Telefonica-Dakar 2005

 

 

2005.1.14  Dakar 2005 STAGE-12

ステージがキャンセルとなったモト(2輪)は東敏夫(ホンダ)が11日のステージのゴールだったキッファにたどり着くことができず、残念ながらリタイア。飛行機でバマコに到着し、今日はリエゾンだったことを知ってがっくり。日本人ライダーは計12台しか完走できなかった93年大会以来12年ぶりの全滅となってしまった。

 

2005.1.13 Dakar 2005 STAGE-11 途中経過

01&02年のモト王者 ペレス選手に次ぎ今回2人
F・メオーニ選手(KTM)が11日、モーリタニア・アタールからキッファまでの第11ステージで転倒事故を起こし、死亡した。主催者によると同選手はこの日午前10時15分、184km地点で他の選手に発見され、ただちに心臓マッサージを受けたものの、ほぼ即死状態だった模様。10日夜にはアタールでブリーフィングが行われ、6日のステージで事故死したJ−M・ペレス選手に選手全員で黙祷を捧げたばかりだった。

STAGE-10:No.137 東 敏夫/115位 

休息日:
モト(2輪)で生き残った日本人勢は東敏夫(ホンダ)だけ。河合アユム(ホンダ)は6日のステージでガス欠を起こしてリタイア、三ケ尻俊雄(ホンダ)もティシットを通過したことは確認されているが、ティジクジャのSSスタートに間に合わなかった。

スペインのペレス選手 転倒して腹を強打
J−M・ペレス選手(KTM)が10日朝、スペインの病院で死亡した。モト(2輪)に出場していたが、6日のステージで転倒し、腹を強打。セネガル・ダカールの病院に運ばれた後、スペインに移送されていたもの。今回が4回目の出場だった。

2005.1.10 Dakar 2005 休息日

アドラール地方の中心地、アタールは17世紀にシンゲッティの部族が起こした町で、トランスサハラの重要なフランスの基地となった。町の中心は畑やヤシの木が植えられているが、旧市街は鍛冶職人の市場を中心に多くの民芸店が並ぶ。
ここでは、皮の民芸品、じゅうたん、銀のアクセサリー、サンダルなどアドラール特有の民芸品が売られている。

STAGE-9   No.137 東 敏夫/126位 (129台中)

2005.1.9 Dakar 2005 STAGE-7 STAGE-8 STAGE-9

STAGE-7での到着車両が少なかったことと天候不良の為、STAGE-8 の SSはキャンセルされたようである。

モト(2輪)の三ケ尻俊雄(ホンダ)は午後7時になってやっとティシットに到着。タイム・アウトを避けるために休む間もなくティジクジャに向かった。一度はリタイア・マシンを収容するカミオンバレー(スイーパー)に乗ったものの「オフィシャルから降りてレースを続けてもいいと言われて。ここは燃費がきつくてガス欠に苦しんだ」と息も絶え絶えだった。

STAGE-9 途中経過

モト(2輪)はこれまで92台がフィニッシュ。F・メオーニ(KTM)が通算23時間41分32秒で総合首位を奪取。
KTM勢が上位を占めている。日本勢は三ケ尻俊雄(ホンダ)、河合アユム(ホンダ)がスタート前にリタイアとなってしまった。
東敏夫(ホンダ)はまだ到着していない。(日中新聞より)


2005.1.8  Dakar 2005 STAGE-7   ズエラット〜ティシット(リエゾン9km、SS660km)

コース説明
ふたつの崖に挟まれたエルガラウィヤ (El Ghallaouiya)の峠を抜けるところまで、点在砂丘がいくつかある広大なフラット路面。
そして、連続したエルグ(小砂丘)が、エル・ムライェ (El Mourayer) の抜け道を通過するまで続き、その後100kmあまりキャメルグラスのゾーンになる。
このキャメルグラスの中、チシットのオアシスに行くことのできる唯一のピストを見つけ出さなくてはならない。
 
