ファーストクリスマス (まんまやん……)
「おいどうした。具合でも悪いのか?」
学生食堂に向かう途中、火村はどよーんとした空気をまとって猫背で歩くアリスを見つけて、声を掛けた。
「あ、ひむらー。聞いてや! イブの日にな……」
要するに、クリスマスイブに両親が夫婦水入らずでディナーに出掛けることを告げられ、自分は置いてきぼりだというので、すっかり拗ねているらしい。
「いつも家族で過ごしてたのか?」
「? うん。ウチでケーキ食って終わりやけどな」
「……ふうん」
当然のように返すアリスに、火村はちょっと言葉に詰まった。普通大学生ともなれば、家族と一緒に過ごす方が珍しいのではないだろうか。
『てっきり彼女と一緒やと思っとったわ』
『大学生にもなって、まさかクリスマスに1人やとは思わんもん』
「……なんて言うんや。そんなもんおらんて知っとるくせにやで! 腹立つわ〜」
プリプリ怒りながら、食券を買う列に並ぶ。
「いいもん。彼女へのプレゼント買うために節約する必要なくて、大助かりや!」
負け惜しみも空しいアリスの今日の昼食のメニューは、奮発してカツカレーだ。
「君は? 何か予定あるんか?」
「いや。……ああ、婆ちゃんが予定のない人は夕飯を一緒にどうぞって言ってくれてたな。毎年のことらしい」
「婆ちゃんもそら大変やなぁ。寂しい寂しいかいしょーなし共のために、毎年……」
「自分だってその1人じゃねえか。なんなら一緒に来るか? 婆ちゃんに言っといてやるよ。アリス1人くらいなら平気だろう」
そう言うついでに、火村は具の乏しいうどんの丼からアリスの皿に目を移し、ひょいとカツを一切れ失敬した。
「あっ、どろぼー」
「プレゼントの必要がなくても、今ちょっと金欠なんだよ。協力してくれ。……それより、午後は暇なんだろ? 一緒に下宿に来いよ。手伝ってくれ」
「なんやその言い草は。働かせるつもりならもっと丁寧に頼まんかい」
「お前にぴったりの仕事がある。アリス以上に似合うヤツは思いつかねえよ」
「うわぁ、これもみの木やったん? 本物やぁ!」
庭の隅、自転車置き場の端に、1本の木が植わった大きな鉢がでんと置いてあるのをアリスは知ってはいたが、それほど意識して見たことはなかった。
「クリスマスツリーやったんかぁ……」
「ボケっと見てんじゃねぇ、そっち持て」
「え、え、どこ持ってくん?」
「玄関の中だ。行くぞ、せえのっ!」
昔、小さな鉢植えを当時の学生の誰かが買ってきたのだそうだ。初めは下駄箱の上にも乗るくらいの大きさだったらしいが、さすがに本物は少しずつ成長し、だんだん大きな鉢に植え替えられ、今では婆ちゃん1人ではどうにもならない大きさにまで育っていた。しかし幸いここでは男手には不自由しないため、毎年この時期になると庭の隅から玄関に移動され、ヤローばかりのむさくるしい下宿屋を、期間限定で華やかに彩って来たのだという。
「ほらよ、お楽しみだ」
と言って火村が婆ちゃんと一緒に持ってきたのは、飾り付け用のオーナメント。
「うわー、いっぱいあるなぁ。なぁなぁ、てっぺんの星は俺が飾ってもええ?」
ワクワクと期待に満ちた声で訊かれてしまっては、よほどの希望者がない限りはダメとは言われないだろう。
「だからお前にぴったりだと言っただろう」
「確かに、君には似合わんわなぁ」
「うるせえ」
「俺、いっぺんこんな大きなツリー飾ってみたかったんや〜」
アリスのウキウキと弾んだ声は、聞く者をほのぼのさせてしまう力があるようだった。
「有栖川さん、子供みたいですなぁ」
婆ちゃんにニコニコと言われて、さすがに顔を赤くする。
「せやかて……」
有栖川家のツリーは母の趣味で何年か前に、白1色の小さくてシンプルなものに買い替えられてしまったのだ。真っ白なツリーに細い金のチェーンで連なった小さなオーナメント。アクセントに、てっぺんにちょこんと付けられた真っ赤なリボン。それを取り囲むように置かれた、木製の小さな人形たち。
