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          つながりの順番


「はい、火村です」
「…あ、すまん。間違いや」
「おい、アリスっ」
 ツー、ツー、ツー……
「またかよ……」
 アリスからの間違い電話は今日はこれで2度目。朝の9時と今は午後2時。そういえば夕べも1回あった。
「いったい、なんだってんだ」
 あっという間に切れてしまった携帯電話を見つめて、火村は舌打ちした。



 新しい物好きのアリスと違い、むしろ携帯を嫌っていた火村が、時代の波に押されて仕方なくそれを持つようになったのはつい最近である。連絡がつかないと大学の事務局に泣き付かれたのと、いつでもフィールドワークの誘いが受けられるように、というのは建前で、実のところアリスとのホットライン(笑)の確保ということで自分を納得させたのである。
 そのせっかくのアリスからの電話だというのに、これでは話にならない。
「いったい何処にかけるつもりだったんだ」
 しかも3回も。そのことを考えると、少しばかり心中穏やかでない火村だった。

 ちょっと推理してみる。
 声が聞きたかったから……などというかわいい理由でないことは明らかだ。ろくに声も聞かずに切っているのだし、何も間違い電話を装う必要はない。
 あのぼーっとした声からして、本当に間違えていたのだろう。無意識のうちにかけ慣れた番号を……という自分に都合のよい理由も、残念ながら却下だ。火村が携帯を持ってまだ日が浅いのだから、それなら下宿か研究室にかかってくるはずだ。
 似た番号と間違えたか? 実家の番号は、当然のことだが携帯ではないのだから似ても似つかない。登録を間違えたのなら、夕べの時点で気づいて直すはずだ。
 アリスが頻繁に連絡を入れる所で、携帯を持ち歩きそうなヤツ…… 片桐か? しかしいくら番号が似ていたとしても、そう何度も間違えるものだろうか。

 その結論は気に入らない。イライラとキャメルに火を点け、もう少し考えてみる。
 もしかして、遠まわしに何かを伝えたかった?
 わざわざこんな暗号じみたことをしなければならない理由…… まさか誘拐事件にでも巻き込まれたとか?
「ばかな」
 推理小説家に毒されたな。横目で研究室の壁の本棚に並ぶアリスの著作を眺めつつ、火村は苦笑してばかばかしい考えを追いやった。
 単にアリスらしい茶目っ気だろうか。『俺の出した謎が解けるか』とか言う? だとしたら内容はごく他愛もないことだろう。書けないとか、火村のメシが食いたいとか……会いたいとか?
「……いや、それもねえな」
 確か大阪の推理作家先生は、短編の締め切りを一本抱えていたはずである。それどころではないだろう。
「陣中見舞いにでも行くかな」
 どうせたいした理由なんかないと頭では解っているつもりなのだが、この考えはお気に召したらしく、火村は何時の間にか半分ほどに短くなったタバコの煙を深々と吸い込んだ。



 夕方、ご丁寧にもスーパーに寄ってきた火村は、暗くなったというのに灯りの点いていない部屋を見上げて眉を顰めた。合鍵で部屋に入ると、資料の散乱したリビングに姿は見えない。寝室を覗くと、案の定アリスはベッドの上にバッタリ倒れた格好で、普段着のまま爆睡していた。
「仕事は終わったんだろうな」
 ワープロの電源は切られ蓋もしっかり閉まっているから、ちょっと休憩のつもりではなく、ちゃんと終わらせたのだろう。
 起こさないよう布団の中に入れてやり、だいぶ伸びてきた髪をそっと梳いてみる。それでも全く反応のない様子に苦笑して、ついでにキスを一つ落としてやった。



