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「ふ〜ん」
 読み終わると改めて、火村はアリスの寝顔を見下ろした。
 時ならぬ大掃除でも始めたのか、部屋にはいろんなものが散乱している。と言っても衣類などではなく、本やノートやメモの類が主だったが。
 整理の途中で、出てきた本をつい読み耽ってしまうのは誰にも覚えがあることだろうが、アリスの場合特に顕著だ。また夢中になって読み過ぎて、掃除が終わらないうちに疲れて爆睡してしまうという、お決まりのパターンだろうと火村は見当をつけた。
 仰向けになって世にも平和そうな寝顔で、アリスはくーくー寝息を立てていた。

 2週間前、火村とアリスはケンカをした。原因は最早定かではない。よほど些細なきっかけだったのだろう。俗に言う犬も食わないというヤツだが、当人達にとっては深刻。この2人、どちらも結構意地っ張りだ。
 まぁ、苛めすぎたかなという自覚がナイわけでもないので、しょうがない、と今回は火村の方から折れてやるつもりでここにやって来たのだが……
「いいもん見ちまったな」
 ニヤリと嗤った顔は、謝りに来た人間のものとは程遠いものだった。



 パチリと遠慮無く電気のスイッチを入れる。突然の眩しさにアリスは顔を顰めた。
「……んーーー、なんやーー?」
「おう、起きたか?」
「火村かー? ……やっぱしな。今日あたり、来ると思っとったわ」
 予告なしで突然やって来たにも関わらず、驚いた様子も見せないアリスに、火村の『折れてやろうか』という殊勝な気持ちは、一時棚上げとなる。
「アリス、これなーんだ?」
う……
 目の前に翳された日記に、アリスは内心の動揺を表さないよう必死に押さえ付けた。騒ぎ立てないよう、でも頬がしだいに紅潮してくるのはどうにもならないことだったけれど。
「…………読んだん?」
「謹んで読ませて頂きました。またずいぶんとかわいらしい時期があったんだな」
「……………」
「えーと、なになに。『君にあ…』」
「わぁぁぁっ! もうええやろっ! 返せ! この…っ」
 アリスの頑張りは、あっという間に崩れ落ちた。真っ赤になって、腕ずくでノートを取り返そうと火村に掴み掛かる。
「いや〜、あの頃に、10年前に戻りたいねぇ〜」
「うるさい、うるさいぃぃぃぃ!」



 そして暫らくもみ合ったあと。ノートを自分の手に取り返したアリスは、ベッドの上でいつの間にやら、後ろから包み込まれる体勢になっている自分を発見した。
「せやかて、あの頃は…… ホンマに辛かってんからな! なんや、もう」
 でも抜け出すつもりはない。久しぶりに感じる火村の体温、匂い、ため息が出るほど心地よくて。
「今は?」
「ん…?」
「今は、どうなんだ?」
 火村がわざと耳元で響かせるバリトンに、他愛なく白旗を揚げてしまう。
「今は…… ゴメンな? あの頃はただ一緒におれたらいいって、それだけを思ってたのになぁ…… 久々にこれ読んでて思い出したわ。堪忍な」
 1度臍を曲げるとなかなかに意地っ張りなアリスが思いがけなく見せた素直な様子に、火村は棚ぼたラッキーをありがたく頂戴したが、こちらはそれをわざわざ教えてやるほど素直でもなかった。
「…………殊勝すぎるのもつまんねえもんだな」
「なんやとぉー? せっかく人が謝ってんのに!」
 くわっと噛み付いてやろうと振り向いたアリスの目に映ったのは、からかう光こそあれ、めったに見られない柔らかくて深い、極上の微笑み。
「……なんや。ホンマは嬉しいんやんか。嘘吐きは閻魔さまに舌抜かれるで」
 一気に心拍数が跳ね上がった心臓を押さえて、なんとかいつもの軽口で返す。
 しかし言葉より先に、条件反射のように一気に紅潮した頬と、ぼうっと潤んだ瞳、そして力なく舌っ足らずな口調――全身で『見惚れてます!』と叫んでいるような状態――になってしまったことに、アリスは全く気づいていなかった。





「アリスからのこんな熱烈なラブレター、あの頃にもらいたかったな」
「……ラブレターやない」
「じゃあ、何だって言うんだ?」
「見れば判るやろ。日記や」
「ふーん?」
「……俺はラブレターは書かん」
「アリス?」
「……もう一生、ラブレターは書きたない」
「…………」
 俯いた頭を、黙ってぽんぽんと叩く手に優しさを感じて、アリスはその手に懐いた。
 あのことを話したことはない。火村に話してくれない部分があるように、自分にも話せないものはある。どこかへ行こうとしている人間を引き止めるために、何の力も持たなかったラブレター。
 同じことが再び繰り返されたとしたら。
 精一杯の勇気で大切な想いを伝えたのに、火村がそれを気にも止めずにどこかへ行ってしまったとしたら、アリスが受ける衝撃はあの時の比ではなかったろう。怖すぎて、2度と試してみる気にはなれない。
 でも……
 書かずにはいられなかった。自分の中に閉じ込めておくには、あまりにも大きくなりすぎてしまったから。
 手紙にして伝えることはできなかった。日記という形で、相手に届かない方法でしか遺せなかった想い。
 ―――今も、そうなのだろうか。この大切過ぎる人間が向こう側へ行こうとするとき、自分の想いを託した手紙くらいでは、まだ力不足なのだろうか……? 今も、怖くて、訊けない。

「けどやっぱり、知ってて欲しくなってん……」
「お前、わざと……?」
 火村の手に顔を埋めたまま、アリスは返事をしない。だがその耳が赤く染まるのを、火村はしっかり見てとった。この正直な告白に免じてそこにご褒美のキスを与え、アリスの首を竦めさせる火村だった。





「で、なんでこんなに散らかしてたんだよ」
「んー、長いことしまいっぱなしやったからな。やっと探し出してん」
「それでこの騒ぎか…… ったく、そんな大切なものでもなかったってことかね」
「ちゃうっ! けど、最近は読み返す必要ものうなってたから……」
「そんなモンに頼らなきゃなんねえほど、寂しい思いをさせたつもりはねえからな」
「阿呆っ、今日や今日! 今日は必要やった!」
 かぁぁっと赤くなってそっぽを向く姿は、ほとんど昔と変わらず火村を惹き付ける。全く、あの頃にこれを見せてくれてりゃ、その後の苦労はしなくてすんだのに……
「なぁ、読ませて貰えなかった10年前の俺が、罰としてアリスにお仕置きしたいって言ってるぜ」
「な、なに言うてんねん! たった今、読ましてやったやろ。今の君が、そいつをちゃんと押さえとかんかい」
「了解。ちなみに読ませてもらった今の俺としては、お礼にたっぷり可愛がってやりたいんだが」
「……そんなんせんでええ〜〜!」

 罰もお礼も、大した違いはなさそうだった………



12.3.4


バカップルの痴話喧嘩のまま突っ走る予定だったのに、途中であやしくなり、慌てて軌道修正。
どうも上手くいかないなぁ……(-_-;)


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