ふうちゃんのアバター体験記
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です!
この体験記の使用上の注意:
もし貴方がこれからアバターコースを受講する予定でしたら、この体験記の記憶は消してから受講することをお薦めします。何故なら、貴方には貴方だけの気付きがあるからです。どこでどういう気付きがあるかは、人により違いますので、是非御自分で経験なさる事をお薦めいたします。by fu-chan 4/29 **************************
今日、アバターコース1”リサーフェシング”の初日でした。
何が始まるのか、ドキドキしながらいきました。
ワークショップの内容は、じつに地味で、ワークブックの設問に答えて
そこから何が読み取れるか、というものでした。
もちろん、アバターマスターとの共同作業なんですが、マスターは
ヒントすらも与えてくれません。
ただ僕の”気付き”が、進んでいるかのチェックのみです。
どうしてもわからないとき、例えば、設問が何を聞いているのかわからない
様なときにのみ手助けしてくれます。
それで何が起こったって?
もう、うげげげ の世界でした。
自分がどんな”信念”をもって生活していたのかが、
浮き上がってきちゃうのです。
一番ショックだったのが、”信念”と”自分が信じたいこと”
の区別がいとも簡単にできちゃったことです。
自分では、”信念”のつもりで居たことの多くが、ただ単に
”自分でも信じていないが、そう信じたいこと”だったなんて!
こういうことに自分で”気付く”事ができるように、
デザインされてるんですねえ。
ああ、おどろいた。
設問に答えて、その自分の書いたことから、思いも寄らない事実が
ポンッ と、そう、ほんとに ポンッ て出てきちゃったときの驚き。
いやー、なんでこんな簡単なことわからなかったの?
何よけいな苦労をしてたんだろ?
これじゃ人生大変だったわけだ。
ってな感じの一日でした。
さー、お次は、5/23459で、第二部までいくぞー。
5/2 **************************
本日は、日本で初めての国際コースに混じって受講しました。
受講生が、百何十名かと、マスターが40人ほどでしたか。
Star's Edgeからもトレーナーが数名来日していました。
(マスターをトレーニングするのが、トレーナーなのね)
#何しろ人でいっぱいなんで、急きょ会場の数を増やしたそうです。
内容的には、前回のおさらいが多かったんですが、
”質問”をグループ(25人ぐらい)での討論でやるので、
頭を使いまくりましたあ。
で、肝心の報告ですが、その前に・・・
他のマスターを一気にたくさん見た印象は、”皆いい顔してるなあ・・”
というものでした。
あんなふうな顔になりたいなあと思っちゃったです。
皆美形って言うんじゃないんだけど、こんな人とお友達になりたいなあ
と言う感じです。
なんか皆魅力的なのね。
今回も内容的には、あくまで自分で”気付く”というものでした。
答えを期待しても、マスターは何も答えてくれません。
質問しても”あなたはどう思いますか?”と返ってきちゃいました。
今回は設問の意味がわからなくても、
”あなたがこの文を読んで、解釈した通りに答えてください、
それがあなたの答えです。”とのお答え。
うげー、もう頭使いまくって、疲れましたよ。
もしどうしてもわからないと、”外を散歩して、気分転換しましょう”
と、あくまで自分で考え、自分で”気付か”されるのでした。
前回に比べ、少し不完全燃焼ぎみだったんで、そう言ったら、
最後の最後に、マスターとのマンツーマンの質問があったんですねえ。
1,私は誰か。
2,何が自分の経験を決定するのか。
3,自己とは何か。
4,何が実在するのか。
5,共有されている現実とは何か。
6,何が真実か
これだけなんですけど、これに答えるうちに
「ドン」って感じで、気付いたことがありました。
自分は、全てであり、その自分が存在するのが真実である、って事。
うひゃ〜、すっきりしました〜。
マスターは、この質問に対しても、
”ははあー”とか、”あなたはそう思うわけね””あ、なるほど”
ぐらいしか言ってくれないんですけど。
#冷たいぐらい何も教えてくれない・・・
明日からはいよいよ第二部です。
5/3 ***********************
アバターコース第二部の初日レポートです。
今日は完全に裏をかかれました。
このエクササイズは、こういう目的 というこちらの読みを
完全にぶっ飛ばされてしまいました。
