意識の探究 ハリー・パルマー著
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以下の文章はハリー・パルマーによる著作「意図的に生きる 一 アバターの発見と開発」からの抜粋です。
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1987年の夏。最初のアバターの誕生から6ヵ月後、妻のアヴラと私は、西海岸初のアバター・コース開催のためにカリフォルニアに招かれた。コースを受講するつもりの11人が待ちうけているということになっていたのだが、到着直前になって、実際には誰も受講料を払ってはいないのだと私は知らされた。みんな、私のスピーチを聞いてみてから、受講するかどうかの最終決定をするつもりだったのだ。これにはびっくりさせられた。私はスピーチの用意などしていなかったのだから。
空港ではもっとびっくりすることが起こった。私たちのスーツケースはピッツバーグの空港に取り残されたままだったし、迎えに来てくれた友人の話によると、11人の受講見込み者に加えて、更に50人の人々が、彼の家で私のスピーチを聞くために待っているというのだった。いったい何を話せばいいんだろう?
そういうわけで、汚れて、汗ばんで、くたびれていた私が、カリフォルニアのとあるリビングルームの床に座り込んだ60人の見知らぬ人々を見下ろす背の高い椅子の上にちょこんと腰かけさせられるはめになってしまったのだ。アバターのテクニックが効果のあるものならば、今こそ効果を発揮してもらわなければならない。私は目を閉じて、一分かけて自分の疑いと不安を処理した。そのテクニックを使うと、疑いは全部すうーっと消えてなくなった。目を開けたときには、私は<無限定の気づき>そのものとなっていた。ごきげんよう、皆さん。皆さんに素晴らしい贈り物があるんですよ!
「なるべく私自身の信念や観点を加えずに、アバターを説明してみることにします。というのは実は、アバター・コースとは、あなた自身の信念とあなた自身の観点についてのコースだからなのです。」
誰も微動だにしない完璧な静寂!60人の人々と二人の赤ん坊と一匹の犬がいながら、台所の壁掛け時計のチクタクという音が聞こえるほどだった!あまりの静けさにたまりかねた犬が押し殺したように吠え、犬自身を驚かせた。私は、今言った言葉で充分だったと感じた。みんな、わかってるんだ。私を感じてもらおう!様々な信念の背後では、僕たちみんなが、同じ<気づき>の一部なんだ。それを感じよう。
思考の霧が晴れるにつれて、部屋の雰囲気がくつろいできた。すべての事象を超越した<どこかの場所>に触れた私たちは、今や、友だち同士になっていた。恋人同士のような愛の中にいた。涙の溢れた瞳。すべてを受け入れる優しい微笑み。この感じが大好きだ。みんな、本当の自分になっている。衣装を脱ぎ捨てて、真実の存在になっている。みんな一緒に、みんなが共有するもっと大きな運命につながっているんだ。
「皆さんが信じている信念というものは、皆さんの人生の中で様々な結果となって現れています。アバター・コースは、皆さんが経験していることと、その経験を創り出している信念との間にある関係を見つけ出すお手伝いをするものです。
自分自身の意識が教材となっているコースを受講することを想像してみてください。コースが提供するのは、意識の探検のための道具と白地図、それに、気持ちの支えです。これは皆さん自身の探検なのですから、探検領域は皆さんが自分で持ってこなければなりません。
コースの目的は、<自分の信念は自分で創り出しているという自覚を持った源>という意識のレベルへ皆さんが戻るのを助けることです。その過程で皆さんは、自分が何を信じているかということは、どのように信じているのかを知ることに比べれば、それほど重要ではないということを学ぶことになります。ここでは、入れ物を理解することの方が、入れ物の中身を理解することよりも重要なのです。中身を空にして、入れ物を創り出す技術に感嘆しましょう!というわけです。
創造を行なう源というのは、努力なしで存在する状態です。これを、無意識にとってしまう態度やアイデンティティーとか、一見努力なしに見える態度やアイデンティティーと混同してはなりません。この状態は、努力がなく、全てを受け入れており、限定がありません。(欲求と抵抗はどちらも努力なのです。受け入れることと味わい愛でることには努力はいりません。)この存在の状態からはどんなことでも経験でき、極めて広い限界(おそらく限りはないでしょう)の中で、自分で決定する通りにそれを変えることができるのです。
これが、私たちがアバターと呼ぶ存在の状態です。そして私たちは、この状態を達成するためのとても簡単で効果的な手順を発見したのです。経験あるマスターの指導のもとでコースを受ければ、数日間でそれを達成できるのです。この存在の状態の実感を持って、コースで使い方をお教えするテクニックを用いれば、皆さんが自分の意識を探検するための装備は整ったことになります 。」
