七年振りに再会し、そして結ばれた従妹の少女・・・名雪。

これから名雪と共に幸せな日々を過ごしていける・・・その時俺は信じて疑わなかった。

この世に壊れない物など存在しないというのに・・・

 

 

それは五時間目の授業中だった。

見慣れない先生が教室に入るなり、秋子さんが病院に運ばれた事を告げたのだ。

俺達は学校を早退して病院に駆けつけた・・・が、面会する事は許されなかった。

親族すら面会できない状態。

その意味を俺も名雪も理解していた。

担当医から状況の説明を受けるが

「・・・」

名雪は何の反応も示さず、その表情から感情を読み取る事は出来なかった。

 

 

家に帰るまでの間も会話は無く、家に着くと名雪はすぐに部屋に閉じ篭ってしまった。

何故こんな事になってしまったのだろう?

今思えば今朝学校に行く前、名雪が秋子さんの事を心配していた時から幸せの歯車は狂い出していたのか

もしれない。

 

 

ほんの・・・ほんの小さな狂いだったのかもしれない。

だが、回り続ける歯車を軋ませるには十分だった。

軋みながらも歯車は回り続ける・・・

不協和音を奏でながら・・・

 

 

 

 

 

         回  帰

 

 

 

 

 

『朝〜、朝だよ〜』

『朝ご飯食べて学校行くよ〜』

一日振りに聞いた名雪の声は目覚ましの声だった。

「・・・・・・」

こんな時でも不思議といつもと同じ時間に目が覚めるものだった。

「・・・名雪」

従妹の少女の名を口にしていた。

 

 

名雪の部屋の前まで来たのはいいが、ノックする事が躊躇われる。

しかし、このまま名雪を一人にしておく事は出来ない。

   コン、コン・・・

ドアをノックする。

   コン、コン・・・

しかし中からの反応は無かった。

「名雪、開けるぞ」

   ガチャガチャ

ノブを回したがドアは開かなかった。

「学校、遅れるぞ?」

「・・・・・」

「・・・先に行くからな」

そう告げて玄関へと向かった。

 

 

玄関で靴を履き

   ガチャ

ドアを開けながら口にした

「行ってきます」

いつもの一言。

しかし、いつも笑顔で返事をしてくれた人はそこに居なかった。

その一言は人の気配の無い、まるで凍ってしまったかのような家の中に寂しく響くだけだった。

 

 

一人で歩く通学路はまるで色を失ってしまったかのように寂しかった。

辺りに人は居なかった。

   ザシュ、ザシュ

聞こえてくるのは自分の雪を踏む音だけだった。

『祐一!』

微笑みながら名前を呼んでくれる娘が側に居なかったから・・・

 

 

学校に来たのはいいが、何もする気が起きなかった。

授業中もただ自分の席に座っているだけだった。

ひたすら名雪と秋子さんの事を考えながら・・・

そんな俺に対して北川も香里も色々と気を使ってくれた。

そんな友人達の御陰で放課後になる頃には幾分か気分が晴れていた。

 

 

放課後、北川と香里と供に夕日に彩られた街を歩いていた。

そして喫茶店に入って他愛無い会話を楽しむ。

「それでさ・・・」

「ええ」

「そうだな」

   ・

   ・

   ・

この一時の間だけは、名雪の事も秋子さんの事も思考の中から消えていた。

 

 

「もうこんな時間ね」

時計を見ながら香里が呟く。

「そうだな・・・そろそろお開きにしないか相沢?」

「ああ、此処の勘定は俺に任せてくれないか?」

俺の言葉に二人が意外そうな顔をする。

「あら?いいのかしら相沢君」

「おいおい、割り勘でいいぜ」

「いや、払わせて欲しい。今日のお礼さ」

「何言ってるんだ?お礼なんてされる理由が無・・・」

   ギュッ

奇妙な音と同時に北川の言葉が途切れる。

目を向けると其処には痛がる北川と、それを睨みつける香里が居た。

視線を下に向けると北川の足の上には香里の足が乗っていた。

「有り難う相沢君」

痛みの為に喋れない北川の代わりに、微笑を浮かべながら香里が応えた。

   グリ、グリ

北川の足を踏みつけながら・・・

「おっ・・・おう、任せておけ」

香里は俺が奢りたがっている理由に気付いているようだった。

北川は分かっていないようだが・・・

(・・・無様だな北川)

 

 

支払いを終えた俺達はその場で解散する事にした。

「じゃあな、相沢、美坂」

「ええ、さようなら北川君」

「おう、また明日な」

去って行く北川の背中を見送り、自分も家へと歩き出す。

 

 

