ゆめみるてんし

 

 

ふわりと体が浮く感触。

まだ…

もう少しだけ…

裕一君が望んだから…一回きりの奇跡を起こしてみたボク。

結果、裕一君が幸せでいてくれるのだから、それで良かったのだと思う。

 

 

自分の部屋で窓の外を眺めながら、腕を組んで何やら考え込んでいる裕一君。
窓の外は寒そうで、今にも雪が降りそうだ。
裕一君の後ろからそっと近づくボク。

 

一歩…

二歩…

三歩…

大きくて温かな裕一君の背中…

いちばん好きな恋人(ヒト)の背中…

 

「わっ!」

 

突然大声を上げながら、その背中に跳び付くボク。
裕一君を驚かせようとしたのもあったけど、本当は、独りきりで悩んでいる裕一君を元気付けてあげたかったからだ。

 

「……」

「…うぐぅ」

 

でも、何一つ反応してくれない裕一君。
自分の行動がバカみたいに思えてくるボク
だけどボクは、そのまま自分の部屋に帰る気にもなれなくって、この世で一番安心できる背中にピッタリと張り付いたまま、裕一君が動くのを待った。

 

「……」

「……」

 

静寂。
遠くで聞こえる車の音や工事の音…
近くで聞こえる息吹と鼓動…
このまま眠ってしまいたくなるボク。
大好きな人の背中で…

 

「…寝るなよ」

「うぐっ…」

 

どうして解かっちゃうのかな?

ボクは裕一君が考える事、全然分らないのに…

不公平だよ。

 

「……」

「……」

 

そして、また訪れる静寂。

 

裕一君。

その悩みは、ボクの悩みでも有るんだよ。

どうして、ボクに言ってくれないの?

どうして、こっちを向いてくれないの?

どうして…冷たいの?

 

大好きな人の背を抱いたまま…

 

「……」

「……」

 

結局、寝てしまったボク。

 

 

七年ぶりに朝を迎えて知った事。
それは大きな不安…
ボクの事を知る人があまりに少ない現実。
昔にいなくなったお母さん…
だから、いなくなったらしいお父さん…
行き先は、多分同じ場所。
身寄りの無いボクが安心できるたった一つの場所…
それが、水瀬家(ここ)。

 

「家族が増えて嬉しいわ」

 

秋子さんの温かい微笑み

 

「あゆちゃん。これからは『なゆちゃん』って、呼んでね」

 

なゆちゃん(名雪さん)の屈託の無い笑顔

 

「ややこしいって…」

 

裕一君が照れ隠しに浮べた苦笑
迎えてくれる人達(カゾク)の温かさが嬉しくて…そして、涙が出るほど有り難かった。
だけど…何かがおかしくなり始めたのも、この日。

 

それは、朝

鳥の囀りと共に入ってくる新鮮な空気…

朝の弱いなゆちゃんを起こしに行く。

 

「うにゅ…ゆういち?」

 

それは、放課後

開放感と共に三々五々散って行く生徒達…

学校まで裕一君を迎えに行く。

 

「じゃあね。裕一…」

 

それは、夕方

橙色に染まった賑わい溢れる商店街…

なゆちゃんと晩御飯の買い出しに行く。

 

「コレ、裕一が大好きなんだよ…」

 

それは、土曜の夜

居間での楽しい時間…

明日の約束をする。

 

「あ…裕一、明日はデートなんだ…」

 

裕一…

ゆういち…

ユウイチ…

 

なゆちゃんの口から『ゆういち』という単語が発せられる度、過敏に反応してしまうボク。

嫉妬と言えば、そうなのかもしれない。

でも、それ以上に引っかかるモノ…

それは、なゆちゃんの目。

裕一君を見る時の切なさと愛しさ…

ボクを見る時の辛さと羨ましさ…

そして、二人きりでいるボク達を見る時の寂しさ。

知ってる…ううん、ずっと前から解かっていたなゆちゃんの想い。

でも、ボクは裕一君と一緒にいたい。

その為だけに、ここにいるのだから…

その為だけに…奇跡を起こしたのだから…

 

 

だんだん軽くなる体。

あと少し…

ほんの少しで良いから…

 

 

「……」

 

目覚めは、黄色地のシーツが掛かった自分のベット。

 

裕一君が運んでくれたのかな?

それとも自分で?

