これはもう、まさにアバターコースの神髄だ!
ザ・サード・ミレニアム 徳間書店刊 ケン・ケアリー著 より一部抜粋
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この本を読んでいる間、気持ちを楽にして、ひとまず自分は何者か
という考えを忘れましょう。
これまであなたをしばってきた歴史的な制約は役に立ちません。
そんなものは、役に立ったためしがないのです。
あなたが時という概念で限定してきたあなたの永遠性は、
時よりもはるかに偉大です。
あなたのすべてを、自分で創り上げた牢獄の中から解き放ちなさい。
一瞬ごとの認識を、もっと自由な思考の中にめぐらせなさい。
そうすれば、これまでと同じように、私たちはまた一つになることが
できるのです。
あなたは、永遠の認識の中に住まう地球上の一機関として、
自分の身体を創りました。エネルギーのスペクトルの一部を解釈する
ために目を、その別の一部を解釈するために耳を創りました。
また、生き物の衣をまとえば物質的な次元をよりよく監視できるし、
影響も与えられるだろうと考えて、時に向かって開く窓として
五感を創りました。
でも五感で感じた素晴らしいものと、情報として受け取ったものを
混同してはいけません。
そんなことで自分の本質を混乱させて、文明の幻想の中で
眠っている暇は無いのです。あなたの期限は、この宇宙の源である
「永遠の存在」にあります。それを忘れて自分自身を定義したり、
これまでずっと歴史のテーマになってきたように、
絶対的な「他者」が周囲にいるとして自分の精神性を遠ざけたり
していると、物質界の幻想が重くのしかかってきます。
もともとエネルギーをもたせるために与えられた力が
あなたの認識をしばり、制限するのです。
あなたは快活さを失い、表情も暗くなります。
孤立した中で感情がぼやけ、ヴィジョンもくもってしまいます。
自分が偉大なる源と一体であることを忘れて自分を限定する人は、
物質が重力によって下に落ちるように、自分の考えで下に引かれます。
このように自分自身について誤った考えを持つようになった最初の
「自我(エゴ)」に対して、次のようなことがいわれました。
「塵にすぎないお前は塵に返る」(旧約聖書創世記三章十九節)
何故なら、スピリットが人間の身体の中で生きようとしている現実を
否定する者の心の中では、すべての思想は塵に等しいのです。
自分が孤立しているものと考えると、感覚は惑わされ、
目が見えなくなります。
そのため住んでいる宇宙のごく限られた部分しか認識できません。
文明社会の幻想があなたの現実となり、あなたは感じるすべて
のものにフィルターをかけられ、誤った解釈をさせられてしまいます。
幻想は曇ったガラスのようにあなたの前に立ちはだかって、
自己や世界の解釈を妨げます。すると、永遠の起源を持つ
という認識がなくなって、自分がよくわからなくなるのです。
そしてしだいに、人間とは霊性も無く、しばしば相反する自己認識と
幻想とをつきまぜたものだと考えるようになりました。
永遠の存在からの振動は、昔からの先入観によって
さえぎられているのです。
次元を超えたリアリティの認識を妨げているのは、
ごく薄いヴェールだけですが、その薄いヴェールが
あなたの永遠の自己を見えなくしているのです。
それを取り去るのに、難しい技術や儀式はいりません。
ただ、あらゆる生命の源から常にあなたのもとへと流れてくる
認識の生きた流れに心を開けばいいのです。
強い生命の力が十分に認識できるようになったら、
あなたはもはや昨日の経験という静止したイメージに限定されず、
ひろい世界に活発に参加できます。すると不断の創造こそが
物質世界の大きな目的であり喜びであることを理解し、
自分がその創造に携わるエージェントになったことがわかるでしょう。
心を開いて強い生命の力を認識するするのは、リラックスするのと
同じように簡単ですが、潜在意識の中ではいつもなじみの状態に
戻ろうとするので、心を開いているためには努力していなければ
なりません。けれども、本当にリアリティを切に望むなら、
難しいことではありません。
永遠の霊(スピリット)の体験して得られる自己認識は、
生きていて流動的で自然です。
あなたは目にするものすべての創造主です。
あなたも知っているように、あなたの身体は実に見事な生物体の
回路の構造をもつ組織であって、あなたのヴィジョンを
この物質世界に投影し意識を環境の焦点に直接結ばせるように
デザインされています。また、あなたは普遍的な「ひとつなる存在」
の表現のひとつであること、今その存在の意識は人類の中で
目覚めつつあり、あなたは地上におけるその身体の細胞の
ひとつであること、その意識は究極的には自分自身の意識である
ことも、すべて理解しているはずです。
今あなたはこれらの言葉を、あなた自身の個別化された認識を
通して読んでいますが、その個がなくなっても「あなた」という存在が
なくなることはありません。
