春きたりて…

 

   ─待春─

 

 さわさわ…

「何ですか?」

 さわさわ…

「あの?」

 さわさわ…

「……」

 さわさわ…

「あいさ…」

「綺麗だな…」

 茜色の微風に揺れる草海

 触り心地の良い髪の感触を楽しんでいた俺を少し迷惑そうな顔で見下ろす彼女に、飾り気のない素直な感想を伝える。

「そう…ですか?」

 意外そうに呟きながら、肩に掛かる自分の髪を一房つまみ、眉をひそめる彼女。

 香(こう)の香りがするその膝の上で、もそもそと頭を置き直しながら口を開く。

「ああ…少なくとも俺はそう思うぞ」

「天然ですから…小さい頃は良くイジメの対象にされたんですよ」

「綺麗だと思うけどな…」

「…ありがとうございます」

 俺の言葉に、視線を外しながら頬を染めて礼を言う彼女。

 こんな表情をするようになったのだろう…

 いつも近くにいて、気付かなかったのかもしれない。

微かな変化の繰返し…

立ち止まって振りかえれば、こんなにも変わってしまっている。

そんな日々の中で、小さく微かな煌きなど忘れ去られてしまうのかもしれない。

「良い天気だな…」

「はい」

 鴇色に染められた袴の膝枕から目の前に広がる蒼空に向けて両手を伸ばす。

 だけど、どんなに手を伸ばしても目の前にある雲を掴む事は出来なくて…

 悔し紛れにそのまま握り拳を作ると、重力に任せて両腕を左右に下ろし大の字になった。

「おっそいなぁ…」

「はい」

 誰が…

 とは、言うまでも無い。

 友達・恋人・家族

 もうそんな風な言葉では定型化してしまいたくないモノを俺達は待っているのだ。

 ずっと…

「おーいっ!お前が待っていた春が来たぞーっ!」

「…ッ!」

 大の字に寝転んだまま、彼女の膝の上で声を張り上げる。

 突然の、しかも目の前からの大声に彼女は小さな悲鳴と共にビクッと体を震わせると、恨めしそうな眼で俺の頬を左右に引っ張った。

「…うるさいです」

「もひかふると…その辺にいるかもしれないだろ」

 不明瞭な声で言い訳をしながら天野の手に自分のそれを重ねて外すと、お互いの指がそのまま空中で子猫の様にじゃれあう。

 彼女の少し冷たくしなやかな指に触れ…絡め…包まれる。

 春の気配に目覚め始めた三月の丘

 若草を揺らす風が二人の周りを吹き抜け、微かな暖かさを残していった。

「「あう〜。うたた寝してたら、いつの間にか春だったよ〜」ってな」

「ふふっ」

 アイツの口真似をする俺を見下ろしながら、天野が絡めあった指を再び外しつつ目を細める。

 ひらひらと逃げて行く指を追い掛けながら、俺もまたつられるように目を細めた。

「帰ってきますか?」

 逃げる…

「たぶんな…そんな予感がする」

 捕まえる…

「相沢さんは、カンが働く方ですか?」

 また逃げる。

「おう。朝、雨が降る予感がして傘を持っていったら、電車の中に忘れて、帰りはどしゃ降りの中を走って帰る羽目になったぞ」

「ふふふっ…」

 柔らかな微笑みの後、風に踊る花びらの様にひらひらと逃げ回っていた手が舞い戻り、ふんわりと俺の両頬を包み込む。

 追い掛けることを止めた両手をだらりと草の上に落として、目を閉じ、頬に添えられた手のひらの感触を楽しむ俺。

「…相沢さん?」

「ん?」

「私が…私が相沢さんの事を好きになってしまったら、どうしますか?」

 頬を撫でていた手が固まるのと共に紡ぎ出された言葉。

 温かく甘い二人の間にある今まで見えない事にしていた冷たい隔たり…

 それを直視せざるを得なくなったのを感じる。

「……病院に連れてく」

「どうしてですか?」

 たっぷり時間を取ってから返した言葉に、彼女が納得いかなそうな顔で首を傾げる。

「こんな男が好きだなんて、どうかしてるからな…」

「そうですか?」

「そーだ」

 天野の傍にいると安心する。彼女さえいればもう何も要らない思えるくらいに…

 だから好意を寄せてくれるのは嬉しい…だけど、それは同じ過去を持ったという理由が在るからに過ぎないのだ。

 今の天野なら…

「それでも、好きな物は仕方ないですよ」

「…ほんとに物好きだな」

 日も傾き、ほの暗い空に浮かぶ月を見上げながら答える天野にそう呟くと、俺は体を起こして彼女の方を振り返りながらそう言った。

「帰りますか?」

 立ちあがった俺に訊ねながら、俺の背中に付いた草を払おうとする天野。

 その手を取り、乱暴に自分の胸へと引き寄せる。

 小さく「あっ」と言いながら俺の胸に倒れ込んでくる彼女。その甘い香りが俺の鼻を擽る。

「時間…いいか?」

「私、今日は卒業記念のパーティーに行ってますから…」

「そうか…」

 柔らかな若草の原に、優しく天野を押し倒す。

 緊張を微笑みで隠そうとする天野…美汐の顔に自分の顔を寄せると、微かに震える唇に自分のそれを軽く触れさせた。

 もう一度、今度は深く唇を重ねようとする俺の唇に彼女はそっと人差し指を当てると、ひとこと約束を呟き自分から唇を重ねてくる。

「ひとつだけ…今は、私を見て下さい」

 

はれわたった春をまつ…

あいつがすきな春をまつ…

そしていつか…春になる。

 

 

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原作・芝刈組SPECIAL(MAIDO OSAWAGASESIMASU!Y)内

しば原まさを様(芝刈組)の作品より