言霊βafter
卒業証書…授与…
……
卒業…か
卒業式の日、俺はただぼうっとしていた。
実際、式で生徒がやる事なんて証書の受取りと最期の校歌斉唱くらいだ。
校長の長々とした祝辞や生徒代表の送辞と答辞なんてのは、放って置いても勝手に終わる。
そんな事より俺は、『卒業』という事について考えていた。
高校生活も終わり…
三年間が、今日で一つの思い出になる。
でも、そんな事より明日からの事だ…
俺は、実際まだ迷っている。
死ぬほど勉強して、医者になる…。
さっさと就職して、独り立ちする。
その他にも様々な考えが頭の中を巡っているが、その全てに共通した理由は一つだった。
『これからも澪と一緒に歩いて行きたい』
俺の願いはそれだけ…。
今も病院のベットで寝たきり…殆ど死んでいる澪と一緒にいたい。
ただ、それだけだった。
……
さて…どうしたモンかな?
卒業式も無事終わり、とりあえずアイツに報告だけでもしておこうと思った俺は、卒業証書の入った筒を持ったまま、澪の病院に向った。
そして相変わらず、これからの事を考えながら病室までの白い廊下を歩いている。
とりあえずしばらくはフリーター生活になるだろうけど、やっぱり、一生アイツの面倒を見るなら、良い給料貰えた方が良い…
でも、今の俺の学力じゃ望みは低いな…
いっそ商売でも始めるか?ハイリスクだけど…
「……ッ」
そんな事をぶつぶつ言いながら歩いていると、不意に誰かのすすり泣く声が聞こえた。
「ど…どうしたんですかッ?!」
見回すまでも無く、俺が進んでいる方向…つまり澪の病室の前で澪の母親が廊下に蹲(うずくま)って、顔を被っている。
その指の間から…幾つもの滴が落ち、床に小さな水溜まりを作っていた。
「…うッ…うぅ」
俺の言葉に応える事無く、泣き続ける澪の母親…
その姿に、物凄く嫌な想像が俺の脳裏を掠める。
勿論そんな事認めたくない…だけど、俺は確かめないわけにはいかなかった。
澪を愛する男(ヒト)として…
ガチャリ……バンッ!
病室のドアノブを回して一息つき、心を決めてから一気に開け放つ…
……………
…
………
「……うそ」
相変わらず非現実的な空間…
真っ白な空間…
壁も天井も真っ白で、ある物はベッドと窓と丸椅子。
そして、ベッド近くの窓には、今日も真っ白いカーテンが揺れていた。
そのベッドに…
「嘘だ…」
また一つ白いモノが追加されている。
「嘘だ!嘘だ!」
日焼けしていない白い肌…
何かを渇望するように真っ直ぐ天井を見る瞳…
泡を吹き、涎が滴れた白い唇…
「こんなの…こんなの…」
そして、一番目を引いたのが…
白くか細い首を締め上げている水色をしたチェックのリボン…
「ウソダァァァァァ!!!」
慟哭
全てが、真っ白に染まり…
全てが…止まった。
まっしろ…
てんじょうも…
かべも…
ゆかも…
おれも…
みおも…
全てが真っ白になった世界…
そこに俺は立っている。
「何をしてるの?」
べつに…
不意に聞こえた声…でも、それは良く知っている声だった。
「そんな所に居てもつまらないよ」
うるさい…
いまさら『えいえん』なんていらない!
おれは『えいえん』を捨てたんだ!
「私じゃ嫌なんだね」
そうだ。さっさときえ…
「なら…私が一緒に居るの」
ろ…
…
……
……そうか
そういうことか…
聞き慣れた声が聞こえて、やっと俺は解った。
自ら望み…否定して、逃れた『えいえん』
しかしそれは、今もまだ俺の中に生き続けている。
いや…
常に俺と共にあるのだ。
「二人なら、寂しくないの」
それが俺のみに起こる現象なのかは解らないが、現実を否定した時…
流れ行く清流を堰き止め、澱(よど)んだ沼で生きる事を望んだ時…
そこへ続く扉は、開かれる。
そう…
こんなふうに…
振向いた俺の視線の先にあるのは、澪の母親がすすり泣いている廊下へ通じる扉ではなく…
「ずっと…いっしょなの」
ステージの中心で七色のライトを浴びながら、満面の笑みを浮べ…
「いっぱい…」
その小さな体をいっぱいに伸ばして…
少し高い少女の声で俺を呼ぶ…
「いっぱい伝えたい事があるの」
愛しい女性(ヒト)の姿だった。
『えいえん』…か…
そして…俺は…
………
……
…
「……」
「どうしたの?」
目を開く…
最初に見えたのは、心配げな表情で俺を見つめる愛しい女性(ヒト)の顔…
体育館の窓から差す夕日に照らされ、照れた様に赤く染まった愛しい女性(ヒト)の顔。
「夢を見た」
「夢?」
