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香港で或いはVCDで見て気に入った作品を紹介しています
日本未公開作品です是非日本公開を

File No.7


 旺角黒夜 One Night in Mong Kok 2004年作品
監製◎方平(ヘンリー・フォン)
導演◎
爾冬陞(デレク・イー)
編劇◎
爾冬陞(デレク・イー)
角色◎來福=呉彦祖(ダニエル・ウー) 
   丹丹=張栢芝
(セシリア・チョン) 
   苗志舜=方中信
(アレックス・フォン) 
   老鬼=錢嘉樂
(チン・ガーロッ)
   阿偉=王合喜
(ケン・ウォン)
   彬仔=梁俊一
(アンソン・リョン)
   老六=林雪
(ラム・シュ)
   [青見]輝=李燦森(サム・リー)
   九哥=方平
(ヘンリー・フォン)
   口水光=車保羅(ポール・チェ)
   老虎=Eddie
 クリスマスが近い旺角の繁華街。街頭で大陸客を取った取らないというチンピラ同士の争いが、どんどん大事になり、殺人事件に発展。さらに2人の大哥を巡って不穏な動きが旺角全体を覆っていく。ヤクザの動きに不審なものを感じた苗Sir(方中信)らが、警戒を強めていくなか、大陸から殺し屋(呉彦祖)がやってくるという情報を手に入れた。警察は、2人の大哥と殺し屋をやっきになって探し出そうとする。手配師(林雪)夫婦を捉え、殺し屋の潜伏先を探ろうとする警察だが、殺し屋は容易には探し出せない。
 当の殺し屋は、香港へやってきたのは、殺し以外に、祖母の面倒を見ると言って香港へ出て音信不通になっている元恋人を捜すという本当の目的があった。しかし潜伏先の安宿で客に殴られる娼妓(張栢芝)を救ったことから、警察から逃れる殺し屋と、客から逃げる娼妓の旺角内逃亡が始まった。
 3人を探し出せず上からイヤミを言われる苗Sirは、新たな命令を申し出る。そしてクリスマスイヴ、全ての旺角担当警官が呼び戻され、「旺角黒夜」行動が開始された。殺し屋は殺しを実行出来き、恋人を探しだせるのか。苗Sirは、殺し屋を探しだし未然に防げるのか・・・。
 呉彦祖は、こころ持ちは素朴で、普段は冷静だが、キレると暴力的で非情な事が出来るアンバランスな感情を備える殺し屋を、よく演じている。微妙に田舎臭いところを服装と眼鏡で表現しているが、違和感がない。最後には顔全面を血だらけにしての熱演。
 最初は呉彦祖のもっている金をなんとか手に入れようとする張栢芝の娼妓は、これが思ったほどしたたかさと、暗さが感じられないのが少し残念だ。それは、もしかしたら彼女の身体が細すぎるのと、顔が整い過ぎているからかもしれない。したたかさ=欲は、やはり多少肉感的で下品な必要があるのかもしれない。台詞の普通語部分は張栢芝によく似た声の吹き替えになっており、普通語なまりの広東語を話させるなど、かなり気を使っている。
 方中信の役は、爾冬陞プロデュース、張國榮・方中信主演《鎗王》の苗Sirのその後である。人を撃ってしまったことで人格が変わり、家庭が崩壊している。鉛のようなものを胸に抱え、ほの暗い心を持った中年の刑事を、非常に的確に表現している。今までからは想像出来ない抑えに抑えた演技で、さらに成熟しているのがわかる。方中信、いつもは台詞回しに、微妙な緊張感が伴うが、この映画ではそれがなく、こんな演技を隠し持っていたのかと驚く。
 警察陣の脇を固める王合喜、錢嘉樂、梁俊一についても細かく感情が描かれている。特に王合喜の粗暴な性格と、かつて犯人を射殺して銃の腕に自身たっぷりの梁俊一の思慮のなさが、後半に向かって物語の重要なキーになっていく。さらにヤク中の密告屋・車保羅、手配師の林雪についても、最後まで脇役を見捨てることなく、全てが結論に向かって収斂していく。
