ウソつき (『黒鳥亭殺人事件』を読んでいないと意味不明デス)
「それは、手でさわれますか?」
「はい」
「それは、生きものですか?」
「いいえ」
天農の家に一晩世話になった翌日。
真樹ちゃんと一緒にリビングで九官鳥のキュウちゃんと少し遊んだあと、私は彼女にせがまれ、また<二十の扉>を始めていた。今度は私が出題者だ。
窓からは、火村と天農が庭で警察と話をしているのが見える。被害者がここに戻ってきた理由と、事故の可能性を伝えたのでその検証をしていたのだが、もう終わって帰るところだろう。
三度やって来た警察から、この子の興味を逸らしておくのが私の使命だった。
「それはー、お店で買えるものですか?」
「はい」
ちなみに私が決めた正解はタバコ。
もっと捻ったものにしたかったのだが咄嗟に思いつかず、ちょうど窓の外をフヨフヨと横切ったものに決めてしまったのだ。
「それは、食べ物ですか?」
「いいえ」
この質問には即答できる。美味い不味いはあるけど食べたら大変だ。あ、でも、『飲み物ですか?』と聞かれたらなんて答えよう。『いいえ』でいいのか? けどタバコ呑みとか言うしな。あぁまた火村のやつ、吸い過ぎやって言うてるのに。けどもう、吸うてる姿が馴染み過ぎてるしなぁ……
「それはぁ、」
彼女はそこで不自然に一区切りつく。柔らかな巻き毛をひょこっと揺らし、私の顔を下から覗き込むようにして言った。
「───けむりが出るものですか?」
ぎく。
「──は。はい……?」
な、なんでこれだけでわかんねん。特にヒントになるようなことは言うてないはずやのに。
真樹ちゃん、恐るべし。
「もー。アリスさんったら、つまんない。すぐわかっちゃうよー」
「え? え? なんで?」
「だってー」
彼女は、窓の外をピッと指差した。
「アリスさん、こたえをずぅっと見てちゃダメ」
「………」
────あ?
「そ、そやった、……かな?」
いや見てたのはタバコではなくて火村…… なんて言い訳ができるはずもなく。
「アリスさんっておもしろい!」
「そ、そぉ?」
私は嬉しいような情けないような気持ちで、へらりと笑った。
小さなお嬢さんに受け入れてもらえたことは非常に嬉しいのだが、やはり私は笑わせるより笑われる回数の方が……(以下略)
「でもね、私、ヒムラさんはちょっとこわいの」
「え、そうなん?」
おや、珍しい。普段はお世辞にも人当たりがいいとは言えない火村だが、なぜかヤツは子供あしらいが上手く、懐かれるのが常だというのに。
「だって探偵さんって、なんでもわかるんでしょう? 私ねぇ、悪い子なの。お父さんに嘘ついたの。それもわかっちゃう?」
「…………」
一瞬応えに詰まったのは、昨夜火村と交わした会話のせいだ。
真樹ちゃんの言う嘘とは、あの話とは全然関係ないことなのかもしれない。例えば、お父さんの持ち物を失くしてしまったとか、おやつをこっそり食べてしまったとか。
でももしかしたら、本当に想像どおりのことがあったのかもしれない。そうだったらどうしよう。
天農の問いに、「知らない」と答えたという真樹ちゃん。
不思議に思って確かめようと、何か行動を起こしたのではないのか。
父親の言いつけに反してしまったので、内緒にしているのではないのか。
真偽を確かめることは、今ならたやすい気がした。
でも、それはしてはいけない。あの火村でさえ、訊けないと言った。
真実を知るのが恐いわけではないのだと思う。恐れているのはたぶん、この子の記憶に残ってしまうこと。
五歳というのは微妙な時期だ。とっくに物心がついていたという人もいるし、小学校に入る頃までのことは覚えていないという人もいる。この子が成長したときには、どうなっているだろう。
そんなことがなかったのならそれでいい。でも万が一にもあの、すうっと寒くなるような想像が当たっていた場合、訊かれることによって、彼女の中で『日々薄れ往く日常』から、『覚えておく特別』に分類され直してしまうかもしれない。
今は意味が解らなくても、大きくなってふと思い出した時に、その恐ろしさに気付いてしまうかもしれない。
絶対に、そんなことになってはならない。
だとしたら今すべきことは、この子の気がかりを取り除いてあげること。子供が親に叱られないように、咄嗟に嘘をついてしまうのは全然珍しくない。普通のことだ。
でも決して平然としていられる訳じゃなく、自分の遠い過去の記憶から言わせてもらえば、ある程度の罪悪感は確かにあった。自分は嘘吐きなのだと子供ながらに後ろめたく思い、死んでも天国には行けないのだと哀しく諦めていた。