「相沢君」

そんな俺に後ろから香里が話し掛けてきた。

「名雪を支えてあげてね」

「・・・ああ」

振り返りながら応える。

「名雪は・・・普段はとても明るいけど落ち込みやすいのよ」

昨日の名雪の姿が思い浮かぶ。

「知っている」

「私では無理だけど相沢君なら・・・いえ、相沢君しか支えてあげらないと思うの」

親友の力になれない・・・自らの不甲斐なさに辛そうな顔をする香里。

「だからお願い相沢君、名雪を助けてあげて!」

「言われなくてもそうするよ」

夕日を見つめながら応える。

「名雪は・・・俺にとって大切な女の子だから」

 

 

帰宅後も名雪は部屋に閉じ篭っているだけだった。

部屋から一向に出て来ない名雪が気になり、ドアを叩きながら

「おい、名雪」

   ドン、ドン・・・

「名雪!」

必死に呼びかけた。

 

 

そんな俺に返ってきたのは

「・・・やめて」

本当に消え入りそうな声での

「・・・お願いだから・・・やめて・・・」

拒絶だった。

 

 

翌日、学校に行ってもずっと名雪の事ばかり考えていた。

そして気付いてしまった。

七年前の自分の姿と、今の名雪の姿とが重なって見える事に。

   絶望して・・・

   拒絶して・・・

   全てを忘れようとする・・・

あの時とお互いの立場が入れ替わっているだけだった。

 

 

午後の授業が終わると同時に、鞄を掴んでドアへと向かった。

「相沢、まだホームルームがあるぞ?」

帰ろうとする俺に北川が怪訝な顔で話し掛けてきた。

俺は北川に視線を向けたが無視して教室を後にした。

担任の教師が教室にやって来るのを待っていられる程の余裕は今の俺にはなかった。

   少しでも早く名雪に会いたい

   少しでも名雪を支えたい

その想いに駆られ家路を急ぐ。

名雪に自分のようになって欲しくなかった。

悲しみに負けて欲しくなかった。

 

 

「はあっ・・・はあっ・・・」

毎朝名雪に鍛えられていた為か、思っていたよりも早く家に着く事が出来た。

「これも・・・・名・・雪のおかげ・・か」

乱れた呼吸のままそう呟く。

今までの朝の光景を思い出すと顔には不思議と笑みが浮かんできた。

「また・・・名雪と走りたいな」

今まで決して思わなかった事を口にした時、あの頃を酷く懐かしく感じた。

「ほんの数日前だったのに・・・」

そして今を酷く寂しく感じてしまった。

 

 

玄関をくぐった後、着替える時間を惜しみ、そのまま名雪の部屋へと向かった。

部屋の前に立つと今まで開く事の無かったドアが、僅かに開いている事に気が付いた。

「・・・名雪、入るぞ」

少し考えたが、そのままドアを開いた。

突然訪れたこの機会を逃さない為に。

 

 

部屋の中にあったのは暗闇だった。

まるで全てを消してしまうかのような闇だった。

目を凝らすと闇の中に溶けるように、自らの身体を抱きしめるようにして座る名雪が居た。

そんな名雪に近付きながら話し掛けようとする。

「名・・・」

しかし名雪の顔を見たとき出かかっていた言葉を失う。

   その表情には如何なる感情も無かった・・・

   その瞳には如何なる物も映っていなかった・・・

全てを拒絶している名雪に掛けるべき言葉を俺は持っていなかった。

七年前に同じように全てを拒絶して、現実から逃げてしまった俺には・・・

 

 

「くそっ・・・」

何も出来ずに自分の部屋に戻った俺には

   ドフッ!

枕に八つ当たりする事しか出来なかった。

「俺は・・・自分の好きな子の支えになってやる事も出来ないのか・・・」

自分があまりにも小さく・・・そして惨めな存在に思えた。

「秋子さんはまだ助かる可能性があるのに・・・」

「俺達がそれを信じなくてどうするっていうんだ、名雪」

俺は天井を睨みながら呟いていた。

伝えたかった言葉を・・・

 

 

目が覚めると空から雪が舞い降りていた。

降り続ける雪を眺めながら、俺は昨晩考えていた事を実行する事にした。

話をしたくても名雪は人と会うのを拒んでいる。

だから物に仲介させて伝える事にしたのだ。

「よしっ!」

気合を入れ目的の物へ手を伸ばす。

俺が仲介役に選んだのは名雪に借りている目覚し時計だった。

「いざ録音するとなると緊張するな」

「名雪は気にならなかったのかな?」

いつものどこか抜けているような顔を思い出す。

「・・・気にしなかっただろうな、あいつは」

そう思うと気が楽になって緊張もとけていった。

「よし、始めるか」

名雪と俺自身の不安を取り除く為にも、そして俺の気持ちを知ってもらう為にも、精一杯の思いを込めて

伝えよう。

この想いを・・・

 