 手持ちカメラを多用して撮影された夜の旺角、比較的多い顔のアップが、映画に緊張感を与えてくれる。少し長め(2時間弱)だが、緊張感はとぎれることがなかった。いまのところ、今年1番の映画。

 2002 2002 2001年作品
監製・編劇◎谷徳昭(ヴィンセント・コック)
導演・編劇◎
葉偉信(ウイルソン・イップ)
角色◎潮=謝霆鋒(ニコラス・ツェ)
   風=馮徳倫
(スティーヴン・フォン)
   紙紮陳=羅家英
(ロー・ガーイン)
   Sam=李燦森
(サム・リー)
   Rain=李彩樺
(レイン・リー)   
   Danielle=Danielle Graham
   火鬼=安雅
(アヤ)
   水鬼=方力申
(アレックス・フォン)
 「2002」とは、科学的では解決出来ない霊に関する事件を担当する特別な部署。霊的能力を備えた刑事・潮(謝霆鋒)のパートナーは、かつて誤って射殺してしまい今は霊となっているSam(李燦森)だ。
 交通課の刑事・風
(馮徳倫)は、ある事件現場で自分にも霊視能力が有ることに気づき、「2002」への配属を希望してきた。Samには転生の時期がやってきていた。次なるパートーナーはどうやらこの風らしい。父も母もなく、自分にかかわった人すべを死に至らしめてしまうという、生まれながらに天涯孤独の運命を背負っている潮は、風の人なつっこさになかなか慣れない。さらに風は幽霊が怖かった、なんということだ。潮の唯一の理解者は葬儀用品を売っている紙紮陳(羅家英)だけだ。
 深夜事件が発生した。レイブパーティーへ駆けつけた2人の前に、怪しく妖艶に踊る炎のような女
(安雅)が現れた。彼女こそ、この会場のすべての幻を作り出していた正体・火鬼だ。彼女をしとめた2人だったが、彼女には水を操る彼氏・水鬼(方力申)がいた。火鬼の復讐を始める水鬼に、2人は立ち向かわなければならない事になった。
 武器もよく見れば可笑しいし、水泳王子演じる水鬼は水の中ではまさに水を得た魚で、吹き替え不要。火鬼、水鬼のメイク、謝霆鋒、馮徳倫の黒づくめ衣装、羅家英のキャラクター、謝霆鋒と馮徳倫の妙にかわいらしい恋愛と見所もいっぱい
(笑)。ところで方力申、英語名なんとかならない?
 監督・葉偉信の前作《神偸次世代》、不満だった。その大きな原因の1つは、主人公のキャラクター設定と黎明がどうもしっくりこないこと。かつて彼女を死なせた過去を持ち、心を閉ざして自らを律して生きているという設定だが、快楽追求してそうな黎明に合わない。黎明にはもっと相応しい役があるはず
(ランニングで氷を運ぶとか、田舎の警官とか、尖沙咀で自転車こぐとか>本人もしくはファンが望んでる姿と、似合う役は明らかに違うのだ)
 さらに不満の原因は、葉偉信が本当に描きたかったものが描けなかったに違いないと思うことだ。葉偉信が描きたかったのは、ただのアクションではないはず。彼の気持ちが見えてこない。そこが、どうもこの映画を観て感じる歯がゆさだった。そしてこの不満を解消してくれた作品こそ《2002》なのだ。
 主人公・潮
(謝霆鋒)は天涯孤独の星のもとに生まれてるって、これじゃ《中華英雄》の華英雄(鄭伊健)。じゃ子供(謝霆鋒)も同じ運命なのか(笑)。冗談はさておき、陰と陽に謝霆鋒と馮徳倫をあてる。全編にただようウエットな感情。これでこそ監督・葉偉信。主人公は孤独を抱えて、自閉的。その主人公が「愛」を知って心を他者に開き、成長してくという過程も基本的には前3作《爆裂刑警》《朱麗葉與梁山伯》《神偸次世代》とも同じ(以下ネタバレ注意)
 特に《爆裂刑警》《朱麗葉與梁山伯》では「主人公」と「死」がある意味を持って語られる。《爆裂刑警》では、呉鎮宇演じるMikeは、いずれは死に至るであろう病気を抱えている。そして物語の最後には、やはり彼は死んでしまう。《朱麗葉與梁山伯》でも、佐敦
