思考と抵抗

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「思考」を止めようとしても、止まんないねえ。

「「思考」を止めよう」という思考だからだね。

 

僕も考えるの好きだから、どうしても「思考モード」に入りがち

になるんだけど、そうすると貧乏ゆすりしてるのに気付いた。

いらいらしてるんだなあと思ったよ。

 

「いらいら」は、「思考モード」の時しか無いんだね。

 

#今さら気付く私って・・・

 

なんで気付いたかと言うと、先週あたり、いらいらしがちだった

ので、いらいらを消したのね。

でも、又出てくる。

 

で、「いらいらしてはいけない」と思っているから

出るのかなと思って、それを処理しても、まだだめ。

 

ええーん、なんでー と思っても止まらない。

 

よく考えてみたら、高坂アバタープレイスでは出てないし、

昨日の恵比寿アバタースペースの再受講でも出ていない。

両日とも「感じ」ていたからだと、ふと思った。

 

では、いらいらしていたのはいつか。

「感じ」ていない時、つまり「思考」している時。

しかも、あーでもないこーでもないと、考えている時。

これは「判断」している時とも言えるかな。

 

ははあ、見えてきたぞ。

 

#書きながら、考えをまとめている・・・

#「表現」すると、気付きやすいね、やっぱり。

 

「(価値)判断」するには、元となる「信念」が必ず在る。

 

#なるほろ。

 

「いらいら」「不幸せ」は「抵抗」から生じる。

「抵抗」は「判断」から生じる。

つまり「信念」のある所「抵抗」は生じる。

 

#ははあ

#だから「思考モード」だと「不快」な時があるのね。

#「感じるモード」には「信念」無いものね。

 

「「抵抗」が悪い」というのは「判断」である。

「抵抗」に「抵抗」すると、堂々巡りとなり「苦(不快)」となる。

つまりは、「苦」も「信念」への道しるべである。

 

「反応」も「抵抗」である。

楽しんで活用すれば「気付き」に通じる。

「反応」に「抵抗」すればとらわれる。

 

#まさに「抵抗は無駄だ、おとなしく出てこい」ですな。

 

「抵抗」に対し「思考」を使うと「感じ」られなくなる。

 

「「思考」=「抵抗」」というのは、この場合である。

「抵抗」を「感じ」ていると、「信念」へたどり着く。

これが「気付き」である。

 

#ああ、そうか。

 

「感じ」は創造者の視点、「思考」は被創造物の視点である。

なぜなら「思考」は過去に限定されているから。

 

 

「今ここ」とは、今を感じている=「今気付いている」=思考がない。

 

「思考」とは、過去へのとらわれである。

 

 

#例えば、「物思いに沈んでいる人」という表現があるけど、

#まさしく過去に沈んでいて、今ここにいないんだよね。

#外見上はfiしてる人と同じに見えるんだけど、感じが違う。

#「物思いに沈んでいる人」にfiして気付いたよ。

 

 

「思考」は、「信念」「思い込み」から生じる。

 

#よって、「この思考」も変わるか、もしくは消失するかも。

 

「コミュニケーション」とは、「意思(心に思うこと)の伝達を行うこと」

であり、「コミュニケーションをとる」というのは、

「信念」のすり合わせを意味している。

 

 

つまり、「コミュニケーション」とは「今ここ」ではない。

ということは、創造者の視点ではない。

 

創造者の視点からのコミュニケーションは、「いい感じ」だけで終わる。

 

一方、非創造者の視点からのコミュニケーションは、「反応」で始まる。

 

#同じような「信念」同士だと「価値判断」により「好き」という

#「反応」になりますね。

#違う「信念」同士だと「価値判断」により「嫌い」という「反応」。

#どちらも「信念」による「反応」にすぎない。

#だから「信念」が変わると、「反応」も変わる。

 

#「好き」と「いい感じ」は似てるようで、全然別物。

 

 

アバターコースで言う「アバター」とは、「創造者の視点」に移れる者の意。

被創造物の視点から出て(背景に移り)、創造者の視点から見る事ができ、

その視点から行動できる者、という事である。

 

#思考にとらわれると、これができなくなるみたい。

#自分の「感じ」方に疑いが出だしたら、要注意。

#軽ければMPで戻るが、重い場合はSLで物理的に処理するのが効果的。

#「反応」をかたっぱしからSLで処理すると楽になる。

 

#経験者は語る、のだ。

 