「うう、ええ匂い…… あれ、火村や……」
 寝室のドアが開き、ぼーーっとした様子のアリスがよたよたと歩いてくる。
「ったく。キスされても起きねえくせに、食い物の匂いには釣られるんだから、食い意地の張ったお姫さまだよな」
「なんやて……?」
 ちょっと聞き捨てならないことを聞いたような気がする。だが悔しいことに、おいしそうな匂いが寝室まで漂ってきて、それで目が覚めたのは事実なので、アリスの反論には力が入らない。おまけに情けなくもいいタイミングで腹がぐうぅーーっと鳴った。
「は、腹減った…… 死にそうや。昨夜の2時頃やったかな……食事代わりの、あのゼリーのヤツ、あれ飲んだきりやねん。コーヒー淹れる暇ものうて……」
「……身体壊すぞ。もうすぐ食わせてやるから、まず顔洗ってこい」
「ふぁい……」
 やっぱり来て正解だったと、火村は憮然としてため息をついた。



「で、理由はなんだって?」
「は?」
 こんなまともな食事は何日ぶりやろ……などと、すっかり満腹して幸せを満喫していたアリスは、火村の質問に咄嗟に答えられなかった。
「理由って、何のこと?」
「とぼけるなよ。どこに電話しようとして、なぜ3回も俺のところに間違えるのか、その理由が知りたいね」
「……ああ、アレか。なんや君、それで来てくれたん?」
「ずいぶんと思わせぶりな誰かさんのおかげでね」
 気になっちまった……とぼやく火村の様子に、アリスは嬉しそうに笑った。
「ゴメンなあ、徹夜続きでボケとったんや。許したって」
 それで済ませられるわけがない。火村は無言でキャメルを咥える。

「どこにかけようとしてたんだ?」
「ん、珀友社」
「片桐さんの携帯か?」
「いや、文芸編集部の方や」
「番号が全然違うだろうが」
 そこでアリスはちょっと口篭もった。
「あんなあ…… 笑わへん?」
「聞いてから決める」
 アリスは火村のつれない返事にしゅんとしながら続ける。 
「電話の短縮にな、珀友社、3番に登録したったんやけどな、こないだ入れ替えてん」
 火村は視線で先を促す。
「火村の携帯の番号な、教えてもろたとき直ぐに短縮の空いてるとこに入れたんや。けど、火村が他の友達やら仕事の関係やらのあとになってんの、何か違うと思たから…… せやから3番目のと入れ替えて……」
 ちなみに、1番と2番は言うまでもなく火村の下宿と研究室である。
「けど、ついクセで……クタクタやったし…… なぁ、怒ってるん?」
 真っ赤な顔で、でもだんだん不安そうに伺ってくるアリスに、現金にも火村はとうに機嫌を治していた。髪をくしゃっとしてやると、アリスは顔を上げてほっと息を吐いた。
「あんなに何度も連絡入れるものなのか?」
「間に合うかどうかギリギリやったから、定時連絡を義務付けられてたんや。あと何枚ですーって報告入れて、取り合えず出来た分からFAXして…… 最後のは終わりましたーーや。3時までやったから、結局は1時間前に仕上げたんやで。偉いやろ」
 自画自賛する作家の頭を、火村は苦笑しつつも甘やかして、ヨシヨシとなでてやる。へへっと声に出して、アリスは本当に嬉しそうに笑った。



「ホンマは明日会いに行こと思てたんや。もうけたわ」
 掃除も洗濯も何時の間にか終わってるし、言うことなしやなーと、後片付けをしながら上機嫌で言うアリスの頭を、火村は軽く小突いてやった。
「もー、痛いやんか」
「それなりの報酬は払ってもらうからな」
 ぎくっとアリスの手が止まる。
「そ、それは君が勝手に……」
「勝手に?」
 余計な気ィ回したんやんか……とは、いくら長い付き合いでも、さすがに恐ろしくて言えないアリスだった。

 余計な気を回したことは、実は火村だって自覚している。アリスが下手にでてくれて、本当は密かに助かったと思っているのだ。
 我ながら見事な振り回されっぷりだった。
 アリスの気持ちは実はよく解る。火村だって携帯電話の短縮の1番2番は、アリス以外考えられなかったのだから。

H11.5.30


携帯電話使ったことありません…… 時代に取り残されてるな。
短縮って、もしかして0番から始まったりします?