(呉鎮宇)は最後に死んでしまう。しかし、これらの死をことさら悲劇的には描こうとしてはいない。「死」は何処にでも、誰にでも必ずやってくるものとして、「死」を特別視していないように見える。有る意味達観してるところもあるし、仕方のないことと言う風にも見える。さらに「死」ですべてが終わってしまうのではなく、「死」は次の世代へ続いていくための手段だと言っているようにも見えるのだ。
 《爆裂刑警》では、呉鎮宇が希望
(生きる糧)を見いだした子供(自分の子供ではないが)とその母親、そして古天樂、雪兒、羅蘭の心の中に、呉鎮宇の思いと想い出は刻み込まれて、消えることはないはずだ。古天樂に到っては、最後に呉鎮宇と同じ服装で現れ、彼の中に呉鎮宇が生き続けていることをはっきりと観客に訴えている。《朱麗葉與梁山伯》では、一度はたぶん自分も「死」を意識したであろう乳ガンを患った呉君如が、呉鎮宇の出現で救われ、呉鎮宇も呉君如により目標を見つける事が出来た。しかし「死」は、呉鎮宇を選んだ。その「死」は呉君如に悲しみをもたらしてはいるだろう。しかし呉鎮宇との心のふれあいで、自らが女として生きた時間をはっきりと心に刻み込んだに違いない。大袈裟にいえば、生きる希望を見いだし、そのことを心にしまい込み支えにして、生きていけるのではないか。それは最初と最後に挿入されるコーラを買う場面が示している。そしてこのコーラは彼女の祖父の死も彼女の心に有ることをも意味している。「死」で人生は終わるのではない。思い出は、おのおのの心に中に生き続けていくのだ。そう思えば「死」は近しいものに思えてくるし、おそれる必要のないものだと思える。ところが《神偸次世代》では、主人公・黎明と「死」を巡る物語がどうも弱い。黎明が過去の「死」のイメージから、突き動かされていく動機が、今ひとつ読みとれないのだ。だから葉偉信にしては、《神偸次世代》に深みが感じられない。きっと監督も不満だと思う(笑)
 そして《2002》で状況は進む。主人公は、かかわった者がみな死にいたる天涯孤独の運命を背負っている。すでに母も父も死んでいる。謝霆鋒は霊
(死人)と協力して事件を解決している。その相手はかつて自分が死に追いやってしまった警官(李燦森)。馮徳倫は霊視の能力がある。謝霆鋒が思いを寄せるのは看護婦(Danielle)、逢った途端に「昨日病院では何人の人が死んだのか」と謝霆鋒は聞く。その病院で昏睡の少女(李彩樺)に彼氏だといいつのる馮徳倫。決定的なのは羅家英の職業だ。香港では死者を送るさいに、様々な紙で作った製品を燃やして死者に渡すという風習がある。羅家英は、この死者に焼いて送る紙で出来た品(生前死者が使っていたのもと同じものを紙で作ったもの。その種類は様々でお金はもちろん、車や携帯電話なんていうものもある)を売っている葬儀用品屋の主人だ。さらに「死」は、あらかじめ決められたものだと馮徳倫に言う、謝霆鋒。それは絶望ではないとも。「死=無」と捉えない独特の感覚は、監督の経験値なのか、はたまた、アジア的香港的な生死観なのか。
 「死」を巡るエピソードがこれでもかと映画全編を覆ってくる。これらが「核」となって、はじめて葉偉信の本領は遺憾なく発揮される。CGを使い、ハイテク風な武器も使っている、アクションも切れはよく、出ているのは謝霆鋒や馮徳倫なのに、スカっとしない、こんなにもウエットな映画を作ってしまうのが葉偉信というわけだ。しかし、それが、いかにも香港映画ではないか。ハリウッド産では絶対に出せない味、香港だから作れる味なのだ。
 第21回香港電影金像奨最佳視覚効果奨にノミネート。
 日本公開予定もあり。

 等候董建華發落 From The Queen To The Chief Executive 2001年作品
監製◎南燕(ナム・イン)
導演◎
邱禮濤(ハーマン・ヤウ)
編劇◎邱禮濤(ハーマン・ヤウ)
角色◎
張有銘=李尚文(デヴィド・リー)