 

イマイチ曖昧なボクの記憶…だけど、出来る事なら後者であって欲しい。
これ以上、なゆちゃんに辛い思いをさせたくないから…

 

「おはようございまーすっ!」

 

カラ元気にも近い朝の挨拶
それでも元気でいたい。いや…元気でいないといけないボク。
表面上だけでもいつも通りでいないと、全てが壊れてしまいそうだったから…

 

「おはよう、あゆちゃん。今朝はトーストよ」

 

いつもの様にご飯かパンを教えてくれる秋子さん。

 

「おう、おはよう…寝るなっ!寝るくらいなら学校に行くぞ!」

 

のんびりと朝食を摂っているなゆちゃんを急かしながら、挨拶を返してくる裕一君。

 

「おふぁよう。あゆひゃん…くー」

 

寝ぼけながら、こんがりとキツネ色のトーストにイチゴジャムをペタペタと圧塗りするなゆちゃん。

 

いつも通りの朝…

まるで昨夜の重苦しさなど無かったかの様な朝。

この朝が無くなったら、ボクはどうしたら良いのだろう?

 

努めて笑顔のまま、自分の席に就くボク。
そして、なゆちゃんが食べ終わると同時に慌ただしく出て行く二人を見送りながら、トーストにバターを塗り始めた。

 

 

なゆちゃんは優しい…そして、強い女性(ヒト)。

もしも、あの時ボクがいなくなっていたとしても、なゆちゃんなら裕一君を支えられたと思う。

そんななゆちゃんだから、ボクの所為で傷付くのを見ていられなかった。

そして、裕一君も同じ。

裕一君も優しいから…

だからあんなに悩んで…

でも、何も解決できなくて…

いつも独りで泣いているんだと思う。

やっぱりボク…あのまま消えていた方が良かったのかな?

 

 

「ねえ、秋子さん…」

「何かしら?」

 

二人が出ていった後、朝食の片づけをしている秋子さんのお手伝いをしながら話し掛けるボク。

 

「……」

「名雪の事?それとも、裕一さんかしら?」

 

可愛い猫の絵が入ったなゆちゃんのマグカップを洗いながら、最初から知っていたかの様に、わたしの思っている事を言い当てる秋子さん。

 

うぐぅ…どうして分るのかな?

 

「…両方」

「大丈夫よ」

「うぐぅ…そうかなぁ?」

 

渡されたバターナイフやスプーンなんかを拭きながら、その向きを揃える手を止めて見上げるボクに、秋子さんは、その優しい微笑みで応えてくれる。

 

「ええ…」

 

 

相手を大事に思っているからこそ、苦しんだボク達。

誤解を生む思いやり…痛みを与える優しさ…

繰り返され、積み重なるもどかしい毎日…

そして…

いつしか表面上な顔でしか、お互いを見れなくなってしまったボク達。

 

 

うぐっ!くっ苦しいよ!

ジンジンと疼く背中…

ボクの意思に反して、広がりたがってる。

もうすぐ時間(ふゆ)だから…

でも…まだダメだよ!

このままじゃ!

 

 

夜…

一つの決心をして、裕一君の部屋に訪れるボク。

もう…終わらせないと…誰かが壊れちゃうよ。

 

「明日…日曜日だね」

「ああ…」

 

ベランダに出て、外を眺める裕一君。
その後ろに立ち、白い息を吐き出しながら話し掛けるボク。
ベランダの空気は冷たくて、今にも雪が降りそうだ。

 

「時間あるかな?」

「ああ…」

「なら、お買い物に行こうよ」

「ああ…」

「帰りに、たい焼き食べよ」

「ああ…」

「服…見たいよ」

「ああ…」

 

ボクの言葉に中身の無い…カラッポな返事をする裕一君。
さっぱり聞いていないのがよく分る。

 

「裕一君…ボクのお話聞いてないでしょ?」

「ああ…」

 

やっぱり…

大事な事なのに…

 

「うぐぅ…」

「……」

 

結局、それ以上は何も言わないで、自分の部屋に戻って行く裕一君。
目の前で空色のカーテンが閉まるのを、ただ見送る事しか出来ないボク。

 

「…うぐぅ」

 

 

両腕で自分を抱き、体を丸めて必死に耐えていると、少しだけ背中の疼きが楽になった。

もう少しだけ…いいのかな?