まさかこのエクササイズで、この経験を得るとは・・・と言う感じです。
第二部からは、テキストは貸し出しで、部屋からの持ち出し禁止、
帰りに回収されると言う厳重さです。
受講生二人にマスター一人が付きっ切りで指導にあたりますが、
今日は殆ど、外にでて、一人でエクササイズをしていたような気がします。
マスターはその報告を聞いて、次の指示を出します。
内容は殆ど、リサーフェシングのおさらいでしたが、
それでこういう結果がでるとは・・・
驚きです。
第二部からは内容を外部に漏らしてはいけないので(誓約書を書かされます)
内容は言えませんが、経験したことは言ってもいいでしょう。
”私”の偏在→全ては愛である→完全なる静寂
ほんとに体験できるとは思えなかったけど、してしまった・・・
5/4 ****************************
二日目の今日は、やはり前日のおさらいが主でした。
なんだか同じことばかりやってるみたいですが、
練習が大切なんだそうで、目一杯やらされました。
そしたら、今日午前中のエクササイズで、
突然、はっきりと”経験”するってこういうことなんだ
とわかりました。
え?なんで? って思うでしょうが、そうなっちゃったんです。
自分でも、どうしてそうなったんだか、良くわかんないんですが、
何の価値判断もなしに、抵抗も、思考もなく、ただ単に
今ここに存在している という状態になっちゃったんです。
エクササイズは、一人でやるので、今日は、隅田川に行ったんですよ。
で、やってたら、なんだか川とか、周りの建物とかを、こうやって
ゆっくり見るのは子供の時以来だなあって、思ったんですよ。
川を見ても、”川”って言うラベルを貼ってじっくり見ること
なんてしてなかったものなあ。
そしたら、なんだか嬉しくなってきちゃって、涙が出てきたりして。
そこですぐにマスターのところへ戻って、
「経験するって、なんだか幸せだね!気持ちいいね!」
っていったら、
「あ、やっとわかった?」
だって・・・
まだ裏があったとは・・・
そこで、今度は、マスターに、
「今、ここ を感じに行ってきま〜す。」
って言って、今度は公園に行ったんですよ。
公園でねっ転がりながらエクササイズして、”今 ここ”
を経験してみました。
ひとりでに顔がニマニマしてしまうような、わくわくする感じ。
未来も過去もなく、今 ここ に居るのがこんなに気持ちいいとは!
結局1時間ほど公園にいて、帰ってみると、マスターが、顔を見るなり
「なにか、つかんだみたいね。」
自分のした”経験”について報告すると、
「いいですねえ、じゃあ、このエクササイズのチェックアウトをしましょう。」
チェックアウトっていうのは、ひとつひとつのエクササイズが
間違いなく進んでいるかどうかのチェックなんですが、
「せっかくトレーナーが来日しているから、トレーナーに
チェックアウトをしてもらいましょうか。」
といって、外人さんを連れてくるではありませんか。
げげ、焦りました。
トレーナーからの質問に、自分の経験したことを答えていくと、最後に
「How do you feel,now?」
思わず言っちゃいました。
「I feel happy,like child!」
次のエクササイズに行く許可をもらいました。
次のエクササイズで経験したことは、
小さな子供は、動物と同じように、”今 ここ”に生きているが
大人は、未来と過去に生きていて、”今 ここ”にいない。
ということでした。
木や、石や、花や、その他何でもゴミでさえも、”今 ここ”に
存在していて、ただそれだけで満足しているのに、
価値判断が入ると、”オトナ”になって”今 ここ”に生きられなくなる。
こんなことを”経験”しました。
今日は他に面白い出来事がありました。
朝のミーティングの質問の時に、
「私は、このエクササイズに不快感を感じるし、実際どんどん不愉快になるし
今朝も来たくなかったし、今ここにいるのも不愉快だ。」
という人がいたんですね。
そりゃそうだと思いますよ。
エクササイズはあまりに簡単なことなので、分別のある大人だったら
こんな簡単なことやっても、効果がでるはず無い って思いますよ。
それぐらいバカみたいに簡単で、子供のお遊びみたいなんだもん。
でもそこをこらえて、やってみると楽しいんですねえ。
5/5 **************************
今日は、価値判断を無くす でした。
結論から言うと、簡単に無くなりました。
恐怖も同様なテクニックで消せました。
これほんとにテクニックとしか言い様がないです。
実際に消えたかどうかわからないでしょうって?