本日はチシットに着いたら燃料を入れ、すぐにパルクフェルメになる。パリ・ダカールラリーならではの”正真正銘”のマラソンステージだ。

=中日新聞 7日23:20 より=

第27回ダカール・ラリーは6日、モーリタニア・ズエラットからティシットまでの総走行距離669km、うちスペシャル・ステージ(競技区間=SS)660kmで第7ステージを行い、篠塚建次郎(日産)が無念のリタイアを喫した。出場20回目のメモリアルだったが、SS120km地点で痛恨のクラッシュ。契約を結ぶ欧州日産に入った情報によると、篠塚に特にケガはないものの、ナビゲーターのP・メモンがクラッシュの際に首と胸を痛めたようで競技続行が不可能となった模様。欧州日産広報は「2人とも大丈夫と聞いている。メディカルに運ばれた後、ヘリでヌアクショット(モーリタニアの首都)に移った」としているが、ともあれ56歳のベテランは無念の3大会連続の途中離脱となってしまった。

 一方、トーチュウ号のTEAM・LAND CRUISER・TOYOTA・AUTOBODY(TLC)の片山右京も残り5km地点でガス欠症状でストップ、絶体絶命のピンチに陥ったが、同じ症状でその手前で止まっていたJ−J・ラテに救出され、24時間近い格闘の末SSを奇跡的にクリア。右京にとってティシットはデビュー戦となった02年もリタイア危機に陥った苦い思い出のある地。失格宣言20分前にラテとともにビバークに到着し、総合42、40番手となった。

 ダカール・ラリーは「800kmを無給油で走る車を製作せよ」とのレギュレーションがあり、TLCも容量330リッターのタンクを搭載。しかし、チームが用意したラリー用燃料タンクも安全対策のためムースと呼ばれる燃料をしみこませる保護材が内側に取り付けられており、燃料が残っているのにエンジンがかからない症状がみられる上、このステージはキャメルグラスが多く、燃費がきつかったようだ。

 浅賀敏則も残り8kmでガス欠症状でストップしたが、エンジンへつながるホースに燃料がわたるよう車を前傾にさせて奇跡的にエンジンが復活。それでも到着は午前2時を回っていたが、SS20位で総合19番手につけている。

 オート(4輪)の総合首位はS・ペテランセル(三菱)。難コースをものとせず、2番手以下に20分以上の大差をつけるパーフェクト・ランで2日連続でSSを制し、通算17時間51分47秒でついにトップへ躍り出た。

 N・アルーアティヤン(BMW)がSS2番手と健闘し、総合でも4番手に浮上。所属のXレイド・チームは前MMSP(三菱のモータースポーツ統括会社)社長のS・クワント氏がチーム代表に就任したばかりで、ワークス勢が次々と消えていく中での奮闘が光っている。

 L・アルファン、増岡浩の三菱勢がSS4、5番手で総合2、9番手。増岡はスタックこそしなかったものの、途中でタイヤの空気圧を落とすなど、想像以上の苦戦だったようだ。J・クラインシュミット(VW)が総合3番手につけている。池町佳生(日産)はリタイアを決断した。

 モト(2輪)はSS2番手のM・コマ(KTM)がトータル18時間18分21秒で総合トップ。C・デプレが16秒差の2番手、A・カルテコットが3番手で続き、KTMが上位を独占している。日本勢は、東敏夫(ホンダ)、河合アユム(ホンダ)がタイム不明の状況。三ケ尻俊雄(ホンダ)はリタイアとなった。

 カミオン(競技トラック)はF・カビロフ組(カマズ)が23時間11分03秒で総合首位。日野レンジャーのチーム・スガワラは菅原義正組が総合3番手、照仁組も6番手に浮上した。

2005.1.7 Dakar 2005 STAGE-6     スマラ〜ズエラット(リエゾン121km、SS492km、リエゾン9km)

No.137 東 敏夫/144位   No.138 川合 アユム/182位   No.139 三ヶ尻 俊雄/104位
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MOTOは現在190台です。川合さん頑張れ〜。

- CARS -
篠塚建次郎(日産)がトップと約25分差で総合11番手につけたのが最高位。三橋淳(日産)も総合20番手と健闘している。
しかし、池町佳生(日産)はエンジン・ブローを喫し、サポートカーに牽引されて何とかビバーク地にたどり着いたものの、リタイア。
昨年のT1クラス覇者が早くも戦列離脱を余儀なくされた。

2005.1.5 Dakar 2005 STAGE-5      アガディール〜スマラ(リエゾン240km、SS381km、リエゾン33km)

No.137 東 敏夫/121位   No.138 川合 アユム/172位   No.139 三ヶ尻 俊雄/98位
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MOTOは現在209台です。

STAGE-4 
モト(2輪)は出走時間が早いため、スタート地点のラバト周辺が濃霧に見舞われたことからSSをキャンセル。三ケ尻俊雄、河合アユム、東敏男の3人も無事にアガディールに到着した。

2005.1.2 Dakar 2005 STAGE-3

Stage-2はキャンセルになったようです?

