マチビトキタラズ

第六章・待人(アイツ)

 

 

 

季節は再び春。

風も温かくなり、町の中でも春物を着ている人が増えてきた。

 

ザーーーーー……

 

だけど、今日の天気は朝からずっと雨…

 

…今朝もいなかった。

 

学食へ向かう廊下の窓ガラスから外を眺めながら、私は、今朝空き地に行った時の事を思い出していた。

 

もうすぐ、一年です。

本当に、帰ってきてくれますか?

約束を守ってくれますか?

……

私の事…忘れてません…よね?

 

「茜!」

 

私が、窓ガラスと対面しながら物思いに耽っていると、突然、聞き慣れた明るい声に呼ばれた。

 

「詩子…また来たんですか?」

「もちろん。だって、この頃の茜って、元気無いから…」

 

そろそろ卒業と言う時期だけど、詩子は相変わらず私の学校に来ている。

詩子は昔から要領が良い娘だったから、多分自分の学校の方は問題無いのだと思う。

 

「ほら、茜。お昼休み終わっちゃうよ。早く学食に行こ」

「…はい」

 

 

 

「うわぁ…今日はいっぱいだね」

「雨ですから…」

 

今日の学食は、いつも以上に混雑していた。

食堂も購買も、昼食を求める生徒で溢れかえっている。

 

「どうしようか?」

「……」

 

くいくいくい…

 

余りの人多さに詩子と顔を見合わせていると、不意に袖を下に引かれた。

振向くと、案の定そこには満面の笑顔を浮べた澪が立っている。

多分、澪も昼食を摂りに来たのだと思う。

 

「あっ澪ちゃん。一緒に食べよ」

 

えとえと…うん

 

澪を抱きしめ、頭を撫でながら誘う詩子に、恥ずかしそうに頬を染めながら、澪が小さく頷いた。

 

「でも、込んでます」

「困ったよねぇ…」

 

学食の中を指して言う私に、詩子がそれほど困ってなさそうな声で答える。

一方、詩子から開放された澪は、私のお下げにぶら下がる様にしてじゃれ付き始めた。

 

 

暫らくそうやって立ち尽くしていると、澪が、何かに気が付いたかの様に首を傾げて、スケッチブックにペンを走らせ始めた。

 

ぱらぱら…キュキュッ!

 

そして私達に書いた文字を向ける。

 

『いないの』

 

…え?

 

スケッチブックに書かれた文字の意味が分かるにつれ、私の心臓が早鐘を打ち始めた。

 

「いないって…あぁ、アイツの事。そう言えば今日は見てないなぁ。休みなのかな?」

「…アイツ?」

「ウンそう、アイツ。茜、どうしたか知らない?」

 

……本当に

 

詩子の言葉に、私の考えている事が、本当なのだと確信した。

 

「茜?」

「早退します」

「え?…あっチョット!茜ぇぇ!」

 

パタパタパタ…

 

教室には戻らず、私はそのまま昇降口に向かった。

そして、今朝差して来たピンク地で水玉模様の傘を掴むと、そのまま雨の降る外へ飛び出す。

 

ザーーーーー……

パシャパシャパシャ…

 

傘を差さずに、私は町の中を一生懸命駆け抜けた。

雨水が下着にまで染みて冷たく、水を吸った髪の毛が重くて走りづらかったけど、私は気にせず、ただひたすら足を動かした。

あの場所へ…

 

 

 

ザーーーーー……

ピチョ…ピチョ……

 

相変わらず完成が遅れている空き地の工事現場。その奥に…

 

「……」

 

アイツが、いた。

降り注ぐ雨の中で、手をだらしなく下げ、糸の切れた操り人形のように項垂れている。

 

ザーーーーー……

 

「……」

 

カチン…バサッ!

 

私は何も言わず傘を開くと、アイツの元へ駆け寄り、背伸びをして後ろから差し掛けてあげた。

……

どんなにこの日を待ち望んだだろう…

この瞬間…こうやって傘を差し掛ける為に、私は一年も待ったのだ…

そう…たったこれだけの為に…

 

「……」

 

暫らくすると、アイツは私の方を振向いた。

そして、初めてここで逢った時と同じ顔をして、話し掛けてくる。

 

「よう…こんな所で何やってるんだ?」

 

以前と同じアイツの様子に、私は安心する反面、苛立たしくも思った。

 

「こんな時…普通は名前を呼んでくれるものです」

 

私は、眉を寄せ、上目遣いにアイツを見上げながら、そう答える。

すると、アイツは小さく笑いながら、一旦目を閉じ、そして口を開いた。

 

「茜…ただいま」

 

パサ…

 

あいつが名前を呼んでくれた瞬間、私は傘を放り出して、アイツの胸に飛び込んでいた。

そして、ぐっしょりと濡れたシャツに自分の顔を押し付けながら…

 

「おかえり…なさい」

 

「茜…」

 

アイツが私を包み込むように抱きしめてくれる。

その痛いくらいの強さと温かさが嬉しかった。

 

「…痛いです」

「茜…」

 

私が身をよじっても、アイツは私を放そうとせず、私を一層強く自分の胸に押し付けてきた。

雨とアイツの匂いが、鼻孔いっぱいに広がる。

 

「痛い・・ですけど、暫らくこのままでいてください」

「ああ…」

「……」

「……」

 

アイツに抱きしめられ、アイツを抱きしめる。

アイツの存在を感じながら、私の想いを伝える。

だた、抱き合うだけで、十分な程お互いの心を感じ合えた。

 

「…こんな時、普通は…」

 

アイツの胸から顔を上げた私がそう言い掛けると、アイツは腕を緩めて、私を正面から見つめた。

 

「俯くんだろ…」

「…はい」

 

私達は、どちらからとも無く目を閉じて、お互いの顔を寄せ合い、冷えた唇を重ねる。

その瞬間、計ったかのように雨雲の間から日が射し…私達を照らした。

 

あの時と…初めてこの人を好きと感じた日と同じ…

 

「…もう、本当に何処にも行かないと約束してください。行く時は、私も一緒です」

「わかった。約束する」

 

唇を放した後、胸にしがみ付いて言う私に、アイツが髪をいとおしそうに撫でながら約束してくれた。

 

「…はい」

「……あっ」

「…?」

「見ろ茜。虹だぞ」

「…綺麗です」

 

アイツが指差す方を見ると、空き地の出口の方角に、雨上がりの虹がかかっていた。

アイツの胸に頬をくっ付けたまま、同じ虹を見上げる。

すると、反対側の肩に、アイツが腕を回して来た。でも、不思議な事に、嫌悪感も恥ずかしさもは感じない。在るのは、安心感だけ…

 

「茜ーっ!どこー!?」

 

バタバタバタ…

 

と、突然、聞こえて来た詩子の声に、私とアイツは、ぱっと同時に体を離した。

そして、お互いに顔を見合わせて苦笑する。

 

「じゃ、行くか?」

「…はい」

 

そう返事をして、アイツの後ろに付き空き地を出ようとして、私は一旦立ち止まった。

そして、最後にもう一度空き地を見回す。

 

もう二度と、ここに立ちたくありません…

 

「さようなら」

 

最後に一言そう言い残すと、私はアイツの背中を追って歩き出した。

虹のかかる世界へと…

 

 

 

End of a Eternaly

 

 

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