「意図的に生きる」より一部抜粋
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<信念体系タイプ1>
信念体系タイプ1は、恐怖、同情、不信、憎しみなどといった感情に訴えることで成り立っています。「信じたほうがいいよ。さもないと...」という具合いに。一般的に、信念体系タイプ1を信じる態度は、次の様な信念を持ち出すことによって維持されています。
・自分の信念体系の真理を疑うなどということは、無信心で不名誉なことだ。・誰かがあなたの信念に疑問を投げかけたりしたなら、それは、悪魔にそそのかされた敵対的行為である。
この信念体系、それを信じる者たちの観察力、識別能力、判断力を、故意にそこなわせます。懐疑を抱く者は、悔恨や犠牲などの自己を傷つけるような行為によって、罪をつぐなうことが義務付けられます。
感情的依存心が最も強い人々以外の全ての人々は、状況をあやつろうとする恐怖心や感情的訴えなどといった特徴を持つ信念体系タイプ1には、いずれは、反応しなくなっていきます。
___は、信用できない。___を、しなければ、地獄に堕ちる。
ずっと、___の犠牲になって来た。
あなたは、源ではない。___が、源だからだ。
<信念体系タイプ2>
この信念体系は、人々のニーズや不安に訴えることによって、支持を獲得します。既に述べた「虎への対処法」や「信念による解決法」がこれです。ここには、ある民族の社会的習慣の背後にある論理、疑われることなく適用する常識、広く多くの人々の間にある「何が真実か」についての合意などがあります。信念体系タイプ2には、苦しみは避けられないものだというような克己的な信念が含まれていることがよくあります。
信念体系タイプ2は、それを信じている者たちにとって、普通、透明(目に見えないもの)です。自分たちが頼っている信念に疑いを持つことは、めったにありません。この信念体系を信じる者たちの間の合意は、ほとんどテレパシー的性質を持つ目に見えない教義を形成し、それが、事実として経験されるのです。これらの合意に疑問を持つ者は、学識があるとか敵意を持っていると見なされるよりも、むしろ、社会からのけ者にされたり、気が狂っていると見なされる可能性の方が高いのです。
少なくともこの一世紀の間には、信念体系タイプ2の信奉者の子孫たちが、自分たちの両親にとっての常識となっている信念に反抗することによって、自分たちの独立を主張するということが、よく行なわれています。残念なことに、このことは、彼らを、タイプ1の信念体系を広めようとしている狂信的な新興宗教などに感情的に引き込まれやすくしてしまっています。
時には、望まないこともやらなければならない。とにかく、何が何でも、自分のためにならないという物事がある。
医者に診てもらったほうがいいだろう。
時には自分が源で、時には、神が源である。
<信念体系タイプ3>
信念体系タイプ3は、事実による証拠に基づいています。この信念体系の信奉者は、通常、自分たちが信念体系を信じているという考え方に反対し、むしろ、自分たちの信念体系を、科学、テクノロジー、厳然たる客観的事実などと呼びたがります。
タイプ3の信奉者たちは、多くの場合、思索や議論に明け暮れています。彼らの特定の考え方の枠組の外にある視点を考慮してみるということでさえも、彼らの中の多くの人々にとっては、価値判断をやめることができるような環境や、思考を静めるために厳しい訓練が課せられるような環境が必要になります。
タイプ1やタイプ2の枠組から逃れようという志を抱いている学生にとっての模範となっている、タイプ3の有能な信奉者たちは、極めて説得力があり、彼らの「客観的」信念体系の真理を裏付ける事実をいくつも引用することができます。タイプ3の信奉者たちは、知覚から来る刺激(特に、苦痛)、過去からの証拠、論理的な仮定に、多大の信頼を置くことによって、自分たちの信念が真理であると主張するのです。
彼らの言う「真理」とは、よく吟味してみると、「ある要因は、他の要因に比べて、その繰り返しを予測できる度合が大きい」という確信以上のものであることは、めったにありません。彼らにとっての基本的前提は、「人についてであれ、物についてであれ、何かが一貫性を持って起こるということは、何らかの真理を実証している」というものです。
時折、タイプ3の信奉者は、自分が正しいという主張を和らげることがあり、新しい視点から、「特定の事実とは、あらめる可能性の中に浮かんでいるひとつの現実の領域の土台となる信念に過ぎない」ということが、わかり始めます。これこそが、人が<信念のパラダイム(類型)>について真に理解する瞬間なのです。
これは、アバター・コースを受講する人々に、よく起こります。
どの作用にも、同量の反作用がある。百聞は一見にしかず。
すべては、相対性の問題だ。
知識によって、私は源になれる。
<信念体系タイプ4>
タイプ4の信念体系には、意図的に創造された信念が含まれています。これらの信念は、それを創造する人々が、経験や新しい視点を得ることができるように創造されるものであり、究極的には、自分たちが限界のない源であるという自信を取り戻すことができます。これは、神々の信念体系です。アバターは、信念体系タイプ4です。
タイプ1、タイプ2、タイプ3の信念体系は、タイプ4の信念体系の存在に気づいていない度合の異なる段階です。タイプ4の信念体系は、他のタイプのためのルールと遊び場を用意します。
タイプ4の信念体系は、厳然たる現実を反映しているつもりなどないので、普通、ある一定の期間の間だけ信じられ、自由に変化させることができます。アバター教材の中には、人が、タイプ4の様々な種類の信念を、意図的に創造し、管理し、楽しみながら経験するために使用できる、手順とテクニックが含まれています。
タイプ4信念体系の信奉者は、自分の信念も他人の信念も、経験する現実の青写真と見なします。
タイプ4の信奉者は、経験という媒体の中で意識的に創造するために、信念を用いるのです。彼らは、経験するという目的のために信じるのです。彼らは、いろいろな信念体系をありがたく味わい、尊重しますが、どの信念体系をも擁護することはめったにありません。そして、新しい可能性や、経験の新たな側面を探検するために、自分たちの信念を自在に変化させるのです。
物事は、いつもうまくいく。人生は、私が知る必要のあることを教えてくれる。
私は、直観的に正しい選択をする。
(自分で創ってみてください!)
この世におけるアバターの使命は、信念体系の統合を引き起こす触媒として作用することです。
私たちすべての間の唯一の相違は、私たちの信念体系であって、信念は簡単に創造、または消滅できることを知覚するとき、
正と邪のゲームは終わりを告げ、共に創造するゲームが始まり、世界の平和が訪れるでしょう。
このサイトは引っ越しました。新しいアドレスは
http://crystal.cside21.com/
です!