「リサーフェシング」より一部抜粋

 

 

 

 言葉による学び(Word Lesson)というものがあり、生きた学び(World Lesson)というものがあります。言葉による学びとは、ある人が他の人に自分の経験を口頭あるいは書かれた文字を通して伝えようとする努力です。言葉による学びは知識を与えてくれるものであったり、楽しめるものであったり、啓発的なものであったりします。言葉による学びは誰かの信念の表現です。言葉による学びは大変すばらしいものとなることができますが、それが生きた学びと混同されてはなりません。

 

 生きた学びとは、あなたが実体験するものです。それは、あなたが生活の中で直面し、対処するものです。生きた学びをくぐり抜けて、人は変わり、さらに経験を積み、賢くなります。生きた学びは体験そのものです。それをおぼえておくために、文字や音に翻訳される必要はありません。それはあなたが知っていることの一部となり、あなたがあなたを、「自分はこういうものだ」と定義するやり方の一部となります。言葉による学びは大変希にしか、このような影響力を持ちません。

 

 生きた学びは、それが表現されるやいなや、言葉による学びになります。あなたが知っていることは、それが表現されるやいなや信念になります。言葉による学びは説明や指示を伝達することができますが、経験に関する限り、それは生気のない代用物にすぎません。

 

 リサーフェシングの学習は、練習について説明し、指示を伝える言葉による学びとして始まります。しかし参加するにつれて、それは生きた学びに変わります。リサーフェシングの言葉による学びは、あなたの参加によってあなたが創造する生きた学びに比べれば、さして重要ではありません。

 

 言葉による学びと生きた学びを結合させれば、「そうか、こうなっているんだ!」と、ぴんとひらめく納得の瞬間が達成されます。このような納得は、あなたの知っていることを広く創造的に利用する能力を増大させます。納得は累積します。納得が深まれば深まるほど、全ての物事はより単純に、より明確になります。納得は、真の知恵を形作るものです。

 

※リンゴを実際に食べることと、リンゴはどのような味がするかについて研究することとは、どう違いますか?

 

 

 

 あなたがこれから発見する最も重要な発見は、あなた自身の意識の中にある信念および信念体系です。その中には、一目瞭然であるものもあれば、透明で目に見えないものもあります。透明とは、すなわち、それとは気づかぬうちにあなたはそれらを通して知覚し、行動しているという意味です。これらの透明な信念は、他のすべての理解と効果に影響を与えます。

 

 自分で気づかずにある信念によって行動している時、その信念は透明であるといえます。透明な信念が助けになることは滅多になく、実は、致命的なほど、人を衰弱させることがあります。そのほとんどは、自己破壊的で、あなたが理性的でなかった時に受け入れたものです。

 

 透明な信念についてあなたが持つ最初の印象は、それは疑いもなく本当だ、というものです。人生とは、まさにそういうものなのだ。私は、そういう人間なのだ。これが、その証拠です!...という具合に。けれども、そこでおかしなことが起こります。その信念を信じることの証拠そのものが、実は、その信念自体から生み出されたのだ、ということを発見するのです。しくみが解き明かされ始めます。

 

 個人にとっての現実は、その人が本当に信じていることを反映します。それは、その人が信じているふりをしていることとは必ずしも一致しません。もしも人が、意図的に行動しなければ、透明な信念が、その人の人生を支配します。

 

 

 

 意志の力が弱いと、指示を受けることだけを求めるようになります。その態度は、真理を教えようとするグルによって増長され、看板を作る人々によって定着され、法廷において有効と認められます。個人としての責任は、法律という一様な規約によって、簡単に退けられます。自由は、統治者に管理された選択にすり替えられます(例:あなたの税金の支払いは、小切手でも現金でもかまいません)。

中には、意図的に生きるという考えに出会うだけで、再び意志を目覚めさせ始める人もいます。

他の人々は墓場まで眠り続けます。

眠りから覚めた人々は、周りを見回し、自分たちが脱したばかりの、夢遊病者の存在にびっくりします。「私が決める」という認識が、彼らを他人から与えられる答えへの依存症から自由にします。

 

エクササイズ:意志を目覚めさせる

  意志は、ゆっくりと眠りから目覚めます。最初は、荒れ狂うような様々な思考にもみくちゃにされて、意志は、圧倒されそうになります。ですから、目覚めつつある意志が最初にとる態度は、「何でもいいから、言われたことを、私はやります」というものです。

 

目的:対象を描写することによって意志を強化する

 

期待される成果:洞察、落ちつき、気づきの拡がり

 

<やり方>

 

散歩をして、何かに注目し、それを、意図的に描写して下さい。

 

他の物体に、ひとつひとつ注目して、描写を続けて下さい。

 

 

 

 

 

 信念は、この宇宙で自分が経験することの結果として生じるのだと考えればつまり、これこれこうだからこう信じる、と考えるなら、私たちはどうしたら生き延びられるかという話をしていることになります。物事の有り様に適応する自分たちの能力について話しているわけです。これは防御的な生き方です。

 

 この世での自分の経験が自分の信念の源であるという視点を受け入れれば、その罰として、私たちは制限に縛られ、生き延びるための挑戦に取り囲まれた被創造物になってしまいます。

 

 そんなわけで私たちは、どんな成りゆきが自分を殺すのか、もう少し長く生き延びるためには何ができるかを見極めようとして、せわしく走り回っているのです。そこへ何の前触れもなく、ある菩薩、アバターが私たちの人生に踏み込んできて、信じるという純粋な行為だけで、現実を作り直すのです。それによって、全てのものの奥深くのどこかに、自分が自分であると思いこんでいた者の後ろの場所に、新しい「私」が目覚めるのです。

 

 その場所からは物事は違って見えます。もっとはっきりと、恐ろしくなく。苦しむ者から探究者へと態度が変わります。結びつきを作り、仕組みがわかり始めます。 

 

 人は自分が信じていることを経験します。そうでないと信じている場合には、自分が信じていることを経験しませんが、それでも、結果的には、信じていることを経験したということになります。

 

 

エクササイズ : 作用している信念

目的:あなたが持っている信念が、助けになるか害になるかを見極める。

期待される成果:洞察、自分にとっての現実の再構築。

 

<やり方>

 

あなた自身について信じていることを三つ書いてください。

1. 

2. 

3. 

人間関係について信じていることを三つ書いてください。

1. 

2. 

3. 

お金について信じていることを三つ書いてください。

1. 

2. 

3. 

政府について信じていることを三つ書いてください。

1. 

2. 

3. 

仕事について信じていることを三つ書いてください。

1. 

2. 

3. 

あなたの能力について信じていることを三つ書いてください。

1. 

2. 

3. 

あなたの健康について信じていることを三つ書いてください。

1. 

2. 

3. 

あなたの家族について信じていることを三つ書いてください。

1. 

2. 

3. 

未来について信じていることを三つ書いてください。

1. 

2. 

3. 

 

 

a.あなたが書いたそれぞれの信念の後に、あなたがその信念を、助けになるもの(○)として経験するか、妨げとなるもの(×)として経験するかを記入してください。

b.あなたが書いたそれぞれの信念の後に、あなたがそれに与える確かさの度合いを記入してください。

c.最後に、あなたが書いたそれぞれの信念の後に、その信念が、自分で意図的に信じたものか(自)、教え込まれたものか(教)を記入してください。

 

※ 上のa,b,cをやったあとで、あなたはどんな結論を引き出すことができますか?

 

 

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です!

 

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