そこです。
それを感じるために、ここ何日間も同じ練習をしていたんですね。
実際そういう信念が消えていくのを、つぶさに感じられますよ。
消したあとで実践もしてみます。
たとえば、犬のうんちがあったとします。
”汚い””臭い””犬は嫌いだ””飼い主は何をしてるんだ”
など出てきた信念を消します。
すると、あら不思議 何も感じなくなります。
別に触りたいとは思いませんけど、犬のうんちがただそこにある
というだけになってしまいます。
#もっとも初日で”私の偏在”を体験しているからなんですが。
おっかしいでしょう?
それぐらい簡単なんです。
日常生活をしていくと、また出てくるそうですが、
そしたらまた消すんだそうです。
なんだか簡単すぎて、あっけなかったです。
バカみたいに簡単。
明日からは仕事なので、今度は、日曜日に4日目最終日を受講しに行きます。
5/6 ***********************
今日は仕事に行きました。
今までアバターですごく楽しい気分だったのが、仕事となると
急にガックーンとなってしまいました。
さっそくアバターのテクニックで、沈んだ気分をシフトさせました。
なーんだ、仕事なんてなんでもないや。
そしたら、アバターが今日のみ、19時から21時まで時間延長するとの知らせ。
うわーい、仕事終わったら、いこうっと。
るんるんしながら、仕事へ。
仕事中に、反応やら、価値判断やら、抵抗がでるでる。
出たそばから消して行くのに大忙し。
でも、何でも消せると思うと気分が楽ちん。
今までなら、むかっときたら、しばらくは引きずっていたのに
ささっと切り替えられて、いいですよこれ。
なんだか反応するのが楽しみな感じ。
きつくてなかなか消えない反応は、あとでまとめてシフトさせることにして
軽いのはどんどん消していって、思ったこと。
”人生が辛いのは、自分が反応していたからなんだ。
反応が反応を呼び、そして泥沼になってたんだ。
自分が反応するのは、自分の中にあるものだけだし、
相手が反応するのも、相手の中にあるものだけ。
反応されたからって、相手を責めることもない。
勿論自分も責めない、ただ消してしまえばいい。”
相手は、自分の中に隠れている反応を引きだしてくれているんだって、
そう思った。
今まで受けたセミナーは、日常に帰ると効果が無くなってしまうが、
アバターは、大丈夫そうだ。
暇なときにクリシュナムルティを読んでみたら、
前は全然わからなかったのに、すらすらわかってしまい、
うん、そうそう、そうだよねえ、なんて思ったり。
3時ごろからもうそわそわ。
早くエクササイズの続きをやりたいなあ、なんて。
仕事が終わってから、会場に行く途中、隅田川に夕焼けが
映ってきれいだったので、公園でしばし浸りきる。
ああ、いいなあ、夕方の雰囲気。
そうこうしているうちに、時間が迫ってきたので会場へ。
あれ? 一日来なかっただけなのに、皆の雰囲気が変わってる、
なんか、皆明るくなってら、楽しそう。
ちくしょー、早くおれも混ぜてくれい。
グループのマスター達が、皆よってきて
”ふうちゃんきたんだねー。”って、ハグ大会。
昨日までは、一日分以上僕がかっとんでいたので
ペアの相手がいなかったけど、今日はたくさん。
早速ペアを組んでエクササイズを始める。
古い信念を捨てるんだけど、身体の反応として出てきたり
ぽっと頭に浮かんだりするのを、自己申告して消していく。
このエクササイズは、楽しい!