「コースは、三つの部分に分かれています。第1部は知性のためのものです。頭に食べさせる御馳走です。皆さんに要求されていることは、聞くこと、読むこと、観察すること、そしてお望みなら、皆さんが経験したことを熟考すること、それだけです。第1部が意図していることは、理解をもたらし、人生のより広い舞台と繋がることができるようにすることです。
次の第2部の教材に入ると、いよいよ探検を始めることになります。自分の意識の裏庭への小さな探検旅行です。何泊かの泊りがけです!皆さんが既に人生のなかで経験していることをうまく管理するために必要な具体的な能力とテクニックを練習することになります。これは、大冒険が始まる前に身の回りのことを整理する機会です。
第2部は、物理的宇宙を超感覚的に知覚する熊力の通路を開き、拡大します。この知覚力については、皆さん、既におぼろげながら気づいておられるかもしれませんが、これは、感じる能力が拡がったものです。物理的な接触を必要としない、感覚器官によらずに感じる能力です。これは心を静め、自分が存在しているという自覚を目ざましく向上させます。」
聴衆から手が挙がった。「それは瞑想のようなものですか?」
「そうとも言えますし、そうでないとも言えます。瞑想から得られるのと同じ種類の心の静寂を達成できますが、それをもっとおもしろくて速い方法で行なうのです。心を静めて、心を意のままに制御するためのものだという点では瞑想に似ていますが、アバターではそういう努力をしたり葛藤したりせずに、楽しみながらそれを行なうのです。金庫のドアを無理矢理こじ開けるか、錠の番号を合わせるかの違いのようなものです。アバターは番号合わせです。」
みんな、この比喩が気にいったようだった。そこにいる多くの人々は、こじ開けることに長い年月をかけてきたのだ。
「第2部のもう一つの練習は、価値判断を認識したり創造したり変化させたりする技能を養います。これによってあなたは、本当に自分の人生のパターンに目覚め始めます。
私たちは、自分が経験することを、自分たちの価値判断に即した形で経験します。価値判断というものは信念であり、私たちはその信念というフィルターを通して知覚しているのです。二人の人が同じ出来事を経験する経験のしかたが全く違うという場合があります。一人の人にとっては、精神的な傷を残して人生をメチャメチャにしてしまうような経験が、もう一人にとっては、取るにたらないということがあるわけです。この違いは、二人がその経験に対して下している価値判断によって決まるのです。
この練習から得られる最終的な効果は、自分が経験しているあらゆることに対する価値判断を正直に和らげる能力が得られることです。それによって、皆さんが抵抗してきた経験の中に、まるで心地よい湯船に身体をすっかり沈めるように、すうっと入っていくことができるようになります、身体の問題や人間関係で何か苦しんできた人には、この練習は、強力な気づきと人生の転換点となる経験を生み出します。
第2部教材の最後の部分には、現実を創造する能力を自分自身で覆い隠してしまっているような障壁や障害を取り除くためのテクニックと練習が含まれています。私たちはこれを、<笑いながら通過する最も挑戦的な経験>と呼んでいます。この練習の後は、自然に湧いてくる微笑みが止まらなくなって顔がひきつる可能性がありますが、創造する能力は高められ、存在をコントロールする力が回復されることになります。」
私の脳裏には、この練習の修了後、私に感謝してくれた受講生たちの微笑みでいっぱいの顔が浮かんでくる。涙で潤んだ彼らの瞳は、私の記憶の中で大切な場所を占めている。そしてまた、途中で挫けてしまい、アバターなんてインチキだと非難した一人の受講生の怒った顔も、いくらか悲しく思い出される。彼は、うまくいかない人生からの束縛で動きがとれなくなっていて、自分にとって正当と感じられる怒りを手放すことができなかったのだ。まあ、しかたがないさ。被害者でいることが何の得にもならないとわかったら、その時には彼も戻ってくるだろう。あともう少しの努力と、もう少しの正直ささえあれば、彼にだってできるんだ。
この部屋にも慢性的な被害者意識の持ち主がいるかもしれないことを考えて、ここで私は、少し警告をしておく必要を感じた。
「第2部で達成した成果に完全に満足していなければ、第3部へは進まないでください。第2部でうまくいかなかったことを修正できる内容は第3部にはありません。もしも第3部に進まずに、その後1週間くらいの間に、第2部は支払った受講料に値する価値がなかったと判断した人がいれば、その人には受講料を払い戻すことを私自身が責任を持って請け合います。」私は独りでニコリとした。払い戻し規約付きで悟りを開く方法を教えた人なんて、今までにいただろうか?
