そして、雪は積もり…

 

 

アキコ

 

姉さん達が帰った後の家は静かで、独りでいる事をより一層寂しく感じる。

 

「……。やっぱり、二人で暮すのに、この家は広すぎますよ」

 

今はもう、会う事さえ許されない愛しい人に話し掛けながら、私は一人、食卓に座って、先程まで賑やかだった我が家を見回した。
いつもはそれほど散らかっていない家の中は、まるで一週間ほど掃除していなかったかの様に散らかっている。

 

やっぱり、人が増えて賑やかになると、散らかるのも早いわね。掃除のやり甲斐が有るわ。

 

「でも、少しは姉さんも、手伝ってくれると良いのだけど…」

 

掃除を始めとする家事一切が嫌いな(出来ないわけではないのだけれど)姉さんは、家事好きな妹の家だと幸いに、散らかし放題で家に帰ってしまった。
綺麗好きな義兄さんがいれば、手伝っても貰えたのだけど、あいにく彼が海外出張なのを理由に遊びに来ていたので、それも出来ない。

 

あと頼りになるのは、私の一人娘…あの人の忘れ形見だけど…

 

「あら?」

 

とりあえず、食卓に残された空の皿を流しに運びながら窓の外を見ると、先程まで晴れ上がっていた空はいつの間にか曇り、産まれたての雪がゆっくりと、昨日までの雪を被った街に、また新しく真っ白な衣を着せ始めていた。

 

「…あの子は、どこまで行ったのかしら?」

 

姉さん達が帰る少し前に、どこか寂しげな目をして外へ出ていったあの子の姿が思い出される。

 

……

 

食器を洗おうとしていた手を止めると、私はエプロンを外して自分の部屋に行き、クロゼットから取り出した少し厚手のコートに袖を通した。
そして、玄関近くに掛けてある小さなコートを畳んで胸に抱えると、白一色と、黄色に猫の模様が入った二本の傘を掴んで、家を後にした。

 

 

ナユキ

 

ゆういち…

やっぱり…私の事、嫌いなんだ…

でも…

私は、裕一が大好き…

『こい』とか『あい』とか、そんな事わかんないけど…

裕一と一緒にいると、すごく安心できて、何だか暖かい気持ちになれる。

 

「……」

 

駅前のホール近くに立っている柱に寄りかかって、右のお下げを弄りながら、タートルネックのセーターに首を竦めると、夕日に照らされた茜色の雪が少し眩しかった。

 

『もう、裕一はこの街にいない。』

 

頭では分かるけれど、心がそれを「違うよ」って、言っている。

 

『遅刻はしても、裕一は来てくれる』

 

何故だか分からないけど、その気持ちだけが、私をここに引止めていた。

 

「…♪〜」

 

楽しそうな声に、ふと視線を上げると、同い年くらいの女の子二人が階段を仲良く手を繋いで降りてくるところだった。
顔が良く似てるから、多分姉妹なんだと思う。

 

羨ましいな…いつも一緒にいられて…

いっそ、裕一と兄妹なら、いつも一緒にいられるのに…

一緒に遊んで…

一緒に宿題して…

一緒にご飯食べて…

ずっと…

ずっと、裕一と一緒にいたいよ…

 

ごしごし…

 

自分でも気付かないうちに濡れていた頬をセーターの袖で拭うと、体に積もった雪の冷たさにブルっと体を震わせて、私はまた首を竦めた。

 

 

カオリ

 

栞は、私の妹…

いつも私の真似をしたがる妹…

鬱陶しい…

その上、どんなに冷たく当たっても、私の後ろをヒヨコみたいにヒョコヒョコ付いてくる妹…

凄く鬱陶しい…

 

だけど、あまりの鬱陶しさに私が怒ったところで、栞が泣き出せばそれまで…

「お姉ちゃんなのに、どうして妹に優しく出来ないの!」

と、私が一方的に悪役にされてしまう。

本当に、嫌な存在だ。

 

今だって、そう…

お使いに栞がどうしても付いてくると言うから、恥ずかしいから繋ぎたくない手を繋がないといけない。

この手を放せば、栞が迷子になる。

そしてまた、私は理不尽な叱られ方をするのだ…

栞を連れて行くのに、私が反対したのにも関らず…

もっとも、私が手を放そうとしたところで、それをしっかり握っている栞の手は、外れそうに無いけれど…

 

「…♪〜」

 

チラリと横を歩く妹を見ると、私と買い物に行くドコが楽しいのか、握った手を元気良く振って歩いている。

 

ホント…何がそんなに楽しいのかしら?

