another face 〜電網の恋人〜
第三話・贖罪
「…………………解った。」
そう言うと俺は柴崎の側に近づき、幼児が蟻を踏み潰すように柴崎の脚の上に足を上げ…。
………。
……………。
…………………。
………………………。
……………………………。
勢いよく下ろした。
がちゃっ…パタン
「あっお帰りなさい。お兄ちゃ…その痣!」
「乃絵美……すまん。」
俺の顔を見て、玄関で俺を待っていた乃絵美の表情が凍り付いた。
そして次第に目が潤み出す。
「おに…いちゃ…スン……はな…しだ…グス…けって…ウウッ。」
目に涙を溜め駆け出す乃絵美、しばらくすると二階からドアを閉める音が響いてきた。
とはいえ予想していた事なので、とりあえず痣を冷やすために台所にアイスノンを取りに行くと、丁度台所で夕食の準備をしていた母さんが、俺の顔を見て一瞬ギョッっとした顔を向ける。
しかし、俺が笑いかけると全てを理解したのか、タオルに包んだアイスノンと冷たい麦茶をくれた。
乃絵美が機嫌を損ねた時や、泣き出した時にはいつも俺が慰めていたから、乃絵美の扱いに関して、母さんは全幅の信頼を俺に寄せてくれている。
取り敢えず、麦茶を一気に飲み干し喉の渇きを癒すと、俺は乃絵美の部屋に向かった。
コンコン
取り敢えずノックをしてみたが、当然返事はない。
「乃絵美、入るぞ。」
一応断って中に入ると、部屋の中は真っ暗だった。記憶を頼りに乃絵美が泣き伏しているであろうベッドに暗闇の中を一歩踏み出すと、
「来ないで!出てってよ!!。」
と、普段の乃絵美からは考えられないほどの強い口調で、俺を拒絶した。仕方なくそこで立ち止まり、アイスノンを痣に当てながら口を開こうとすると、
「何も聴きたくない!お兄ちゃんなんて大っ嫌い!!」
と泣き声交じりに叫んだ。
しかしここで引き下がる訳にはいかないので、ようやく自分の手が見える程に慣れてきた視界を頼りに、ベッドの上で耳を塞ぎうずくまっている乃絵美の側に近づいた。
取り敢えず乃絵美を少し落ち着かせようと、頭を撫でると、
パン
手を跳ね除けられた。どうやら完全に俺を拒絶するつもりらしい。
出来ればそっとしておいてやりたい。
だけど今言わなければ、乃絵美の心に決して癒される事の無い大きな傷を残してしまう事になる。
乃絵美には辛いかもしれないが、少し強引な手段を使わせてもらう事にしよう。
「乃絵美…。」
相変わらずベッドの上で耳を塞ぎうずくまっている乃絵美を思いっきり抱きしめる。
「ッ!」
すると乃絵美はこの細い体の何処にこんな力があるのかと思うほど激しい抵抗を示した。
俺の腕から逃れようとする腕が痣を叩き、爪が頬を引っかく。
しかし俺は、乃絵美を逃がさないようにきつく抱きしめたまま、優しく髪を撫でた。
どれくらいそうしていただろう。話を聞く気になったのか、または単に力尽きたのか乃絵美は大人しくなった。
「話…聞いてくれるか?」
「……………
うん。」
それから俺は乃絵美を抱きしめていた腕の力を少し緩め、髪を撫で続けながら、顔に痣が出来た理由を話し始めた。
「…………………解った。」
そう言うと俺は柴崎の側に近づき、幼児が蟻を踏み潰すように柴崎の脚の上に足を上げ…。
………。
……………。
…………………。
………………………。
……………………………。
勢いよく下ろした。
ガッ!
「……何故…外した。言ったはずだ覚悟は出来てる。」
「…悪いが試させてもらった。だが、お前がもし避けていたなら、遠慮無く両脚の骨を折るつもりだった。」
俺の足は柴崎の右脚を2cmほど外して石畳を踏みつけていた。
「お前はそれでいいのか?」
「…俺は元々喧嘩するつもりでここに来たんじゃない。お前の事をもっと知りたかったからここに来たんだ。」
初めて『驚き』と言う感情を顔に表した柴崎に、俺は本心を語る。
「俺を…許してくれるのか……?」
「まあな。」
「……そうか、これで終わったんだな…。」
終わった…何が?
