a lonely lady

 

 

「……なんで、あたしここに居るんだろう…」

 

アイツが居なくなってから半年が過ぎた。

あたしが初めて恋をした人…

あたしが初めてキスをした人…

あたしが初めて肌を重ねた人…

だけど…あの日以来アイツは居なくなってしまった。

半年前、突然、アイツからプレゼントされたドレス…

寒色系で、シンプルなデザインだけど、あたしにとっては、この世に二つと無い最高のドレス。

だけど、それも半年で色が褪せ、煤けてしまった。

それでもまだ、アイツは来ない。

 

「はぁ…遅刻185日目か…」

 

アイツと仲の良かった住井君も…あたしよりずっと長い時間、アイツの側にいたはずの瑞佳でさえ、アイツの事を覚えていない…

いや、知らない…

アイツの事を知っているのは、あたしだけ…

 

 

 

ズドーーーーーーーーーーーーーンッ!!

 

最初の出会いは突然…

 

転校早々遅刻しそうになったあたしは、出会い頭にアイツと衝突した。

まるで、一昔前の少女漫画のような出会い…

でも、アイツは倒れたあたしを瑞佳に押し付けて、走り去って行った。

 

そして、転校先に行ったあたしは、またアイツに会った。

運命…だったのかもしれない。

でも、アイツは…

 

「今朝は凄い勘幕だったな」

 

一番覚えておいて欲しくない事を覚えていた。

あたしの事を放って置いて行ったくせに、そういう事はしっかりと覚えている。

 

あの頃のあたしは、『乙女』を目指していたから、アイツの存在は、目の上のタンコブだった。

 

 

「よっしゃああぁぁぁぁーーっっ!! 七瀬、やったぞぉーっ!」

 

アイツの事が気になり出したのは、人気投票…

 

『乙女』を目指す一環として、人気投票で一位を取ろうとしたあたしに、アイツはたくさん協力してくれて、発表の時には、授業中なのを気にせず叫びながら、あたしの髪を『ぐわしゃぐわしゃ』と掻き回すくらい喜んでくれた。

 

そしてこの頃から、アイツの事を鬱陶しく思わなくなっていた。

一緒にいて楽しい奴…

『友達』

…といった感じになっていた。

でも…

 

「無理にそんな技使わなくても良いだろう」

 

相変わらずアイツは、あたしが『乙女』を目指すのを邪魔する事もあった。

要するに、自分にとって面白いか面白くないかで、協力したり、邪魔したりする勝手な奴なのだ。

だけど、今思うと、無理に『乙女』を目指すより、ありのままのあたしを好きになってくれたから、あんな事を言ったのかもしれない…

 

 

「殺すぞ、てめぇ」

 

アイツに惹かれ始めたのは十二月の中頃…

 

二学期の期末テストに入った辺りから、アイツの反応が変になって来た。

その頃はまだ恋愛感情とかは無かったけど、仲良くなってきた時にあんな事を言われて、正直悲しかった。

 

でも、あたしの苦手なグラマーのテスト前…。

 

ぽてん

 

テスト5分前だというのに、教科書を前に頭を抱えていたあたしの後ろから、小さく丸めた紙が飛んできた。

てっきりアイツの仕業だと思い後ろを振向くと、アイツは机に突っ伏して寝ていた。

不思議に思いながら、あたしが紙玉を開いてみると、

 

『瑞佳のチェックポイントだよ。ここさえ暗記しておけば多分OKだもん』

 

と、汚いアイツの字でそう書いてあった。

相変わらずよく分からない行動に辟易しながらも、あたしは胸の中でアイツの好意に感謝した。

そしてその日の放課後聞いた話で、急に態度が変わったのは、全てアイツがあたしを想っての事だと分かって、安心した。

もしかしたらアイツが、あたしの事を嫌いになったんじゃないかと少し心配していたから…。

 

 

「いいかげにしやがれえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーっっ!!!!」

 

アイツの事を『好き』と感じたのは、あの瞬間…

 

あたしの事を目の敵にしていた広瀬との和解が決裂した時…

あたしがもう少しで『乙女』を捨てようとした時…

アイツがあたしを救ってくれた。

アイツの絶叫が、あたしを『恋する乙女』にしてくれた。

 

その日の放課後、アイツと商店街に行ったけど、あたしはただアイツの隣でドキドキしていた。

アイツの顔を見るだけで…

アイツの声を聞くだけで…

胸が苦しくなった。

初めて感じる不思議な感覚…

『幸せだけど辛い』

そんな感覚だった。

あれが『恋』だと気付いたのは、もう少し後になってからだった。

 

 

「よし、踊ろう、七瀬」

 

アイツに『好き』と告白したのはクリスマスイヴ…

 

夜の公園で、アイツはあたしの手を取り、踊ってくれた。

憧れのダンスホールじゃなかったけど…。

奇麗なドレスも着ていなかったけど…。

凄く嬉しかった。

誰も居ない静かな公園で、アイツと二人っきりでワルツを踊る…。

それだけで、あたしは十分幸せだった。

そして、踊りながらあたし達は、初めて唇を合わせた。

 

 

「抱いていいか」

 

そして、アイツに必要とされたのは三月…。

 

好きな人に必要とされる…

これ以上の幸せはないと思った。

だから…恐かったけど、あたしは拒まなかった。

激痛…

それ以上の幸せと安心感…

アイツに抱かれる温もりの中で、あたしはアイツの恋人になった事を確信した。

 

 

「…あれ?」

 

そして、アイツは消えた…

 

あたしの側から…

みんなの記憶から…

この世界から…

まるで切り離されるかのように…

突然!