非創造者の視点でのコミュニケーション時には、

特に「意図的」であるように留意する事。

「反応」が出てきたら意図的に即処理する。

「反応」に注意が固定してしまうと、巻き込まれる可能性有り。

 

#楽しければいいんだけどね、巻き込まれても。

#ハマると、そこから出にくくなっちゃう。

#考えるのが好きな人は、ハマりやすいかも。

 

絶対確実なのは、「すべては変化する」という事。

どう変化するかは、意図(P)次第。

意図が明確でないと、混乱が生じる。

混乱とは、整合性のない変化である。

 

 

 

 

アバターコースで言う「アバター」とは、「創造者の視点」に移れる者の意。

被創造物の視点から出て(背景に移り)、創造者の視点から見る事ができ、

その視点から行動できる者、という事である。

 

「創造者の視点」に移るには、いくつかの方法がある。

1.「思考」を無くす方法

2.「価値感」を無くす方法

3.「感じる」能力を高める方法

 

どれもアプローチの仕方が異なるだけで、意図する事は同じである。

「とらわれ」を無くす事により、解脱する(創造者の視点になる)事。

 

 

1.「思考」を無くす方法

 

禅、瞑想、ヨガなどがある。

 

一般的だが、時間がかかる。 さらに多年を要して思考が無くなっても、その後のメ

ソッドが無いために、実生活での応用がしにくいと言う面もある。悟ると仙人のよ

うな生活をするしかなくなるという、一般的な誤解は、ここら辺から来ていると思

われる。

ただ単に思考を無くそうとしても、「信念(思い込み)」が残ってしまうので、「

反応」する。

禅は、ここを公案でカバーしているが、これもある程度まで行かないと「禅問答」

から脱却できない。

 

 

2.「価値感」を無くす方法

 

宗教、ニューエイジ、自己啓発セミナーなどがある。

 

自己啓発セミナーは、人為的な葛藤情況(罵倒、やりたくない事をする、etc)を作

り出し「価値感」を破壊するので、思考がなくなり、自分が拡大するなどの、いわ

ゆる宗教的体験をするが、その後の人生で入って来る「価値感」に対処する術がな

い為、一時的な効果で終る事が多い。

他は、「価値感」を無くす、まで行かず、「変える」で止まっているのが残念。

さらに宗教は、『「私」より上位にある「神」』という、「自分以外の概念」を利

用する為、今度はそれにとらわれやすくなる。何にせよ「とらわれ(信念)」があ

ると、「創造者の視点」に移れないというのに『「創造者」=「神」』という「信

念」が根本にあるので、『「私」=「創造者」』というパラダイムの変換を起こさ

せ難くしている。

ニューエイジは、『「私」=「神」』という概念を使用するが、自分さえ良ければ

的な「じゃあ、何やってもいいんじゃん」を防ぐ為に、様々な「ニューエイジの教

え(信念)」を作り出す事となってしまった。ワンネス、愛がすべて、などなど。

これらの教えは実際その通りなのだが、「創造者の視点」を持たないと、実感とし

て経験するわけではないので、ただ単に「信念」を上塗りする結果となり、価値判

断がさらに強くなったエゴを生み出してしまう。これが精神世界の罠である。これ

は、「創造者の視点」を持たずに、『「私」=「神」』という概念だけ取り入れて

しまえば、いわゆるエゴからの「じゃあ、何やってもいいんじゃん」になってしま

うのは、当然の事であるから、仕方がないことではあるが。

「創造者の視点」からの「じゃあ、何やってもいいんじゃん」は、「すべては私」

という認識の上に展開される。この認識は、頭だけで理解された「信念」とは根本

的に違い、体感を伴った経験としてあるために、自然にこの認識に則っての行動と

なる。この両者の違いは「創造者の視点」を持たないと識別できない。

 

 

3.「感じる」能力を高める方法

 

仙道、合気道などがある。

 