…よかった

 

 

コンコン…

 

「裕一…」

 

お風呂上がりの裕一君が宿題をしているところに、ノックと共に入って来るなゆちゃん。
そろそろ寒くなってきたから、お気に入りのにくきゅう柄パジャマの上に猫模様のどてらを着ている。

 

何だか懐かしいな…

 

でも次になゆちゃんが言った言葉は、呑気に懐かしさを感じていられるほど穏やかじゃなかった。

 

「裕一…抱いて…」

「…へ?」

 

なゆちゃんの言葉に、肩に掛けていた紺色のどてらを羽織り直しながら、間の抜けた顔をする裕一君。
それとは対照的に真剣そのもので、冗談で言ってないのがありありと伺えるなゆちゃんの表情(カオ)。

 

「抱いてくれたら…裕一の事、諦められて…明日から笑顔でいられるから…」

「ちょ…ちょっとまて!」

「ゆういちィ!」

 

どたんッ!

 

飛び込んできたなゆちゃんを支えきれずに、ベットに押し倒される裕一君。
目の前で起こっている何だかテレビドラマの様な展開。
でも今は二人を信じて、見ている事しか出来ないボク。

 

ガチッ!…ガチッ!

 

そのままの勢いで、無理に裕一君と唇を合わせるなゆちゃん。
口付けの度にぶつかる二人の前歯が、硬い音を立てる。

 

「ゆういち…」

「な…な…んぐっ!」

 

一方、裕一君は、尋常でないなゆちゃんの様子に驚き固まってしまい、されるがままになっている。

 

…裕一君

 

何度も繰り返される不器用な口付け…
だけどそこに愛おしさは感じられなくて…
どこか物悲しい光景だった。

 

…ぽかッ!

 

「ばか…」

 

暫らくすると正気に戻り、なゆちゃんの頭を軽く小突いて、その肩を掴み少し乱暴に自分の体から引き剥がす裕一君。
その瞳に悲しみと怒りと愛しさが感じられる。

 

「抱けるわけないだろ…そんなこと…出来るわけ…」

「…ゆういち」

「抱いたら…三人とも絶対に後悔すると思う…」

「裕一…やっぱり優しいね」

 

真っ直ぐに自分を見て、語り掛けてくる裕一君に、弱々しい微笑みを浮べるなゆちゃん…
その大きな瞳から零れる涙を、裕一君がそっと拭い…

 

「どうだろうな。ただの自己満足かもしれない」

 

そう言って、苦笑いを浮べる。

 

違うよ…裕一君。

 

「ううん…裕一も…あゆちゃんも…みんな優しいから…」

 

瞼を落し、ふるふると首を振って言うなゆちゃん…
その睫毛に光る涙が綺麗。

 

そう…優しいんだよ。

みんながみんなに優しすぎるから…だから、傷付け合っちゃうんだよ。

 

「…名雪…お前、それでこんな事を?」

「……」

 

小さく頷くなゆちゃん…
しっとりとした髪が掛かる肩を掴む手にグッと力を入れて、コツンとなゆちゃんの頭に自分の額を付ける裕一君。

 

「ゴメンな…嫌な役やらせて…」

「良いんだよ…二人の事大好きだから…」

 

同時に顔を上げて、見詰め合いながら言葉を続ける二人…
どこと無く恋人同士みたいで、ちょっと妬けてくる。

 

「それに何だかスッキリしたよ。裕一の口から…聞けたから」

「名雪…」

 

そう言って微笑みながら細めたなゆちゃんの目から、またポロポロと涙が零れ落ちる。
そんななゆちゃんのしっとりとした長髪に、優しく手を乗せて・・

 

「……」

 

『くしゃくしゃっ』と健気な妹にやるように撫でる裕一君。

 

「私…フラレちゃったね。でも…」

 

眉毛を下げ、寂しそうな顔で頭一つ高い裕一君を見上げるなゆちゃんの前髪を掻き揚げると、裕一君はその白い額に軽く唇を当てた。

 

「恋人にはなれないけど、大好きだぞ…名雪」

 

優しい目でなゆちゃんを見下ろしながら言う裕一君。
でも言葉とは裏腹に、やっぱり恋人同士に見える。

 

「ゆういち……ウンッ!」

 

キョトンした顔でと額を押えた後、涙を拭って、ぱっと笑顔になるなゆちゃん
すごく羨ましい。

 

「…と、言うわけでだ。明日は名雪も一緒だぞ。あゆ!」

「え?!」

 

うぐっ!

 

…ガタガタッ!