 

   『俺には、奇跡は起こせないけれど・・・』

   『でも、名雪の側にいることだけはできる』

   『約束する』

   『名雪が、悲しい時には、俺がなぐさめてやる』

   『楽しい時には、一緒に笑ってやる』

   『白い雪に覆われる冬も・・・』

   『街中に桜の舞う春も・・・』

   『静かなる夏も・・・』

   『目の覚めるような紅葉に囲まれた秋も・・・』

   『そして、また、雪が降り始めても・・・』

   『俺は、ずっとここにいる』

   『もう、どこにも行かない』

   『俺は・・・』

   『名雪のことが、本当に好きみたいだから』

 

 

「わっ・・・我ながら恥ずかしい台詞だ」

誰にも聞かれていないにもかかわらず赤面していた。

 

 

顔の火照りが消えてから想いを込めた目覚し時計を手に名雪の部屋へと向かう。

「名雪・・・」

ドアをノックせずに話し掛ける。

相変わらず名雪から返事は無かった。

それでもかまわず続ける。

「俺は、あの場所で待ってるぞ」

「ずっと、待ってるからな・・・」

一方的に要件を告げ

「それとこの目覚まし時計・・・」

   コトン・・・

「名雪に、返すから」

「じゃあな、名雪」

その場を立ち去ろうとした俺に名雪から返事があった。

「・・・祐一・・・」

足を止めて聞いた。

「・・・ごめん・・・ごめんね・・・」

名雪の拒絶ではなく、謝罪の言葉を・・・

「気にするなよ・・・それじゃあ俺は行くからな」

そして

「・・・うん・・・サヨナラ・・・祐一・・・」

別れの言葉を・・・

 

 

名雪の語った最後の一言が気になったが、俺は目的の場所へ向かう為に家を後にした。

この時名雪と会って話していたならば気付いただろう。

その瞳に宿る悲壮な覚悟を・・・

 

 

俺は今、七年前の約束の場所に立っていた。

そしてベンチに座りながら思い出した。

「・・・まるであの時みたいだな」

この街に来た時もこうやって名雪を待っていた事を。

「いや、あの時とは違うな」

今回は自分の為では無い。

絶望して、全てを拒絶してしまった名雪を支える為に待っているのだ。

雪の舞い降りる空を見上げ

「何時間だって待ってるからな・・・名雪」

自らの決意を口にした。

 

 

周囲が段々と暗くなっていく・・・

人の姿もまばらになってきたが名雪はまだ現れなかった。

「まだ・・・来るかもしれない」

僅かな希望に縋り付き待ち続ける。

コートの雪を払う事も無くただじっと待ち続けた。

最愛の人を・・・

 

 

人の姿が見えなくなっても名雪は来なかった。

「今日が終わるまでは・・・」

しかし無常にも時計の針が今日の終りを告げた。

「・・・・・」

待ち人は来なかった。

「・・・俺は、好きな子の支えにもなれないのか」

例えようの無い絶望感と孤独感に身を引き裂かれる様だった。

「・・・帰るか」

寒さで凍えてしまった身体でゆっくりと歩き出す。

身体よりも凍えた心を抱きながら・・・

 

 

帰宅してすぐに風呂場へと向かい、凍えた身体を暖める。

いくら熱いお湯を浴びようとも、凍えてしまった心をごまかす事は出来なかった・・・

 

 

自室へと戻る途中、名雪の部屋の部屋へと視線を向ける。

部屋の前には出掛ける前と同じ位置に目覚し時計が置かれていた。

「名雪の奴、聞いていなかったのか?」

   ふう

目覚し時計を手に取りながら安堵の溜息を漏らす。

「これじゃあ来るわけないか」

(俺の想いが伝わっていなかったからな・・・)

少なくとも、自分の想いが否定されていなかった事に安堵する。

 

 

ドアを見ると少し隙間が開いていた。

「名雪、起きているのか?」

相変わらず返事は無かった。

「こんな時間に起きている訳無いよな」

いつも眠そうな顔をしていた名雪の顔が浮かぶ。

「お休み、名雪」

そう言ってドアを閉めようと近付いた時

「・・・!」

異変に気付いた。

普段感じる事の無い・・・感じてはならない匂いが名雪の部屋から溢れている事に。

「名雪!」

叫びながらドアを開ける。

より一層強くなる匂い・・・

   ・・・血の匂い

部屋の中は闇に包まれていた。

   カチッ

震える手でスイッチを探し出し明かりを点ける。

 

 