首を動かす…
注意しないと落ちてしまうくらい小さな彼女の膝枕…
両膝の間に頭を乗せたまま横を向くと、スカートから澪の匂いがする膝枕。
「ずっと昔…いや、ついさっきかもな…」
「……帰りたい?」
視界が変わる…
見た目には、電灯の代わりに窓から差し込む夕日が、様々な色のテープを張られた床を暖色に染め上げる放課後の体育館…
俺と彼女のたった二人が、舞台に上がっている体育館。
「……」
「誰もあなたの事知らないの。泣く人もいないの。それなのに帰るの?」
彼女が俺の頭に手を置いて、訊いて来る…
耳の近くに添えられた小さな手…
ずっと澪の心を書いてきた小さな手。
「……」
「ずっと、ここにいるの。いっぱいお話するの」
彼女が抱き着いてくる…
俺の顔を一生懸命抱え込む彼女の小さな胸…
その小さな体に入り切らない程の想いを溜め込んだ小さな胸。
「いやだ」
「…グシュッ…嫌いに…エグッ…なった…の?」
彼女の声が体育館に響く…
俺と彼女の声以外は、静寂が支配する場所…
俺が彼女の声だけ聞く事を望んだ為、静寂が支配する場所。
「…好きだから…誰よりも好きだから…」
「…スン…え?」
彼女を除け、体を起こして立ち上がる…
目の前には愛しい女性(ヒト)の姿…
元気で、泣き虫で、いつも一生懸命な女性(ヒト)の姿。
「澪と一緒に歩こうとした男(ヒト)として、澪の隣に立つのに相応しい男(ヒト)でいたいから…帰る」
「私はここに居るの!澪は私なの!」
俺の胸にしがみ付いて泣く彼女…
ずっと、俺の側に居て、俺の傷を癒してくれた少女…
昔、悲しみを受け止められなかった俺が、他愛ない約束で繋ぎ止めてしまった少女。
「…こんな情け無い兄貴の為に、今迄ありがとう」
「!」
ハッとした表情(カオ)で俺の顔を見上げる彼女…
いっぱいに見開かれた二つの大きな瞳…
この世界から、いつも俺を見守っていた瞳。
「…そして、さようなら…みさお」
「…」
柔らかい彼女の頬を両手で包み、上を向かせる…
その唇に自分のそれをそっと重ねて、行なった解約の儀式…
自分の逃げ場として作り出してしまったこの世界を無に返す儀式。
「……」
「もう…大丈夫だね」
唇を離した俺の前に居たのは彼女達…
安心した表情(カオ)の『みさお』と『みずか』と『みお』…
三人の姿が重なってぶれている『みさお』と『みずか』と『みお』。
「ああ…」
「もう、ここに来ちゃダメだよ。がんばってね。おにい…ちゃん…」
俺を見上げ、手を振る三人の娘達
そして、その目から、つぅ…と零れ落ちた涙…
愛しさと悲しさと名残惜しさの詰まった涙。
それが落ちて…
床に弾けた。
「……」
静寂
全てが、真っ白に染まり…
全てが…止まった。
まっしろ…
てんじょうも…
かべも…
ゆかも…
おれも…
みさおも…
みずかも…
みおも…
………
……
…
白い壁…
白い廊下…
白い扉…
「……え?」
扉の上には『手術中』の赤い表示灯。
周りを見回すと…
右後ろには、両手を組み眉間に皺を寄せて、何かを祈っている澪の母親が…
左後ろには、盲目者用の白杖を弄りながら、何かを考え込んでいるみさき先輩がそれぞれ長椅子に座っている。
…病院?
そう…病院だった。
しかも、澪が手術を受けている最中の…
なら…さっきまでの事は幻?
だけど…
舐めとった澪の涎の味…
『えいえんのせかい』での約束…
『解約』の口付け…
全てハッキリと覚えている。
なのに、澪は手術中…
頭が混乱してくる。
「みさき…先輩?」
「え?…どうしたの?!」
確かめる様に呼び掛けた俺に、みさき先輩が少し焦った声で返事をして、腰を浮かす。
その様子から、手術開始後、何時間も立った状態である事が分かった。
「いや…呼んだだけ…ゴメン」
「もう…浩平君がしっかりしなくちゃ」
俺の返事に胸をなで下ろして、再び長椅子に座るみさき先輩。
俺もその隣に腰を下ろす。
「なあ、みさき先輩」
「弱気になっているんなら、許さないよ」
再び俺が呼び掛けると、みさき先輩は俺の顔を横目で睨んだ。
もっとも、見えているはずはないのだが…
「そうじゃない。証人になってくれないか?」
「証人?」
俺の答えに不思議そうな顔をするみさき先輩。
自己満足かもしれないけれど、どうしてもこの女性(ヒト)に証人になって貰いたかった…
俺の知っている中で、澪に一番近しい女性(ヒト)に…
「ああ…結果が分かる前に誓っておきたい事があるんだ…」
俺の誓いは…
『言霊(コエ)』βafter FIN