あなたはあらゆる個の背後にある存在であり、それらすべての中に、
またそれを超えたところにある認識なのです。
あなたはそれを霊(スピリット)によって知っています。
個人の形をしながらそれを悟るのが、意識しているということです。
それに対して潜在意識とは、自分が個それ自体の中心であると
考えること、すなわち自分は形であり、それを活動させる
霊(スピリット)ではないと考えることです。
人格化された永遠の認識(あなたの本質的な認識)が
他のものと関係をもった時には、自己同一性(self-identity)
という形をとって、そのあいだ創造性と喜びを最大限に
活用しようとします。環境によってその中に生育する植物が
形作られるように健全な霊的(スピリチュアル)存在となるための
アイデンティティは、関係によって形成されます。
関係は常に変わっていますから、健全なアイデンティティも
絶えず変わり、創造的な交換にふさわしい形をとろうとして
瞬間ごとに流動しています。
健全な状態では、アイデンティティの継続は外形のレベルではなく、
スピリットのレベルで起こります。
あなたが、自分の永遠の資質を認識できずに分離という幻想に
陥ってしまった原因となるのは、ひとつの出来事だけではありません。
最初は気付かないようなことから徐々に起こったのです。
それはある特定のアイデンティティを創り上げ、その経験の役割が
終わった後まで維持しようとした時から始まりました。
過去にとらわれたままのアイデンティティを現在の経験に
持ち込もうとしたために、新しい瞬間に対する感受性が鈍ったのです。
新しい関係はもはやあなたの自己の感覚を、よい相互作用を
してくれるアイデンティティに導くことができないのです。
その結果、認識の明晰さが失われると共に、
あなたの実在そのものが薄くなってしまいました。
あなたはすぐに「自分はこういう人間だった」というような
過去の記憶に基づくアイデンティティを意識的に維持
しなければならないことに気付きました。
特に努力しなくても形成されたり消滅したりする自然で健全な
アイデンティティとちがい、過去に根ざす気まぐれな自己の感覚は
このように支えが必要なのです。あなたは自分というものを、
より深刻に考えるようになりました。
あなたは自分自身について外形に重きを置き、その後ろにある
スピリットを軽んじるようになりました。必要以上に個としての
アイデンティティに執着することになったのです。
そしてある重要なものを見落としました。それぞれの場合に応じて、
[個としての自己の資質を完璧に表現する能力が、
自分にあることを忘れたのです。
そもそも堕落とは何かを正しく認識することが必要です。
それは信頼の欠如で、あたりまえの習慣のようになって
各世代に次々と送られてきたものです。
堕落というのは、あなたが人生のいろいろな問題を創造的に
解決していく能力を疑ったり、持って生まれた理解力に背を向けて、
歴史の中で生まれたもろもろの神の押し付ける
安っぽい像や信念を信じようとするたびに起こるものです。
歴史の中には、人間のスピリットにとって危険であったり、
あなたの永遠の資質と相容れない偽りの神や方向付けをする型
というような多くの神が存在してきました。その主なものは、
怖れや理屈、社会的な因習や伝統などです。
それぞれあなたにとっては大切で役に立つでしょうが、あなたが
それに服従するようになると、とたんに破壊的なものになります。
歴史の中にもろもろの神として出没する方向付けの型は、
物質化の力に支配された者の認識よって過度に影響され、
悪になった善なのです。
物質化の力に意識が支配されると、人間の知覚は曇ります。
その呪縛を受けた人は、もはやものをはっきり見ることができません。
彼らは行動の手引きとして時には有用な伝統などを
自分たちの生活の中に取り入れて、やがて同化してしまいます。
意識して使えば便利なように創られたものが、膨張して
機構そのものとなり、彼等の行動をすべて支配するようになります。
物質化の力は、置くべきところにおかれれば悪いものではない
のですが、意識した存在がたまたま潜在意識の中を覗いたりすると、
怖れに支配される偽りの流れにさらされてしまいます。
そこは地獄のようです。何故なら、潜在意識の創りだす認識は
正反対で、愛の中で生きてきた存在が恐怖に追われて
生きることになるからです。
人にはこのような潜在意識に中に入っていく特権もあります。
ところが、そうすると近くの全域を含まない認識のパターン、
専門用語を使うとサブヒューマン(人間以下の認識)のパターンに
閉じ込められてしまうのです。
あなたの行動の選択には、灰色の領域は無いのです。
そこにはあなたが機能するように設定された特別の周波数
というものがあるのです。それはあなたに固有のもので、
ほかの人には他に固有の周波数があります。
あなたはその周波数で機能するかしないかのどちらかです。
自分のために設定されたのではない周波数を勝手に使おうとすると、
自由ではなく、束縛が生じます。