……

シーン…

カタッ

 

なゆちゃんの肩から手を放して、半眼で物音のしたクロゼットの前に行き、それを一気に開け放つ裕一君。

 

見つかっちゃった…

 

「…うぐぅ…なんで分かったの?」

「あゆちゃんッ!」

 

もそもそとクロゼットから出てきたボクを見て、口を両手で押え、真っ赤な顔で後ずさりするなゆちゃん。

 

「たい焼きの匂いがしたからな」

「うぐぅ…」

 

呆れ顔で見つけた理由を教えてくれる裕一君に、ボクはたい焼きの入った筋入りの茶色袋で照れた顔を隠した。

 

 

煎茶を煎れた湯飲みをそれぞれ持って、三人でお盆を囲むように座り、冷めたたい焼きを食べる。

 

「で…なんでたい焼き持ってクロゼットなんかに潜んでたんだ?」

「うぐぅ…裕一君とお話しようと思ったんだけど…なゆちゃんに見つかったら、またなゆちゃんが傷ついちゃうような気がして…」

「それで、クロゼットの中に隠れてたら、私が来ちゃったんだね?」

 

しどろもどろになりながら話すボクの後を、急須にお湯を入れながら続けるなゆちゃん。

 

「…待て。って事は、あの話全部聞いてたのか?」

「…すっごくドキドキしたよ」

 

焦った顔で身を乗り出す裕一君に、頬を染めて俯くボク。
それを見ているなゆちゃんも、赤い顔で窓の外を見ている。

 

「……」

「……」

「……」

 

湯気が出そうなくらい赤い顔をしたまま、黙りこくる三人。
聞こえるのは、たい焼きを食べる音と御茶を啜る音だけ…

 

「……ありがとう。なゆちゃん」

「ううん。良いんだよ。あゆちゃん幸せになってね。私はそれを見ながらチョットだけヤキモチを妬いてあげる」

 

そう言って微笑み合うボク達を見ながら、ボクとなゆちゃんに見えない様、顔を綻ばせる裕一君。
久しぶりに素顔で向き合うボクたちが、そこにいた。

 

 

また疼き出した背中。

さっきより苦しい…

でも今度は我慢せずに、ボクはそれを解き放った。

ふぁさぁぁぁ……

開放と同時に背中が一気に軽くなる。

すっかり肩が凝っちゃった…

左右の肩をゲンコツでポンポン叩きながら、ボクは、ゆっくりと離れて行く地面を見下ろした。

もう…いいよ

これで…いいんだよ。

 

 

商店街を楽しそうに歩く三人…
街を吹き抜ける風は冷たくて、今にも雪が降りそうだ。

 

「たい焼き♪たい焼き♪」

「えー!イチゴサンデーが良いよ」

「俺は早く帰りたい…」

 

並んで歩きながら、何処でおやつにするか話し合うボク達。
ボク達二人分の荷物を抱えながら、後ろでぼやく裕一君。
一年ぶりにダッフルコートを着たボクが、お気に入りの手袋をはめた手で、その襟を合わせながら空を見上げると、建物の合間から見える厚い灰色曇がお日様を隠していた。

 

「どうした?何か面白い物でも見えるのか?」

「ううん…なんでも無いよ。寒いね」

「そうだね。雪が降りそうなくらい…」

 

 

…そろそろ夢の終わりかな?

さようなら…夢の中のボク

辛い事、悲しい事、嬉しい事、楽しい事…

これからも、いっぱいいっぱいあるんだろうね。

 

「裕一君…なゆちゃん…秋子さん…」

 

名前を口にする度に浮ぶ大好きな人達の笑顔が、胸の奥を熱く…苦しくさせる。

そして…

 

ぽろぽろ…ぽろ…

 

初めて知った…

夢の中でも、涙って出るんだ…

 

「もう…起きる時間なんだよ。目を開けた時、どんな世界が待っているのか分からないけれど…」

 

天へと近づくに連れて、ボクの羽根は散り…

涙は白い結晶となって、街へと降り注ぎ…

そして、ボクの存在は次第に無くなってゆく。

 

「でも、みんなの事忘れないよっ!バイバイ!大好きな人達。バイバイ…幸せなボクの夢…」

 

天を被う雲に触れようと、手を伸ばした瞬間…

ふっ…と、全てが消えた。

 

 

「おっ…」

「わぁ…」

「初雪だね…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

しゅー…こー……

しゅー…こー…

ぴっ…

ぴっ…

ぴっ…

バタバタバタッ!

「…!」

「……!」

白い光。

甘ったるい匂い。

騒がしい音。

重い体。

瞳を開くと…


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