「思考」とは対極にある「感じる」能力を高めるという方向からのアプローチ。「

思考を滅却」した後に残るのは「感じる」能力だけなので、逆転の発想的アプロー

チであろう。「感じる能力」が高まってくると、自然と「思考」は無くなっていく

。普通は『「悟り」=「思考の滅却」』と考えがちなので、「思考を手放す」とい

う方向からしか考えられないが、実はこの全く逆からの「感じる」感覚を研ぎ澄ま

す方がメリットが多い。

まず、「思考」は「信念」がある限り無くならないが、「感じる能力」は「思考」

とは関連しないので、こちらからのアプローチは無理がないし、しかも「感じる能

力」は人に元々備わっているものなので、練習次第で自然に開花する。

さらに、この「感じる能力」は、よけいな「信念」に邪魔されない限り上達し続け

る。その「信念」とは、ただひとつ、「私は正しく感じていない」というものであ

る。この信念は、「正しい」と言う価値判断を含むため、すでに「信念」なのだが

、「思考」にはまっているときは気がつかない。結構はまりがちなところなので、

皆さんご注意下さい。

 

 

アバターコースは、上記を3-2-1の順で行なうものである。

 

「感じる能力」を高め、「信念」を探り消去するテクニックを身につける。すると

自然と「思考」は消えて行く。「感じる能力」が高まると「想い」には形があるの

が感じられるようになる。(「想い」とは、「感情」「信念」「価値判断」などの

心の動きすべてを表わす。)

そうすると、葛藤情況を経なくても、自分でそれらを見いだし、消し去れるように

なる。「感じる能力」により、それらが消えてゆく様を自分で確認出来るようにな

る。さらに、物事をありのままに見る事が、「感じる能力」により出来るようにな

るため、自分の下していた価値判断が、ただの思い込み(信念)によるものだとわ

かってしまうので、その価値判断の大元の信念を処理すればするほど、生きるのが

楽になっていくことがわかる。信念を処理していくと、思考も無くなって行くのが

実感できる。

アバターコースの特色は、それらをすべて自分で出来るようになるテクニックとし

て、開発されていることだろう。日常生活をしていると、またいろいろな信念が忍

び寄ってくるものだが、「創造者の視点」を保っているかぎり、それらからの影響

をキャンセルできる。もし万が一影響を受けることがあっても、アバターコースで

のテクニックは多岐にわたるため、状況に応じて選択し活用できるという、心強い

味方となるであろう。

「抵抗」から「思考」は生まれ、「思考」から「抵抗」は生まれる。

 

#なーんかすっきりしないなあ、これ。

 

「思考」がないと「抵抗」もない。

 

#これはOK

 

「抵抗」がないと「思考」もない。

 

#これは違うような気がする。

#わかんないから、別の方向から見てみよう。

 

「思考」がないと「信念」もない。

「信念」がないと「思考」もない。

 

#なんかやっぱり下の文は変だ。

#ああ、経験した事がないから、わからないのか。

#じゃあ、変だと思うのは、「抵抗」かな?

 

「信念」→「抵抗」

 

#これはいいよね、逆はないから。

 

 

**************

 

と、ここまで書いて、ドツボったので

先に「思考は邪魔なのか?」の方を書きはじめる。

 

**************

subject:「思考は邪魔なのか?」

 

「思考は邪魔なのか?」

 

何故かこの言葉にひっかかる。

レスしようと思いつつも、書こうとすると、

書く事が思い浮かばない。

 

いや、正確に言うと、こう書こうああ書こう、と思って

キーボードに向かうと、どれも適当でないような気がして書けない。

というか、書く気が消える。

 

「思考は邪魔なのか?」この言葉に抵抗しているのだ。

 

そう気がついた。

抵抗を感じてみる。

 

「思考は邪魔だ」という「信念」が出てきた。

処理する。

 

「思考は邪魔なのか?」

 

まだ抵抗を感じる。

 

「思考は必要だ」という「信念」が出てきた。

処理する。

 

「思考は邪魔なのか?」

 

微かな抵抗が残る。

 

「思考は邪魔なのか?は信念だ」という「信念」が出てきた。

処理する。

 

「思考は邪魔なのか?」

 

いきなり「信念はいけない」という「信念」が出てきた。

処理する。

 

「思考は邪魔なのか?」

 

こういう信念もあるな、って感じ。

処理終了。

 

アバターって、すごーい と思う。

ついでに、これも処理する。

 

「今ここ」に戻る。

 

ははあ、「反応(抵抗)」→「思考」→「さらに抵抗」→ドツボ

=「思考」という過去にとらわれ、「今ここ」にいない。

のだね。

 

******************

 

書き終えてからこのメールを読み返してみる。。

 

 

「抵抗」から「思考」は生まれ、「思考」から「抵抗」は生まれる。

 

なんだ、これでいいんじゃん。

すっきり。

 

「思考は邪魔なのか?」に「反応」してただけなのね。

 

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