そこに広がっていたのは鮮やかな

   『赤い世界』

そして、その世界の中心に居るのは・・・

「・・・な・・ゆき?」

ベッドの上で動かない少女。

「な・・・んで?」

右手に握られた血塗れのカッター。

「あっ・・・あああ」

血が溢れ続ける左手首。

「うっ・・うわああああああああああああああ!」

絶望のあまり叫び続けた。

「これじゃあ、あの時と同じじゃないか!」

 

 

   ドサッ

叫び続けた後その場に崩れ落ちる。

動かない名雪に呆然としていたが、生死を確認していない事に気付きあわてて駆け寄る。

心の中で願った事はただ一つ

   『生きていてくれ』

 

 

願いが通じたのか名雪は生きていた。

直ぐに応急処置で止血をし、病院に連絡を入れる。

救急車が来るまでの間、祐一は名雪の側を離れる事が出来なかった。

『今この場所を離れたらもう二度と会えない』そんな考えに怯えて。

「この・・・馬鹿が」

意識の無い名雪に

「勝手に死のうとして」

溢れてくる涙を拭おうともせず

「残される俺達の事を考えなかったのか?」

消え入りそうな声で

「秋子さんが帰ってくる場所を無くすつもりなのか?」

優しく語り続けた。

 

 

救急車によって病院へと運び込まれ、処置を受けている名雪を待つ間、祐一は名雪の別れ際に聞いた一言

の事を考えていた。

   『サヨナラ・・・祐一』

あの時、名雪は既に自殺するつもりだったに違いない。

(何で俺はその事に気付いてやれなかったのだろうか?)

(何で俺は傷心の名雪一人を残して出掛けてしまったのだろうか?)

いくら考えても答えの帰ってこない問い・・・

しかし考えずにはいられない問いだった。

   ゴン

「・・・俺の・・・大馬鹿野郎」

病院の壁に頭を叩き付けながら

   ゴン

「気付いてやれなくてごめん・・・名雪」

   ゴン

今も眠り続ける大切な二人に

「名雪を守れなくて済みませんでした・・・秋子さん」

謝罪した。

 

 

「それ位で止めておかないと、君も治療しなければならなくなるぞ」

突然後ろから声を掛けられた。

名雪の治療が終わったのか、担当していた医者がこの場に現れたのだ。

「先生!名雪の容態は?」

食い付かんばかりの勢いで聞くと

「そう慌てるな、発見は遅かったが幸い傷が浅かったおかげで助かったよ」

「そう・・・ですか」

   ドサッ

医者の言葉に安心した為か全身から力が抜け、その場に座り込んでしまった。

「・・・助かったのか」

「だが、まだ意識が戻っていない、それに・・・」

歯切れの悪い医者の言葉。

「それに?」

「・・・左手首の傷は残ってしまう」

「あっ・・・」

あんなにも綺麗だった名雪の身体に永遠に消す事の出来ない悲しい傷ができてしまった。

「済まないが、こればかりはどうしようもない」

「・・・そうですか」

落ち込む祐一に医者は

「患者の命の心配は無いから、今日は帰りなさい。君も精神的にかなり参っているだろうからね」

労るように優しく告げた。

 

 

病院から帰宅すると疲労の余り、すぐに自分のベッドで眠りについてしまった。

おかげでこれからの事や水瀬親子の事を考える事も、夢に魘される事もなく眠る事が出来た。

 

 

翌日、目が覚めると学校に連絡しなければならない事に気付いた。

担任に全てを語れるはずもなく、名雪が怪我で入院した事と自分が学校を休む事だけを告げる。

「お前も辛いだろうから、無理せずに暫くの間休んだらどうだ?学校へは落ち着いてから来ればいいぞ」

すると、こちらを気遣った言葉が返ってきた。

少なくとも名雪が目覚めるまで側に居るつもりだった俺は

「はい、そうさせてもらいます」

素直にその言葉に甘える事にした。

 

 

連絡を終えるとすぐに病院へ向かう準備を始める。

玄関で靴を履いている最中ある事を思い付く。

「そうだ」

   ドタドタ

履きかけの靴を脱いで台所に駆け込み

   ガチャ

冷蔵庫の扉を開く。

「あった、あった」

中から一つのビンを取り出して鞄に詰め込んだ。

 

 

名雪が運び込まれた病院は偶然にも秋子さんが入院している病院だった。

事故によって離れ離れになった親子がお互いを求め合ったかのように・・・

 

 

病院に到着して直ぐに名雪の病室へと向かう。

しかし、まだ意識は戻っていなかった。

「・・・」

眠り続ける名雪に、

「朝だぞ、起きろ」

声を掛けるが起きる気配は無かった。

「ほら、家から秋子さんのイチゴジャムを持って来たぞ」

鞄から取り出したビンを近付けてみたが、何の反応も返ってこなかった。

暫くの間、起こす事に必死になったが

「今日はもう帰るけど、また明日来るからな」

結局起こすのを諦めた。

 

 

今度は秋子さんの病室へと向かった。

しかし、相変わらず面会謝絶だった。

「秋子さん・・・」

名雪は目覚めず、秋子さんもいまだ依然危険な状態だった。

 

 

何の成果も無いまま病院を後にする。

(何をすればいいんだ?俺は)

(何ができる?俺に?)