人によっては苦手だというけど、僕は、発散できて楽しい。
思いっきり反応を出して、大笑いして、すっきり。
その頃には会場中、反応だらけで大騒ぎ。
ああ楽しかった。
”ふうちゃん今度は日曜日なんだねー、さみしいよ”って、またハグ大会。
なんか、アバターのハグはさっぱりしていて、好きだなあ。
あーあ、今度は日曜日まで皆に会えないや。
皆さわやかで、温かいし、なにより自分自身で居るのを
心から楽しんでいるってことが、すごいなあ。
5/7 **********************
今日も普通の日常生活でした。
昨日の実験で、感情でも価値判断でもすぐに消せるとわかり、
すごく気が楽ですね。
だから気持ちの上で、かなり余裕があります。
怒りも、昔は抑えようと苦労して、いろいろと無駄な努力
をしていましたが、すぐに消せるのがわかっていると、
楽しんで味わえるものなんですね。
実際楽しいです、怒りも。
怒りの感情を味わい、飽きたら消しちゃう。
例えば、失礼なヤローがいて、むかついたとします、割り込みされたとかね。
いろいろな価値判断が出てきて、ああ こいつ気にくわない むかむか。
そうすると、面白いことに、昔の似た様な怒りがでてくるんですねえ。
ああ、そういえばこんなこともあった、あんなことも!
どんどんむかむかしていきます。
それを充分味わい、”経験”したら、価値判断ごと消しちゃう。
面白いぐらい すぅ〜 っと消えていきます。
あ、マスター達を初めて見たときに感じた、自信たっぷりな感じ
って言うのは、あれは余裕だったんだな。
他の受講生達もいってましたが、アバターのマスター達は
皆、一種独特な感じがします。
個性はそれぞれ違いますが、共通しているのが、
自分自身である喜び、そこから来る自信、余裕です。
そして特徴的なのがその”目”です。
どこも見ていないような、それでいて、視界に入っているものは
全て把握している不思議な”目”。
それから、今日気付いたんですが、注意力がすごく増しています。
ぼうっとしてミスるということがありません。
動くときは、無意識に動くのではなく、意識して動いています。
いかに今まで、夢遊病のような状態で生きていたかわかりました。
心配や、不安、明日のことなど思考がいっぱいで、
”今”のことに気がまわらなかったのです。
そして、ただ反応するだけで生きている。
”和尚”の言っている”自動運転”ってこのことだったんですね。
生活自体が瞑想 ということもわかりました。
ぼうっと生きるんじゃないんですね。
思考が無いと、注意力は今まで経験したことが無いぐらい
するどくなります。
”今 ここ”に集中しています。
周りの全てが新鮮に見えます。
そしてそれは、美しいです。
これが、生活自体が瞑想 という状態だったんです。
今日も仕事が終わってから隅田川に行きました。
一時間ほどそこで、今を感じていると、周りじゅうから
愛があふれんばかりに満ちているのが感じられました。
うれしくて、涙が出てきました。
そういえば同じグループの受講生もいっていました。
”公園でエクササイズしていたら、突然周りの感じがわかるようになった。
木も一本一本違うのがわかるし、石も違う。
ぼう然として周りを感じていたら、涙があふれてきた。
全ては、愛だったんだ。
やっとわかった。”
これ、50過ぎのおじさんですよ。
それがすごく嬉しそうに、子供みたいに目を輝かせながら
皆に話してまわってるんですから、面白いですよアバターは。
5/8 *********************
今日は、埼玉でのバイトの日なのですが、
ぐわー、今日は思わず反応してしまったあ。
しかも他人からの価値判断にコントロールされて。
くやしい!なんかゲームに負けたような気分。
