雪の微笑み

第四回

 

 

 

ゆきとの奇妙な同居が始まってから、一ヶ月が経った。
相変わらずゆきは無口だが、何とか上手くやっている。

 

ゆさゆさゆさ…

 

「ゆきか?あと五分頼む」

 

小さく肩を揺すられた俺は、目を瞑ったまま、ごろんと寝返りを打ちつつ、あと少しのまどろみを望む。
朝というのは、一日の内で一番眠い時間かもしれないな…

 

……

……

ゆさゆさゆさ…

 

「五分経ったか…」

 

自分では、五分経ったように思えないのだが、まぁ、寝ぼけた頭で感じる時間など、アテにならない。
ゆきが起こしているのだから、五分経ったのだろう。

 

「ふぁぁぁぁぁ…おはよう…」

 

目を開け、体を起こしつつ、大口を開けてアクビをすると、俺の横にきちんと正座をしたゆきが、湯気の立つタオルを両手で差し出してきた。

 

「ありがとう」

 

いつもの様に、それを受け取って顔を拭うと、程よい温度のタオルが心地良く俺の頭を覚醒させる。
そのまま俺は、寝癖を取る為、タオルをターバンの様に頭に巻くと、着替えを始めた。

 

「今日は、少し遅くなるから眠たかったら、先に寝てて良いぞ」

『嫌』

 

俺の言葉に、(コタツ兼)ちゃぶ台に朝食を並べていたゆきがふるふると首を振る。

こんな光景も、日常になってしまった。
ゆきは相変わらず喋らなくて、俺が側にいないと絶対に寝ない。
外出する時も、俺の腕にしがみ付いていないと不安そう(表面的には、何も変わらないが)にしている。
しかも、その理由は未だに不明のままだ。

ベルトを締めて財布をポケットに突っ込むと、俺はちゃぶ台についた。

 

「今日は、ホットケーキか…」

『ウン』

 

俺の右隣に腰を下ろしたゆきが、頷きながらメープルシロップを差し出す。

 

「ありがとう」

 

やはり、これ(ホットケーキ)には、砂糖が一粒も入っていないのだろう。
相変わらず、ゆきは調味料を使うのが嫌らしい。
もっとも、その事については自覚があるらしく、この様に料理と一緒に差し出してくれるのが、通例となっている。

 

たまに、見当違いの組み合わせを出してくる事も有るけど…

エビフライに蜂蜜とか…

 

「やっぱり、ホットケーキにはメープルシロップだよな」

『?』

 

そんな事を言いながら、ホットケーキ上に渦巻きを描く俺を見て、ゆきが首を傾げる。
もちろん、同意を期待して言った訳では無いのだが、やはり返事が無いのは寂しい。

 

「さっきも言ったけど、今日は夜まで帰れそうに無い。…悪いな」

『ううん』

 

ゆきの方を見ていた為に、シロップをかけ過ぎてしまった甘ったるいホットケーキをコーヒーで流し込みながら俺が謝ると、ゆきは一旦食べる手を止めてふるふると首を振った。
長い黒髪が、美しい残像を描く。

 

「退屈なら、外出してもいいからな」

『嫌!』

 

俺としては、気を使って言っているつもりなのだが、ゆきは激しく首を横に振って拒否した。

 

……

…一日中家にいて、何をやってるんだろうな?

 

いつも疑問に思う事なのだが、ゆきによると俺がいない間は、ボーッとしているらしい。
とはいえ、いつの間にか部屋が綺麗になっていたり、シャツからしわが消えているところを見ると、家事をしてくれている様だ。
でも、それ以外の時間は、やはりボーッとしているのだろう。

 

時間の無駄と言うか、何と言うか…

 

 

「んじゃ、行ってくる」

 

靴を履き、ゆきから受け取った鞄を肩に掛けて、出勤する旦那のごとくゆきに声をかけると…

 

ぎゅ…

 

倒れ込むように、ゆきが俺の胸に抱きついてきた。
毎日繰り返されている事とはいえ、これだけはどうにも慣れない。
ゆきを引き離すのに、どうしても時間がかかってしまう。
遅刻してしまいそうな時間であっても、俺がいなくなる寂しさをゆきが感じているのだと思うと

「もう、少し…後少し…」

と言うふうにズルズルと時間を引き延ばしてしまう。
完全に情が移っていると言えなくも無い。

 

「…ちゃんと帰って来るから」

 

俺はそう一言いうと、細くて小さな雪の肩を押して、引き離した。

 

「じゃ…」

『いってらっしゃい』

 

ドアを開けて行きに手を振ると、ゆきも右手を力無く振り返してきた。

 

パタン…

 

 

「今日は客が多いですね」

 

オーダーを取って来た俺がそう言うと、店長は無言でカレーライスを三つ差し出してきた。
大学の授業を終えた俺は、そのままバイトに入った。
忙しい時にはとことん忙しく、暇な時にはひたすら暇なバイトなので、店内には店長と俺以外の働き手はいない。

 

何でこう、日によってバラツキが出るんだろう?

 

店長に言わせれば、商いとはそういうものなのだそうだ。

 

「エビピラフ、カツカレー、Bセット一つずつです」

 

オーダーを伝えて、差し出されたカレーを持って行く。
十五分前には閑古鳥が鳴いていた店内が、今や修羅場と化していた。

 

チリンチリチリチリリン…

 

満員御礼の中ドアに付けられた鈴が鳴って、また一人客が入って来る。

 

何だか、今日は大繁盛だな…

 

「いらっしゃいませぇ…明(アキラ)?」

「あぁ…」

 

入って来た客へ、にこやかな挨拶を向けると、そこには同じゼミの白銀・明(しろがね・あきら)が、いつもの様に不機嫌そうな顔で立っていた。
ぶっきらぼうで、態度が冷たく、いつも険悪な目をしている為、誤解されがちだが、実は凄く傷つき易い奴で、その為にそっけない態度を取っているだけなのを俺は知っている。
もちろんその正確ゆえ、常に浮いた存在である上に一緒にいると、二人揃って『何だかヤバイ人達』と認識されてしまうが、別に実害が有るわけでもなく、むしろコイツといると面白いので、俺は縁を切ろうとも思わない。

 

「今、場所作ってやるから、少し待ってくれ」

「…すまない」

 

賑やかな店内の端の方で、新聞紙や客が置いていった雑誌等が占領している席を片づける。
相席という手が無い事も無いのだが、明にはこの方が良いだろう。

 

「…で?何にするんだ?」

「…任す」

 

顔もスタイルもかなり良い方なのに、その正確が災いして、明には友人と言える人が少ない。
時々この店に来るのも、食事を摂る為ではなく、俺と逢う為に来ているのだろう。
そう考えると、明が俺だけに心を許してくれているようで、何だか嬉しかった。

 

「じゃあ、焼き魚にしろ。普段魚なんて食ってないだろ」

「…そうだな」

 

そう言って、明が薄く笑う。
こいつが笑顔をを向けるのは、俺くらいなものだろう。
事実、俺以外の顔見知りがいる場所で明が笑う事は無く、いつも不満気な顔をしている。

 

「じゃあ、ゆっくりしていってくれ」

「あぁ…」

 

背中から店長の痛い視線が刺さっているのを感じると、俺は仕事に戻った。

 

……

明といい、ゆきといい、どうして俺の周りには無口で変わった奴が多いんだ?

…俺も似たような人種か…類友ってヤツだな。

 

 

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