   張譽玲=艾敬
(アイ・ジン)
   梁忠勤=[登β]樹榮
 李尚文クン目当てで見たんですけど、これが結構好くできているんで、こういう映画こそ、ここで紹介しておかなくては。だって誰も紹介してくれないから(笑)
 司法問題は、まったくもって専門外だから、以下の説明が間違っている可能性も有ることを、先にお断りしておきます。それでもこの映画が好く出来ていることにはかわりないので、敢えて失敗をおそれず、紹介することにしますので、間違いがありましたら、お知らせ下さい。
 香港では未成年による凶悪犯罪などで、実刑判決を言い渡せないものには、「無期限拘留」という措置をとる(これを「等候英女皇發落
(Detention During Her Majesty's Pleasure)」という。宗主国の英国はどうか分からない)。1885年に起きた「寶馬山外国人カップル殺害事件」の犯人グループの一人・銘仔(李尚文)もその一人だった。当時未成年だった彼の拘留は、すでに10年が経過し、目前に香港の中国への返還がせまっていた。彼以外にも22人(彼を含めて23人)の青年が、同じく「等候英女皇發落」として、刑が確定しないまま拘留されていた。彼らの措置は、無期懲役とは異なり、あくまでも「無期限拘留」である。恩赦や特赦という可能性も十分に考えられる。このまま返還を迎えたらその後、彼らはどうなってしまうのだろうか。
 譽玲
(艾敬)は、偶然に銘仔の文章を見つけ興味を抱いた。拘置所に面会に行った譽玲は、彼らの処遇を知って、求刑と減刑運動を興そうとする。実は譽玲自身も、幼い頃に叔母を死に追いやろうとした過去を持っていた。また母との感情のこじれで、長いこと家には帰っていなかった。譽玲の熱意におされ、この運動を支えることになる議員・梁も、妻は仕事を持ち、自らも多忙を極め、子供とのコミュニケーションもままならず、妻ともしっくりいかなくなっていた。
 銘仔と譽玲の心の交流、譽玲と母の関係、梁議員の家庭問題を絡めながら、「等候英女皇發落」の23人の姿と、立法への抗議運動の様子を浮き彫りにしていく。結局、彼らの処置は、そのまま特区政府に受け継がれ「等候董建華發落」となってしまった。しかし、彼らには上告する権利さえ与えられていない。
 ドキュメンタリーにせず、過度な感傷も廃して描く事によって、より鮮明に浮かび上がる現実。未成年の犯罪にはすべからく、彼らと家族との関係が深くかかわっていることを、譽玲と母、梁議員の家族のあり方を見せることによって、観客に提示している。それがこの映画が、商業的にも鑑賞に堪えうる作品となっている所以である。
 またBEYONDの主題歌がこれまた、いい具合で、映画にぴったり。
 公開時、香港では話題になったとは思うけど(『電影双周刊』にも記事あったはず)、なんせ社会問題を扱っているだけに、興行成績などは望むべくもない。ただ、南燕がこういう作品をプロデュースして、邱禮濤が撮り、中国星が出資しているというだけでも、ある意味奇跡(中国星一押しの李尚文を主役にあてることで、出資が可能になったとも言われている)。
 肝心の李尚文クンですが、この映画の彼は、ヒーローでも、なんでもない普通の青年なので、オーラがない(隠してるのか?)、ごく普通のちょっとハンサムな青年でした。尚文クン角度によってずいぶん顔が違う? 艾敬も普通っぽいので、人選的には好かったように思います。
 奇特な配給会社の方、もしくは映画祭関係者の方、是非、日本語字幕付けて上映して下さい。そして他国の例なども含めて、法律的な所も解説してくれれば、なおさら好い。司法問題は難しいです。
 第21回香港電影金像奨最佳男配角に李尚文(李[火華]尚)がノミネート。



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