 

今、アイツとこの世界を繋いでいるのは一つだけ……

あたし自身…

だから…あたしは待ってるのかな?

来てくれる保証も無いのに…。

もう半年も遅刻しているのに…。

 

 

 

ふと時計を見ると、二十時を回っていた。

今日は、もう帰ろう…

そう思って、あたしが歩き出した瞬間…

 

「ナナ…セ」

「えっ?」

 

後ろからアイツの呼ぶ声がして、あたしは慌てて振向いた。

どんな顔をしていたのか自分でも分からない。

泣いていたのかもしれないし、怒っていたのかもしれない。

でも、そんな事はどうだって良かった。

アイツが…

アイツが帰って来てくれたのなら…。

 

「……………あれ?」

 

しかし、振向いた先には木があっただけだった。

初秋の少し葉が散り始めた桜の木が…。

 

「…あ…れ?」

 

なぜか涙が込み上げてくる。

アイツが来ないことなんて解ってるはずなのに…。

それでも涙がどんどん込み上げて頬を伝ってゆく。

 

「…どうして?」

 

どうして、来てくれないのかな?

ずっと…

ずっと待っているのに…

『乙女』にはなりたかったけど、『悲劇のヒロイン』にはなりたくないよ。

「早く…来てよ…待ってるんだから…」

桜の幹に顔を付けて、あたしは声を出さずに泣いた。

 

 

 

前に泣いたのは、何時だろう…

そうだ…

アイツが一日目の遅刻をした次の日だ…

 

あたしは文句を言うついでに、アイツを迎えに行った。

だけど、いつもは開けっ放しにしてある家の鍵がかかっていた。

暫らくチャイムを鳴らしたり、呼び掛けたりしていたけれど、返事が無いので先に行ったのだろうと思い、あたしは学校に向かった。

 

遅刻しそうな時間に教室に着いて自分の席の後ろを見ると、そこにはアイツも、アイツの鞄さえ無かった。

この時は風邪でもひいたのだろうと思い、後で『恋人を心配する乙女』として電話を掛けようかと考えていた。

 

だけど……

 

「小川…角田…」

 

…え?

 

「何で空席があるんだ?七瀬さん邪魔にならない?」

 

ちょっと!

 

「七瀬さんって、誰かと付き合っていなかったっけ?」

 

なんでなの!?

 

たった半日で、私は気が狂うかと思った。

あたし以外のみんなが、アイツの事を『知らなかった』。

 

絶望に打ちひしがれた私は、藁をも掴む思いで、あたしは放課後、アイツに最も近い娘…瑞佳に思いきって訊いてみた。

でも…

 

「ねえ瑞佳…アイツ、今日どうしたか知らない?」

「…七瀬さん、アイツって誰の事?」

 

あたしの質問に、瑞佳はキョトンとした顔でそう答えた。

 

「っ!!」

 

パンッ!!

 

どうして、手が出てしまったのか解らない。

ただ、瑞佳が…

今でもあたしよりアイツの近くにいると思っていたあの娘がアイツの事を『誰』と言ったのが嫌で、悲しくて、頭にきて…

気付いた時には、あたしは瑞佳の頬を張って、飛び出していた。

 

 

「うッ!…うぅッ!」

 

家に帰ったあたしは、ベッドに突っ伏して泣いた。

 

『…七瀬さん、アイツって誰の事?』

 

瑞佳の言葉が…顔が…誰もアイツを知らない事を表していた。

 

あたしはただ泣くしかなかった。

アイツがこの世界に存在して居ない事…

そして、瑞佳をぶってしまった事…

全てが嫌だった…

アイツがいた頃に…

一昨日に戻りたかった。

 

 

どれほど、そうしていただろう…

ふと顔を上げると、目の前にはハンガーに掛けられたドレスがあった。

アイツがくれた初めてのプレゼント…

 

「……。」

 

ふらふらと立ち上がると、あたしはドレスを手に取った…

 

 

 

……あの時からあたしはここでアイツを待っている。

最後に泣いた日は、あたしが時間を止めた日だった。

アイツを待つ為に…

輝いていたあの日のまま…

 

 

「……遅刻365日目…」

 

一年…

一年ていう時間は長すぎるよ…

残酷…

いろんなことが変わって…

一年経ったら、いろんなことが変わって…

忙しくみんなは自分の将来を追って…

去年の自分から変わってゆくのに…

あたしはまだこんな所にいる…

あたしのこの一年は、なんにもだった…

なんにも…

ずっと去年の、あの時間に留まって…

あの頃の、アイツの側にいた、一番輝いてた自分に留まって…

アイツのために綺麗でいられた、あの頃に留まって…

長かった…

残酷…

………

 

