アバターコースと聖なる予言とレイキ

このサイトは引っ越しました。新しいアドレスは
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ふうちゃんです

他のMLに出したものですが、再編集してみました。

お楽しみください。

 

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アバターは、”自分”というものの確立ができます。

そして価値判断が無くなります。

よけいな思い込みもなくなります。

なくされる、ではなく、自分で消せます。

#そこがアバターのすごいところ。

ヒーラーには持って来いのアバターコースです。

 

> レイキの能力もUPできるかなあ、

> レイキのエネルギーに特急でつながれるようになるかなあ

> パイプも太くなるかなあ・・・なんて期待してます。

 

うーん、簡単に言うと、生きる「レイキ」状態とでも言いましょうか。

自分はエネルギーで、そして全てであると、知識でわかるのではなく

経験するから、つなげるとか、太くするとか考えなくなったなあ。

 

あるがままって感じ。

 

> 「第十の予言」 で出てくる意識が進化した人たちって、

> アバターの状態に近いのでしょうか?

 

うん、あれと同じだね。

そういえばそんな事書いてあったね。

 

#この頃本(特に精神世界系)に興味がなくなって

#全然読まなくなったよ。

 

み〜んなつながってるとわかり、深いやすらぎと幸福感があり

今 ここにいて、それだけで楽しい。

それがアバターの状態。

 

コントロールドラマも、やりたくなければやらない。

やってても、それに飲み込まれないから、飽きたらすぐ出られる。

 

自分の信念、価値感にコントロールされないから

他の人のそれにもコントロールされない。

 

> 主人公は、意識の波動が落ちると(たいてい原因は不安感)、

> 現実のドンパチドンパチやってる世界に戻っちゃいますよね。

 

うん、それもそう。

不安感が出てくると、“現実”にどっぷりはまりそうになる。

(“はまる”まではいかないけど。)

でも、その不安感も消せるし、そうなった原因もさぐり出せる。

その為のテクニックもあるし。

 

すると、すぐ元の状態にシフトできるよ。

 

#不安を感じないようにするんじゃなくて

#不安そのものを消去できるんだ。

#これは第2部後半で、誰にでもできるようになるよ。

 

だから「聖なる予言」の主人公のような不安定感はない。

 

> 波動が高い状態と、低い状態が、まるで別世界かのように

> 描かれているからちょっとイメージしにくいんだけど。

> 本当は共存してるんでしょうね。

 

ううーん、説明が難しいなあ。

 

一番わかりやすい例えが、

映画(低)を見ている観客(高) ってやつ。

 

この時(高)は(低)を価値判断してないんだ。

 

ただ物事が起きてるのをながめて楽しんでいる。

観客も映画の登場人物の一人なんだけど、意識は映画の外にある。

 

だから別世界。

 

そして、この時、映画の全体像を把握している。

もちろん、周りの他の観客の動きも把握している。

観客は皆仲間で一体だとわかっている。

 

しかし、この映画は良い、とか悪いとか、価値判断が出てくると

映画の中のドラマにのみ込まれてしまう。

 

感情移入して、映画の登場人物になりきった状態だね。

すると自分の事しかわからなくなる。

仲間は見えなくなり、感じられなくなり、孤独感がある。

 

ちょうどこんな感じ。

 

> 共存と調和が一番ですね。

 

そう。

「これは良い」「あれは悪い」という価値判断が無くなれば

すべては「私」だとわかり、調和のとれた新しい文明が現出する。

 

#何故この「調和のとれた新しい文明」を宗教が作れないかというと

#話しは簡単、価値判断(信念による)があるから。

 

この意識状態まで9日間で行ってしまうのが、アバターコース。

これは経験した人だけが知っている。

経験しないとわからない。

 

瞑想が悟りへのジェット機なら、アバターは悟りへのワープなのかも。

 

 

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ふうちゃんです

 

先日、某ヒュートラ(?)のレイキマスターの方と、お話をしました。

 

「楽なのが一番だよね。楽というか、楽しいのがね。

 『つらいけど、やらねば』っていうのは、もういいや。」

 

「そうだよね。ふうちゃんなんかは、元から楽そうだったけど

 今は、さらに楽そうだし、そういうふうちゃんを見ていると

 ああ、よかったなぁ って思うよね。

 少し前にね、イギリスから来てたレイキマスターと会ったんだけど、

 なんだか、とっても軽い感じだったのよ。

 体重ないのかなって思った。

 そうかあ、信念がないとああなるんだね。

 今、ふうちゃん見てて、そう思ったよ。」

 

「〜せねば 〜は当然っていう信念は、どこでもあるんだろうけど、

 日本人のは、特に重いような気がするよ。」

 

「まあ、人にもよるんだろうけどね。

 でも日本人が、つらいのが好きってのは、そうだと思う。

 自分で自分を縛り付けておいて、それでいて、つらいって言うのね。

 でも、その縛り付けているのが、単なる思い込みとは気付きたくない。

 

 そうそう、皆、気付きたくないのよ。

 

 気付く、というか悟る方へ少しでも向ってしまうと、

 あわてて逆の方向へ、逃げ出す。

 まるで、悟るのが怖いみたいに。怖いのかもね。

 変化してしまうから。変化すると、現状維持できなくなるから。

 そうすると、どうなってしまうのかわからないから、怖いのよ。

 だから、変化しそうになると、逃げちゃう。」

 

「悟るって、自分が自分でいるって事なのにね。

 自分が嫌いだからかなあ、自分になりたくないんだね、きっと。

 他人の価値感に躍らされてる方が、よほどつらいのに。」

 

「子供の頃からそうだからじゃない?

 親は、躾って言うけど、それって、ただ親がしてほしくないから、

 あんたのためよ、とか言いながら、子供に押し付けているだけだもの。

 正直に、あなたがそれをすると、私は困るんだって言えばいいのに。

 子供は、そう言われると納得するよ。

 反抗するのは、親の都合を、子供の為とかってすり替えた時ね。

 子供はそういうの敏感に察するわよ。」

 

「アバターコースで、自分に正直にって言うんだけど、

 子供の頃から、そういう自己欺瞞を見ていると、

 自分に正直ってどういう事なのか、わかんなくなるよね。」

 

「まずは、親が自分に正直にならないとね。」

 

「親になる前に、自分に正直になっておこうっと。」

 

 

 

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