反応している最中に気付いたんですが、時すでに遅し。
向こうも反応してしまっていました。
しょうがないので、出てくる自分の反応、不安、判断を消しながら
相手との対応をしていたところ、事無きを得ました。
それはそれで楽しかったです。
ついでに、新規の注文も受けられたりして。
その後、バイト先の夫婦が反応による喧嘩の実演(って言うと悪いですが)
をしてみせてくれました。
いかに反応から反応を生み出すか、今までは気付かなかったような
視点からみせてもらいました。
同じような場面は見ていても、自分の価値判断が入ることによって
状況を的確に見ることができていなかったんですね。
”人は誰でも自分の中にあるものにしか反応しない”は実に的を得てるんです。
だから、人について批判、判断するときは、自分を批判、判断しているんです。
理論としては知っていましたが、体験からも学んでしまいました。
5/9 *************************
今日は、アバターコース第二部の4日目、GW中の最終日でした。
いやー、すごかったです。
午前は、9時からなんですが、皆8時ごろから来ていて自主トレ
してて、僕がいったときにはもう殆ど全員がそろっていて
すでにエクササイズにはいってました。
みんなすごいやる気満々。
僕もエクササイズに熱が入る入る、あっという間にお昼でした。
なんたって、今日はアバターが誕生する日ですから熱の入りようが違う。
普段は、アバターって自由だから、皆勝手に休憩してるんだけど、
今日は誰も休まないで、エクササイズ。
アバターになった人がいると、皆で拍手喝采。
うらやましい。
ぼくも、仕事休み取って全部出ればよかった。
今日もすんごい楽しい一日でした。
終わっちゃうのがすごい残念。
仲良くなった人とは、一ヶ月後ぐらいにまた同窓会やる約束をしました。
で、レポートの方なんですが、・・・第3部はすげえ!
としかいいようがない。
何とか午後一で、第二部をクリアして、第三部に入ったんです。
で、”導入セッション”という、ガイドつきセッションがあるんですが、
これがすごい!!
これが噂のアレだったんですねえ。
正味一時間半ぐらいかかったんでしょうか。
時間の感覚は全然無かったんで、終わって時計をみたらびっくり
という感じだったんですが・・・
マスターの誘導によって、自分の感覚を処理していくと、
信念が消え、しがらみが消え、身体が消え、部屋が消え、時間が消え、
今が消え、宇宙が消え、心が消え・・・
えええええ? という感じでした。
恐怖もなく、ただ単に”私”という”気付き”が存在しているのみ。
終わったあとはもう身体が軽い軽い。
宙に浮いてるみたい。
ここはどこ? いまはいつ? わたしはどこ?
今までいくら瞑想しても、こんな状態になったことはなかった!
それがこんな短時間で達成できるとは。
導入セッション終わった人に聞いてみると、皆同じ感覚
を味わったというところがまたすごい。
全然人によらない、同じ結果が出る。
うーん、まいった。
これが終わると、また皆顔の表情が一皮むけて全然別人みたい。
それぐらい全てがかーるくなっちゃう。
一目みただけで、すぐわかるほど全然違う顔してる。
信念が無くなるって、こんなに軽いことなんだ。
すごい衝撃。
あんまり軽くなって、うれしくてずっと泣いてた人もいました。
TMやってる人もいて、その人もこの導入セッションを受けて
「TMのシッディ・プログラムでもこの感覚はあるけど、
ここまで鮮やかには消えない。
このアバターのテクニックは、すごい。
誰にでも自信をもって紹介できる。」
といってました。
僕もそう思います。
いやー、すごいショックだった。
今まで自分がやってきたことってなんなんだろう?
