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            クリスマスプレゼント




「クリスマスパーティ?」
「な、頼むわ。ウチ来て。このとおり!」
 12月中旬のある日。毎年恒例、下宿の玄関に置かれるツリーを飾りに来ていたアリスに、火村は拝み倒されていた。
「ご両親はクリスマスディナーが恒例じゃなかったのか?」
「その予定やってんけどな。親父のヤツ、24日から3日間急な出張入ったらしくて。そんでおかんが拗ねてもうて……」
 火村を呼んで、3人でパーティをすると言ってきかないのだという。


『ええよーだ。おとーちゃんがおらんでも、アタシらは家で楽しくパーティするもんねー』
『なんや、近所のオバちゃんらでも呼ぶ気か?』
 べーっと舌を出して子供のように拗ねる母親に、アリスは思わず軽口を挟んだ。こちらに火の粉が飛んでくるとも知らずに。
『アホか! そんなことよう言わんわ! クリスマスやのにおとうちゃんに見捨てられたやなんて、そんな情けないこと〜』
『ちょ、見捨てて行くわけやないねん。僕かておかあちゃんと一緒にクリスマスしたいわ。けど仕事なんや〜』
『せやからな、アリス』
 おろおろと泣きの入る父親を無視し、母はくるりとアリスに向き直った。
『お、俺か? 俺かって予定はあるんや! 大学生にもなって親と過ごすなんて甲斐性なしや言うたんは、そっちやんかー』
『……できたんか? 彼女』
『…………』
 返す言葉もない。情けない話だが、そんな甲斐性がたとえあったとしても、それを隠しておける訳がない、というところまで見抜かれている。
『アンタ去年もおととしも火村くんの下宿に入り浸りやないの。色気のない。今年もそうなんやろ? ええやんか。今年はウチに火村くん連れといで』
『えぇーー!?』
 何度も遊びに来ていて母親とは馴染みの火村ではあるが、さすがにアリスとしても、この拗ねた母親のはけ口に相手をさせるのは忍びないものがあった。
『な、なぁ、俺がおとんの代わりにディナー食ったらアカンの?』
『んーー、アリスとデートか? せや! どーせなら火村くんと2人で行きたいわぁ』
『『却下!』』
 アリスと父の声がハモった。



「頼む! 今おかんの機嫌を損ねると、お年玉の査定に響くねん〜」
 学生でいられるのも今のうち。お年玉を貰える最後のチャンスは最大限に生かさねば。
「つまり、お前は俺を売ったんだな」
 火村のご機嫌はあまりよろしくない。
 アリスがどう頑張っても母親に勝てないように、火村もまた彼女が少々苦手だ。アリスによく似たほややんとした外見とは裏腹な生粋の大阪のおばちゃん気質に、内心タジタジとなってしまう。
「売ったて…… なぁ、アカンか? おかんのケーキけっこう美味いねんで?」
「…………」
 自分の想いをうっかり自覚してしまったばかりの火村としては、ただでさえ、そんなことは思ってもみないであろうアリスへの応対だけで持て余しぎみであるのに、その母親にはどう接したらよいものか…… 対応に苦慮するところである。
「ばあちゃん! 今年のクリスマスイブは火村を借りて行きますー。せやからコイツの分の夕飯は心配せんとってな?」
「おい、俺がいつ……」
 優しいここの大家さんは、毎年クリスマスに予定のない店子のために夕食をご馳走してくれる。去年おととしと、ちゃっかりそこに混ざっていたアリスだったが、そういうわけで今年はメンバーから外れる。
「あらそぉ? そしたら今年は、みんな予定が入ったみたいやねぇ。おめでたいこと」
「え、そうなん? うわ火村、お前危うく、たった1人でばあちゃんに面倒掛けるとこやったなぁ」
「うるせー。そん時はどーせお前も一緒じゃねぇか」
「なんやとぉー」
 身体だけは一人前に大きく育っている2人の、子供のケンカのような言い種に、聞いている彼女はころころと笑い声を立てる。
「――なぁ? ええやろ? 決まりな」
 しかし惚れた弱みと言おうか、一生懸命にお願いするアリスは2割増しにかわいくて、火村はため息と共に白旗を揚げた。
「……明日の昼飯はお前の奢りな」
「……カレーでええ?」
 かくして火村は、へらりと笑ったアリスに150円で買われることとなった。
「あ。けどばあちゃんは? 独りで寂しいことない?」
「そうやねぇ。そしたら娘のとこにでも遊びに行こうかねぇ」
「あっ! ごめんな〜? もしかして、予定のない俺らのために、今までお孫さんたちとも会えんかったんじゃ……?」
「近いんやからいつでも会えるんよ。お正月にも遊びに行ってるし。……今度はお年玉だけやのうて、プレゼントも持ってかなねぇ」
 そう言って笑う彼女が、行かなくてもちゃんとプレゼントを贈っていることを、火村もアリスも承知していた。
「来年からも火村のことは俺が引き受けたるから、ばあちゃんは心置きなく娘さんとこ行ってきてな?」
「おい……」
 その言葉を聞いた火村がどんなに舞い上がり、またどれほど脱力したか、アリスは知らない。
「そぉ? ほんなら安心やねぇ。けど他の子ォは、みんな彼女とデートしに行かはるみたいやけど、あんたらそれでええのん?」
「あ……」
 そのもっともな一言でアリスは真っ白になり、何も考えていなかったのが丸わかりのアリスのそんな姿に、火村はガックリと肩を落とした。







