春
公園の桜が満開になる季節。
この香りに包まれ、高校に入学してから、もう三年が経ちました…。
タタタタタ…
お世話になった先生や先輩…
仲良くしてくれた友達…
嬉しかった事、頭に来た事。
悲しかった事、楽しかった事。
いっぱい、いっぱいありました。
パタパタパタ…
そして今日…
私はここから巣立ちます。
今、私の手を引いてくれる、この人と一緒に…
言霊(コエ)After
「やっと来たか…」
私とあの人が教室に飛び込むと、独りで一番前の席に座っていた男性が、のそりとその大きな体を揺らして立ち上がり、安心と呆れの入り交じった苦笑いを浮べました。
この熊みたいに大きな先生は私達の担任では無いけれど、入学以来、言葉の喋れない私をずっと見守り導いて下さった、私にとっての恩師です。
「折原…オマエ、もう一年通うか?」
「うーん…コイツと一緒なら…」
先生の言葉に、あの人が、私の頭にぽんっと手を置いて答えました。
「じゃあ、上月も一緒に留年だな」
「ひゃ」
『や』
でも、私は留年なんて嫌です。
たとえ、あの人ともう一年一緒に学校に通えると言っても、これ以上お母さんに迷惑掛けたくありません。
だから、私は声帯とスケッチブックの両方を使って自分の意思を表しました。
あの人のおかげで声が出せるようになったとはいえ、まだまだ普通の人には通じないみたいですから…。
「なら仕方ないな。さっさと体育館前に並べ。あと五分だぞ」
そう言って、先生は私とあの人を教室から連れ出すと、鍵を締め、私達と一緒に体育館へと歩き出しました。
ここであった様々な思い出…
出会い…別れ…
全てが掛け替えの無い宝物です。
卒業証書…授与…
また明日から新しい生活の始まり…
そして、隣には大好きなあなた…
校歌…斉唱!
これを歌うのも、今日で最後…
あなたにお願いして、最初に教えてもらった歌。
学校のみんなと一緒に歌う喜びを教えてくれた歌。
今迄、私を導いてくれた先生…先輩達…
一緒に色々な思い出を作った友達…
ずっと、私を見守ってくれるお母さん…
そして何より、大好きなあなたの為に歌います。
♪♪〜♪♪♪〜
前奏が始まると同時に胸の中でドキドキと心臓が早鐘を打ち始めました。
それを抑える様に胸の前で手を重ねると、私は大きく息を吸い込み…
後ろの席にいるお母さんに聞こえるくらい大きな声で、最初の小節を歌い始める…
はずだったのですが、
「「「「「「―────♪」」」」」」
「―────♪」
何故か私の口は、二番の歌詞を歌い始めてしまいました。
その瞬間、私の頭の中は真っ白になってしまい、どうして良いか判らなくなってしまいました。
なおも私の口は二番を歌い続け、周りからの嘲笑と視線が刺さっているのを感じます。
どうしよう…私どうしたら…
あまりの恥ずかしさと混乱の為に、私が泣き出してしまいそうになった時…
「―────♪」
二番を歌うもう一つの声が、近くから聞こえて来ました。
これは…
いつも側にいてくれる声…
好きだと言ってくれる声…
ずっと聞いていたい声…
その歌声が誰のものが判った瞬間、私の目から涙が溢れて来ました。
私もその声に答えるように、声を張り上げ、二人だけで二番を合唱します。
「「―────♪」」
すると次の小節から、また二つ、今度はずっと後ろの方から私達に重なって来ました。
これは…
温かく見守ってくれた声…
いっぱい教えてくれた声…
大好きな声…
四人になって、合唱を続ける私達…
それに、また一つ…また一つと、どんどん別の歌声が加わって来ます。
これは…
いつも遊びに誘ってくれた声…
これは…
いつも難しい問題を教えてくれた声…
これは…
いつも私に辛い言葉をぶつけていた声…
もう涙が止まりません。
さっきとは違い、あまりの嬉しさに泣き出しそうになるのを堪えながら、私は一生懸命歌いました。
今は、もう全卒業生だけではなく、参列者のほぼ全員で合唱している校歌の二番を続けて三回…
これまでいろんな事が有りました。
嬉しかったこと…
頭にきたこと…
悲しかったこと…
楽しかったこと…。
そしてこれからもいろんな事が有ると思います。
だけど、私は挫けません。
友達との楽しい思い出…
先輩達の時には厳しかった導き…
そして、あの人の温かな抱擁…
いろんな人から、いろんな物を貰ったから、決して優しくない現実も頑張って乗り越えられると思います。
明日も、いっぱい笑顔でいられます様に。
三月三日卒業式 上月澪の日記より