感謝のキモチ

後編・遅刻

 

 

 

シャーーー!

 

ほら、起きなさいよーっ!

 

今日も長森が起こしに来た。いつもながら五月蝿(うるさ)い奴だ。
俺は半分眠りながら、長森と布団を引っ張り合う。

 

「起きてってばーっ!」

 

ヤレヤレ、相変わらず母親気取りだな…

 

「もう!今日は絶対に遅刻出来ないんだからね!」

 

まったく大袈裟なやつだ。この世に『絶対』なんて絶対にあるわけ無いだろう……あれ?

 

「本当に遅刻しちゃうってば!起きた!起きた!」

 

そう言って、本腰を入れて布団を引っ張る長森と激闘を繰り広げながら、先程の疑問を検証し始める。

『絶対』があるなら『絶対に無い』事も有り得るんだから、『絶対』が『絶対に無い』も成り立つわけだ。
でもそうすると、『絶対』は無いんだから、『絶対に無い』が成り立たなくなる。
という事は、『絶対』は有るかもしれないんだから…

 

「いい加減に!起きなさ…」

「長森、『絶対』は有るのか無いのか、どっちなんだ?」

「…へ?」

 

俺の質問に見慣れない服を着た長森が、なんとも間の抜けた顔をする。

う〜む…長森のこんな顔を見るのは、久しぶりだな。

 

「だから『絶対』が『絶対に無い』とすると、『絶対』は…」

「はぁ…またばかな事言ってる…ほらほら、今日は遅刻出来ないんだから!」

 

『絶対』について、懇切丁寧に講釈してやろうとした俺に、長森が見慣れない制服と鞄を押し付ける。

 

「ばかっ!これじゃないだろ!」

「もう!ばかは浩平だよ。私達、今日から高校生なんだよ」

 

ぐあ、そうだった!
しかも今日は入学式
(と言っても、由紀子さんは来てくれないけど…)じゃないか!

今日遅刻なぞしようものなら、全校教師に悪印象を与え、面白可笑しい学校生活(予定)に支障をきたす事この上ない。

 

「ばかっ!何故もっと早く起こさなかった!?」

「起こしに来たもん。浩平が起きなかったんだよ」

「言い訳なんて聞きたくない!」

「言い訳じゃないもん!今日は早めに…」

 

まだ言い訳を並べる長森を尻目に、俺はベッドを降りて真新しい制服に袖を通す。

う〜ん…ぱりぱりしてて、何だか紙を着ている気分だ。

 

「ほら!もう走らないと間に合わないよ」

「いや、襟の紙とか、タグを取り忘れた」

「嘘ばっかり、あらかじめ全部取っておいたもん」

 

長森に急かされながら、どたどたと階段を降りる。

 

「ぐあ、ネクタイが上手く結べない」

「もう…何で練習しておかないんだよ〜」

 

襟元に長森をまとわり付かせたまま、靴を履く。

 

……
長森の奴、代わり映えのしない髪型だな。
……
しかも、相変わらず牛乳臭い…

 

「はい、出来た。うぅ〜もうこんな時間だよ〜」

 

腕時計を見た長森が、涙を浮べつつ声を上げる。

…他に何かあったかな?

 

「何も無いよ!急ごうよ!」

「なっなぜ俺の考えが読める!?」

「だって、浩平が何を考えているかぐらい、大体分かるもん」

 

そして今日もいつも通り、ぶち破らんばかりの勢いで玄関を飛び出して…

 

「よしっ!走るぞ!」

「浩平!そっちは中学だよっ!高校はこっちこっち!」

「ぐあっ!そうだったのかっ!」

「はぁ…」

 

新しい校門を目指して走り始めた。

 

 

 

「ふぁぁぁ…寝足りないな…」

「はぁ…入学式で居眠りする人なんて、浩平だけだよ」

 

『入学おめでとう』だの、『高校生活のてびき』だの書かれた冊子やプリントを入れまくってパンパンになった鞄を抱えながら、『入学セール』等の垂れ幕があちこちに見られる商店街を歩く。

まるで、町ぐるみで入学式をしているみたいだな。

 

「…結局、由紀子さん来てくれなかったんだね」

「そうだな。まあ、年始で忙しいんだろうな」

 

女の子らしく両手で前に鞄を持って歩く長森に、空を見上げながら俺が答える。
天気は、概ね晴れ。可も無く不可もない…まるで長森のような天気だ。

 

「そうだね……寂しい?」

「何が?」

「だから、由紀子さんが入学式に来てくれなかった事だよ」

「…別に、中学の時もそうだったからな…」

 

俺の方を向いて、心配げな表情で首を傾げる長森に、俺は空を見上げたままそっけなく答える。

 

「…浩平」

 

でも、そんな俺を強がっていると感じたのか、長森が沈んだ声を出した。

まったく、心配性なやつだ…

仕方なく俺は、長森の方を向いて苦笑を浮べつつ肩を竦めてみせる。

 

「それに、母親気取りの奴が、いつも側にいてくれるからな」

「浩平…」

 

すると、長森は僅かに照れの入った嬉しそうな表情をした。

世話の焼けるやつ…

 

「と言うわけで、日頃の礼だ。受け取れ」

 

ぽいッ

 

「わわっ!…いきなり投げないでよ。びっくりするじゃない」

 

俺が、懐から素早く取り出して投げたプレゼントを慌てて受け止めると、長森が胸を押さえつつ非難の声を上げた。

 

「人生、いつ何が飛んでくるか分からないんだぞ。常に身構えていないお前が悪い」

「もぅ…開けて良い?」

「……」

「浩平?」

「…ああ」

 

正に花が開く様な長森の笑顔に不覚にも見とれてしまった俺は、心持ちぶっきらぼうに答えた。

 

がさがさがさ…

 

「…これって…」

 

 

 

シャーーー!

 

「ほらーっ!起きなさいよーっ!」

 

また今日も長森が来た。
薄く目を開けて、長森の姿を確認すると…

 

「ふぁへ?…長森?」

「すごい。一回で起きた」

「いや…驚いたら、眠気が吹っ飛んだ」

「?」

 

昨日までは、中学時代とまったく同じだった長森の髪形が変わっていた。
左右のこめかみ辺りから一房ずつ選り分けられた髪が、後ろの方で一つになっている…らしい。
(前からは、見えないので…)

 

「じゃ…先に下りてる…」

「あっ…ウン…布団干してから行くよ」

 

椅子に掛けられた制服と鞄を取って一階へ下りて行く俺に、長森が少し不思議そうな顔で返事を返した。

 

「たのむ」

 

片手を上げながら階段を降りて行こうとした俺が、途中で足を止めて振向くと、せかせかと俺の布団を干す長森の髪に、俺からの『感謝のキモチ』が揺れていた。

 

「ながもりー!先に行くぞー!」

「わっ!浩平、待ってよ〜」

 

ぱたぱたぱた……

 

 

and go to blight season


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