少しでも長く . | 注意 ネタバレ!!(朱色の研究) |
「なぁ、天王寺で降りへん?」
周参見からの帰り、私たちは来た時と同じ列車に2人で乗り込んだ。車で来ている誰かに乗せてもらうこともできたのだが――中村は便乗したが――これ以上関係者と一緒のドライブなんて、勘弁してもらいたくて。
詳しくは明日の午後、また大阪府警に出向くことになっている。
「今日は泊まっていかんの?」
「明日は月曜だ」
「そっか……」
あれは朝食のすぐあとのことだったのだが、もう時刻は夕方に近い。
まず船曳警部に連絡を取り、そちらからの指示で迎えを待ったり、説明したりしているうちに1日を費やしてしまった。昨日の幹部交番にも出向かないわけには行かなかったし、それなりにショックを受けているはずのあの子に、別荘にいる人たちへの対応を任せることもできなかったし。予定どおり昼すぎに到着した正明と真知は、またしても警察がうろうろしている光景にさぞかし吃驚したのだろうが、ちょっと静かにしてくれと言いたくなるような興奮具合だったし……
さすがに2時間半足らずの睡眠では、これ以上はもちそうにない。正直、もうくたくただった。
もうすぐ、また世界が朱く染まる。昨日海辺で見たような、圧倒されそうな日没は拝めないだろうが、今日のところはその方がいい。もう暫くは、夕焼けは見たくないような気分になっていた。
昨日は、あんなにも美しいと思うことができたのに。
私は今後、何も思わずに夕焼けを鑑賞することができるだろうか? こんな物悲しいような気分を思い出さないでいられるだろうか……?
「……何を考えてる?」
ずっと窓の外を見たままの私に、火村が声を掛けてきた。
「あ、いや……」
私は言葉を濁した。特に、落ち込んでいるわけでもなかったのだが―――
「お前は、あいつには似ちゃいないよ」
ぽつりと、火村が呟いた。
ああ、そうか。私が、あいつと自分が似てると言っていたから、気に掛けてくれていたんだ。
あいつは否定するだろうが、紛れもなく自分と似ている私を、あいつはどんな目で見ていたのだろう。自分から舞台に引っ張り込んでしまったことを、彼は後悔しただろうか。
自分勝手な、許されない動機。
他人には理解できないからこそ、あいつは『動機がない』側に分類されるはずだった。そんな彼の動機を、実感を持って理解してしまったおせっかいな私を。
しかし私は、あいつのことなんか今更どうでもいいのだ。
でもありがとな、火村。気に掛けてくれて。
嬉しかったので、少しサービスしてやることにする。
「そんなこと考えとったわけやないよ。考えてたのは…… 俺ら、根性あるんかなぁ、って」
「ん? ああ……」
六人部が言っていたこと。最近は、あるカップルの熱愛が1年も2年も継続していたら『根性あるな』って賞賛される、って。火村もすぐに思い当たったらしく、ニヤリと笑う。
「有栖川先生は、どうやら熱……」
私は咳払いで火村のセリフを遮る。
「ここがどこかを忘れんようにな」
ここは列車の中だ。まばらにではあるが、他の乗客もいる。
「……そういう状況にあると認めてくださってるわけだ」
「そうや」
私の答えがあまりにさらっとしすぎていたのか、火村が少し驚いた顔でこちらを見る。私は再び窓の外に視線を逸らした。火村相手に、今さら誤魔化したってしょうがない。知ってのとおりだ。君だって同じはずやろう?
二十歳で出会って、いつの間にか大切な存在になって―――
何年経っても、私は火村がとても大切だ。君が濁流に落ちたら、悲鳴を上げながら飛び込まずにはいられないくらいには。例え私の力が足りなくて助けられなくても、1人遺されるくらいなら一緒に溺れた方がいい。
「けど、ちゃうよな。根性の問題やない」
「手に入れたことに安心して、油断しきっているからだろう。続かないのは」
「ん……」
……そうやな。
いつまで経っても安心なんかできない。飽きたり冷めたりしているほどの余裕は、私にはない。
火村がいつまで隣にいてくれるのか、怖くてたまらない。……君は? 君も安心できてないんだろう? だから私のことを、あんなに飢えてるみたいに欲しがるんだ。
でも、火村が安心できないのは、私と同じ理由じゃない。火村はもう全部手に入れているはずだから。
私にはこのとおり謎なんかないし、手の内も火村には全部筒抜けだ。私がどんなにこの男を好きか、悔しいことに全部知られている。私が離れて行く心配なんてしていないはずだ。それを疑うなんて、私が許さないことを知っているから。
自分の方から、いつか離れなくてはと思ってるんだ。
『人を殺したいと思ったことがある』 そんな自分との決着がつけられない君は、研究を続け、犯罪者を狩り、私を近づけまいとする。たった――私に言わせれば――それっぽっちの理由で!
