トラブル (冬の話です……)
「まいったなぁ…… なんでやねん」
誰も返事はしてくれないのだが、私は思わず声に出していた。
「たまーに飯でも炊いたろと思ったのに」
一人暮しの癖にろくに自炊のできない私は、コンビニやスーパーの出来合いに頼ることが多い。だが白いご飯だけは、炊飯器という文明の利器のおかげで、私にも人並みに炊くことができていたのだ。
普段は。
どうにか締め切りを乗り切って、買い物にも行けずカップ麺とドリンク剤とで凌いだ日々に別れを告げ、久しぶりに人間らしい夕飯をとろうとしたところが……炊飯器のスイッチが入らない。
「なんでや。壊れてもうたんかなぁ」
自慢じゃないが酷使しているというほど使用頻度は高くない。
それとも甘やかしすぎなのだろうか……?
仕方がない。もう夕方だし、明日修理に出そう。
困ったのは既に研いでしまった米の行く末だ。とりあえず鍋に移し、水を入れて火にかける。思いついてその辺に転がっていた野菜も適当に入れてみる。味付けは…塩? 味噌? 醤油? ええいついでだ、コンソメも入れてしまえ。
「アリス風リゾットや」
女の子の喜びそうな命名の割に実際には見向きもされないような、なんとも形容し難いものが出来上がったが、構うものか。別に珍しいことではない。口の悪い友人がここにいたなら皮肉の嵐だったろうが、私は私の料理に寛大だ。食えりゃいいのだ。
ただ、その友人の手料理の味が恋しくなったことは、自分には誤魔化しようのない事実だった。
きちんと夜眠って、朝起きる。実に健康的だ。
久しぶりの朝の冷気が身に沁みて、急いでエアコンのスイッチを入れる。が……
「うそぉ……」
入らない。頑張って動こうとあがく音がすることはするのだが、ありがたい温風が出てきてくれることはなかった。
爽やかなはずの朝は一瞬にして崩れ去った。
「さむ……」
ごそごそとベッドに逆戻りする。まだ残る温もりにほっと息をつきながら、別の温もりがここにあったらな、などとふと考えてみたりする。
イカンイカン。
たかがエアコンの一つや二つ壊れたからって何を気弱になっているのだ。しっかりしろ、私。
さて、エアコンの修理を頼むにも、締め切り明けのこの部屋は汚すぎる。掃除をして溜まった洗濯物を片付け、買い物にも行かねばならない。
助手席に壊れた炊飯器を乗せ、空っぽの冷蔵庫の中身を補充すべく愛車に乗り込んだ。
スーパーで食料品を仕入れる。さあ次は電気屋へ
「え…………」
こんなことがあっていいのか。
車のエンジンが掛からないのだ。エンストではない。ギュルルルル……とものすごい音がするが、肝心のエンジンが掛かる気配はなかった。いつ寿命が来てもおかしくない貰い物の青い鳥ではあるが、なにもこんな日に壊れなくったっていいではないか。あいつのオンボロだってまだ頑張っているというのに。
天中殺、という古ーい単語が頭をよぎる。
「なんちゅう日や……」
私は泣きたくなった。
携帯で呼んだ修理屋に車が運ばれて行き、あとには荷物と私が残された。スーパーの袋はまだしも、炊飯器がなんとも情けなかった。マンガだったら、バックに枯葉が一枚風に舞っているところだろう。
電気屋へ足を伸ばす気力も失せ、とぼとぼと家に引き返す。
重い。くそ、こんなに買い込むんじゃなかった。
「……なにヨロヨロ歩いてんだ?」
見覚えのある車が私を追い越して止まったとき、私は目を疑った。窓が開き声が掛けられるまでの間、願望が幻覚を見せているのだと半ば本気で思っていた。
なんでこいつはこんなにいいタイミングで現れることができるのだろう。
「何だその大荷物は」
ドアが開くのももどかしく(自分では開けられなかった)天の助けとばかりに私は車に乗り込んだ。
もともと近所のスーパーである。炊飯器の話をしているうちにマンションに着いてしまった。手伝わせて荷物を運び、7階に着いて、話がようやくエアコンに及んだとたん火村の足が止まる。
「……さあて帰るかな」
「待てって。そんな冷たいこと言わんでもええやん」
「せっかく底冷えのする京都から出て来たっていうのにな」
「京都よりはマシや。多分」
「エアコンのない大阪より、ストーブもこたつもある京都のほうがマシだと思うがね」
「火村ぁ……」
部屋の中の冷え冷えとした空気に、火村はわざとのような大きなため息をついた。ため息をつきたいのはこちらも同じだ。判決を待つ気分で私はこわごわと顔を伺う。
「……二人で京都に避難するってのは?」
「エアコンの修理頼まなあかんやろ。それに、賞味期限今日までのがあるねん」
「20円引きにつられてんじゃねえよ」
その通りなのだが、自分だって普段は! ……と口に出すのは怖いので、とりあえず黙って買ったものを冷蔵庫にしまう。
ああ、原稿も上げて晴れて自由の身だというのに、なぜせっかくの火村の誘いを断らねばならない羽目に陥っているのだろう? 食べて眠って人心地ついたら、こちらから会いに行こうと思っていたのだ。それでなくてもトラブル続きで心がヨロヨロしているのだから、これ以上のダメージは与えないで欲しい。
本当は京都だろうがタンザニアだろうが、火村と一緒にいられるならどこにでも付いて行きたかった。
だがしかし。イカの刺身も中華サラダもいざとなれば捨てたって全然構わないが、春まで京都で過ごすわけにはいかない以上、エアコンの修理は急務だ。これでも一応社会人。凍えてワープロが打てないでは仕事にならないではないか。
「早いとこ電気屋に来てもらえよ。メシ食ったら移動するぞ」
「……それまで付き合うてくれるん?」
「せっかく来たってのに運転手と荷物持ちさせられただけじゃ、俺がかわいそうだろ」
……嬉しい。
嬉しい! 火村が一緒にいてくれる、それだけで今日という厄日もそんなに悪い日じゃないと思えてくるから我ながらなんと単純なのだろう。
どうしても緩んでしまう頬を見られたくなくて俯いていると、下から覗き込まれてニヤリと笑われた。
部品の取り寄せに4〜5日かかるというので、それまでの間、京都に避難することになった。ついでに炊飯器も持って行ってもらったし、車もその頃までには直ってくるだろう。
火村特製の煮込みうどんはすごく温まっておいしかったし、刺身もサラダも無駄になることはなかった。
そして今、私はベンツの助手席で運転する火村の横顔をこっそり眺めている。これから数日は火村の部屋で過ごすのだ。やろうと思えばいつだってできる事だが、理由がなければ普段そんなことはしないものだ。
今回は大義名分がある。
ばあちゃんと猫たちへのおみやげも持ったし、気分は修学旅行前の小学生のようにウキウキしていた。
今日はもしかして、いい日だったのかも知れない。
また、季節外れなものを……
てか、ほとんど実話(泣) ええ、2月の寒い時期に半月もエアコンなしで過ごしましたとも。
しかも、これだけでは終わらなかったのだった……
いいなぁ、アリスにはベンツに乗った王子さまがいて(笑)