エール 注意 ネタバレ?(ブラジル蝶)
「泣きそうな顔、してましたね……」
「そうか? いつもどおり見事なポーカーフェイスにしか見えんかったがな」
「え、嫌やなぁ、違いますよ。有栖川さんですよ」
そうか、警部の位置からは見えなかったのかも知れない。
今回の犯人が追い詰められて喚き出したとき、僕は入口の横、全員を見渡せる場所に立っていた。
暴言を止める暇はなかった。負け犬の遠吠えとはいえ、随分と聞き苦しい。
尊敬してやまない火村先生になんて失礼なことを言うんだと腹が立った。
言われた当人はどんなにご立腹だろうとちらりと伺った横顔は、かすかに眉を顰めていただけで、冷静な態度を崩してはいなかった。さすがは火村先生だ。
その代わり……というわけでもないだろうが、ビクリと身体を震わせた有栖川さんがこぶしを握るのが見えた。
ヤバイ。
いつもニコニコと穏やかな有栖川さんが怒るなんて珍しい……なんて呑気に見てる場合じゃない。もしも殴りかかったりするようなら止めなきゃ。
個人的には殴ってやりたいけど、などと考えながら、僕は一歩踏み出した。
でも。
有栖川さんは動かなかった。
睨み合う二人よりもなお蒼白な顔で、犯人と先生に交互に視線を走らせていた。
火村先生に対してはどこか絶望的な、でも決して希望を捨ててはいない必死な目をして。
川辺に対しては、憎むべき犯人だというのにあろうことか、すがりつくような哀願の表情を浮かべて。
『もうやめてくれ!』
悲鳴のような声が聞こえるような気がした。
実際には、誰一人として口を挟むことはできなかった。
「こうするしかないんだ」
先生の口から漏れた言葉に、暴言を吐いた当人でさえ一瞬気圧されたように黙り込んだ。
立ち尽くす火村先生の隣で、有栖川さんはやはり立ち尽くしたまま、その言葉に打ちのめされたように顔を歪めた。
お二人が帰る時までその空気は引きずられていて。
警部に一言挨拶している先生は、全く普段と変わりないようだった。あれほどの暴言を浴びせられたばかりだというのに、ほんとすごい人だ。
それと対称的に、有栖川さんの声は一言も聞かれなかった。いつもは火村先生の分まで僕達に愛想を振り撒いて帰っていくのに、今日は先生の後ろでぺこりと頭を下げたきり。火村先生以外のことは、あまり目に入ってはいないようだった。
「有栖川さん、上手いこと火村先生を慰めてあげられるといいですね」
「あん? おまえ今、泣きそうなのは有栖川さんや言うたやないか」
「えー、わかってないなぁ、警部」
「生意気言うな。10年早いわ、ボケ」
殴られた。
そうか、やっぱり解ってたか。そうだよなぁ……
有栖川さん、正直者過ぎるからなぁー。どうします、バレバレですよ?
火村先生のことは有栖川さんに任せよう。悔しいが彼にしかできないことだ。
『頑張ってください、有栖川さん』
僕は先生に続いてタクシーに乗り込む後ろ姿に、心の中でエールを送った。なんだか途方に暮れた顔をしていたけど、大丈夫! あなたならやれますって。
「ホラ、仕事せえ仕事」
「はい! あの野郎、みっちり締め上げてやりましょうね。覚悟せえよ〜」
思わず握りこぶしに力が入る。尊敬する火村先生に対する暴言と、有栖川さんに与えたダメージに対する報復は、きっちりと受けてもらわねばならない。
後悔させたるでーー!
僕は自分に与えられた仕事に専念すべく、警部の後を追った。
お二人の関係を少しだけ羨ましく思いながら。
初めて書いたヒムアリはなぜか森下くん視点。
うちの森下くんはどうやら火村のライバルではなく(笑)、彼を尊敬しているようです。
2人になついてます。応援もしているようです。なんだかなぁ……