恐怖に根ざした概念やイデオロギーや、表面的には自由裁量
によって守られ恐怖に根ざしているようには見えない信条でさえも、
永遠のひかりの放出を妨げる盾となります。それらは信じている人を
取り囲んで、事実上目には見えない強力な柵やドームを築き、
普遍的な思考の流れをさえぎってしまいます。
そのような考えによって、人は本来の自分になるために必要な
洞察力を与えてくれる認識の周波数を認めることができなくなるのです。
イデオロギーは有毒です。認識や幸せを毒します。
自由という名のもとに宗教やイデオロギーの教義を選ぶことは、
牢獄につながれた人が牢獄に残る権利を行使するようなもので、
実にばかげています。束縛を選ぶのもこれまでによくあった伝統的な
選択ですが、やはり破滅的なことです。それは意識よりも潜在意識を、
永遠の生命よりもこの世的な限りあるものを選ぼうとするもので、
人類の歴史においてあらゆる悲しみや苦しみを引き起こした
選択なのです。
個人がなしうる決断の中でもっとも破壊的なのは、
自分自身の意思決定の権限を放棄することです。
言語の呪縛にかかって眠っている人はシンボリズム(象徴主義)
という独特な方法で自分を制限し、盲点を抱え込み、
偏見に満ちています。シンボリズムでは、せいぜい考案した人の
意識を伝えることしかできません。それなのに、
かれらは言葉によって概念的に理解しなければ、
理解したとはいえないと思っているのです。
理解したことは象徴化してある程度まで言葉によって伝達できます
が、理解そのものには言語は必要ありません。
それは鳥には鳥かごがいらないのと同じです。
理解は経験によってのみ得られるのです。
言語とはあなたの創造的な活動の中で、光や音を使って
美と恩寵を形づくる道具として使われるはずのものでしたが、
古代の人々が、信仰に関することまで言葉に表そうとした時から、
言語はあなた方を規定し制限を加えて、
言語を生んだ文化という狭い牢獄に閉じ込めたのです。
主義信条と言うのは思想が言語によって構成されたもので、
幻想に過ぎないのですが、これがあなたの認識を制限してきました。
言葉でできた鳥かごであり、つくった者を閉じ込めます。
はっきりと真実を映し出す洞察力でさえ、これにかかったら
生き延びられません。真実をしっかり保存しようとする試みが、
逆に、生きた天性を失わせるのです。
あなたが苦労してしっかりと保持しておこうとするものは、
真実ではないのです。真実は常にあなたのところに在ります。
そのほかにはありえません。
あなたはこのメッセージを、昔の人々のように、理性で分析したり
類別したりして研究する必要はありません。
梯子の段の上で止まってしまう人も、梯子を一緒にかついでいこう
という人も、同じようにおろかです。そのような考えに出会ったら、
あなたはその考えをきっかけとして自分の認識を見直し、
先へ進めるようにすればよいのです。
何とか理解しようと苦しんだりしないように。
知的な努力は機械的な訓練をする場合には意味がありますが、
スピリチュアルな認識を得ようとする場合には無意味です。
なぜならスピリチュアルな認識は、自我の努力がやんで、
あるがままの原点の自分を受け入れたときに与えられるからです。
肩肘張らずに自分を受け入れれば、間違いなく悟りが得られるでしょう。
泉の水が底から水面に上がってくるように、理解が現れます。
理解はあなたの思考の表面を探しているのです。
この表面を自信喪失という油っぽい不純物で鈍感にしたり、
イデオロギーという氷のかけらで覆ったりしなければ、
理解はあなたに訪れます。それは枯れることの無い泉なのです。
覚醒に導く心理的な過程はいろいろに表現できますが、
基本的には、自分は何者であるかというアイデンティティの
認識の変化です。すなわち自分は自我にしっかり根をおろした
傷つきやすい存在だと言葉で定義した自己の感覚から、
自分はすべての個人の中にもうしろにもある意識の統一の場に
根ざしている存在だと言う自己の認識に変わることです。
この過程で、あなたの自己の感覚は開かれて、
自分が何者であるかをはっきりと認識するでしょう。
変化したこの認識には、多くの中のひとつという以前の感覚も
含まれるでしょうが、そこにはまた、常に変わる形ある世界よりも
大きなリアリティの認識、つまり、すべての個体の源である
ただ一つの「永遠の存在」に根ざした認識があるのです。
この認識に目覚めるにつれ、あなたは自分が多くの中のひとつ
であると同時に、多くのものの源にいるひとつである事が
わかってきます。この認識が無ければ、本当の個人であることは
できないのです。
この認識をもたなければ、あなたは人間の文化によってプログラム
された隠れた可能性を持つ産物であるだけです。
あなたの選択はいつも大事にされることを覚えておきなさい。
もしあなたが本物よりも虚像を重んじるなら、
あなたが経験するのは虚像になります。
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