No.137 東 敏夫/213位   No.138 川合 アユム/206位   No.139 三ヶ尻 俊雄/152位
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2005.1.1 Telefonica-Dakar 2005

今年も遂に始まりましたパリダカ!なんと2度目の出場の川合さんとモンゴルで一緒だった三ヶ尻さんが
出場しているのであります。他に熊本在住の東 敏夫さんがMOTO部門です。

以下「中日新聞」より

ベンチャー企業創業者の河合と大分市職員の三ケ尻

河合アユムと三ケ尻俊雄、異色の経歴を持つ2人が「チーム・スガワラ」のレンタル・バイク・システムを利用して05年大会に参戦する。河合はベンチャー企業の創業者で元会長で、紀村龍一の選手名でエントリーした04年大会に続いての出場。86年にコンピューター・セキュリティーのベンチャー企業「イーディーコントライブ」を大阪府吹田市に設立。東証マザーズへの上場にも成功し、現在は年商25億円の大企業にまで発展させた。04年3月に後進に道を譲って会長職を退任。無給の名誉社員となったが、大学の非常勤講師を務めるなど、今でもやり手の企業家として知られる存在だ。

 初出場だった前回は友人2人とともに「ピヨコ隊」を結成し、225CCのヤマハ・セローで参戦。しかし、体力の限界を感じて早々とモロッコ・ステージでリタイアした。その苦い経験をかみしめ、リベンジするためにファラオ・ラリー、UAEデザート・チャレンジに自費で参戦し、普段も大阪のダート・コースで950CCの大排気量バイクでトレーニングに明け暮れてきた。今回は取引先に配慮して被った“紀村”の覆面を脱ぎ捨てて“カミングアウト”。04年大会のリベンジに闘志を燃やしている。

 一方、三ケ尻は大分市の環境対策課に勤める“お役人ライダー”。とはいえ、モトクロスの元国際B級ライダーでバハ1000、オーストラリア・サファリ、ラリーレイド・モンゴルなどクロスカントリーへの参戦歴も豊富で、今回は満を持してダカール・デビューとなる。しかし、お堅い仕事とあって、最も大変だったのは長期間日本を離れること。1カ月近く勤務から外れることになるが、年末年始の休暇、有給休暇をフルに活用し何とか休みを捻出(ねんしゅつ)、参戦に漕ぎ着けた。

 05年大会は28日、公式プログラムがスタート。スタート地となるスペイン・バルセロナでは五輪のメーン会場だったモンジュイクの丘の屋内競技場で地元のプライベーターを対象に車検が行われ、アシスタンスカーを含む83台が検査に臨んだ。29日は日産ワークス、シュレッサーバギーなど、30日には三菱ワークス、日産ドスード、トーチュウ号の「チーム・ランドクルーザー・トヨタ・オートボデー」(TLC)などが登場する予定となっている。

 ▽河合アユム
 前回はまだ会長だったので名前を変えてエントリーしたが、“ニュースステーション”で顔が割れてしまった。でも、今は名誉社員の身。ちょうど40歳となったし、自分ではリセットする時期だと思っている。前回はやり切れなかった部分が多いので再度挑戦した。完走するために1年がかりで荒行をしてきたつもりだ。

 ▽三ケ尻俊雄
 職場の同僚たちはダカール・ラリーに出ることを本気で信じてくれなかった……。(出場が)いろいろなところにバレてしまって大変でした。参戦するために借金もしたので早くても次のチャレンジは2、3年先になる。何とかしてもダカールにたどり着きたい。

STAGE−1

No.137 東 敏夫/212位   No.138 川合 アユム/214位   No.139 三ヶ尻 俊雄/154位