「見ろ。」
俺の疑問に気付いたのか、そう言うと柴崎は着ていた長袖のシャツを脱いだ。その体には、引っ掻き傷や痣が十数個、中には火傷なども見えた。
「お前その体…。」
「そう、これが俺の贖罪の証…もっともお前から受ける傷が一番酷いと思っていたんだがな。」
と言って柴崎が微笑む。何か大きな仕事を終わらせたと言った感じの素直な笑顔だった。
初めて見る柴崎の笑顔につられて俺も微笑みながら、柴崎との関係を白紙にする事を…いや、それより一歩進める事を決めた。
「柴崎、俺を殴れ。」
「何?」
「俺はお前の決意を聞く前に殴っちまった。だからその分、俺を殴れ。じゃないと俺の気が済まない。」
「お前……解った。」
柴崎は暫(しば)らく俺の顔を見つめると、俺の思いを理解したらしく、右の拳を握り締めた。
「思いっきり来い!」
「…という訳だ。その後は、暗くなるまで話をしていた。この顔のまま昼間の街を歩けないからな………どうした?」
話を終えると乃絵美が腕の中で小刻みに震えている事に気付いた。
腕を緩め顔を覗き込もうとすると、乃絵美は俺の胸に顔を埋め、背中に腕を回してきた。
「おにい…ちゃん…ウゥッ!」
そのまま、まるで小さな子供のように大声で泣き出す。
おそらく今、乃絵美の中では『後悔』、『謝意』、『喜悦』といった、さまざまな感情が一緒になって渦巻いているのだろう。その感情を全て一緒に表現する方法が分からない。
だから泣くのだ。丁度赤ん坊が自分の意思を伝える術を知らないから泣くように……。
そんな乃絵美を俺は優しく抱きしめて、
『乃絵美に必要とされなくなるまで、この愛しい妹を支え、護ってやろう。』
そう再び心に決めた。
「……ん。」
窓から射し込む朝日に顔を照らされ、目を開ける。
「っ!!なななっ!なんで!!。」
すると目の前に、乃絵美の安らかな寝顔があった。
しかし俺は、朝方で頭が惚けているのか、何がどうなって今の状況にあるのか分からなくて、何か取り返しの付かない事をしたんじゃないかと焦りまくる。
しかし、キスでも出来そうな距離にいる乃絵美の可愛い寝顔を見ていると、次第に昨日の事が思い出されてきた。
ええーっと……。
あの後、子供のように大声で泣き出した乃絵美は抱きしめていると次第に落ち着いて来たんだ…。
しかし、腕はしっかりと俺の背中に回されたままだったから、乃絵美が放してくれるまでこのままでいる事にしたんだっけ…。
そうしてると、乃絵美の声に驚いた親父と母さんが様子を見に来て、俺にしがみ付いて泣く乃絵美を見て微笑ましそうな顔をして帰っていったんだよな…。
実の兄妹が抱き合ってるって言うのに、親父も母さんも変な考え方をしないところは偉いというか、凄いよな…。それとも、一目見ただけで全てを理解したのか?
まあでも、俺達に毛布が掛けてあって、乃絵美の机の上に救急箱が置いてあるって事は、母さんがもう一度来たんだろうな…。
それから……。
「う…ん。あれ?お兄ちゃん?キャッなっなんで!?」
起きて直ぐ目の前にいる俺に驚くと、真っ赤な顔をした乃絵美は、慌てて俺の背中に回していた腕を解いて、身を離した。
今気付いたんだが、俺達昨夜からずっと抱き合ったままだったんだな……すっ凄く恥ずかしいぞ。
「えっあっえっと…おはよう乃絵美。」
「おっおはよう…お兄ちゃん。」
「…。」
「…。」
あまりの恥ずかしさに俺はクロゼットに、乃絵美は机に向かって挨拶すると、お互い顔を見合わせて、苦笑した。
「お兄ちゃん、ありがとう。」
俺に最高の笑顔を向けながら礼を言う乃絵美。どうやら怪我した甲斐はあったかな、と乃絵美に引掻かれた頬に触れると…すでに誰かが手当てしたらしく、ガーゼが貼ってあった。
いったい誰が?母さんだろうか?
頬に手を当てそんな事を考える俺を見て、乃絵美が今にも泣きそうな顔で近寄ってきた。
「お兄ちゃんごめんなさい!痛むの?私が引掻いて、お兄ちゃんを傷つけて…ごめんなさい!私が手当てするから、そこに座って!」
もう誰か(多分母さん)が、手当てしているので別にして貰わなくても良いとは思うのだが、そんな事を言えば乃絵美が泣き出しそうなそうな雰囲気だったので、大人しくその場に座った。
「
ハアハア…ただいま、お兄ちゃん。」「おかえり。乃絵美、しばらく休め。デリバリーは菜織に行かせるから。」
「ううん。だい…じょうぶ、私が…やるよ。」
今日最初のデリバリーの注文があったとき、乃絵美は俺の顔の傷が癒えるまで自分がデリバリーをすると言い張った。(夏休み中はデリバリーの範囲を拡大して、俺がする事になっている。)
菜織も最初は、
「乃絵美がやりたいって言ってるんだし、顔に傷のあるウェイターがデリバリーなんかしたら、評判が落ちるわよ。」
と言っていたが、帰って来る度に息を切らしている乃絵美を見て、ようやく自分が行くと言い出した。
「乃絵美、いいから少し休みなさい。このままじゃデリバリーの途中で倒れちゃうわよ。」
「そうだぜ乃絵美。お前今日はどうしたんだ?一生懸命って言うより、まるで自分を苛めているみたいだぜ。」