 アリスに続いてドアをくぐるとすぐに、メルヘンな世界が火村の目に飛び込んできた。下駄箱の上に演出された、小さな白いツリーと木の人形たちのクリスマス風景。玄関の壁に飾られた、作り過ぎて部屋という部屋のドアに飾られているのだというリース。母親の手によることが明らかなそれらは、見ているだけで温かな何かに火村を誘い込んだ。
「メリークリスマス! いらっしゃい火村くん! 待ってたんよ〜」
 しかし作った本人に抱き付かんばかりに歓迎されて、ちょっと腰が退ける。
「……おじゃまします」
「んー、相変わらず男前やねぇ〜 火村くん1人、息子にオーダーしたいわぁ〜」
「もーイヤミやな〜 毎度毎度、俺の目の前でそういうこと……」
 そんな息子の愚痴に負ける母ではない。
「ああアリス、アンタは家入らんと、そのまんま鳥吉さん行って来て。いつものヤツ予約してあるから。それから角の酒屋さんでシャンパン2本な」
「えー、なんやねんな。朝のうちに言うといてくれれば寄ってきたのに。逆戻りやんか……」
「文句言わない。アンタが1番楽しみにしてるもんやないの。せーっかくアタシがご馳走作ってやってんのに、『おっちゃんの鳥やないとイヤや〜』って駄々こねて、ホンマに憎たらしい……」
 カレー味をつけて皮をパリパリに焼いた鶏のもも肉。大きなそれにかぶりつき、手をベタベタにしながら食べるのが、子供の頃のアリスの楽しみだった。
「いつの話やねん! 分かったからもう言うな」
「ほらほら、いつまでも玄関先で怒鳴っとったら恥かしいやないの! あ、火村くんにはお料理手伝うてもらうんやから、連れてったらアカンよ。有栖の10倍は役に立ってくれそうやもん。ホレ、早よ行った行った!」
 いつものことながら、火村が口を挟む隙もなく呆然とやり取りを聞いている間に、いかにも『すごすご』といった風情で、アリスはおつかいに派遣されて行った。
「さて、と……」
「何を手伝いましょう?」
 アリスの母親と2人残されて、火村は気を引き締めつつ向かい合った。
「いややわ〜 お客さんにホンマに手伝いなんかさせるワケないやないの〜」
「…………」
 手伝わせるのでないなら、いったい何をさせようと言うのか……
 火村はますます警戒度をアップしつつ、上機嫌で手招きする彼女の後をついて行った。