無駄とはいわないけれど・・・
そうか、このアバターのすごさをわかるために、今までがあったのか・・・
5/10 ***********************
今日もまたショック です
今日は、寝違えちゃって、首から肩のところが痛かったんですよ。
肩動かせないぐらい。
で、仕事に行ったんですが、肩が動かないと仕事になんない。
利き腕の右肩だし。
あ、そういえば・・・昨日習ったテクニック使ってみようかな
と思ったんですよ。
導入セッションで使うやつ。
アバターでは「全ての現実は、自分が作り出した”創造”である」なんですね。
だからそれを消すのも作り替えるのも、自分の自由なんですよ。
導入セッションで、身体の感覚が消えたんだから、きっと、
”身体”っていうのも、自分の”創造”なんでしょうね。
”こういう自分”っていう信念に縛られてはいるでしょうが。
宇宙も消えたから、それも自分の”創造”なんでしょう。
#恐れ多い?
で、そのテクニックを使って、肩の痛みを無くそうとしたんです。
レイキしても治んないから。
#レイキじゃ治んないっていう信念があるらしい・・・
やったら、消えないんですよ、痛み。少しほっとしたりして・・・。
あ、消えないやって思って、もう一回やったんです。
なんか少し和らいだ感じがして、さらにもう一回やったんです。
・・・そしたら、殆ど消えてしまった・・・
少し痛いけど、肩が凝ってるかな?ぐらいまで、いきなり。
あせりましたあ。
えええ? なんでなくなったの? なにがどうなったの?
自分でやっといて、なんでなくなったの?もないもんですが。
なんか怖くなったんで、それ以上はやらなかったんです。
こりゃ、まじで身体っていうのは、自分の創造なんだなって思いました。
そいいえば、虫歯の痛みが無くなったっていうやつも居たなあ。
まさか、と思ってたんですけど。
ありゃ ほんとだったんだ・・・
で、眠かったんで、それもしたら、いきなり目が覚めちゃった・・・
あああ、まじいよ、こりゃぁ・・・。
一ヶ月続いていた足の痛みもそれで無くなっちゃったし、
もうどうしようって感じ・・・
いや、どうしようってわけじゃないんですが、
なんか、自分が今まで信じてた信念”私は身体である”が、がらがらと・・・
理論ではわかってたんですよ、私は身体ではないって。
でもほんとにそうなんだって実感するのとは別ですよね。
やっぱり、僕は身体なんだいって、思ってましたから
CHPの威力をみて、怖くなりました。
で、その”怖い”もそれで消してたりして・・・
なんで怖くなったかというと、すごく普通の事だったからなんだ。
こんなんでいいの? っていうぐらい。
単純というか、普通のことというか。
誰でも自然にやってることだと思うよ。
全然難しいことなんかしないんだよ。
魔法の呪文もないし。
神様も出てこないし。
だって、肩の痛みが消えたときも、ものの10秒もかかってないよ。
で、そんなことで痛みが消えるのなら、身体の不調とかは、
ほんとに自分自身で作り出しているって事にしかならない。
そして自分が関与する全てのことも、自分で作っている。
アバターコースでできることが驚異なんじゃなくて、
日常生活で何故今までできなかったのか、の方が驚異なんだよ。
今思ってるのは、アバターって、普通の状態に戻るって事じゃないかということ。
いや、正直これは困りました。
これじゃあ、現実の認識を変えざるを得ないです。
今までこれを望んでいたのに、いざそうなると怖いです。
おたおたしちゃった。
今日もびっくりだったよ。
朝起きて、今日は、”新患の人が5人来る”って、信念を作ったのね。
で、アバターの手順にしたがって、それによって生じる否定的な信念を
処理しておいたら、ほんとに5人ぴったり来た。
火曜日は、新患なんて殆ど来ない曜日なのに。
驚いちゃった。
偶然にしてはでき過ぎてるしさ。
ほんとに自分で作ってるんじゃーん、現実って! と思いました。
あと、日常生活をしていても、いろんな反応はあるんだけど
その反応を冷静に見つめてる、もう一人の自分が確かに居るんだよね。
というか、日常に埋没しないで、一歩引いている自分て言うのかなあ。
アバターになった人に今日電話して話したんだけど、
やっぱり同じことを言ってたんだ。
すごく冷静に対処できるって。
これを経験しているのは、自分ではないって言う感覚だって。
いつもだったら、苛々してしまうような場面でも、
苛々しないんじゃなくて、苛々の仕様がないって、言ってた。
5/17********************
おととい”神との対話”第三巻を買ってきました。
今、100ページぐらいの所なんですが、
書いてあることが、アバターコースそっくり!
