≪終≫

 

 

「…それ、本当なのか?」

「うん。だから、今も雪ちゃんの手には…」

「いや、それもだけど。今、俺が訊いてるのは、みさきが襲われた事だ」

「うん…覚えている限りだけど…」

 

許せねえ…

みさきが全盲な事に付け込みやがって!

絶対に許せねえ!

俺は、歯を食いしばり、痛いくらいに拳を握り締めながら、声を絞り出した。

 

「それで…そいつはどうなったんだ?」

「その人は雪ちゃんが突き止めてくれた後、御両親と一緒に校長室に呼び出されて、厳重注意されたみたい」

「なっ…」

 

あまりの事に、声も出せなかった。
立派な犯罪に値する行為なのに、『厳重注意』とは…

 

「浩平君…怒っても仕方ないよ」

 

そう言うと、狂おしいほどの怒りを押さえる為に堅く握り締められた俺の拳を、みさきのしなやかな両手が優しく包み込んできた。

 

「けど!」

「事件が公になると、学校自体の存続に関わってくる問題だからね。それに、目の見えない私には、本当にその人だったのかどうかも分からないから、証明出来ないんだよ」

「…クッ!」

 

あまりの悔しさに、俺はみさきが握っている拳を振りほどくと、近くにあったコンクリート製の壁に叩き付けた。

 

ゴッ!

 

鈍い音がして、拳がジンジンと痛む。多分、血も出ているだろう。
だけど、今の俺にはどうでも良い事だった。

 

ぎゅ…

 

一方、俺に手を振り解かれたみさきは、何も言わずに俺の背中に抱き着いて、後ろから腕を回してくる。

 

「浩平君、どうして私がこんな事を話したか分かる?」

「…俺の事を信じているから」

「それもあるんだけど…知って欲しかったんだよ」

「……」

 

小さく震えながらも、淡々とした口調で喋るみさきの心を背中で感じながら、俺は無言で続きを促した。

 

「目の見えない人…ううん。ハンデを負っている人が、どんなに悔しい思いをして生きているか…決して、この世界が全ての人に対して、優しくはないって事を…」

「みさき…」

 

俺を抱き締めるみさきの腕に、力がこもる。

みさきの声はあくまで冷静で、以前俺の告白を拒んだ時にも似ていた。

 

「浩平君が私の為に悔しがってくれるのは嬉しいよ。でも、それなら誰にでも出来る事なんだよ。浩平君が私と一緒に生きてゆくって約束してくれたのなら、その後の事を考えて欲しい…」

「……」

 

そこまで言うと、みさきは腕をといて俺の背中から、体を離した。

 

「今すぐに見付けてって言ってるんじゃないよ。それに見つかるものじゃないと思う。でも、いつかは見付けないといけない事なんだよ。」

「…みさき」

「もちろん、私も一緒にね」

 

振向いた俺は、夕日を背に、すぐ目の前で涙を浮べた笑顔を向けてくるみさきの手を取り、堅く握りながら約束した。

 

「必ず、見付けてやる」

「約束だよ」

 

みさきも握られている手を顔に寄せ、俺の手を夕日で茜色に染まった頬に当てながら、返事をする。

 

「今迄、みさきを繋ぎ止めてくれた深山さんの為にも…」

「うん。雪ちゃんには凄く感謝してる…。私が今生きているのも雪ちゃんのおかげだよ」

「俺がみさきと逢えたのものな。」

 

そう…

深山さんが自分を傷つけてまでみさきを繋ぎ止めてくれたから、俺はみさきに出会えた。

今度、三人でじっくり話し合ってみるのも良いな…

みさきと共に歩いて行く人として、深山さんにも色々な事を教えてもらいたい…

 

「うん。雪ちゃんにも、良い人が見つかると良いな。今まで私と演劇の事ばっかり見てきたんだからね」

「でも、ちょっと口うるさいところもあるから、婚期逃すかも…」

「アハハ、今頃、雪ちゃん、クシャミして…」

 

表情を緩めて、みさきに笑い掛ける俺に、みさきが楽しそうな笑顔で返事をしようとすると…

 

くしゅんっ!ゥんゥん……

 

建物に戻る扉の中から、クシャミが響く音がした。
俺とみさきが、互いに顔を見合わせる。

 

「あれ?」

「まさか…な」

 

ガチャッ…キィィィ…

 

「もぅ、こんな所に…って、何笑ってるのよ?二人とも」

 

ウワサをすれば影だな…

屋上の扉から出てきたのは、予想通り深山さんだった。
病院中を探し回ったらしく、額に浮んだ汗に、ウェーブのかかった前髪が数本張り付いている。

 

「いや、何でもないぞ」

「そうそう」

 

本当は可笑しくて仕方ないのだが、本当の事を言うわけにもいかず、誤魔化すように返事をすると、みさきも相づちを打ってくれた。

 

「すごく、怪しいんだけど…」

「別に、怪しくなんか無いぞ。深山さんの話をしていたら、本人が来たんで、面白かっただけだ」

 

いぶかしそうな表情(かお)を向けてくる深山さんに、俺は意味も無く胸を張って答えると、そんな俺達のやり取りを楽しそうに隣で聞いていたみさきが、助け船を出すように口を開いた。

 

「雪ちゃんには、凄く感謝してるって話をしていたんだよ」

「かんしゃ?」

 

みさきの言葉に深山さんが意外そうな顔をする。
心当たりが無いのではなく、手の傷から昼食代までと心当たりが有り過ぎるのだろう。

 

「深山さんが、体を張ってみさきを支えてくれたから、俺達が出会えたんだな…」

「そんな…大した事じゃないわよ。何となく放っておけなかっただけよ…」

「近頃じゃ、大した事だよ」

 

視線を逸らして屋上に干してある茜色に染まったシーツの方を見ながら、恥ずかしそうに言う深山さんに、みさきが悲しげな笑みを浮べて答える。
その声に、今迄みさきが受けてきた痛みが含まれているような気がして、俺の胸がズキリと痛んだ。

 

「…そうかも…知れないわね。みさきと一緒に居ると、本当に勉強になるわ。人の温かさと、冷たさ…優しさと残酷さ…そんな物をまざまざと見せ付けられたもの」

「雪ちゃん…」

 

小さく息を吐くと、深山さんはみさきの側によって、その頬を両手で挟みながら言った。

みさきの頬を撫でる左手の甲に、何かで貫いたような傷が夕日に照らされて、うっすらと見える。

 

「みさき、放しちゃ駄目よ。ずっと折原君を捕まえておくのよ」

「うん。浩平君の手を握って歩いて行くよ。目が見えるようになっても、ずっと…」

 

みさきの顔をいとおしそうに見つめながら言葉を続ける深山さんの手に、みさきは自分のそれを重ねると、力強く頷いた。

 

ガチャッ…キィィィ…

 

「川名みさきさん、そろそろ時間ですので、病室に…」

 

再び屋上への扉が軋んだ音を上げると、今度は、みさき担当の看護婦が姿を現した。
そろそろ時間らしい。

 

「じゃあ、行ってくるよ」

「……」

「待ってるわ…ほら、折原君も何か言ってあげなさいよ」

 

看護婦に連れられて病室へと戻るみさきに声をかけた深山さんが、トンッと肘で俺の脇を小突く。
俺は何て声をかけたら良いのか分からなくて暫らく思案していたが、出てきた言葉は一つだけだった。
それを大きな声で、ハッキリと告げる。

 

「夕日、一緒に見に行こうな!」

「うん!絶対だよ!」

 

And shall we go to bright world

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