「これこれ〜 前から見せよう思っとったの〜」
 ウキウキと彼女がテーブルの上にどんと積み上げたのは、アリスが生まれた時からの大量のアルバム。
「あの子がいるとギャアギャアうるそうて見せられへんから。今のうちに見て見てー」
「…………」
 火村は何冊も積み上げられたアルバムの一冊を手に取る。おそらく幼稚園時代前後くらいなのだろうそれには、僅かに今の面影が感じられる写真がたくさん収められていた。
「これこれっ、これが今有栖が買いに行った鳥やねん」
 見せられた写真に思わず噴き出す。大きなクリスマスツリーをバックに、紙製の派手な三角帽子をかぶった幼いアリスが、手と口のまわりを脂で光らせながら肉に齧り付いていた。
 海水浴に栗拾い、七五三に入学式……
 『チーズ』で撮る写真が苦手なのは昔からだったようで、どれも引きつった顔で写っていたが、シャッターチャンスを逃さない両親の腕がよかったのか、レンズを意識しないスナップ写真には、極上の笑顔や大泣きしている姿、今と直結する生き生きとした表情がたくさん残されている。
 ふと、大きなダンボール箱で遊んでいる写真が貼られた『秘密基地』と題されたページで、火村はページをめくる指を止めた。
 ダンボール箱の中におもちゃをたくさん持ち込み、得意そうに笑っている写真
 側面に開けた穴から目だけをこっそりと覗かせて、隠れているつもりの写真。
 箱の中にすっぽりとはまり込んで眠っている写真。
 ……等々、なにやら子供の頃に飼っていた猫の仕草が思い出されて、火村は内心大ウケした。
「なー、かわええやろ? 私の自慢の息子やねーん」
「ええ……」
 本人に向かってはいつもボケ息子呼ばわりしているくせに、火村に対しては惚気話のように自慢する。アリスによく似た満面の笑顔で。
「どうや? どっかの写真コンテストとかに応募してたら、いいとこ行ってたかもしれんと思わん?」
「……そうですね」
 本当に。
 どの写真も、両親の愛情をいっぱいに受け、幸せが滲み出ているようなものばかり。だからアリスはああなのだと、否応なく納得させられるような。
「んふふー、気分ええわぁ。よっぽどの親バカみたいで、ご近所さんとかにはこんなこと言われへんもん。その点火村くんなら解ってくれると思ててん〜」
「はぁ……」
 確かに誰よりも共感できる。客観的評価とは言い難いが。

「それでな火村君、ものは相談なんやけどな」
「はい」
「あの子男やけど、私に似て色白でかわええやろ?」
「…はい」
「貰ってくれる気ィ、ない?」
「……はい?」





 さすがの火村も、暫し真っ白になってしまったとしても仕方がないであろう。
「なぁ火村くん。どう?」
「どう、って、言われましても……」
 内心うろたえまくって、視線と指先が落ち付かなく泳ぐ。無意識に煙草を欲していることに、2人同時に気がついた。
「ええよ? 吸うても」
「でも、お嫌いなのでしょう? この家は禁煙だと伺いましたが」
「そうよー、おとうちゃんにも『結婚する条件や!』言うて止めさせてん。嫌いっていうより、身体が心配やからね。けどアタシの実家に挨拶に行ったときなぁ、途中で、『頼むから1本吸わせてくれ』って…… アタシが側におるのに煙草の力を借りんと安心できへんなんて、ちょお悔しかってんけど、そんなに緊張してるんかと思うたら可愛くて、ねぇ?」
「…………」
 それは今の自分もそう思われているということだろうか……?
 火村は内心の冷汗が額にも滲みそうなのを感じていた。切実にニコチンの力を借りたかった。この人はいったいどこまで本気なのだろうかと、又はどこまでが冗談なのだろうと測りかね、自分の気持ちを知った上で言っているのだろうかと、本気で焦った。
「火村くんが貰うてくれへんのやったら、あの子甲斐性ないさかい、見合い写真バラ撒いて売り込みせなあかんねんけど…… どの写真がいいかしらね?」
「……っ」
 一番最近のアルバムをめくりながらのにっこり笑顔のその奥に、火村は自分が普段よくやる笑いを見たような気がした。



「――要らん?」
「――――イリマス」




「きゃー、やっぱし? 嬉し〜! 君は今日から私の息子や〜」
 言ってしまった……
 手を打ち合わせてはしゃぐ義母(笑)を余所に、火村は額に手を当てて、取り返しのつかない一言を噛み締めていた。このノリにつられてつい言ってしまった。せっかく許可どころか推薦までしていただいたが、晴れてこの人の息子になるには、そのためのハードルを自分はまだ何ひとつクリアしていないのだと、その長い長い道程を思ってため息が漏れた。
「火村くん、大丈夫かー? ホンマに吸うてもええのよ?」
「生憎と、今日は持ってこなかったので。持っていると吸いたくなりますから」
「あらあら。ちょお待っててな?」
 彼女は火村を置いて部屋を出ると、暫くして戻ってきた。
「じゃーん。おとうちゃんの隠しタバコや。……1本だけな?」
「すみません。いただきます」
 火をつけた煙草は愛用のキャメルよりはるかに軽かったが、火村はこれが精神安定剤であるかのように、煙を肺のすみずみまで行き渡らせるよう、思いきり深く吸い込んだ。



