遽、取り止めた。
いったい何をやらかすつもりなのやら。わざわざこの暑い処で。
この時期、週末はサウナ気分が満喫できる北白川から、エアコン完備の夕陽丘の別宅へ避難することが多かったのだが、今週はアリスの方からわざわざこちらへやってくるという。ご苦労なことだ。
とは言うものの、本当は『来たか』という気分だった。アリスは毎年何度か、ここに『夏を楽しむ』ためにやって来る。今年は早くも待ち切れなくなったらしい。
全く、ここで生活している者に対して失礼だろうと思わないでもないのだが、婆ちゃんも結構楽しみにしているし、アリスの持って来る『日本の夏アイテム』に、本当にここの家はよく似合う。花火、風鈴、丸ごとスイカ―――等々。そのうちに虫捕り網とか、夏休み帳とか持って来るんじゃないかとまで思わせる。
『日本の(一昔前の)子供の夏アイテム』と言い換えた方がいいかもしれないな……
「よぉ、来たな。ご期待どおり、茹だりそうな暑さだぜ」
「うーん。やっぱ暑いわ〜 でも1度はこれを体験しとかんと、夏が来た〜!って感じがせえへんのや」
「住んでる人間の前で言うなよ、そーゆーこと…… でも今年は早かったじゃねえか。いつもは8月に入ってからじゃなかったか?」
「う、ん… 今年は猛暑や言うとったし…… 夏休みの間は、なるべくウチに来とったらええやん」
そうして欲しいなー、という気持ちを見え隠れさせて、さり気なさそうに誘う。
……そんな顔しなくたって、ちゃんと行くって。
さすがに夏休みだからといって、全然大学に顔を出さない訳にはいかないが、普段よりはなんだかんだと入り浸りになってしまうのは、毎年のことだとわかっているだろうに。
『火村さんも涼しいところをよう知ってはりますもんなぁ。桃ちゃんたちとおんなじ』
以前、戸を開け放した玄関に寝そべっている桃を見ながら、婆ちゃんに言われたセリフだ。ともすれば嫌味にもなりかねないセリフを、にこにこと楽しそうに言われた日には、なんと答えていいのかわからなくて。ぐっと詰まった俺を見て、婆ちゃんはまたおかしそうに笑ったものだ。
「で、今度は何を持って来たんだ?」
「じゃーん」
アリスの大きく膨らんだ旅行カバンの中からでてきたのは、プラスチックの、青い、……ペンギン?
ひょうきんな顔の下に黄色い蝶ネクタイをつけ、その下の丸い胴体は、腹の部分が空洞。そして頭には手動で回すハンドルがついている。
「どや、懐かしいやろ? 君んちにも昔あった?」
「あ、ああ……」
うちにあったのは、赤い蓋のついた、ただのかき氷器だったが。ペンギン型なのは、ご幼少のみぎりアリスがねだった為か、はたまたおふくろさんの趣味なのか?
「……こんなもん、今どきよくあったな」
「このあいだ実家の押し入れからおかんが発掘してん。いいもん見せたるから帰って来いって言われた日には、何ごとかと思ったわ。いやー、かれこれ20年くらい眠ってた代物やけど、ちゃんと使えたで」
得意そうな全開の笑顔。今すぐにでも氷をセットしそうな勢いだ。ここでガリガリ始めるのか? 男2人で、……ペンギンを?
「待てよ。ウチにシロップはねえぞ。何掛けて食うんだよ」
「ふふー。そこに抜かりはなーい!」
お見事なことに、アリスは「ジャーン」とか言いながら、ごそごそと持参したシロップを取り出した。昔懐かしい、あの毒々しい緑。小さい頃、コイツは絶対にやってるに違いない。
「昔、食ったあと、べーって、見せ合いっこしたよなー? 舌が真緑とか真っ赤に染まって」
そうだろうとも。……確かに俺もやった記憶があるが。
「……却下」
「せやって、これが定番なんやからしゃーないやん。イチゴの方がよかった?」
「却下」
「じゃあどうすんねん! ……コーヒー味、とか?」
「コーヒーだぁ?」
「うんと甘くして濃ーく淹れたら、なんとかなるんやないか? アカンかな?」
「――――」
カラメルシロップみたいなもんだろうか? しかし、うーーーん。
「ばあちゃんに訊いてみよう。何かあるかもしれん」
すっくと立ち上がってペンギンを抱え、さっさと階段を降りて行く。……そうだな、婆ちゃんがいてくれれば、少しはアットホームな絵になるかもしれない。この部屋で、男2人でペンギンをガリガリやるよりは。
結局、婆ちゃんが缶詰めのゆであずきと抹茶を提供してくれて、宇治金時を真似てみたら、なかなか旨かった。その後、珍しがって回りをウロウロする瓜たちを玄関に引き寄せ、削った氷を少しずつ上から振り撒いて飛び退かせてみたり、ちょっとだけ指にすくって舐めさせてみたりと、結構楽しめた。
「君、子供みたいやなー」
自分の方が率先してやっていたくせに、アリスは一緒に遊ぶ俺を見て、そんな風に笑う。俺に言わせれば、アリスの方がずっと子供みたいだ。
そしてそんな俺たちを見ている婆ちゃんが、俺たちも猫どもも、みーんなまとめて子供だと思っているだろうことは、火を見るよりも明らかだった……
「これ、暫く火村んとこに置いとってな」
おい、ちょっと待て。
「俺がおらんときでも、使ってくれて構わんから」
「――――」
部屋で、1人でこのペンギンの頭のハンドルを回す自分を想像してみる。
……サムイ。男2人の方が、まだマシというものだ。
この寒さで夏が乗り切れそうだと思ったが、あまりに暑ければ実際に使って――コーヒーシロップで?――しまいそうな気もして、そっちの方が怖かった。
……うん。これは婆ちゃんに預けとこう。娘さんとこのチビたちが来た時に、使ってもらってもいい。
「少しでも暑さを凌ぎやすくしてやろうというこの俺の心遣い、無駄にしたらアカンで」
「…………」
チビたちが来たら、氷メロンを作ってやるよ。その時についでにお相伴させてもらう。
……頼むからその程度でカンベンしてくれ。なぁ、アリス……?
H12.7.22
かき氷ネタ fromくまちゃんさま
(こ、こんな情けない話に仕上がりました〜/爆)
普通の四角い氷でもOKなヤツ、確かありましたよね?
ウチに昔あったのは、専用の丸い容器で作った氷をセットするものでしたが……
軽〜い話をサクサクっと1本書きたかったのに、のん気にサボってるうちに、既に夏休みに……(爆)