監督・關錦鵬とのティーチインは、大変に有意義で、
この映画を理解する上で、手助けになるものでしたので、その模様をお知らせします。
《愈快楽愈堕落(ホールド・ユー・タイト)》
監督・關錦鵬
出演・邱淑貞、陳錦鴻、柯宇綸、曾志偉最初に監督から・・・
この映画は1997年の作品ですが、実は資金が700万ドルしかありませんでした。しかし、その事が、かえって新しい事に挑戦するきっかけともなったのです。脚本も撮影も初めての人と組むことにもなりましたし、また、1996年に映画100年を記念したドキュメンタリー作品でカミングアウトしたことで、何も隠すことがなくなり、自らの体験に基づき、勇気を持って作品に取り組むことが出来たと思います。●カミングアウトしたことで以前の作品とは違うものがありますか?
今回はカミングアウトしたこともあり、大変にリラックスして出来ました。監督がリラックスしていれば、俳優たちもリラックス出来ると思います。また、特に曾志偉(エリック・ツァン)は、彼はゲイの役ですが、以前彼が演じたゲイの役とは違い、ずいぶんと激しいものでもあるし、彼はストレートなので、彼とはリラックスして自らの体験を話したことで、彼の演技も好いものとなったと思います。また、映画の中のキャラクターは異なる段階の自分を投影していますし、夫婦の関係は友だちの話をもとにしています。
●俳優の3人はどのようにして決まったのですか?
邱淑貞(チンミー・ヤウ)については、この映画は嘉禾(ゴールデンハーベスト)と王晶(バリー・ウォン)からの依頼であり、嘉禾と王晶が邱淑貞で1本撮って欲しいと言うことで決まっていました。脚本についてはその後で、話し合いながら決めていきました。
柯宇綸(クー・ユンルン)については、台湾の若者は香港の若者にはないプリミティヴな感じがすると思うのです。それと彼についてはエドワード・ヤンに感謝したいのです。張震(チャン・チェン)にしても彼にしても、エドワード・ヤンから影響を受けていると思うのですが、香港で僕の映画をといえば、香港の俳優ならそれはゲイの役なのかと聞いてきます。しかし彼はそういうこは聞かず、直感で映画の内容を把握したようでした。
陳錦鴻(サニー・チャン)については、香港の多くのスターに見られるようないかにもなハンサムではなく、典型的な香港らしいローカルなものを彼の中に見つけました。アイデンティティと言うことがこの映画の重要な要素なのですが、1997年、返還について香港人は見かけでは浮かれていましたが、実はアイデンティティは揺らいでいたと思うのです。それを、男が好きなのか、女性が好きなのかというアイデンティティに対する困惑として描くために、香港らしいローカルなものを持った彼に演じてもらったのです。
●監督として映画を撮るときに大事にしているものはありますか?
それは俳優にたしてのみならず撮影のスタッフにも言えることですが、アイディアを表現するためには「信頼関係」が大事だと思っています。それは、俳優に「出来る」ということを信じさせることです。例をあげれば、《ロアン・リンユイ》は、時代が少し前の話ですから、お化粧も衣装も違います。そこで、張曼玉(マギー・チャン)に2、3週間、毎日事務所に来てもらい、お化粧をし衣装を着てもらいました。初めはしっくりこないようでしたが、14日ぐらいすると自分のものとなっていました。
また、役者とは自らのプライバシーにかかわることまでも話し、監督である僕と役者の間に秘密を共有することで、それが、撮影中に困難にぶつかったときの解決作を導いてくれる事になります。それで、僕の映画に出た人は、みな後はよい友達になれます。
●曾志偉の部屋の「非情城市」のポスターは、何か意味があるのですか? また、映画の中では「映画があまり好きではない」とか「あまり見ない」という表現がでてきますが、それは意味がありますか?まず、「非情城市」は大変に好きな映画です。1997年、香港人の10人に聞けば10人が不安だと言ったでしょう。彼がこの題を付けなかったら、自分の映画にこの題を付けたかったくらいです。「映画が好きではない」というのは、これは典型的な香港人の会話です。今、香港の人たちはハリウッド映画は見るけれど、香港映画は見ないでしょう。自分自身もここ何年か、少ししかみていませんから、特別な意味はありません(会場笑い)。
●ローザ(邱淑貞)が部屋で映画《赤い靴》を見ている場面がありますが、《赤い靴》には意味がありますか?
ローザは、実生活では、ばりばり働いていて、ウチに帰ってきても離婚の話を電話でするような強い女性です。そういう女性にはときどき、《赤い靴》のような童話が必要だと思うのです。それで、その映画を見ているときには、ベッドに腹這いになって、まるで子供が窓から覗いているようにして映画を見ているわけです。
●返還ということについて、直接的な表現は少なかったと思うのですが・・・。
まず、私は直接的に表現するのではなく、曖昧な語り口を探します。間接的な方法で撮ろうとします。気が付かない人もいるかもしれませんが、この映画で言えば、初めに出てくる古い空港と最後に出てくる青馬大橋で、返還を表しています。私がいつも面白いと感じるのは、それはイマジネーションを与えてくれるものです。
●《地下情》の最後の場面で、瀕死の周潤發(チョウ・ユンファ)と梁朝偉(トニー・レオン)が一緒にいるところが、初めてみたときには大変に不思議に思ったのですが、その後、監督がカミングアウトしたと聞いて、了解がいったのですが、そのような解釈でいいのでしょうか? また、カミングアウトしてからプレッシャーというものはあるのでしょうか?
《地下情》だけではありません、私の映画ではあらゆる所にセンシティビリティー、ホモエロティシズムというものを表現しています。《ロアン・リンユイ》にしても《ルージュ》にしてもそうです。《ルージュ》では、初めて張國榮(レスリー・チャン)と男装した梅艷芳(アニタ・ムイ)が出会い、顔を近づけて歌を歌うところでも、そういう論議が出たことがあります。
カミングアウトしてプレッシャーはありません。映画を作る人間として、カミングアウトはごく自然なことでした。私の親しい人が問題がないと言えば、あとは何も問題はありません。
テープに取っていたわけではないので、多少の要約と言葉の違いがあるとは思いますが、ほぼ内容を書き留めました。
実は私もこの中の1つの質問をしたのですが、ホールがそれほど大きくなかったのと、監督がいる位置と私たちの客席が同じ平面上であったこともあるのでしょうが、監督は必ず質問者の方を見て話して下さったのが、大変に印象的でしたし、感激しました。今回のティーチインはすべて北京語で行われたので、私は北京語は、ほんの2、3の単語しか分かりませんが、監督が私の顔を見て答えてくれるので、頷くより仕方ありませんでした。