「そしたらアリスが戻ったらすぐ乾杯しよな? アルコールが入れば、ちょっとは紛れるやろ?」
「あの、ですが……」
「まだあの子には何も言うてへんのやろ? わかってますー。もうどうにかなってるんやったら、あの有栖が火村くん呼んで、アタシの前で平然としてられるワケあれへん」
 直ぐにでも祝杯を上げそうな彼女を火村は慌てて押し留めようとしたが、さすが年の功というべきか、相手の方が一枚上手なのだった。
「ダイジョーブ。アタシから言うたりせえへんから。心配せんでも、そんなおしゃべりな人間やないで」
「…………」
 ここはツッコむところや! というアリスの声が、火村の耳に聞こえたような気がした。
「その代わり、うまいこと有栖をオトシたら真っ先に報告してな〜 約束やで?」
「は、はぁ……」
「んふふ〜 アタシから火村くんへのクリスマスプレゼントや。大事にしたってなー」
「…………」
「ハイって言いなさい」
「は、はい。――もちろん」
 にっこりと。無理矢理言わせた言葉ではあるが、火村の返事を聞いて、彼女は本当に嬉しそうに笑った。
「そんで、アタシへのプレゼントは火村くんな? んー、前から息子に欲しかってん〜」
「アリスだけ、もらわれ損のような気がしますが……」
「なーに言うてるの。あの子はアタシら2人からの愛情を一身に集めとるんやで? 1番の幸せ者やんか!」
 そうとも言える、か……?
 乾杯する前から実はアルコールが入っているのかと疑いたくなるような論理だが、そんなところもアリスに似ているような気がする。そう思うと、彼女への苦手意識が少しは軽くなるように火村には感じられた。失えない物なんて作るつもりはなかった。人に執着するなんて、人を愛することができるなんて思ってもいなかったのに。ましてや想いを向けた相手を幸せにすることができるか、なんて。でも、この論理に従えば。
 隠し通すしか選択肢はないと考えていた火村だが、目からウロコが落ちたような思いだった。
 いつか、告げてもいいのだろうか。いつの日かアリスに応えてもらえるよう、アリスから欲しがってもらえるよう、頑張ってみてもいいのだろうか……
「……努力しますよ。そう実感してもらえる日がくるように」
「頑張ってや? それまでは火村くんとアタシだけのヒミツのお約束ね?」
 ここにきてから初めて、火村は彼女と目を合わせて笑うことができた。





「ただいまー、買うてきたでー」
 バタバタと賑やかな音を立ててアリスが帰ってきた。足音がキッチンを経由して、寒さで鼻と頬を赤くしたアリスがリビングに顔を覗かせる。
「ここにおった…… あー! コラ、何見てんねん!!」
 2人の前に積まれたアルバム。それを見付けたアリスは急いで没収しようと、火村の膝に広げられたアルバムを取り上げるため手を伸ばしてくる。
「待った待った。まだここまでしかしか見てねぇんだよ」
「それだけで充分や! 返せ!」
「やだね」
 自分の知らない、昔のアリス。
 目の前のアリスだけでなく、昔のアリスも知りたい。
「お前、幼稚園のころからあんまし変わってねぇのな」
「どこがじゃーっ!」
 そして、これからのアリスも―――

 この頃は、たぶん自分も幸せな子供だった。そんな思い出は全て、アルバムと一緒に実家に置いてきてしまったけれど…… アリスにとっては、今に至るまで途切れることなく積み上げられ続けている。無意識に受け取り、与えている暖かなもの。
 それを引き継ぐことができたら。
 これからは、自分が積み上げていくことができたら―――
 そんな新たな野望を抱きながら、火村はギャアギャアうるさいアリスと攻防戦を繰り広げた。
「有栖。それ全部見せ終わるまで、乾杯はおあずけやで」
 アリスの母親の、鶴の一声があるまで。

H12.12.24


        しまった。冗談と思わせなきゃいけなかったのに、火村くん、かなり本気に受け取っちゃってますね。
        自分で書いておきながらなんですが、この母もいったい何を考えているのやら……(^-^;)

        ばあちゃん好きなのに〜。京都弁〜(泣) わからーん。ガクリ。