(誰か・・・誰か教えてくれ!)

心の中で問うが、答えが返って来る訳が無かった。

自分が無力である事を噛み締めながら夕焼けに染まった街を歩く。

 

 

「・・・くそっ」

夕焼けを見ていると何故か不安になる。

赤い世界で横たわる彼女達を思い出してしまうからだ。

「彼女・・・達?」

自分の思考に違和感を覚える。

「同じ体験を過去にもした事があるのか?俺は・・・」

「こんなにも悲しい事を・・・」

いくら考えても答えは導き出せなかった。

「そういえば名雪を見つけた時も・・・」

   『あの時と同じじゃないか!』

確かにそう思った。

「記憶には無いけど、体験しているのか?」

暫く考えていたが一向に答えが得られない。

「記憶に無いという事は・・・」

だがそれが答えを導いた。

「空白の七年前・・・その時に何かあったに違いない」

 

 

そう、俺が全てを拒絶してしまう程の何かがあったのだ。

当時の事を知りたいと願ったが、

「知っていそうな秋子さんは入院しているか・・・」

他に手掛りが思い付かず、今はその事は忘れる事にした。

考えるべき事が多すぎるから・・・

 

 

翌日、再び病院を訪れたが、二人には何の変化も無かった。

落胆して病院内を歩いていると、周りには見慣れない病室ばかりがあった。

「何処だ、ここは?」

何も考えずに歩いていた為に、見知らぬ場所に迷い込んでしまった様だった。

現在地を表す何かを探そうと思って周りを見回すと、正面にある病室の入り口に知っている名前があるの

に気付いた。

そこには

   『月宮あゆ』

そう書かれていた。

 

 

「あゆの奴、近頃見ないと思ったら入院していたのか」

そう思いながら最後にあゆに会った時の会話を思い出す。

「遠くって言うのは病院の事だったのか」

確かにこれなら会えなくなるだろうが、何か腑に落ちなかった。

「・・・ついでに見舞ってやるとするか」

知り合いの名前を見つけた事によって少しは気分が晴れたようだった。

 

 

病室に入ると、ベッドが一つあるだけの・・・個室だった。

「あゆの奴、個室なのか?贅沢な奴だな」

俺も入院するなら個室がいいな、と思いながらあゆが寝ているだろうベッドに近付き

「よう、あゆあゆ。元気か?」

何時ものようにそう話し掛けた。

 

 

当然いつもの明るい声で

「うぐぅ・・・ボク、あゆあゆじゃないよ!」

そう返事が帰ってくる事を期待していた。

「・・・」

しかし、返ってきたのは沈黙だけだった。

「あ・・ゆ・なのか?」

ベッドに寝ている人物は確かにあゆと同じ顔をしている様だった。

けれども、同一人物とはとても思えなかった。

全身が酷く痩せ細っていたのだ。

羽根を揺らしながら、元気に街中を駆け回った面影は何処にも無かった。

「・・・」

俺には、ただ呆然とそこに立っている事しか出来なかった。

 

 

「そこの君、何しているの!」

突然掛けられた声によって、ようやく我に返ることが出来た。

声を掛けてきたのは一人の看護婦だった。

声を掛けられたというよりも怒鳴られたという方が正しいと思うが・・・

「俺・・・いや、僕はただあゆのお見舞いをしていただけで・・・」

少し焦りながらそう答える。

「あなた、あゆちゃんのお友達なの?」

俺の返事に気を良くしたのか、先程よりも明るい声で尋ねてきた。

「はい、昔からの友達です」

それを聞いた看護婦は嬉しそうに

「そうだったの・・・ごめんね、いきなり怒鳴っちゃって。私はあゆちゃんの担当をしている七瀬留美で

す。よろしくね」

自己紹介してきた。

「初めまして、相沢祐一です。さっきの事は気にしてないですよ」

こちらも自己紹介をした。

 

 

それから暫くの間、七瀬さんと世間話をするが、突然先程とは打って変わった暗い表情になった。

「私が知る限り、あゆちゃんに今までお父さん以外の人が見舞いに来た事が無いのよ」

その言葉に驚きながら尋ねる。

「父親以外に誰も来ない・・・ですか?」

   ふう

七瀬さんが溜息を吐きながら頷く。

「そうなのよ。しかも、その父親さえ余り来てくれないのよ。そういえば、祐一君が昔からあゆちゃんの

友達なら今までにも何度もお見舞いに来ている筈よね?何で今まで会わなかったのかしら?」

不思議そうに聞いてくる七瀬さんに対して俺は

「あゆが入院していたのを知ったのは今日なので見舞うのは今日が初めてですよ。」

そう応えた。

 

 

それを聞いて七瀬さんは

「そんな・・・あゆちゃんは七年間も入院しているのよ?なんで知らなかったの?」

責めるように話し掛けてきた。

「七年間?」

(この間まで会っていたぞ?)