特に”創造”に関しては、全く同じことが書いてある!
「思考と創造の間にある時間のずれ、それが、物事は自分が起こすのではなく
自分の身に振りかかるのだという幻想のもとだ。」
「”時間”という現象は、視点の問題なのだ。」
「視点が思考を作り、思考が全てを作るという事実さえ憶えていれば、
それに、身体を離れる前にこの事実を思い出せば、
あなたの人生はがらりと変わる。」
「過去に起こったこと、今起こっていること、これから起こること、
全ての出来事は、あなたの内なる思いや選択、思考、
そして自分とは何者か、何者でありたいのかという決断が
形として現れたものだ。」
「だから、自分でいやだと思う人生を嘆くのはやめなさい。
かわりにその人生を変え、そんな人生にしている条件を
変えることを考えなさい。」
シンクロしてるなあ。
”神との対話”を再認識しちゃうなあ。
実体験から、これはほんとだってわかるもの。
そして、半分ぐらいのところ。
やっぱりこれ、アバターコースみたいだよ。
「瞑想とは、”真の目覚め”の状態だ。
この状態で立ち止まるのは、道の半ばで足を止めること、どこかへ向かうのを
やめること、立ち止まってその場に”いる”こと、ただその場で、
本来の自分でいることだ。」
うんうん、その通り。
「ほんの一瞬でも立ち止まることは、祝福に値する。周りをゆっくりと
見回せば、通り過ぎるだけではわからなかったことに気付く。
雨上がりの深々とした土の匂い、愛する人の左耳にかかる巻き毛。
遊ぶ子供たちを見る楽しさ。この状態を経験するのに、
身体から離れる必要はない。これが、真の目覚めの状態だ。」
これが、アバター第二部で達成されます。
皆こうなりますよ。
「この状態で歩いていれば、全ての花の香りを吸い、全ての鳥とともに羽ばたき、
一歩ごとの足もとの感触を実感できる。美と知恵を発見する。
知恵は、美が形づくられるところにある。
美は全ての生命によってあらゆるところに形作られている。
探す必要はない。向こうからやって来る。」
そうそう、こんな感じ。
まさにその通り。
「この状態で行動すれば、何をしてもそれが瞑想になり、あなたから
あなたの魂への、そしてあなたの魂から全てへの贈り物になり
捧げ物になる。」
うーむ。
全く同じだ。
もしかして、ニール・ドナルド・ウオルシュも、アバターコース受けたのかな?