「そうそう、少し休んだほうが良いよ。無理は体に良くないんだから。デリバリーならこのミャーコちゃんがやってあげるから。」
菜織を始め、つい先ほど、お客として来たミャーコちゃんと冴子も心配そうに乃絵美に声を掛ける。
「ミャーコじゃ行ったっきり戻ってこないでしょーが。とにかく乃絵美は休憩しなさい。顔色が悪いわ。」
「……うん…みんなごめんなさい。じゃあ少し休むね。」
三人に言われて、やっと言う事を聞く気になったのか、少しフラフラしながら乃絵美は二階に上がって行った。
乃絵美の姿が見えなくなると、菜織達が一斉に俺に詰め寄ってくる。
「ちょっと乃絵美、本当にどうしちゃったの?あんな乃絵美初めて見たわ。」
「ありゃーちょっと尋常じゃないぜ、何があったか教えろよ!」
「そうだよ。ミャーコちゃんだって心配してるんだからね!私達にも友達として知る権利はあるよ。」
「解った解った。丁度客もいないし話すよ。別に隠すような事でもないしな。」
そう答えて、俺は柴崎との決着がついた事を話した。(ちなみに、その後の事は恥ずかしいので言わなかったが…)
「ふーん。つまり乃絵美ちゃんは大切なお兄ちゃんと、憧れの柴崎君が仲良くなったのが嬉しくて、はしゃいでるんだね☆。」
微妙に違う気がするが、まあ間違いでは無い。
「そうだったの…昨日、上の社に行った時、何やら話し声がするから「誰だろう?」って思ったら、アンタと柴崎君が笑い合って話してるじゃない。声掛けられなくてそのまま帰っちゃったわ。」
「菜織!お前見てたのか?」
「まあね。でも話の内容は聞かなかったわよ。じゃあ私行くから。」
と言うと菜織はアイスコーヒーを二つトレイに乗せて、ビリヤード場にデリバリーに出ていった。
「じゃあアタイ達もそろそろ行くか。」
「いつものトコだね☆今日は何を調べよっかなあ?」
と言うと二人も出ていった。
あの二人、結局何も飲まずに行っちゃったな。何しに来たんだろう?
寝る前に、伝言板をチェックすると、俺当てのメールが来ているのに気付いた。
『ピアニッシモ』
さんからのメールです。この前は貴重なご意見ありがとうございます。おかげさまで二人を仲良くする事が出来ました。これもWINDさんのおかげです。また何か困った時には相談に乗ってくださいね。
ピアニッシモ
『アプリコット』さんからのメールです。
WINDさんあなたの言った通りになりました。
私を挟んで険悪な雰囲気だった二人がたった一度話し合っただけでお互いを認め合い、そのまま日が暮れるまで話すほど仲良くなりました。今度また困った事があったとき相談に乗ってくれると嬉しいです。それではまた。
アプリコット
ふーん二人とも問題が解決したんだ。良かったな。
あれ?読んでる間にまた来たみたいだ。
『ピアニッシモ』
さんからのメールです。何度もすいません。
やはりWINDさんに直接会ってお礼を言いたいです。明後日の午後5時、桜美町駅前で待っています。都合が悪いようならメールをください。
それでは会えるのを楽しみにしています。
ピアニッシモ
『ナツ』さんからのメールです。
あっ!このハンドルネームは真奈美ちゃんだ。
『ナツ』
さんからのメールです。お久しぶりです。元気ですか?
お父さんの許可がやっと下りたので久しぶりにメールを送る事が出来ました。
今日は帰国する予定が決まったので、その報告のためにメールを送りました。
夏休みまでには帰りますって言ったのに、遅くなってごめんなさい。
帰国の予定は8月12日の予定です。いつミャンマーへ帰るかはまだ決まってません。
実は今日みちる先生に会いました。お父さんに会った後急ぎの用があったみたいですぐに帰っちゃったけど、明日また来てくれるそうです。
それでは帰国の日を楽しみにしています。
追伸
12日に空港まで迎えに来てくれると嬉しいな。
ナツ
そうか真奈美ちゃん明々後日に帰って来るのか…。
明日皆に話して、当日は皆で迎えに行ってあげたら、真奈美ちゃん喜ぶだろうなあ…。
ちなみに真奈美ちゃんはこの前俺にメールを送ったときにハードディスクをクラッシュさせて、しばらくパソコンに触らせてもらえなかったらしい。
相変わらずと言うか何と言うか…。
そうそう『ピアニッシモ』さんに返事を書かないと。
はいわかりました。都合を付けて必ず行きます。
僕も会えるのを楽しみにしています。
それでは、明後日桜美町駅前で会いましょう。
WIND
アドレスは伝言板に登録してあるし、これで良しと。
…そう言えば待ち合わせを桜美町駅前にするって事はこの辺に住んでるのかな?案外近くに住んでいたりして…。
まあ会ったときに聞いてみれば良いか。さあ寝よ寝よ。
To Be Continued...
第四話予告
「(乃絵美!)」
護るべき者への思い
「そうでも無いさ。」
懐かしい者との再会
「いや、菜織って良い香りがするなって思って。」
何時も側にいた者との絆
多くの者との絆を育むのが人生なのか
次回『another face 〜電網の恋人〜』
第四話・再会
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