何かの間違いだと思って尋ねる。

「ええ、大きな木から落ちてしまって、それ以来意識を失ってしまったのよ」

その言葉を聞いた途端、俺の目に前には大きな木の根元で、赤く染まった雪とその中心で動かなくなって

しまった少女の姿が浮かんできた。

(何だ?この情景は・・・)

「その場に一人の男の子が一緒に居たらしいけど、その子もお見舞いに来てくれればいいのに・・・」

(!)

七瀬さんは溜息をしつつ話しを続けるが、俺の耳には周りの音など届いていなかった。

(その子供は・・・俺だ)

   ドクン、ドクン、ドクン

心臓が何時もよりも早い鼓動を鳴らしていた。

「大丈夫?顔色が悪いわよ?」

心配そうな七瀬さんの声によって俺は現実世界に戻ってきた。

目の前には心配そうな七瀬さんの顔があった。

「それに凄い汗、熱でもあるのかしら?」

「・・・大丈夫です。最近色々あったから疲れているんだと思います。すみませんが、これで失礼させて

もらいます」

震える声でそれだけ告げると逃げるようにその場を立ち去った。

「ちょっと、祐一君?」

「本当にすみません」

「・・・って・・・・・ん」

後ろから七瀬さんが何か言っているようだが、今の俺の耳には如何なる音も入ってこなかった。

 

 

「・・・あゆ・・・」

俺は七年前の記憶を取り戻していた。

あの時確かにあゆは木から落ちた、そして今も眠りつづけている。

(だけど、だけど!)

「だったら今まで会っていたあゆは何だ?」

   何も考えたくなかった・・・

   何も聞きたくなかった・・・

   何も見たくなかった・・・

今までの日常、全てが否定されてしまいそうだから。

だから無我夢中で走り続けた。

 

 

「はあっ・・・はあっ・・はあっ・」

無理なペースで走った為、呼吸が酷く乱れていた。

疲労の余り走るのを止め、周りに視線を向けると・・・目の前に大きな切り株があった。

木が切り倒されていたが、そこは俺とあゆの『学校』だった・・・

 

 

「何で・・・此処に?」

此処に来ようと思っていた訳ではない。

むしろあゆとの思い出のある場所には来たくないはずだ。

けれども俺は此処に居る。

 

 

「あゆが俺を呼んだのか?」

ありもしない筈の・・・けれども何故か納得してしまう事を考えながら切り株に近付く。

疲れていた為か、地面に積っている雪を気にせずに切り株に寄り掛かるように座り込んだ。

俺には理解する事が出来なかった。

いや、理解したくなかったのだ。

この街に戻って来て、俺はあゆと再会を果たした。

羽根を揺らしながら駆け寄ってくるあゆ・・・

病院で眠り続けるあゆ・・・

「どれが本当のあゆ何だ?」

いくら考えても答えは見付からなかった。

「・・・すう」

何時の間にかその場で眠り始めていた。

 

 

夢の中で一人の少女に出会った。

眩い光に包まれている為、その姿は良く見えないが大きな翼がある事は分かった。

姿が良く見えない筈なのに俺にはそれが少女である事が分かった。

 

 

「何か願い事は無いかな?この人形のおかげで一つだけ願いを叶える事が出来るんだよ」

天使の人形を此方に差し出しながら話し掛けてくる少女。

その姿は差し出してくる人形よりも天使らしかった・・・いや、天使そのものだった。

 

 

その天使を見つめながら俺は自分の願いを伝えた。

「皆の・・・名雪の・・秋子さんの・・あゆの怪我を治して欲しい!」

俺の闇に覆われていた心は何時の間に光に照らされていた。

『希望』という名の光に・・・

それを聞いた天使は首を左右に振りながら

「残念だけど、願いは一人にしか適用されないんだよ」

悲しそうに告げた。

「それじゃあ一人しか救えないのか?」

「・・・御免なさい」

俺の心は再び『絶望』の闇で覆い尽くされてしまった。

 

 

