闇
≪参≫
「……暗い」
「みさき!起きたのね。大丈夫?」
「雪ちゃん?」
気が付くとベットの上に寝かされていた。
消毒液等の甘ったるい匂いがするから、保健室だろう。
音から判断すると、雪ちゃんと私しか居ないのだと思う。
「一体何があったの?凄い音がしたと思ったら、みさきが階段に倒れてたんだから。…もしかして、踏み外したの?」
「……」
そう、私は…
確か階段を踏み外して…
でも…どうして?
「みさき?」
頭を打ったみたいで、記憶が少し飛んでいる。
私が額に手を当てて記憶の空白部分を思い出そうとしていると、返事が無いのを不思議に思った雪ちゃんが呼び掛けてきた。
反射的に笑顔を浮べて返事をする。
「え?うん…多分…」
「もう…気を付けなさいよ。どうせ、いきなり走り出したりしたんでしょ」
「…そうだね」
雪ちゃんの言葉に相づちを打ちながら、階段を踏み外した理由を思い出そうとし続ける。
でも、記憶が戻ってゆくにつれ、何故だが不快感が増して、思い出したくなくなってゆくのを感じた。
…どうして?
嫌で…
気持ち悪くて…
一層不快感を増しながら、ゆっくりと記憶が戻って行く…
…何が?
突然、知らない人に…
押さえつけられて…
「イヤァァッ!雪ちゃん!もう嫌だよ!」
「みさき!?」
「ねえ?どうして!?どうしてなの!?」
全てを思い出した私は、その事実を受け止められず、ただ雪ちゃんに質問をぶつけるしかなかった。
答えの無い質問だと分かっているのに…
「ちょっと、みさき!落ち着きなさい!」
「雪ちゃん!どうして、私がこんな思いをしなくちゃいけないの?ねえ?答えてよ!」
ただ泣き喚くだけの私に、雪ちゃんが当惑しているのが分かる。
でも私は、内側から沸き上がる衝動のままに泣き喚くのを止められなかった。
いま止めたら、心が壊れてしまいそうだから…
「もうこんなの嫌!死にたいよ!無くなりたいよ!」
「……」
もう嫌だ!
目が見えないから、こんな目に遭うんだ!
目が見えないから、あんな事されるんだ!
私は顔を手で覆い、全てを拒絶する様に首を激しく横に振った。
「嫌い嫌い嫌いィ!こんな目なんて!こんな体なんてェ!」
「……じゃあ、死になさい。止めないから…」
「…え?」
不意にポツリとそう呟いた雪ちゃんに、今迄、錯乱状態だった私の心と体が急に落ち着いた。
そして、今度は急激に冷めてゆく。
雪ちゃん…
いま、何て…
「そんなに辛いなら、死んじゃいなさいよ。みさき。」
「…雪ちゃん?」
酷く落ち着いた雪ちゃんの言葉に、私は体中から体温が奪われてゆくのを感じる。
あまりのショックに、涙も出なかった。
「今のみさきが死んでも、私は悲しまないわよ」
「……」
「だって、私の知ってるみさきは、強いもの…」
「……」
「どんな事があったって、笑っていられる…そんな娘だもの…」
そんなの雪ちゃんの幻想だよ…
私だって、耐えられない事くらい…
「そうじゃないと、私が生きてきた意味が無いから…」
「……」
淡々とした口調で続ける雪ちゃんに、私は次第に苛立ちを感じ始めた。
なんだ…
結局、その話なんだ…
雪ちゃんが、私を支えにしている事くらいは知ってるよ。
己惚れかもしれないけれど、全盲なのに生きている私は、雪ちゃんや普通の人達にとっては、とても心が強い人に見えるって言いたいんでしょ…
でもね…
「目が見えないなんて、ずっと真っ暗なんて、私には耐えられない…」
「……」
「正直、「明日になったら、みさきはいないんじゃないか」って思った事もあったわ」
「……」
「でも、みさきはいつも私の側にいて、笑顔を向けてくれる…」
「……」
「どんなに辛い事があっても、みさきの笑顔を見るだけで、そのことが凄くちっぽけに思えて、向かい合う勇気が持てた…」
ほらやっぱり…
そうやって、私を説得しようとしても駄目。そんなTVドラマみたいな手段は、何年も前に使われちゃってるんだよ。
そして、そんな言葉じゃ、もう私の支えにならない…
予想通りの雪ちゃんの話に、私は内心ほくそえむ。
だけど…それと同時に、雪ちゃんに説得されるのを望んでいる自分が居る事にも気付いた。
良いよね…死ぬ前に少しだけ我が儘になっても…
大好きな雪ちゃんに全部任せるから、私に新しい支えをちょうだい。
貰えなかった時は、素直に諦めるよ…
「だから、私はみさきの側に居て、出来る限りみさきの力になってきたつもりよ」
「……」
「みさきが死にたいのなら、止めないわ。だけど、みさきが居なくなった瞬間(とき)、私は今まで生きてきた意味を失うと言う事を、忘れないで…」
そこまで言うと、雪ちゃんは私の手を取って、自分の頬に当てた。
濡れてる…
雪ちゃん…泣いてるんだ…
でも、駄目。
もう涙じゃ…
私の心を繋ぎ止められないんだよ。
「雪ちゃん…」
私は雪ちゃんの方に顔を向けると、意思が変わらない事を伝えるために、ゆっくりと首を振った。
「そう…」
「うん…残念だけど…」
カチャカチャ…
「…雪ちゃん?」
「…んぐッ!」
「雪ちゃん!?何してるの?」
何か金属を打ちあわせる音がしたと思ったら、突然、雪ちゃんのくぐもった声がした。
そして暫らくすると、何かで濡れた手が私の頬に触れる。
…これって!
その独特の匂いと感触に、私は大きな衝撃を受けた。
「みさき分かる?私はこんな事をしてまで、あなたを失いたくないの…」
「……」
「もちろん痛いわよ。凄く…でも、みさきが死んじゃうくらいなら、これくらい何とも無いの…」
「……」
「だって、みさきが死んじゃったら、こんなの比べ物にならないくらいの痛みを感じるもの…」
痛みを堪えながら、雪ちゃんが私を繋ぎ止めようと再び言葉を紡ぎ出す。
雪ちゃんは、幼なじみで親友だけど、正直ここまでしてくれるとは思わなかった…
そして、雪ちゃんが、そこまで私の事を必要としてくれているとは、思わなかった…
雪ちゃん…馬鹿だよ…
女の子が、自分の体に傷を付けるなんて、本当に馬鹿だよ…
気が付くと、私の両目から涙が溢れ出しているのを感じた。
その涙を、雪ちゃんは頬に当てているのと反対側の手で拭ってくれる。
「みさき…少しだけで良いから…この傷が無くなるまでで良いから…私の為に生きて…」
「うんっ…うんっ…」
自分を傷つけてまで、私を繋ぎ止めてくれようとする雪ちゃんに、私は何度も何度も頷いた。