2000年問題
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です!
ふうちゃんです
先日、昔のヒーラー友達と食事に行きました。
2年前にアバターコースという単語(^^をインプットしてくれた
張本人なのに、興味はあるけど今だに受ける気がないという方です。
今は、2000年問題の方に興味があるらしく、小冊子のコピーをくれて、
ひとしきり説明してくれました。
「あまり気にしていないみたいだけど、心配にならない?」
「心配して何かが変わるんだったら、それはそれで面白いかもね。」
「なんでそう平然としてられるの? 文明が崩壊するかも知れないのに。」
「水と食べ物ぐらいは用意するけど。
必要以上の心配はしてないよ。」
「そうなの? でも大変な事なのに。」
「心配してるというより、楽しんでるって感じかな?
不安で不安で、という感じはないね。」
「アバターだから?
不安を処理しちゃったって事かしら?
でも、自分の不安を消したって、現実は変わらないわよ。
依然として2000年問題はそこにあるわ。」
「不安は、過去の否定的経験を通して未来を予測する事でしょ。
この場合は、未来に何が起こるかわからない不安だよね。
そして、不安は思考から生まれる。
思考は感じる事への抵抗だから、不安とは現在を感じる事への抵抗なんだ。
思考があるという段階で、すでに過去にいるんだけどね。
つまり、不安があるという事は、今ここにいないんだよ。
そして不安は、その経験ができる現実を、強力に引きつける。
過去や未来は、『思考=限定された意識』だから、
自分を被創造物の視点へ閉じ込めてしまう。
不安を処理すると、今ここに戻るから、『意識=限定された気付き』
となり、被創造物の視点から解放される。
そして、今ここからだと、『源=限定されない気付き』の視点、
つまり、創造者の視点へと移行する事ができる。
それで何が変わるかというと、2000年問題で大惨事がおこるという
集合意識への関与をキャンセルし、新しい創造をする事ができる。
人間が経験する現実とは、集合意識の最大公約数なんだ。
だから、一人一人がそれに参加しなければ、実現する可能性は低くなる。」
「でもそれが起こったらどうするのよ。」
「自分のやる事をやるだけさ。楽しみながらね。」
「まわり中パニックしているってのに、悠長な話ね。」
「まわりと一緒にパニックしてなきゃいけないの?」
「そういうわけじゃないけど・・・」
「恐怖を処理すれば、パニックにはならないよ。
パニックを楽しむのだったら、それもいいけどね。
今ここにいられれば、何をするかはわかるよ、反応ではなくね。」
「あら、反応って悪い事なのかしら?」
「今のが君の判断による反応なんだよ。
反応のあるところ信念があるから、その信念を探る手掛かりになる。
反応自体には、いいも悪いも無いけど、反応が無いということは、
信念も無いという事だから、自縛がない分楽になる。」
「その、信念がないと楽だっていうのがよくわからないのよ。
だって、別に私は反応しても、楽しいもの。
楽しけりゃいいんでしょ、何でも。」
「これは経験しないと、口では説明できないなあ。
そう、反応も楽しんでればいいんだよ。
反応に捕われなければね。」
「信念って悪いものなの?
普通、信念があるって事は、奨励されているじゃない。」
「自分で意図的に作った信念であればいいけど、
何にせよ、信念は自縛作用があるから、苦を生む元になるんだよ。
ましてや、自分が気付いてない信念に縛られてるとしたら、どう?」
「自分で気付いてないなら、それで別に害はないでしょ?」
「それが、透明な信念ってやつさ。
自分ではそれがあるのに気付いてさえいないけど、
確実に知覚に影響を与え、反応を生み、それに捕われると
苦という状態になる。
勿論、それを楽しんでれば、いいだけなんだけど。」
「私にはアバター必要ないなあ。
だって、何でも楽しいもの。」
「なら別にいいんじゃない?」
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