「せっかく皆が助かると思ったのに・・・」

理不尽な行為だと思いながらも天使を責めるように言う。

「・・・・・・うぐぅ

天使が何か呟いたようだが俺には聞こえなかった。

その時、天使の紅く輝く瞳と俺の目とが合う。

その途端、一人の少女によって紡がれた悲しくも切ない、不思議な物語を知った。

そう、愛しい人を待ち続けるために、再会を果たす為に、悲しい夢を見続ける少女の物語を・・・

同時に少女の想いも伝わって来た・・・

 

 

先程の行為を恥じながら、必死に皆を幸せにする事の出来る最良の願いを考えた。

大切な人たちの為に必死に考えた。

そして、それはついに見つかった。

「願いが決まったよ」

そう天使に告げる。

心配そうに見つめてくれる天使に願いを伝える。

目がなれてきた為か、その姿をはっきり確認できるようになった天使を見つめ返しながら・・・

「俺の願いは・・・・・・・・だ」

 

 

一瞬の沈黙・・・

(これも駄目なのか?)

そう考えていると

「うん、その願いなら叶える事が出来るよ」

天使が、大きく頷きながら告げた。

「これなら効果があるのは俺一人だしな」

安堵しながら話し掛ける俺に

「うん、そうだね」

嬉しそうに応えてくれた。

 

 

「それじゃあ・・・願いを叶えるよ?」

   コクリ

その言葉に頷く。

天使は両手を胸の前で組み、羽根を左右に広げる。

その姿はとても神々しく・・・とても美しかった。

「綺麗だ・・・」

俺の呟きに天使は照れながら、しかし嬉しそうに微笑む。

顔を赤らめながら組んでいた両手を俺に向かって差し伸べてきた。

その両手から放たれた光が祐一の周りを包み込む。

 

 

紅い瞳の天使が寂しそうに

「バイバイ・・・祐一君」

別れを告げてきた。

「違うだろ、『またね』だろう?あゆ」

俺の返事を聞いた天使・・・あゆは

「祐一君!」

涙を流しながら俺に抱きついてきた。

そして俺は、初めて彼女を受け止めたのだった。

 

 

光に包まれながら俺は、自分の胸で泣き続けるあゆを抱きしめながらその頭を撫で続けた。

その間も光はゆっくりとその輝きを増していた。

暫くして泣き止んだあゆは先程までよりも赤くなった目で俺を見つめた。

その愛しい姿に俺の手は無意識のうちにあゆの頬に触れていた・・・

   ビクッ

突然の事に驚くあゆ・・・

けれども驚きは一瞬で潤んだ瞳で俺を見つめ、そしてその瞳は閉じられた。

そしてゆっくりと二人の顔が近付いていき、唇が触れ合う。

ただ軽く触れるだけの・・・けれども溶けてしまいそうな程甘く、優しいキスだった。

 

 

二人は赤い顔で見つめ合っていた。

不思議な事に光の輝きの増す速度が遅くなっていた。

おそらく、あゆが望んだのだろう。

お互い何も語らずに抱き合っていたが

「祐一君のおかげで夢がかなったよ」

微笑みながらあゆが言った。

「夢?」

「うん!ファーストキスは一番好きな人としたかったんだよ」

その言葉に赤くなる。

「でも俺には恋人がいるぞ?」

つい照れ隠しで雰囲気を壊してしまう事を言ってしまった。

(しまった!)

言ってから失態に気付くが手遅れだった。

泣き出すあゆを想像して視線を向けたが、意外な事にあゆは落ち着いていた。

「うん、知っているよ。名雪さんでしょう?」

   コクリ

その言葉に頷く。

「でも・・・好きで居続けるのは自由だよね?」

   ギュッ

その言葉を聞いてあゆが愛しくなり、思い切り抱きしめていた。

「くっ・・・苦しいよ、祐一君」

そう言いつつも、あゆの顔は嬉しそうだった。

 

 

俺を包んでいた光が凄い輝きを放っていた。

輝きの増す速度を遅くしていたが、それも限界のようだ。

お互い別れの時が来ている事を理解していた。

 

 

「またね・・・祐一君」

意識が薄れていく中、あゆが泣きそうになりながらも無理して笑顔で別れの言葉を告げた。

耐え切れずに溢れ出したあゆの涙を拭い、微笑みながら

「また会おうな・・・あゆ」

そう告げた時、俺の意識は無くなった。

 

 

祐一の消えた世界であゆは泣き続けた。

先程まで感じていた温もりを逃がさない為に、両腕で自分の身体を抱きながら・・・

目の前から居なくなってしまった

「祐一君・・・」

愛しい人の名を呼びながら・・・

「祐一君!」

愛しい人を想いながら・・・

 

 