 

…帰ろう

ずっとあたしがいなかった、現実に。

とりあえずこのドレスを仕舞って…

アイツとの時間をもう過去として終えるんだ…

あたしは、ついに一歩を踏み出す。

そのとき…

 

がたんがたんがたんがたん

 

目の前の石段を勢い良く駆け上がってくる何ががあった。

 

「うおぉぉぉーーーっ…!」

 

馬の蹄でも、嘶きでもない。

あたしの目前で急ブレーキを掛けたそれは、土埃をあげて、停止する。

 

「ぜー、ぜー、ぜー…」

「ぜー、ぜー…間に合った…」

「………」

 

そしてその自転車を駆るやつが言った。

 

「おまたせっ、お姫様」

「………」

 

一年ていう時間は長すぎる…

 

「さぁ、乗れ」

 

残酷…

それは、一番あたしが輝いていた時間だったから。

 

「格好悪い」

「文句を言うな。これでも精一杯、役作りしているつもりだぞ」

「アンタ、言葉、役になりきれてないじゃないっ」

「現実とはこんなものだ。ほら、乗るのか乗らないのか、さっさとしろっ」

「そんな王子様居ないっ!」

「贅沢な奴だな…。ほら、乗った乗った!」

「そんな威勢のいい王子様も居ないっ」

「んじゃあ…お乗り下さい、お姫様」

「そう、いい感じ」

 

あたしの、一年を隔てた最初の一歩は、その自転車の荷台に乗る事だった。

 

「よっしゃ、行くかっ」

 

その時、あたしは留めていた輝く時間が動き出す音を確かに聞いていた。

 

ぎっ…ぎっ…

しゃー…

 

動き出す音。

それは回転するチェーンの音と、二人の体重で軋む車体の音だった。

そして…

 

だぐんッ!だぐんッ!だぐんッ!だぐんッッ!!

 

「きゃぁっ!石段、そのまま下りるなぁっっ!!」

「いや、これでも急いでるんでなっ!」

「どしてっ!?」

「ばぁか、なんのために待ち合わせてたんだよ」

「あ…」

 

そうだった。

約束して、待ち合わせてたんだっけ。

ついさっき、ふたりはそうして別れたんだっけね。

 

 

「ねぇ、ところで、それってタキシードじゃないんじゃないっ…?」

「そんなものが家にあるわけないだろう。間に合わせだ」

「って、これっ、喪服じゃないっ!」

「よく似たもんだろ」

「そ、それであたしと踊る気っ!?」

「構うか」

「構うわよ、あたしがっっ!」

 

喧騒に込む通りを、あたしたちは走り抜けた。

自転車にふたりのりで、ひとりは喪服で、ひとりは煤けたドレスで…

とんでもなく恥ずかしいふたりだったけど、べつに関係ない。

楽しいことが先に待つときには、そう言うもんなんだ。

 

 

がたがたがたッ!

ききーーーッ!!

 

「ぜー、ぜー…着いたぞ」

 

商店街を全速力で突っ切ったあたし達は、この辺りで唯一の他目的ホールに来た。

表には結構式やら、パーティーやらの案内が出ている。

どのパーティーに参加するのか楽しみにしていると、アイツは自転車を駐車場の脇に止めて帰ってきた。

 

「行くぞ」

「うん」

 

あたしとアイツは手を繋いで、ホールの回転ドアをくぐった。

 

 

『第三他目的ホールB』

そこがアイツの予約した『ダンスフロア』だった。

黒い背広のスタッフに案内されて、あたし達はホールに入る。

 

「……何コレ?」

「見てのとーり、ダンスフロアだが?」

 

『第三他目的ホールB』

そこはダンスの個人練習などに使われる小ホールだった。

しかも『第三他目的ホールA』とは、衝立(ついたて)で仕切られているだけのお粗末さだった。

白い床の端にテーブルが一つ、椅子が二つあるだけで、他には何も無い。

スタッフが一礼して立ち去ると、あたしはアイツに詰め寄った。

 

「ちょっと!パーティーは?『ダンスパーティーに行く』って約束じゃっ!?」

「七瀬…俺の話をちゃんと聞いてたか?『ダンスフロア予約した』とは言ったが『ダンスパーティーに行こう』なんて言ってないぜ」

「あ…」

 

確かに良く思い出してみると、そうだった。

一年であたしの記憶も結構曖昧になってたものね…

「それより七瀬踊るぞっ!実はこのフロアでさえ一時間しか借りれなかった」

「えぇぇー!」

まったく、頼り無い王子様ね。

でも…

あたしの夢を少しずつ叶えてくれようとしてくれる姿は、とても素敵だと思う。

 

「ほら!あと52分だっ!」

 

そう言ってアイツが無理矢理あたしの手を取る。

 

「もうっ!ムードないっ!」

 

そう言うとあたしは微笑みながら、アイツの手を握り返して腰に手を回した。

そしてあたし達は踊り始めた。

クリスマスの夜に踊ったワルツをもう一度…

Fin of a lonely lady

 

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