母の手によって下駄箱の上に演出されるメルヘンの世界は、作り過ぎてトイレのドアにまで掛けられるリース共々とても微笑ましいものだったが、やはり子供の頃に家族で飾った楽しさを思うと、何か物足りないものを感じていたのだ。
たとえちょっとくらいゴテゴテしようとも、キラキラと華やかにみんなで飾り付ける方が楽しいのに、とアリスは思う。金銀のモールに5色に光るライト。カラフルな星やボール。これまたいつの間にやら増えていたという、家やリンゴやプレゼントを模ったオーナメント。小さなクマやサンタの人形……吊るす場所がなくなるくらいに、ありったけ飾ろう。
「……ヘタクソ」
アリスの乗せた綿の雪を見て、火村が笑う。火村がふわっとそれらしい形に仕上げているのに対して、アリスの降らせた方はボテっとして、どう見ても綿の固まりでしかない。
「道産子の君には、かなわんでもしゃあないやん」
「そういう問題かよ」
仕上げに、最後のお楽しみにとっておいた星を、てっぺんに飾って。
「できたーー!」
「ほら、それ寄越せ」
火村がコンセントを差し込むと、ライトが次々に点滅し、まだ昼間なのにも関わらず、充分にそれらしくなった。
「あら、きれいにできましたなぁ。さぁさ、玄関先で冷えたやろ。こっち来て、お茶飲んでってな」
「わーい。婆ちゃん、ありがとー」
ほくほくと嬉しそうなアリスに、空き箱を片付けながら火村は苦笑した。すっかり機嫌は直っているようだった。
そしてクリスマスイブ。
他に予定のない甲斐性無しは、火村の他に2人もいた。年によっては自慢げに女の子を連れて来るヤツもいたりするそうだが、今年は正真正銘独り者の侘しい連中ばかり。
食事だけという婆ちゃんの心遣いは、さすがだとアリスは思った。婆ちゃん本人は結構楽しみにしているようだったが、大げさにパーティと銘打ってしまえば、予定のある人まで拘束することになってしまうから。
『青春大いに結構。せっかくできたガールフレンド、もちろんそっちを優先せなあきまへんえ』
――婆ちゃんはそういう人だ。
ばあちゃんの心尽くしの鳥を使った料理と(和食だが)、買ってきたケーキにノンアルコールのシャンメリーまで残さずきれいに片付けた。さすが育ち盛りのヤローどもだ。
『男は甘い物が嫌い』などという通説は、女の子の前でのポーズでしかないようだった。少なくとも、ここの下宿人達に関しては。さすが婆ちゃんはよく解っていらっしゃる。もちろんアリスもケーキは大好きだ。
「では改めて、乾杯」
「メリークリスマース!」
火村の部屋に引き上げ、アリスが手土産に持ってきたワインで乾杯する。安物ではあるが、普段のビールよりはちょっぴり贅沢気分。せっかく婆ちゃんが作ろうとしてくれた休肝日だが、まぁ野郎の泊まり込みといえば、アルコールは欠かせないものだろう。
「でも意外やな。君とクリスマスを祝えるとは思ってなかった」
「そうか? アリスは人一倍こういうのが好きだと思ってたよ」
「うん、好きー。…やなくて、俺は好きやけど、君は普段から神様なんておらんて言うてるやんか。せやから、クリスマスなんかも嫌いなんかと思っとった……」
「まぁ日本だからな。宗教色なんてほとんど消えてるだろう。お祝いだプレゼントだって騒ぎは遠慮するが、美味い物が食えるのは歓迎する」
「そっか、よかった。じゃあ、もし万一来年もあぶれとったら、一緒にメシ食おうな」
「あぶれてる方に100円」
「……ぜーったい彼女作ったるぅ!」
お互いが、この先ずーっと一緒に過ごしたいと思う相手になろうなどとは、まだ思ってもいなかった頃の、最初のクリスマスの話―――
H11.12.24
おお、私にしては珍しく季節ネタ。よく間に合ったじゃないか!(自画自賛)
ちっとも甘くも何ともないものになってしまいましたが……
ところで、どうしてどちら様もクリスマスなお話は期間限定なんですか〜? ずっと置いといて欲しいよぅ〜(>_<)