それが、悔しくてたまらない。それは私を遠ざける理由にはならない。
火村がいつか自分の中から引きずり出すだろう答えがどんなものであろうと、私は全然構わないのに。その時こそ、傍に居たいと希っているのに。
君は私が側にいるのを嫌がっている訳じゃない。怖がっているだけだ。だから私は、自分から食い付いていかなければならない。
火村だって、本当は離れたくなんかないくせに!
こんなんだから長続きしてるってか? 君が欲しくてたまらないのに、手に入らないから?
そして火村の方は、いつか私を手放さなければならないと思うからこその執着だと?
長く続かせるためには、ずっとこんな状態を続けなアカンのか?
私は君が欲しい。『知ること=手に入れること』ではないと頭では解っているつもりだが、火村のことならどんな些細なことでも知りたくてたまらない。
知りたくてうずうずしてるくせにずっと訊けずにいた夢の話を、火村は朱美の問いに答えるという形で、私に教えてくれた。その内容は、本当に他人に聞かせてもいいのかと、聞いた方が怖気づくほど酷いもので、でも私は今まで訊かなかったことを後悔した。そんなに酷い夢を見ていた火村を、私はずっと知らない顔をして、放っておいていたのだ。
水を飲みに行っているんだと思っていた。ついでに手と顔を洗っているのだと。そうではなかった。水を飲むのは、気を落ち付かせるために過ぎなかった。手を洗うことの方がメインだったのだ。朱く染まった、実際には何にも汚れてなどいない手を。
もう一歩踏み込んだ私の質問――お前は、夢の中で誰を殺すんだ?――に、当然のことながら火村は答えてはくれず、私はそれ以上追求できずにすごすごと話の矛先を逸らした。
私がもっと強かったら、火村に吐き出させてやることができただろうか? 自分の中の何かに怯える火村を、支えてやれるくらいに強かったら。
普段から火村に甘えたりしないで、しっかりしたところだけを火村に見せていたら……?
ふと、肩に重みを感じた。
私が話相手にならないせいだろうか、こちらに軽く寄りかかった火村が、意識を眠りに滑り込ませている。列車のほどよい揺れと単調な音。眠気と相性が良いそれらと、昨夜の睡眠時間を考えれば当然だろう。
その方がいい。暫く前から陽が傾き、夕方の色を撒き散らし始めた。
冬の初めの夕陽。冬至が近づいている。
闇が覆うスピードが早い分、残された僅かな時間で世界に自分の色を刻み込んでおかねばとでもいうように、今日もまた毒々しい光が放たれる。目を閉じた火村の顔も、いつもの白いジャケットも、だらんと投げ出された手も、朱く、照らし出されている。もちろん私も光の餌食だ。
そんな色に染め上げられた世界を、今は君に見せたくないから。
明日も講義があるため、火村は天王寺で途中下車することができない。
だったら私が京都まで乗って行こう。終点までなら、私も乗り越しを気にせずに、この朱に染まった世界から優しい眠りの中に入ることができる。
終点まで、火村が目を覚まさないといいな。そうしたらきっと、間抜けにも寝過ごした私を、火村は笑って下宿に招待してくれる。そして明日、火村の仕事が終わったら、オンポロベンツで大阪府警までドライブしよう。
目を閉じてみても、目蓋の裏まで透けて見えるようなオレンジの陽を感じる。それから逃れるように、私の肩にある火村の頭に自分の顔を寄せた。私たちは眠りこけているのだから、こんなに密着していてもしょうがないのだ。
そう世間に言い訳をしながら、私はすぐ近くで聞こえる火村の寝息に、自分の呼吸を合わせた。
H12.10.29
結論ナシ。またしてもグルグルするだけのアリス。
しかしグルグルが根底にあるからこそ、ヒムアリは切なくツボなのであります(オニ!)
鬱陶しい? 鬱陶しい? ごめんなさ〜い!。・゜゜・(>_<)・゜゜・。