暫くして、泣き止んだあゆは先程まで祐一が居た場所を見つめながら

「ボクの本当の夢はね」

伝える事の出来なかった

「祐一君と結ばれる事だったんだよ」

真実の想いを口にした。

 

 

その時、眩い光があゆを包み込む。

先程の祐一のように・・・

光が消えると其処にあゆの姿は無かった・・・

 

 

 

 

 

意識が戻ると辺りには雪が降っていた。

真っ白な雪が舞い降りていた。

   スッ

雪を受け止める為に手を差し出してみた。

掌に触れた雪は暫くの間その場に佇んでいたが、やがて溶けて消えてしまった。

   まるで、今までの幸せな日常のように・・・

   まるで、自分の前から居なくなってしまった彼女達のように・・・

目頭が熱くなる。

「ううっ・・・」

そして静かに泣いた。

彼女達の為に・・・

 

 

泣き止んでから暫くの間、その場に座り込んで考えた。

あの不思議な夢について・・・

(本当に俺の願いは叶えられたのだろうか?)

「そんな夢みたいな事が起きる訳無いか」

そう結論を出し、家路に着こうと立ち上がる。

「・・・?」

その時になって、ようやく自分が先程までと違う場所に居る事に気付いた。

「何で・・・此処に?」

(そういえば、切り株の側でも同じように驚いていたな・・・)

そう考えながら自分の居る場所を確認してみた。

その見慣れた風景は、自分の良く知っている場所だった。

「・・・名雪を待っていた所か」

待ち続けていた時の事を思い出してその場に座り込み、再び思考の波に飲み込まれていった・・・

 

 

その場で考え続けていると、振り続けていたはずの雪が突然何かに遮られた。

不思議に思い、見上げるとそこには自分を覗き込むように見つめている女の子がいた。

女の子・・・そう、病院で寝ているはずの大切な従妹・・・

「雪・・・つもってるよ」

告げられたその言葉を聞いた時、何の冗談なのかと真剣に悩んだ。

(まるで七年振りの再会を果たした時と同じだ)

何も語らずに考え込む俺を見て、怒っていると勘違いしたのか名雪は

「遅れてごめんね」

申し訳なさそうに謝罪してきた。

 

 

そんな名雪を見ながら俺は

(どうなっているんだ?)

(名雪は何がしたいんだ?)

状況を把握出来ず、混乱していた。

 

 

「遅れたお詫びだよ」

そう言いながら缶コーヒーを左手で差し出してきた。

訳が分からなかったが、取り敢えず缶コーヒーを受け取ろうとする。

その時、凄まじい衝撃が体中を走り抜けた。

左手首に名雪自身が付けたはずの傷が無かったのだ。

(どういう事だ?)

「それと」

驚きの余り動けずにいる俺に気付かず名雪は

「再会のお祝い」

話し続けていた。

 

 

(あれは・・・夢じゃなかった?)

ようやく俺は願いが叶っていた事に気付いた。

そして流れ出す涙を止める事が出来なかった。

「・・・どうしたの?」

突然泣き出した俺に戸惑う名雪。

「何処か痛いの?・・・それとも悲しいの?」

名雪の心配そうな問い。

「・・・違うよ・・・嬉しいんだよ」

俺の言葉に不思議そうに首を傾げる。

「何が?」

そんな名雪に俺は告げる。

万感の思いを込めて・・・

「再び会えた事が」

 

 

その一言を聞いて名雪が嬉しそうに微笑んだ。

「うん、私もだよ〜。七年振りだね祐一!」

その言葉を聞き、様々な思いを込めて返事をする。

「・・・久し振りだな、名雪」

「名前覚えていてくれたんだ〜」

名前を呼ばれて更に上機嫌になる名雪。

そんな名雪を眺めていると

   「祐一君」

後ろから呼ばれたような気がした。

慌てて振り返るが、其処に人の姿は無かった・・・

 

 

(確かに呼ばれたと思ったが・・・)

怪訝に思っていると、空から雪に混じって白い羽根が一枚舞い降りてきた。

雪よりも白い羽根が・・・

その羽根を受け止めた瞬間再び声が聞こえてくる。

   「良かったね」

その時、確かに俺は微笑むあゆを見た。

「待っていてくれあゆ。すぐに会いに行くからな」

羽根を握り締めながら俺は心に誓った。

 

 

 

 

 

歯車が回り始める・・・

新しい歯車が・・・

滑らかに・・・

そして力強く・・・

 

 

 

 

 

「家へ行こう!祐一」

そう言いながら嬉しそうに歩き出す名雪の後を追いながら、俺は夢の中であゆに伝えた願いを思い出す。

   『・・・過去に戻ってやり直したい・・・』

 

 

 

 

 

                  そして物語は再び始まる

                 そう、この雪に彩られた街で