 

人の気持ちも知らずに楽しそうな栞を見て私がため息を吐くと、それに気付いたのか、栞は不思議そうに私の顔を見上げて、エヘヘ〜っと、満面の笑顔を向けてきた。

 

「ハァ…」

 

こんな鬱陶しいだけの妹なんて、いらない…

栞なんていなくなれば良いのに…

 

 

シオリ

 

私は、お姉ちゃんが好き。

いつも私に意地悪するけど、でも好き。

だって…

私のたった一人のお姉ちゃんだから…

私の手を握ってくれるお姉ちゃんの手の温かさも…

私を見てくれるお姉ちゃんの目の優しさも…

みんな大好き。

 

「お姉ちゃん」

「ん?」

 

私がお姉ちゃんの手をグイグイ引っ張りながら呼ぶと、私の手を握っている方と反対の手にスーパーの袋と傘を持っているお姉ちゃんが、私の方を向いた。

 

「アイス食べたい」

「ダメよ。家に帰ってからね」

 

意地悪を言うお姉ちゃんを見上げながら、私はいつもの様に、握っている手を上下に勢い良く振ってお願いする。

 

「今、食べたいの」

「我が侭言わないで…」

「お姉ちゃんの意地悪!」

 

でも、結局お姉ちゃんは、私のお願いを聞いてくれなかった。
いつも通り意地悪なお姉ちゃんに、私はぷいっと横を向いて拗ねたフリをする。
だけど繋いだ手だけは放さずに、握る力を少しだけ強くした。
だって、お姉ちゃんの事、本当は大好きだから…

 

……あれ?

 

そのまま、お姉ちゃんに手を引かれながら、階段を降りていくと、後ろ…階段の上の方から、私達を見ている人がいる事に気付いた。
薄いピンク色のコートにスカート、肩まで伸ばした髪を両耳の上辺りで後ろに回して大きなリボンで結んでいる。
少し不思議な髪型をしたお姉さんだった。

 

お姉ちゃんのお友達かな?

 

お姉さんは、ジッと私達の方を…しっかりと繋がれた手を見ている。

 

「栞。階段降りている時は、余所見しちゃ駄目よ」

 

お姉ちゃんの声に前を向くと、丁度、階段が終わるところだった。
あのまま歩いていれば、躓(つまず)いて転んでいたかもしれない。

 

「ねえ、お姉ちゃん。あの人お友達?」

「え?」

 

さっきの人の方を指差しながら、グイグイとお姉ちゃんの手を引く。
でも、私の指差す方に、あのお姉さんはいなかった。

 

「誰もいないじゃないの…ほら、遅くならない内に帰るわよ」

 

私に少し不機嫌そうな顔を向けると、お姉ちゃんはまた、私の手を引いて歩き出した。

 

 

サユリ

 

「……」

 

姉妹でしょうか?

羨ましいです。

佐祐理にも一人、弟がいます。

いますけど…

 

「一弥…」

 

佐祐理達もあの娘達の様に生きられたら、どんなに良いでしょう。

お父様を怨みはしません。

でも…

 

「羨ましいです…」

 

仲良く手を繋いで階段を降りて行く姉妹から視線を外すと、佐祐理は弟の待つ病院へと足を踏み出しました。
と…

 

ヒュンッ!

 

「ふえっ!?」

 

その瞬間、目の前を物凄い速度で横切っていく物があります。
驚いた佐祐理が立ち止まって、『それ』を目で追うと…

 

「……」

 

お団子か何かを刺していた串を咥えたまま、何か長いものが入った袋を抱えて走る女の子が目に入りました。
何か強い意志を秘めたその目は真っ直ぐに…目標に向けて放たれた矢の様に、ただひたすら真っ直ぐに前を向いていて、誰も彼女を拒む事は出来ないと思えるほどです。

 

「はえ〜…」

 

佐祐理は、ただその娘の後ろ姿を見送る事しか出来なくて、その場で暫らくボーッと立っていました。
擦れ違った時のあの娘の目に、どこか『私』と同じ物を感じながら…
そして、凍ったはずの『私』の心が、少しだけ動いた事に驚きながら…

 

 

マイ

 

あの場所に急がないと…

 

『ねえ、助けてほしいのっ』

『…魔物がくるのっ』

 

今夜も『魔物』が来るから…

 

『いつもの遊びの場所にっ…』

 

大事な…

凄く大事なあの場所に…

 

『だから守らなくちゃっ…』

『ふたりで守ろうよっ』

 

本当は、二人で守るはずだった…

 

『ほんとにくるんだよっ…』

『あたしひとりじゃ守れないよ』

 

時が経つ事に、魔物が強くなっている。

私一人でも負けはしないけど、勝つことも出来ない。

やっぱり、あの子と一緒じゃないと勝てないんだと思う。

 

『一緒に守ってよ…』

『二人の遊び場所だよっ…』

 

あそこは二人だけの遊び場…

私が笑顔でいられた場所。

だから、あの子が帰ってくるまで、誰の力も借りずに私一人で守らないと…

なぜなら…

 

『待っているからっ…』

『ひとりで戦っているからっ』

 

私は魔物を討つものだから…

 

そして、いつかあの子と一緒に遊ぼう。

今、擦れ違った、あの娘達の様に…

笑顔を浮べて…

 

 

ミシオ

 

最近この娘の様子がおかしい…

 

この前、突然高熱を出して寝込んだ事もそうだけど、それ以上に変なのは、あれ以来、この娘が喋らなくなった事だった。

 

「ねえ、お散歩に行こうよ」

 

そう言って、この娘の手を引いた時も無邪気な笑顔を返してきただけ…
言葉が通じているかさえも、分からない。
まるで、犬や猫と話をしている様な感じだった。

 

「雪が降ってきたね。そろそろ帰ろうか?」

「……」

 

隣を歩く彼女に話し掛けると、やっぱり何も言わずに無邪気な笑顔だけを返してくる。
賛成なのか、反対なのかも分からない。ただ純粋に楽しいから浮べているだけの笑顔だ。
そんな彼女を前に、私はただ苛立たしさと悲しさを募らせる事しか出来ない。

 

一体、何が悪いの?