「そして、いよいよ第3部。メイン・コースです。第3部は、ガイド付き《導入セッション》で 始まります。ガイド役をつとめるのはアバター・マスターです。トレーニングを終えた、新しいマスターたちが誕生するまでは、これは僕の役目だ。
《導入セッション》は、意識の中の最も根本的な<透明な信念>の構造のいくつかをひとめぐりする旅にあなたをご案内します。信念が透明だという意味は、その信念そのものを見るかわりに、その信念を通して物事を見るということです。《導入セッション》では、皆さんが自分の人生を自分で決めて管理するために使うことができる手順とテクニックを、経験的に紹介します。普通これは、洞察が得られたり、高い境地に達することができるような経験で、このセッションの後しばらくの間、皆さんは至福の中に浸ることになるかもしれません。」
このセッションの後、一日中、完全に至福に浸りきって、溢れるような幸せを感じることがないような人がいたら、そっちの方が不思議なくらいなんだが。でも、それはみんなには言わないでおいた。
「《導入セッション》を終えると、独りで行なうアバターの手順に熟練したことになります。これで探検を始める準備ができました。独りで行なうこの手順を使って、また、時にはトレーナーや他の受講生に助けてもらいながら、アバター・ランダウンで探検を始めることになります。それぞれのランダウンは、あなたが人生を味わい愛でるのを邪魔している経験や信念や態度といった領域に、一つずつ対処していきます。ランダウンについて、一つ一つ説明してみましょう。」
「最初のランダウンは、身体処理と呼ばれています。身体処理の過程は、感覚喪失タンクの中にいるのと同じ様な効果をもたらしますが、孤立感やパニック状態という危険を伴うことなく、ずっと速くその効果を現します。これは、自分自身を物理的な身体と同一視させている様々な信念を認識する助けになります。そして、もしそうしたいなら、身体から独立して機能する方法を示してくれます。自分を、非物質的なスピリチュアルな存在として経験するわけです。」
最前列の夫婦が顔を見合わせてうなずき合ったのを見て、私には、彼らが受講の決心をしたとわかった。
「身体処理は、さらに、実は皆さん自身が自分で身体に据え付けてきた望ましくない知覚や感覚を見つけ出すのを助けます。それが身体から生じていると思っていたの方が幻想だったのです。この結果身体は、もはや、有害な信念や価値判断によってバランスが崩れたままの状態にとどまることはなくなります。
一旦、皆さん自身で不快な感覚を自分の身体に据え付けて来たのだということを認識し、経験したら、その代わりに自分で感じたいと思う感覚を身体に据え付けることができます。普通では考えられないような癒しを経験することになるかもしれません。」普通では考えられない 一 とだけ言っておこう。実際には、いくつもの奇跡を目撃したんだけれど、AMA(米国医師会)との間で問題を起こすのはごめんだ。
身体処理のおもしろい副作用として、意識を持ったままの夢、つまりコントロールされた状態でみる夢、ということが起こります。皆さんは眠りにおちることなく夢という意識状態に入っていくことを学ぶことになります。何人かの受講生が、浮き上がったり、空を飛んだり、異次元を探検したりしたという経験を報告しています。」
「2番目のランダウンは、制限ランダウンです。これまでに、何らかのスピリチュアルな分野や自己開発分野を探究したことがありますか?」ほとんどの人が手を挙げた。「それなら皆さんは既にお気づきのことと思いますが、私たちは自分で自分に制限を課しているのです。私たちは「これはできない。あれはできない」と自分で言っておきながら、後になって「どうしてできないんだろう」といぶかるのです。
童話には、「僕はできるんだ」と思い続けた小さな蒸気機関車の話がありますし、「肯定的思考」(ポジティブ・シンキング)という考え方も、何年も前からあるのです。さてこの制限ランダウンは、このテーマを新しい視点から見てみるものです。
制限ランダウンでは、皆さんをわくわくさせたり生き生きとさせたりするような目標の達成を阻んでいる具体的な制限を取り除きます。けれども、おそらく全ての制限を処理してしまうべきではないでしょう。制限の中には、皆さんが自分の人生に焦点を合わせるのに役に立っているものもありますから。」
