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         Sweet Wind 注意 ネタバレ!!(スウェーデン館の謎)




 2日前には独りで分け入った膝まで雪に埋まる探勝路を、今朝は火村と2人で歩く。私は持参した、火村はペンションのオーナーに借りた長靴で。案内人としては甚だ頼りなく、またしてもペンションの絵地図を片手に、雪道の歩き方を火村にからかわれたりしながらの行軍だ。 
 あの夜に降った雪のおかげで積雪量は増えているはずだが、あの時ほど苦痛に感じないのは、一昨日私とヴェロニカが1度辿っているせいなのか、はたまた昨日からの好天で幾分かは溶けているのだろうか。

 歩き方のコツを掴んできたせいもあって、それほど汗だくにならないうちに、どうやら雪景色の中に毘沙門沼の蒼い輝きが見えてきた。
 逆さまの磐梯山が、今日も漣によって微妙な青や光と混ざり合いながら揺れている。
 京都から福島まで、はるばるやって来たのにトンボ返りになってしまう火村の、今回唯一の観光だ。
 私としては、見る角度、光の具合によって様々に変化する美しい色合いを楽しんで欲しかったところなのだが、火村は咥え煙草で湖面――あるいは彼だけに見える何か――を睨むように眺めながら、長い間じっと佇んでいた。火照った身体が、吹きぬける風の冷たさを思い出すくらいの時間。
「火村」
 漠然とした不安に、私は動こうとしない火村の袖を引く。
「何だ、どうかしたか?」
「いや……」
 どうかしたのは君の方やないんか? と訊きたいのに訊けなくて、私は内心舌打ちする。またいつものアレだ。
 何を考えてる?
 火村の内面に踏み込んでもいいものかどうか、私にはいつもいつも全く自信が持てない。




「俺を呼んだこと、後悔してるんじゃないのか? 迷宮入りした方がよかった、ってな」
「まさか!」
 私が彼をここに呼び寄せたのは、フィールドワークに立ち会いたいのもさることながら、私を歓待してくれた翌日に、恐ろしい事件に巻き込まれてしまったスウェーデン館の人々――主としてヴェロニカ――の不安を一刻も早く取り除いてやりたい、という気持ちが大きかったのは確かだ。
 私では力不足だが、火村ならきっと彼女らの助けになってくれるだろうと信じて。
 だからと言って、疚しい気持ちはなかったと思うのだが……
「アリスは面食いだからな」
 う。
「関係あるか!」
 誓ってそんなつもりはなかった、はずだ。……たぶん。
 まぁ、多少、美人に惹かれるのは事実だが、それくらいは大目に見てくれ。愛してるのは君だけやから。うん。
 ……何の話だ。

 火村は私の期待に応えて事件をスピード解決してくれたわけだが、こんな結末になろうとは、罪を犯した当人以外は予想もしていなかったに違いない。真実を火村が暴かなければ、こんな哀しい思いはしなくてすんだのかもしれない。
 でも、それとこれとは話が別だ。
 そんなことを怖れていたら、こいつのフィールドワークに立ち合うなんてできない。人が死ぬのに、辛くないケースなんてないから。
 彼女の心痛を取り除くことはできなかったとは言え、真実が解らないままよりはずっといいはずだ。少なくともペンションのあの子に取っては、火村が救いの神だったわけだし。

 それに。
「俺としては、君が昨日来てくれてよかったわ。今ごろ火村のヤツ、下宿を訪ねて来たカワイイ学生さんからチョコ貰ってるんやないかなー、ってヤキモキせんですんだからな」
「バーカ。だったらこんな日程で取材旅行なんて入れるなよ」
「んー。例え一緒にいたとして、目の前で渡されるんも、それはそれで辛いもんがあってなー」
 普段は甘い会話に不自由な私も、辛い話題を回避するためにならペラペラと口が回る。それを知ってて話に乗ってくれる火村は、昨夜食べたペッパァルカーカの効き目が早くも現れているのかもしれない。
「今日も休講やし、研究室の前に山んなってるかもな」
「持ってきたヤツには単位はやらんと言ってある。誰かさんが妬くからな」
「へーへー。お気遣いありがとうございマス」







 ルネが命を落とした沼のほとりに出る。
 白い雪に包まれた、輝くようなエメラルドブルーの小さな沼。
 虫取り網を持ち、笑顔で金色の髪を揺らす少年の幻影を追っていたせいで、うっかり聞き逃した君の呟きは、過ちを犯してしまった人を――自分も同じことをするかもしれないのに――糾弾したことへの自嘲か、それとも、ここで心を痛めているだろう幼い魂に対する謝罪だったろうか。

 火村が昨日、言ったこと。
 愛する人を守るためなら自分も何だってやるだろう、と。
 犯罪者は叩き落とす主義の君がそんなことを言うなんて、ビックリしたけど、でも。

 それは私のことだと自惚れてもいいかな?
 婆ちゃんのためでも教え子たちのためでもなく、ただ私ひとりのためだけにそうしてくれると。
 君にとって、罪を一緒に被ろうとするくらい大切な人が他にいたりしたら、私は嫉妬で死んでしまうかも。
 まさかそんな事態に陥ったりはしないけど、絶対にさせないけど、あの時、自分のことだと思い上がった私がすごく喜んでたなんて、君に知れたら怒られるかな? あの沈痛な雰囲気を一瞬忘れるほどに、嬉しさで舞い上がってしまっていたなんて。
 そのくらい、あの言葉は特別だった。そうだろう?







 帰りは冬の日本海の荒波を右手に眺めながら…… などと思っていたのだが、今となっては旅情なんて、もうどうでもいい。来たときと同じ最速ルートを選ぶ。一刻も早く帰りつきたい。
 快速から乗り換えた平日の新幹線の中は空いていた。適度に効いた暖房のおかげで、沼でかいた汗が冷えてしまうこともない。ほどなく私の意識はとろとろと溶けてきた。強行軍だった火村の方がきっと疲れているはずだと思うのだけれど、私ももう景色も見ないで眠ってしまいたかった。

 ああ、ペッパァルカーカが必要だったのは私の方だ。今回私は、火村に全然優しくない。
 私の頼みに応じてこんなところまで来てくれて、ちゃんと解決してくれた。それなのに私ときたら、礼も言わず、火村が見事に解き明かした真実に勝手にショックを受けて。
 着くまで何も考えずにひたすら眠っていたい、だなんて。
「ひむら」
「ん?」
「――――」
 何を言えば応えられるだろう。私のために風のように飛んできてくれた、何の力を借りなくても充分に優しい君に。
「寄ってくだろ?」
「……うん。そうする」
 火村は更に私を甘やかす。ダメだなぁと思いながらも、その誘いには抗いがたくて。
「ゴメンな……」
 甘えついでに肩に凭れると、頭上に吐息を感じた。それから火村の頭の重さが加わる。
 うん。眠る体勢はこれでヨシ。車内販売のお姉ちゃんの視線など知ったことか。
 触れた肩が温かい。このまま眠ったら、起きた時にはいつもの呑気な私に戻っていられるような気がする。京都に着いたら、火村に届いているであろうチョコレートと対決しなければならないのだ。それくらいの英気は養っておかなければ。
 うとうとと睡む。起きたらちゃんと火村に優しさを返せるよう、あの生姜クッキーの味を思い出しながら。




H15.3.15


ヤマなし、オチなし。
軽いバレンタインネタのつもりでスウェーデン館を持ち出しただけなのに、なぜにこんな話?

ところでアリスよ、通路を通るのは車内販売ばかりではないのだが……
はい、知ったこっちゃないですね。