私には、何もしてあげられないの?

 

「……」

 

 

並んで帰途に就きながら、彼女が喋らなくなった理由を考えていると、何か珍しいものでも見付けたのか、急に彼女が立ち止まった。

 

「どうしたの?」

「……」

 

私の声が聞こえてないかの様に、階段から見える下のホールをジッと凝視する彼女の目線を追って、私も視線を落す。

 

「珍しいね」

 

そこには、山から下りて来て迷子になったのか、子狐が一匹、転がるように走り回っていた。
その様子に、この前まで家で面倒を見ていた子狐の事を思い出す。
もっとも、その子狐とは毛色も体の大きさもまるで違うけれど…

 

「誰かを探してるのかな?」

 

そう…
まるで子狐は、誰かを探す様にして、あっちこっちをウロウロしながら、小さい体を一生懸命伸ばして、まだ幼く高い声で遠吠えをしていた。

 

「警察とかに知らせて、保護してもらった方が良いのかな?」

 

そう言いながら、視線を戻すと…
既にあの娘はいなかった。
どこへ行ったのかと辺りを見回しても、どこにもいない。
またいつもの様に、食べ物の匂いに釣られて、ふらりと何処かへ行ってしまったみたい…
仕方なく私は、彼女を探しに雪の上に残った彼女の足跡を辿り始めた。

 

 

コギツネ(マコト)

 

ユーイチ!

逢いたいよ!

 

返事はない…

 

どこに行ったの?

私を置いて、どこに行ったの?

ユーイチ!

 

返事はない…

 

逢いたいよ。

一度で良いから…

ほんの少しの間でいいから…

その一回だけでいいから…

ユーイチと逢って…

話をして…

遊んで…

眠って…

……

ただ側に居られるだけでもいいから!

ユーイチ!

 

返事はない…

 

寒いよ…雪が強くなってきた。

あ…

あのベンチの下にある箱の中で、少し休もう。

あの、ちょっと不思議な感じのする娘が座っているベンチの下にある箱で…

そうしたら、また拾ってくれるよね?

ユーイチ…

 

返事は…ない。

 

 

アユ

 

少し前から降り出した雪は、もう目の前が見えなくなるんじゃないかって程になっている。
先程まで騒然としていたこの駅前も、今は人通りが無くなり、ただ雪がしんしんと降り続けるだけ…

 

裕一君…

今日もここで待ってるよ…

だから、早く来てよ…

 

さっきまで、ボクと同じ目をして近くの柱に寄りかかっていた娘も、お母さんらしい女の人に手を引かれて、帰って行った。
今ここに居るのは、私と私の足元に居る娘だけ…

 

そしてまた、ボク達の学校に行こうよ。

ボクは木に登って、綺麗な夕焼けを見るんだ…

そして裕一君は、それを下で見てて…

 

時が止まった世界にしんしんと雪が降り積もる。

 

裕一君が後ろを向いてる間に木から下りて…

二人でたい焼きを食べて…

そして、また明日逢う約束をして帰るんだ。

 

暖かい春も、暑い夏も、涼しい秋も感じる事無く、ボクの周りはずっと冬で…
ずっと、雪が降り続けていた。

 

もし、今日来なくても、ずっとずっと待ってるからね。

 

冬が来て、冬が過ぎて、また冬が来た…
雪が降って、雪が止んで、また雪が降った…
昨日も…今日も…
何日も…何週間も…
そして、何年も…

 

だから、必ず来てね。

 

「…約束だよ」

 

 

And seven years later

(一つの思い出が、雪に埋まった頃)

ユウイチ

 

「ゲボッ!ゴホッ!…」

 

吸い込んだ空気の冷たさに、思わず咽(むせ)る。
電車から下りて最初に感じたのは、今迄感じた事のある物と根本的に違う、本当に肌を刺す様な寒さだった。

 

雪が降っていた。

 

ポケットからメモを出して、待ち合わせの時間と場所を確認する。

 

思い出の中を、真っ白い結晶が埋め尽くしていた。

 

昔、確かにこの町に住んでいた事は覚えている。
だけど、後の事は思い出せなかった。

 

数年ぶりに訪れた白く霞む街で、

 

何時から、この町に来なくなったのか…
何故、この町に来なくなったのか…

 

今も降り続ける雪の中で、

 

そして…
この胸の痛みは何なのか…

 

俺は一人の少女と出会った。

『そして、雪は積もり…』


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