なんて思ったり・・・。
*****************
今日は天気が良かったので、アバターのモーニングプログラム
(って言うとかっこいいけど、朝の散歩ですな、ありゃ)
にいってきたんですよ。
で、隅田川の川っぺりの道で、ぼーっと水面を見ていたんです。
朝日が水面に反射して、きれいだなあ なんて思いながら。
そしたら、なんだか映画「ノーライフキング」の事が浮かんできたんですよ。
前にgodとかで話したから、憶えてる人もいるかもしれませんが、
TVゲームの世界にはまってしまって、現実感覚を失ってしまった
子供たちの話なんですね。
で、実態の無いうわさだけの世界、思考だけの世界に埋没しています。
現実は、リアルではないから、新しいリアルを求めています。
しかしそれもまた、思考の世界です。
主人公は、完全に現実から遊離してしまいます。
その最後の方のシーンで、
主人公が、メールを受け取ります。
「ソトヘデテミテクダサイ。 リアル デスカ?」
主人公は、外へでていって、現実の人、街、動物、植物
なんかを感じに行くシーンがあるんですよ。
それを思い出しちゃったんです。
これって、アバターコースじゃん、とかね。
この映画を作った人たちって、わかってたんですねえ、
何が大事なのかを。
このシーンの映像を見ると、アバターの視線の動きと
全く同じであることがわかります。
そして、映像のスピード(スローモーション)の感じも
エクササイズ中の感じとそっくりです。
アバターを受けるまでは、このシーンが何を意味しているのか
わからなかったんですが、隅田川を見ながら思い出した途端
ああっ!って驚きました。
主人公は”リアル”を感じにいってるんですが、見た当時は、
現実から浮遊した映像美だ! なんて思ってたんです。
全然違いました。
実際に感じると、ああいう感じでスローモーになるんですよ。
で、ひとつ一つのことが、はっきり見れるようになります。
それを表してたんですねえ。
雨が降ってきたのを、主人公は感じます。
生きているっていう実感を得ます。
勿論主人公からのレスは、
「ナニモカモ リアル デス。」
*******************
ふうちゃんです
アバターコース第三部 二日目を受講してきました。
もう少しで全て終わりそうだったんですが、皆と遊んでるのが
楽しくて、途中でエクササイズをやり残すことにしました。
#意図的にね!
第三部は、アバターランダウンに入るのですが、
あれやると、ほんとに嫌いな人がいなくなるね。
まわりの出来事への反応が無くなってくるというか
薄らいでくるというか。
で、面白いことがあったんだよね。
ランダウンは別に外にでてやらなくてもいいんだけど、外でやってたの。
僕は蜂が嫌いなんで、蜂が飛んでくると音に反応しちゃって
遠くからの音にも身構えちゃってたんだけど、
その音に対する恐怖をCHPしておいたら、蜂が、耳の真横にくるまで
全然気付かなかった!
おもしろいねえ。
自分の中にある反応をどんどん消していったら、どうなるかな?
そうすると、反応が起こるのが楽しみ(って言うと変だけど)
になってくるね、気付いて消せるんだもの。
あとね、何日か前に気付いたんだけど、視点の高さ(物理的な)が、
ハイヒール履いてるみたいに高くなった気がするんだ。
気のせいかもしれないけど。
それと思わぬ副産物なんだけど、仕事が面白くなってきたよ。
今まで、毎日同じルーティンワークで、いい加減いやになっていたんだけど
それが、楽しくなってきちゃった!
仕事中に時間が経つのが早い早い、集中してやってるからかな。
人と接するのが楽しくなってきたって言うのかな。
なんか楽しいんだ。
********************
ふうちゃんです
黎明の著者に会う用意をしようと思って、再び黎明を読んでいます。
アバターコースを受講した後で読んでみると、
また違った印象を受けるものですね。
特に、”日常の生活”の章は趣深いです。
アバターコースのエクササイズのような記述もありますね。
「例えば自然環境の良いところに行ったときの事を考えてみましょう。
自然は大いなる生命の源と繋がっていますから、
周囲にはあらゆるレベルの精妙な波動が存在しています。
山々の放つ雄大な存在感。大地の持つ揺るぎないエネルギー。
ささやきながら流れる川のすがすがしさ。
木々のたくましく静かな生命力。
花々の生きる喜びに満ちた輝き。
全ての生命を慈しむ太陽の温かさ。
周囲を柔らかくそっと包む空気。
語り合う鳥の声。
野を渡って訪ねてくるさわやかな風。
こうした自然の中により深い美しさと、生命の生き生きした表現を
感じ取れるようになるにつれて、心は次第にすみきってゆき
より精妙な世界に感応するようになり、ついにはあらゆる表現の中に
生命の実相を観ずることができるようになるのです。」
まさにこのままアバターコース、って感じですね、こりゃ。
アバター前はこんな文読み飛ばしていましたから。
当たり前だろってね。
いやー、奥深いですねえ。
************************************
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