アバターの使命 ハリー・パルマー著

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この世におけるアバターの使命は信念体系を統合するための触媒として作用することである。

 

アバター・コースやアバター・マスター・コースを受講した人々にとっては、この使命の宣言文は、本能的に当たり前のことと感じられるので、それについて語られることはほとんどありません。異なる国々のアバターたち同士の間にさえも自然な一体感が存在し、それが彼らの努力をこの使命の推進に向かわせる原動力となっています。命令や監視などが必要になることはめったにありません。

 

自然に起こってしまうこの協力について、アバターを経験したことのない誰かに説明しようとすることは、なかなか興味深いチャレンジとなります。

 

明らかなことですが、円を描いたり、何らかの分量や資質を取り囲んだりするとき、<内側>と<外側>を作り出すことをせずにそれを行うことはできません。線が引かれればいつでも、2つの側が現れます。それは、円の場合のように<内側>と<外側>ということもあれば、垂直の線の場合のように<右側>と<左側>、水平の線の場合のように<こちら側>と<あちら側>ということもあります。

 

この2つの側面という原則は、二元論や対極相対性、あるいは単に、中国思想の陰陽という概念などとして知られています。光は暗闇に依存しています。上という方向は下という方向をも定めることなしには存在し得ません。善は悪に対して相対的なものです。行われるべきことが決まれば、同時に行なってはならないことも決まってきます。

 

何をも包含せず何にも包含されていない本来の<気づき>が自らを限定しようとすると、自分はこういうものだという限定と同時に、こういうものではないという限定をも行なうことになります。1回の筆の動きだけで、<我あり>と<他者>という2つの側面が現れます。この限定に気づくときが、意識の誕生です。

 

意識は、自らをどんなものとして限定したかということによって、自己を知ることになります。つまり、創り出きれた線または境界線の一方の側として自己を知るのです。したがって、創造の所有と制御を半分に減らしてしまったということです。

 

意識はそれ以後何回くらいその所有と限定を半分に減らすことを繰り返すことができるのでしょか?

 

意識が自らを限定して否定することを31回行なったとしたら(幾何学の31分割のように)、地球という惑星の上に20億以上の<他者>が存在することになった理由を説明できることになるでしょう。これらの20憶以上のものが、それぞれ、さらにその10倍の回数だけ分割され自己否定されたと考えれば、恐らく宇宙の中のすべての生き物とすべての創造物が存在するようになった理由を説明できるでしょう。

 

私たちの一人一人が経験する人生というものは、私たちが<自分>というものとして創造し限定した質と量と、私たち自身が創り出したけれどもそれは自分ではないと主張している質と量との間で、抵抗したり欲求したりする動きの相互作用なのです。(意識的な意図とは、単に、<自分で自分だと思っているもの>を意識的に転換するということです。)二元性を超越した本質を経験しているアバター・マスターにとっては、人生は単純で楽しいものです。

 

アバター・マスターは、受講生が「これが私だ」と感じている要素と「これは私ではない」と感じている要素との間に和解をもたらすための道具やテクニックの使用法を教えるのです。これは単なる理解というもの以上のものです。

 

テクニックが上達するにつれて、2つの側が色褪せて消えて行きます。アバター受講生は自分の意識の再構築を始めます。壁を壊し、空間を拡げ、方向を変えながら、存在との調和の感覚と存在の全体性の感覚を速やかに発見することになるでしょう。そのような在り方は、アバター・マスターによる<導入セッション>以前には、密教的宗派のごく少数の人々のみが経験したことがあるにすぎなかったのです。

 

この調和と全体性には、自然で合理的な空間の拡がりと、<他者>に対する真の寛容さが伴います。

 

コミュニケーションが始まり、様々な視点が探究され、修正されます。分離と相違は、もともとそうであったように幻のような亡霊の姿になって溶け去ってしまいます。努力なしの愛が生まれます。

 

新しいアバターや新しいマスターの努力は、「...信念体系を統合するための触媒として作用すること」という、アバターの使命と本能的に一致するのです。

 

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