朱の絆<FRIENDS>【V】
ダイジェスト版
あお…
蒼かった森…
葉が散り、雪を被った森。
そして泣き声…
感情を剥き出して泣き喚く子供…
「おかあさぁぁぁぁぁん!」
聞き慣れた少女の泣き声に目覚めると、続いてとたとたと階段を駆け下りる音が聞えてきた。
ベッド横の窓に掛かった水色のカーテンの隙間から覗く外の景色は、まだ暗い闇に閉ざされている。
「またか…」
温かなベッドから、冷たい外気の中へと手を伸ばして時計の文字盤をこちらに向けると、コチコチと時を刻む針は、午前四時三十分を指していた。
寝てから一時間ほどしか経っていない。
「しかたない…」
正直、朝方はまだ寒いのでベッドから出たくはないのだが、パジャマ一枚と裸足で一階をうろついているであろう名雪の事を思うと、そうもいかない。
俺はベッドの中で軽く気合いを入れると、一気に掛け布団を跳ね上げた。
「お母さん…お母さん…」
紺色のどてらを羽織った俺が一階に降りて行くと、名雪が泣きながら秋子さんの姿を求めて、夜の台所をうろついていた。
恐らくまた秋子さんを失う夢を見たのだろう…軽いパニック状態で夜の台所をうろつく名雪。その姿は夢遊病者の様にも見える。
とりあえず落ち着かせる為に、俺は名雪の元へと歩を進めた。
「名雪」
「お母さッ…」
秋子さんを探して冷蔵庫を漁っている名雪の後ろから俺が呼びかけると、名雪は正に迷子が母親を見付けたかの様な顔で振向き…
「じゃ…ない…」
||||||||||
のわぁぁぁ!
こらっ!お前なんて所に!
「あははっ!大丈夫だよっ」
突然高いところに連れてこられ、反射的に木の幹へと蝉の様にしがみ付く俺。
それとは対照的に、彼女は大木の天辺に片足で立ちながら、ほかほかと湯気の立つたい焼きを、はぐはぐと美味しそうに頬張っている。
「夢だから、落ちないよ」
そう言いながら、無造作に俺の近くの小枝へと飛び降りてくる彼女。
見ているだけで目眩がしてくる。
それでも嫌だ!
「そんな事より、これを見せたかったんだよ」
そんな恐ろしい真似ばかりする彼女をなるべく見ない様に、俺が幹の方を向いていると、彼女は乗っただけで折れそうな枝の上をスキップしながら俺の元へと近づいて来て、街の方を指差した。
仕方なく、指差す方を恐る恐る横目で見る俺。
あ…
そこには紅く…
建物も道路も、全てが紅く輝く街があった。
「ボクの記憶の中で、一番綺麗で…一番鮮明で…いちばん…」
俺が赤く輝く街に見惚れている間に近くの小枝に腰掛けた彼女は、そこで一旦言葉を切ると、俺の方を振向いて…
「忘れたくない光景なんだよ」
と、呟くように言う。
そうか…
そんな彼女に一応の返事をしながらも、何故か俺は赤く輝く世界から目を放せないでいた。
なあ…
あの夕日沈まないな。
「うん…止めてるんだよ。ビデオみたいにね」
なら『再生』しろ。いつまでも沈まない夕日なんて綺麗じゃない
「ボクも…そう思う…けど、ここまでなんだよ」
俺の言葉に夕日の方を向いたまま答える彼女。その顔は紅い逆光の陰になっていて解からない。
だけど、何故かその声の中に躊躇いの色が感じられた。
……どういう事だ?
そんな彼女の様子を不思議に思いながら、少し間を置いた後、それを問う俺。
しかし、その言葉が合図だったかの様に、突然、フッと周りの景色が暗転して、まるで、突然太陽が沈んだ様に真っ暗な世界となった。
「…ここまでしか…見れなかったんだよ」
その中に響く彼女の声…
とても近く…それでいて遠くからの様な…
不思議な聞こえ方がする。
「この後…」
次の言葉と共に、鼻の先も見えない真っ暗な闇の世界が、真っ白な…白闇とでも言うべき世界へと変わる。
もう、起きているのか横たわっているのかさえも解からない。
「ボクは…」
いやだ…
彼女の声によって、自分の奥底から甦ってくる恐ろしい何かを否定する俺。
しかし、その意思に反して、三百六十度の純白にはポツポツとい点が浮び、それが滲む様にして広がって行く。
やめろ…
完成する緋の世界…
それと共に甦る何か。
「……っ!」
聞えてくる誰かの悲痛な叫び…
雪の上に寝かされている感覚が甦る…
緋い世界の向こうで俺を覗き込む誰か…
おもいだしたくない…
誰かの瞳から零れ落ちる涙が俺の頬に落ちる…
そして…血の匂い…
俺は忘れたままでいたいんだっ!
本当の記憶(しんじつ)を!
作品は、『パンドラの虜』発行↓に掲載