おかげで時々当時を振り返ってはほろ苦い思いをしているのだから、その罪悪感を消してあげれば、思い返すこともなく、忘れていくことができるんじゃないかな。
「嘘なんか吐いたって真樹ちゃんはええ子やろ。そんなん探偵やなくたって解るわ。……せや、ええこと教えたる。子供の嘘はなぁ、大人になって上手に嘘吐くための練習なんや」
「ええ? じゃあおとなの人はみんなうそつきなの?」
「んー、そう言うわけやないけどな。人を騙す嘘はたいていは悪いことやから吐いたらアカン。けどな、ごくたまーには嘘吐いた方がええ時もあるって、大人は知ってるんや」
天農が幼い我が子に凄惨な話を聞かせたくなくて、警察が来た理由を誤魔化したように。
火村が昨夜の想像を、天農の前では思いついた素振りも見せないように。
「……それってどんなとき?」
「それを見付けるんが大人になる練習や。自分のためやなくて、その相手のことをよっく考えるようにすると、そのうちきっと解るようになる」
それは大人でも難しいことだし、嘘で庇われた相手がどう感じるかという、また一段上の課題があるのだけれど。
「大切な人のための嘘が吐けるようになったら、そしたらもう大人や」
もっとゆっくり説明したかったが、これ以上話し込んでしまうと、逆に真樹ちゃんの印象に残ってしまいそうで早々に切り上げる。火村ならもっと的確な言葉で伝えられるのではないかと思ったが仕方がない。
「じゃあアリスさんは、あんまり練習してこなかったんだね。うそつくのヘタクソだもん!」
そう言うなり、彼女はパッと身を翻して私の手が届かない所へ避難した。
「お。言うたなー」
追いかけると、幼児特有の笑いの混じった悲鳴を上げて逃げる。応接セットを挟んだ対角線上でソファの背を盾にしながら、少女は触れたら弾けそうな笑顔でこちらの動きを伺っている。父親以外の相手と鬼ごっこをする機会など、めったにないのだろう。
勉強は父親が教えるとして、同世代の友達が周囲にいないというのは、こういった対人関係の訓練にはどうなんだろう? いきなり小学校に行くのは大丈夫なのか? と、ややおせっかいなことを思った。
「今回は本当にありがとう。助かったよ」
天農は、事故の可能性を火村が示唆したとたん、その意見に飛びついた。それはそうだろう。自宅の庭で殺人事件があったと思うよりは、事故であってくれた方がどんなにいいか。あんなに憔悴しきっていたのが、今はほっと肩の荷を降ろして楽々とした表情になっている。あくまで仮説にしか過ぎないと言っても、そうに違いないと信じたいようだった。
そしてそれは私たちだって同じだ。単なる事故であってくれればどんなにいいことか。もちろんその可能性だって充分に残されているし、おそらく警察もそう処理するだろう。
でももう一方の可能性もないとは言いきれないし、それを確かめることはできないのだ―――
「今度は海水浴ができる時期にでも遊びに来てくれ。真樹、お客さんにさよならだよ」
「さようなら。アリスさん、ヒムラさん」
「「さよなら、真樹ちゃん」」
来たときと同じようなユニゾンを披露して、また彼女に笑われる。
かわいい。
同世代の友人の子供。
こんなとき、胸にチクリと走る寂しさや罪悪感のようなもの──それに気付かない振りをすることも、大人の嘘の1つなのかもしれない。
帰りも私がハンドルを握り、火村に地図を渡す。
「ほい。しっかりナビせえよ」
「って、来た道を帰るだけだろうが」
「あれ。帰りに城崎温泉に寄るって言うたやん」
「本気にしたのかよ……」
本気も本気。
のんびり温泉に浸かって頭をリフレッシュさせてやれば、私には素晴しいトリックの1つも浮かぶかもしれないし。逆に切れすぎて、救いのない可能性をも容赦なく思いついてしまうしょうもない頭脳の持ち主には、その中味をカラッポにしてやることもたまには必要だろう。
しかしそれを言ってしまうと、『ただでさえカラッポの頭は云々……』などと切り返されるのが目に見えるようで、私は黙ったまま大通りに出る交差点でハンドルを右に切るのだった。
H15.9.5
火村の出番を大幅に削り過ぎて、気がついたら全然なくなってました。ガーン。
しかし火村って、学生仲間からもすでに探偵として認識されていたんでしょうかね?
学生時代に何かあったのなら、ぜひとも原作でやって欲しいなぁー。
そしてアリス、またアホにしてしまってスマン……