「3番目のランダウンは、アイデンティティー・ランダウンです。ほとんどの人々は、心の中の衣装ダンスにいっぱい諸まった衣装を持ち歩いていて、それを出会う人々に投影しているのです。「私のために、この衣装を着てくれませんか?」、「私のために、こういう人になってくれませんか?」という具合いです。私たちが人々と仲良くやっていける場合というのは、一般に、彼らが私たちの差し出す衣装を喜んで着てくれるからだし、私たち自身も、彼らが差し出す衣装を喜んで着てあげているからなのです。」
「自分で着たくないアイデンティティーを誰かに着せられたことがありませんか?」この質問には、みんながうなずいた。「衣装や価値判断や信念フィルターなしに誰かを知覚するとき、あなたはその人を、スピリチュアルな存在として知覚します。なんの歪曲もなく純枠に他人を知覚するということは、途方もなく感動的な経験です。それは無条件の愛と呼ばれることもある、慈愛に満ちた空間です。」
「4番目のランダウンは、《しつこい塊処理》と呼ばれています。これは、あなたが自分の人生で最も激しく抵抗してきた部分にあなたを優しく導き入れます。自分でコントロールできる範囲を超えていると感じられたような願望、強迫観念、しつこい圧迫感、痛みなどを取り除くことができます。しつこい塊セッションを初めて行なうときは、誰か別の人に案内役になってもらって行ないます。これは非常に強力なプロセスで、人生を変えるような驚くべき成果をもたらします。」
「5番目と6番目のランダウンは、それぞれ、《宇宙処理》、《集合意識処理》と呼ばれています。これらのランダウンは、自分の個人的な問題を処理した後で、生きとし生けるものの集合意識を助けたいと望む場合に行なうことができます。
人生の初期に人が創り出す考えの一つに、<自分は誰かである>という考えがあります。<誰かである>ということは、実は、あるひとつの信念を経験しているということです。<気づき>に、<自分は誰かである>という考えを加えて一緒にすると、<個人>というものができあがります。集合意識から皆さんをもっと引き離すような信念をどんどん創り出すことによって、皆さんは個人として存在し続けることができます。あるいは、アバターの手順を使えば、分離の原因となっている信念を取り除いていき、集合意識を経験することができるようになります。<気づいている意志>である<純枠な創造的気づき>から皆さんを分離している皆さん自身の信念は、どんなものでも変えることができます。
宇宙処理では、すべての事象は意識のどこかのレベルでみな繋がっているということを学びます。ある意味では、個人の意識というものは存在しないのです。集合意識の断片の数々があるだけです。この練習では、あなたが集合意識と繋がることを妨げている制限と、集合意識の中から機能することを妨げている制限を突き止めます。
これは明らかに非常に高いレベルの到達点です。このテクニックを用いる能力と意欲の程度は、受講生の間でもさまざまです。」
「最後の練習は、《究極のプロセス》と呼ばれています。その名の通りのものです。これは誰かにガイド役をつとめてもらって行なわれます。
コース全体は、それぞれの受講生の進み具合いに応じて、7日から9日かかります。」
最後に私は、彼らの手のかわりに彼らの気づきを私に向かって差し伸べることによって私を感じてくれるように、と言ってこのスピーチを終えた。
部屋中のみんなが関心を持ってくれた様子だった。私は数人の友達と雑談をしながら、受講登録テーブルの前に受講志願者の列ができるのを見てほっとした。翌日は、18人の新受講生と共にコースを始めることになったのだ!
2−3日のうちに新たな受講生がつめかけたため、膨れあがったクラスの会場をホテルに移さなければならなくなり、1週間の予定だった西海岸アバター・コースは12週間に延長され、数百人の受講生を生み出すに至った!
旧友同士が、「探していたものはこれだ!すぐにおいで!」と電話をかけ合った。ルームメートにかかってきた電話からアバターのことを聞いて受講しにやってきた受講生もいた。別の受講生は、霊能者によるリーディングでアバターを受講するよう勧められた。もう一人は、夢で見たからと言ってやってきた。
実に多くの人々がアバター体験を「目覚め」に例えたので、みんなは自分たちを<目覚めゆくマスター>(AM - Awakening Masters)と自称するようになった。<目覚めゆくマスター>たちは、人々が長い間待ち望んでいた目覚ましのベルを鳴らし始めたのだ。「アバターこそが、あなたが探しているものですよ」と。